First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: Essai/cinema

三つの癒し 1 『寂しさと向き合わない』」その2です。

前回も書きましたが、お題小説が更新されてから感想を書くのに随分時間がかかってしまいました。しかもあのふたつの物語を書く上で私の中にみっつ、大きな影響と癒しがあったのです。一時は時間もかかったことだし、もう書くのは諦めようかなと思ったのですがこれほど大きな影響がみっつもほぼ同時に起きたことは奇跡だと思い直し、これからの自分のためにも書いておこうと思った次第です。どうかお付き合いください。

「軌跡」という物語にはお題小説なので当然お題があった訳ですが、少し物語全体に溶け込ませて文章としては入れない方向にしました。わがままを言うとお題がない方がもう少しわかりやすかったかなと思います(笑)事実、今現在の私はあまり恋に大きな比重を置いていないので、主人公が恋を失くして彷徨っている、という描写は完全に一人歩きしてしまいました。彼女を熊も現れる田舎の夜道から救い出す相手に最初考えたのは男性でした。それで一端完結したのですが、言いたいことが歪曲してしまったので1からやり直しました。

ヒロインの相棒探しをしていたとき偶然耳に入ったのが宇多田ヒカルさんが椎名林檎さんをフィーチャーして歌った「二時間だけのバカンス」(2016年9月28日発売アルバム「Fantôme」より)でした。ミュージックビデオにはふたりの楽しそうに過ごす時間、規則正しさを表すような記号やアイテムの数々、そしてせつなく時間ぎりぎりまで抱き合うふたりが映し出され、日常から抜け出すことで日常を営む難しさを実感するような素晴らしい映像でした。その曲と映像をひとめ見て、ああ、小説の彼女の相棒は女性にしようと思いました。そして、その関係性をより影響ではなく小説としてはっきりさせるために、これはきちんとアルバムを聴かなければ、と思いました。久しぶりにビビビと(古語)来たのです。ジャケットやブックレットの宇多田さんの姿はぞっとするほどにお母様である藤圭子さんを思わせました。確かに宇多田さんなのだけど彼女の傍らに、すい、と藤圭子さんがいるような。髪型も化粧も時折歌い方も藤圭子さんの存在がありました。そこになぜ宇多田さんがこのようなアルバムを作ったのかなど野暮なことはここでは語りません。聴けばわかることだ(生意気か)透明な水のように流れ出す彼女の歌声と心臓の鼓動のような音、その歌詞すべてに彼女が感じてきたひとつひとつが細かく丁寧に伝わってきて、気がつくと何度もリピートしていました。

ここで2番目の「癒し」の話になります。私もそれなりに母との葛藤がありました。
それは全然立派なものではなく、母の金銭問題のだらしなさや恋愛問題、まだ幼かった私と姉のやり場のない気持ちなど、すべてを散らかしたまま母は自分の世界に閉じこもってしまい、多分もう出てくることはないでしょう。納得するのに一体何をどうすればいいのかわからなかった。そのままでここまで来てしまった。そんなときに偶然聴けたのが宇多田さんのアルバムでした。もうこれは運命だなと思えるほどで、あれよあれよという間にアルバムは発売日になり、戸惑う間もなく入手していました。敬愛する大澤誉志幸さん以外では最近手にしていなかったCDという形態。じっくり歌詞を読み、曲を聴いた。彼女からお母様への激しい恋慕(恋ではないけれど敢えて)や、葛藤、そしてもう触れることのできない大きな存在が歌詞の中に曲の中に溢れ、胸が痛くてそれでも途中で聴くのをやめることはできなかった。

私は母の介護を数年していて、最初は身体の手伝いという感覚で取り組んでいたことが、ある日を境にどんどん症状が進み、ゆっくり考える時間もないまま濁流のように介護に追われました。今思い返しても疲労が蓄積される日々は辛い思い出です。あのとき考えていたことを敢えて言葉に起こすなら、介護は赤ちゃんを育てるときとよく比較され、その内容も重なるのだけれど、気持ちはまったく逆。育み、生きていくのが子育てならば、相手に合わせて自分をひたすら殺して合わせていくのが介護だと思いました。もちろん育児も介護もそれぞれが感じることで、これはあくまでも個人的なものです。けれど私にはそんなふうに思えた介護生活でした。

介護を終えてからの私は多分、以前の私には戻れないほど変化してしまいました。
もちろん悪い影響ばかりではありませんが、他人から言われることでもありません。そして時折思い出し、夢に見る母はいつも元気に猫と戯れ、よく笑う母なのです。この夢は今でもずっと続いています。今は慣れましたが当初は夢から醒めたとき、なぜ夢なの。行かないで欲しい。とベッドにすがりついて切望するほど現実が受け容れられなかった。今現在母は私の手を離れ、経鼻経管栄養(鼻から管を通し栄養を摂る方法)をして病院にいます。脳梗塞を2度起こし、言語野を破壊されてしまったため言葉は既にまったく話せない。私のこともわかっているのかいないのかも知りえない。それでも会いに行けば私は笑顔を作り、母に必死に話しかける。生まれて間もない赤ん坊が母親の顔を真似るように私の笑顔に釣られてほんの少しでも母の口角が上がってくれた日は心がほんの少し軽くなる。

宇多田さんはお母様を唐突に亡くし、歌詞にはそのときのその想い、愛しさや憎しみまでも赤裸々に綴られている。私の母はまだこの世にいてくれている。話せないけれど元気ではある。怖いのは先のことだ。母がいなくなったときのことをやはりまだ想像できない。けれど宇多田さんがこうして痛いほどの想いを作品にしてくれた。その歌詞や楽曲には救われるような想いが多大にある。私もその濃密であった介護や死にたいほど辛かった思いを形にしたいと思う。介護を離れたとき、周りから「よくやったね」「がんばったよ」と言われた。けれどその言葉は終わりではなく、できる限りアップデートしながらも継続して私の中に息づかせていかなければと思う。「忘れちゃったら私じゃなくなる」と「真夏の通り雨」という楽曲の中で宇多田さんは歌う。だから無理矢理忘れようとしない。忘れないでいる私も私自身なのだと思いたい。多分私はそれを望んでいる。母の存在、女性としての言葉もなく抱きしめるような存在がたった今、小説の中の彼女に必要だと思い至りました。

※「宇多田ヒカル「Fantôme」歌詞特設ページ
 http://www.utadahikaru.jp/lyric/
 
「二時間だけのバカンス」「道」「花束を君に」「真夏の通り雨」の4作品の歌詞が読めます。
聴いて落涙し、止められなかった曲の歌詞もこちらの4作でした。こちらには掲載されていませんが「桜流し」も。「止まない雨のように降り注ぐのに癒えない渇き…。」(「真夏の通り雨」を改竄しています。ご了承ください)宇多田さんの作る世界は、とても開けていて戸惑う。その戸惑いが語弊があると申し訳ないけれど心地良い。自分の感じたものを放っておくのはやめようと思った。放っておくことは生きていく上で最も自分を大切にしないことだ。そんなわかっていたけれど忘れていたことを思い出させてもらいました。宇多田さんのこのアルバムがなかったら小説は書けなかった。そしてこれからも書こうと思えなかっただろう。

Fantôme
宇多田ヒカル
Universal Music =music=
2016-09-28
 


anna

さっそく本題、映画「Livid」の感想です。 
結末に触れますので知りたくない方はご用心。

映像が、とても美しかった。
薄暗い墓地、古い洋館、バレエを習う細い少女たち、
暗がりにぽつりと輝く漁火、
個人的な好みを描いてもらったような映像でした。
が、これはホラー映画。しかもスプラッター。

母親を自殺で亡くし、訪問介護の仕事を始めるリュシーが主人公。
彼女の瞳はオッドアイです。
介護職のケアマネさん、ミセス・ウィルソンと共に訪問先を回り、
最後に大きな古い洋館に行きます。
その屋敷の主は100歳を越える老女、ジェセル婦人。
娘に先立たれ、輸血しながらの昏睡状態。
その胸には鍵のついたネックレスがかかっており、
ウィルソンによるとジェセル婦人が貯めた財宝を開ける鍵らしい。
仕事を終え、リュシーは漁業をする恋人、ウィリアムと落ち合います。
彼の友人、ベンが働くバーでその屋敷の宝の話をするリュシー。
ふたりの男は屋敷に潜り込もうぜ!と、やる気に。
ウィリアムは漁業などやりたくなくてこの町を出たいという。
リュシーに一緒に宝を持ち出して町を出よう、と提案するがそこで一端は断る。

家に戻ると母を亡くしたばかりだと言うのに別の女性と旅行に行くという父親が。
自暴自棄になったリュシーはウィリアムの提案を受け入れます。
真夜中、リュシー、ウィリアム、ベンの3人で屋敷に乗り込み、 
眠るジェセル婦人の胸元から静かに鍵を外し、鍵の元を探します。
不気味で素晴らしい部屋たち。
ついに見つけた部屋には白いレースのかかった大きな物体が。
レースを取り除くとそこには古びたバレリーナの姿をした人形がありました。
けれど顔はひび割れ、瞼も縫われ、閉じられています。
人形の足元にある台座に鍵を差し込むと、音楽が鳴り、人形が回ります。
その恐ろしさに、ウィリアムは蹴りを入れてしまいます(何てことを
がくん、と首をうなだれる人形。音楽も止む。
しかし、屋敷中が呼吸し始めたかのように不気味な音が響く。
ジェセル婦人の元に行くと、ベッドはもぬけの殻。
寝ていた後には、真っ黒な血だけが残されていました。 

lucy 

最初の犠牲者はベン。ふらふらと手術室のような場所に瞬間移動させられたよう。
剥製や胎児の標本などを見つけ、怯えていると突如足を刺されます。
ここで頭に白いレースのヴェールを被ったバレリーナ姿の少女3人が登場。
くるくると回りながら楽しそうにベンを切り裂き、殴る蹴る。
ベンを探しながらリュシーとウィリアムも屋敷内で互いを見失い、
リュシーは動物が剥製になったお茶会テーブルがある部屋に閉じ込められる。

次の犠牲者はウィリアム。
ゾンビのようになったベンを見つけ、取っ組み合い、何とか仕留めたけれど、
いつの間にか背後(上から降ってきた)にいたジェセル婦人に頭から噛みつかれる。
残るはリュシーただひとり。けれど、彼女が色々嗅ぎまわっている最中、
突然、剥製の首が動き、ひとつ空いた席にはいつの間にかジェセル婦人が座っており、
リュシーに両手を伸ばす。手を取るとジェセル婦人の若い頃の光景が呼び覚まされる。

それは、バレエの教師をするジェセル婦人の姿。
とても厳しく踊れない子に帰りなさい、と叱責する。
しばらくレッスンを続けているとどこからか悲鳴が。
急いで生徒たちを帰らせるジェセル婦人。
見つけたのはジェセル婦人の娘、アンナ。彼女は吸血鬼でした。
先ほど帰らされた少女がアンナの犠牲になっていました。
婦人に反抗し、その場を飛び出し、注意されるのも聞かず外へ。
生まれた時から外に出たことがないアンナは、
曇り空の中、不思議そうに草の上を歩きます。
しかし、陽が差した瞬間、血を吐き、その場に倒れてしまいます。
異形の者ゆえ、死ぬこともできず、陽に灼かれ、
顔や体がひび割れて行く中を婦人に抱えられ連れ戻されます。
その血だらけの顔や服のままでバレエのレッスンをさせられます。
「あなたはここで生きていくしかない」と婦人に吹き込まれ、ぼんやりと踊るアンナ。
その姿に怒り、背中に足をかけて両手を引っ張って矯正しますが、
力を込めすぎた婦人はアンナの腰の骨を折ってしまう。
ぱたりと力なく崩れ落ちるアンナ…。

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気づくとリュシーは元の剥製の部屋にひとりでした。
ベンもウィリアムも死んだことを知らず、探し回るリュシー。
偶然アンナのいる部屋に入り込み、そこでアンナの過去も見てしまう。
が、突然入ってきた女に腹を殴られ、気絶。それはミセス・ウィルソン。
あの日、動かなくなったアンナと婦人を見つめ、それからずっと、
婦人の右腕として生きてきたのがウィルソンだったのです。
町で殺人を犯しては血を手に入れ、婦人に輸血していたウィルソン。
リュシーのオッドアイはこの世とあの世を繋ぐ力があるようです。
リュシーは無残には殺されません。なぜならその力を持つリュシーは、
アンナの魂を入れ替えることを選ばれた人間だから。

手術台の上で、お腹を一筋切られ、蚕を埋め込まれるリュシー。
同じようにアンナの首にも埋め込まれます。
その後、リュシーの目はホチキスのような機械でふさがれます。
これで霊界との道が閉ざされ、母親は見えなくなります。
蚕は成虫になり、リュシーとアンナの口からそれぞれ羽ばたき、
入れ替わってまた口の中に入り込みます。

リュシーの体になって目を開けるアンナ。
不思議そうに鏡に映る姿を見て「人間の」頬に触れます。
しかし、ジェセル婦人はすぐに「踊れ!」と命令をする。
アンナはもう、なすがままの人形ではありませんでした。
ほとんど手下と化したウィルソンが踊るよう促そうとしますが、
アンナは彼女の懐に入っていた鋏を抜くと、ためらいもなく彼女に突き刺します。
ジェセル婦人は怒りますがアンナは婦人をも刺します。

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アンナはリュシーのいる場所に戻り、長い間縫われていた瞼を外します。
そしてリュシーの体である自分の手を切って血を滴らせ、アンナの唇に含ませます。
ゆっくり目を開くアンナの目はオッドアイのリュシーのものでした。
ふたりは倒れる婦人とウィルソンの場所に行きますが、
ここで再び、婦人は息を吹き返し、ふたりを襲います。
一致団結したふたりは婦人の息の根を止めます。
ふたりは静寂の中で一緒に眠りにつきます。

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次の日、曇り空の中ふたりは海の見える崖に向かいます。
リュシーは今では人間ではないのでつらそうです。
崖の上に立つふたり。力を失くし、繋いでいた手が離れ、
リュシーは崖から落ちていきました。
しかし次の瞬間、空に浮き、笑顔を浮かべるリュシーの姿が。
その姿を見て、同じくリュシーの顔で笑顔を浮かべるアンナ。
物語はここで終ります。
グロテスクなシーンもありますが童話のような、
ふたりの少女の友情のようなお話でした。

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ここからは私の勝手な憶測ですが、
ラスト、海に落ちず浮いていたリュシーは本当は落ちたのだと思います。
浮いていたのはアンナの目にしか見えない魂なのではないかな。
その証にひび割れた顔がぱらぱらとめくれ、きれいな皮膚が覗きます。
そして最初のクレジットのシーンがラストを明かしているように思えます。
この町は廃れてしまった町なのでしょう。
リュシーの恋人が働いていた船も海の中に傾き、機能していません。
町は墓場だらけで、海辺にはひとつの遺体があります。
その目は片目だけ見えていて青い色でした。
これは間違いなく崖から落ちた後のリュシーの姿でしょう。
異形の生き物だったため、多分骨にはならないまま、朽ちていったのでは、と思います。


◆ ◇ ◆

それにしてもこの監督は男性に何か怨みでもあるのでしょうか。
「屋敷女」でもそうでしたが、出てくる男全員どうしようもないです(笑)
何より男の存在がほとんどないのです。
ジェセル婦人の夫であり、アンナの父親は誰かなんてまったく出てこないし、
リュシーの父親も一瞬だけだし、彼氏たちは惨殺。
しかし、この作品は物語云々と言うより、描かれる画がとても美しい。
リュシー役のクロエ・クールーちゃんも、
アンナ役のクロエ・マルクちゃんもとても可愛いです。 
何より、元プリマであるマリ=クロード・ピエトラガラがジェセル婦人役。
よくこの役を引き受けたな、と彼女の懐の深さに感心。

しかし彼女にとって映画出演は2作目で、
以前余命いくばくも無いバレリーナの役で主役を演じていました。
大柄で華やかな素晴らしいプリマです。 
で、昨日書いたベアトリス・ダルたんは…初回登場は霊で出てくる上に遺体です。
襲ってくる訳でもないのですが、ここがなかなかショッキングでした。
ある意味、一番心臓に悪いシーンかも(笑) 
いやはや、あらすじを書くのが苦手なので長文となりました。
最後に、仄暗くない現実の役者さんのお写真と、
ピエトラガラさまの名誉復活の動画でお別れしましょう。

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@carlottaforsberg
アンナ役のクロエ・マルクちゃん。素顔はこんなに可愛い。
でもどこかお人形ぽいかな。

そして、マリ=クロード・ピエトラガラさま、
現役時代の素晴らしき華やかな黒鳥のパ・ド・ドゥを。
(動画お借りします)

  




ラ・ピエトラ 愛を踊る女 [DVD]
マリ=クロード・ピエトラガラ
ハピネット・ピクチャーズ
2005-06-24



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お久しぶりです。

ずっと観たかった映画「Livid」を鑑賞しました、が、
今日は出演している好きな女優さんについてのお話です。

ブログでも何度か名前を出しているベアトリス・ダル(以下ダル)
そう、近年では「屋敷女」が話題の彼女です。
私はあの映画、主演がダルというだけで、
全力で殺人する彼女を応援していた気がします。(注・役です)
ここ数日、ダル関連の映画を立て続けに観ました。
新作ではなく、私が観そびれていた作品です。
「ガーゴイル Trouble Everyday」
「Livid」
「屋敷女 A l'interieur」(再)
3つか…

ダルの若い頃。それはそれは挑発的な美人でした。
白い肌、三白眼、分厚い唇、すきっぱ、グラマーな体型。
しかし映画でも現実でも暴力振るうし、逮捕もされるし、
映画よりもスキャンダルしか耳にすることが多いほどでした。
役もどこか精神が不安定な女性が多く、
やたらと濡れ場やヌード、最近では虐殺シーンがあり、
私の中でダルのジャンルは家族と絶対一緒に観られない系認定女優でした。
いや今もそうですが…あらゆる意味で…。
そんな若い頃のかわいい彼女はこちら。

デビュー作「ベティ・ブルー」撮影の合間のようです。
共演のジャン・ユーグ・アングラードとのやりとりが微笑ましい。


そして私にとって一番新しいダルを目にしたのが「Livid」です。
それでも2011年の作品。監督は「屋敷女」を担当したコンビ、
アレクサンドラ・バスティロ&ジュリアン・モーリー。

過去にバレエ学校だったお屋敷が舞台で、
ダルはヒロイン、リュシー(かわいい)の亡くなった母親の役で僅かな出演。台詞もなし。
生きている時のシーンはなく、映画の前半、ヒロインにだけ見える幽霊として。
しかしその一瞬だけでも心臓に悪いインパクトのある一瞬でした。
そのあと中間でも一度だけ映りますが髪で顔が半分も見えない。
なのに、娘を想う気持ちは現れている。眉の動きで。
私はそこでダルを見守ってきた母親みたいな気持ちになった。

まだ若手女優だった頃のダルはたくさんの誤解を受け、
判ってもらえないことを表すため、がむしゃらに行動していたように思う。
作品も同性愛、薬、精神病、宗教、略奪、など幅広い選択。
ダル自身は選択と言うよりは「猫の勘」のように監督と気が合えば、
結果も求めず出演決定という形をとっていたようです。
どの作品も彼女は独特な個性で際立った存在感でしたが痛々しく映った。
どうしてこんなに穢れたり、傷つく役ばかり、と疑問に思うほど。

そこで先の、私が母親のような気持ちになったことに戻るのですが、
若く美しい狂気から、若さが取り払われた現在、
彼女は狂気の演技を佇まいのみで表現できる存在になった。
そのことに感慨深くなったのです。その姿はもはやエレガントでした。
だからこそ、4カットくらいの出演でも印象に残る。

狂気を連呼してしまったけれど、多分、本音の部分、
一般人なら隠しておきたい部分があるのを彼女は許さないのでしょう。 
人間なのだから汚いところもあるし裸にだってなる。体液もある。
本気で怒れば手も出たりする(いけないけど)
目も抉ったりする(しないけど)
彼女の前で綺麗ごとは通らない。
それは、彼女の作品を観ればわかることでした。
血まみれだし、暴力主義者だし、匂いがしそうなほど生々しくて、
ああ、こんなの口にしたら食中毒に、とか余計なことを考えず、
その血だまり、肉だまり、暴力の中ですら、彼女の姿は凛としている。
これからも本能と猫のような勘で選んだ作品にたくさん出て欲しい。
ファンである私も本気で待ちます。ええ。
映画は話題作もいいけれど、この監督が、この俳優が好きだから観る、
という気持ちが私は大きいです。

そんな想いがあっての「Livid」鑑賞。
本編感想は後編にて! 

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冒頭と最後のこの画像は「Livid」作中に出てくる少女たちのひとり。
このシーン、怖くて痛いのですが同時にとても美しい。
 

 


セクシーで魅力たっぷりのポスター。

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映画「ゲンスブールと女たち」が5月21日から公開されるそうです。
ゲンズブールが亡くなって20年ということで制作された映画です。

興味をそそられます。
ブリジット・バルドーの役がレティシア・カスタ!
彼女のグラマラスな魅力が爆発しそうだ。
トレーラーを観てみると声もキュート。
彼女は「Victoria's Secret」でトップとして君臨した過去を持ち、
フランスを象徴する名前「マリアンヌ」の称号を受けた人物。
その後、女優に転身して「歓楽街通り」という映画に出演したり、
プライベートでも結婚し、子どもに恵まれている。

また、監督を務めた人物がバンド・デシネ出身のひとだと言う。
バンド・デシネは簡単に言うとフランスのマンガ。
1枚1枚が丁寧に描かれ、内容が割とシニカルでエロティックなので、
マンガとは名がつきつつ、子どものためのものではなく、
成人向けのマンガがこのバンド・デシネです。私も読みたいです(笑)
劇中、ゲンズブールと会話する人形というものが登場したりと、
独特な映像になっているらしい。

上に載せたポスター画像もすてきですね。
この映画の前に雑誌に登場した彼女は既にこの役を思わせるような、
素晴らしく女性を強調したフォトシュートをしていて、
そちらもまた魅力たっぷりです。載せます。


「ELLE」フランス版のレティシアちゃん。セクシー。

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また、映画とタイアップ企画も色々ありまして、
私が気になったものは「Serge Thoraval」という、
ジュエリーブランドとのコラボレーション。

MON AMOUR

と、書かれたそれはシンプルで細いバングル。
「愛しいあなた」と訳されるフランス語のみの限定バングル。
そのさらりと書かれた言葉でゲンズブールを思い出す事は容易い。
シルバーの美しいバングル。

「Serge Thoraval」の限定バングル 14,700円

serge_thoraval
 

◆ ◇ ◆

最後になりますが、ジェーン・バーキンを演じたのは、
ルーシー・ゴードンという新進気鋭の女優さんだった。
画像やトレーラーで見る限り、繊細な美しさが魅力的だったけれど、
この映画の撮影終了2日後、誕生日を前にしながら自殺してしまった。
彼女もレティシア同様モデル出身で若く美しく才能を感じさせた。悲しい。
そんなゴードンの最後の出演となったこの作品。
ファンなら絶対に観るべきですね。せつないけれど。

「ゲンスブールと女たち」公式サイト↓

限定バングルについては、
「H.P.FRANCE 公式通販サイト」↓↓
hpfmall.com/


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血の画像が出てきます。苦手な方はご遠慮ください。
上画像は憂いを帯びたダルの画像。映画とは関連はありません。
素敵な女優さんです。 

2007年の作品で、ポスターやあらすじを読んでいても、
なかなか観る気にならなかった映画なのですが観ました。 
ホラーというより、描写はグロテスク。
体内の液体という液体が存分に出てきます。
しかも、R-18の作品の無修正版を観てしまい、動揺。
その作品とは悪名高いフランス映画「屋敷女」

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あらすじは大まかに説明しますと、
子どもが欲しくてたまらなく、けれど年が増していき、
諦めかけた頃に妊娠を知り、幸せを味わう女と普通に妊娠している女の愛憎劇。
お互い見知らぬ人間であったはずなのに不幸な事故で片や待望の赤ん坊を流産し、
片や自分とお腹の子は無事だったが、夫を亡くした。
ふたりの共通は悲しみ。
出会い方が違ったなら、助け合えたかもしれなかったふたり。
けれど、その事故は一方的に夫を失った方の女が突っ込んで行った事故。
念願の赤ちゃんを失った女はそこからずっと、その女を憎んでいた。
 
夫を失った女は胎児が順調に育っているけれど、
事故のショックからまだ立ち直れていないせいか、無表情で喜びもしない。
明日には生まれると医者から言われているにも関わらず入院もせず、
母親が一緒にいようと言っても「一人にして」と拒否し、
翌朝、上司の男に迎えに来て、とだけ言って合鍵を渡すのみ。
映画の舞台はクリスマス・イブであり、本来なら喜び溢れる日であるはずなのに、
完全に母親になると言う実感が感じられない覇気のない人間になっている女。
自ら好意の交流を断り、たったひとりで過ごす女の前には惨劇が待っている。
 
ネタバレになりますが、結局、
夫を失った女、サラは赤ん坊を亡くした女(名前クレジットなし)役のダルに、
鋏でもって屋敷中追い回され、そこに出てくるサラを何とか守ろうとする人物、
警官や上司、猫(うっ・・・><)など何の迷いもなく、呆気なく殺されていき、
サラとダルのふたりきりになった所で、ダルに事故の真相を聞かされる。
待望の赤ん坊をサラの事故で奪われたダルは、
サラのお腹の中の子どもを自分のものにすることが目的だった。
そのためにはどんな方法も厭わない。それだけだった。
 
ダルの殺し方は、驚くほど鮮やかに犠牲者にヒットする(いいのか、この書き方)
映像的にも思わず手で顔を覆った場面数知れず。
冒頭から不気味な映像で既に血を思わせるクレジットなので、
そこでダメな人は引き返すのが懸命です。今後の人生に関わります。
屋敷に入り込んだダルが一番先にサラと急接近した場面がまた・・・。
ダルは家の中、主にバスルームをかき回し、アルコールの瓶を手にする。
そこにやたらと切れ味の良さそうな鋏を持ってサラの眠る寝室に侵入する。
やおら、サラの横に座り、サラのお腹から寝巻きを捲り上げ、お腹を露出させる。
そこにゆっくり鋏をアルコールの中に入れ、消毒。
鋏の先でサラのお腹を両胸の真ん中からゆっくり腹部を下るようになぞり、
臍にぶつかった瞬間、ぶすり!何の躊躇もない!
 
さすがにサラはそこで目を覚ますが、
覚ましたら覚ましたで、ダルはサラの顔を刺そうとする。
何とか寸前で刃先を止め、バスルームまで逃げ、鍵をかける。
鏡に顔を映すと上唇と下唇をざっくり切られ、血まみれになっていた。
そのバスルームがやたら白が多く明るいため、血の赤が鮮やかに引き立つ。
ダルは追いかけて来てドアを蹴るわ、叫ぶやら、狂気の沙汰。
もう既に人間ではなかったかもしれない。
ただ子どもが欲しい。そのためなら何でもする。
それだけのための生気の塊になっている。
 
ラストシーン。
初産のせいか、なかなか子どもを産めないサラに、
ダルは鋏でお腹を・・・。先は書きません。
サラはそのまま息絶える。
ダルは念願の赤ん坊をその胸に抱き、揺り椅子で幸せそうに揺れる。
そこでおしまい。
 
賛否両論を醸し出したラスト(圧倒的に非難の声多数)ですが、
何と言うか、こんな事絶対あってはいけないけれど、
ダルがすべて悪いという気にはなれない。
なぜなら、サラは子どもが体内にいるというのに、
いつまでも前向きになれず、うじうじと世界一の不幸を気取っていて、
観ていると腹が立ってきたから。
もちろん、最愛の夫を亡くした悲しみは喩えようもないでしょう。
けれど出産を明日に控えているんだぜ!と、何度も画面に言いたくなった。
なので、仮に生まれたところでこの赤ん坊はこの母親の元で愛されたか?
とまで、思えてしまった。
 
ダルのやり方は酷すぎるし、連続殺人だし、
早まってない?後一日待ってせめて病院から赤ん坊をさらうとか考えないの?
(それはもちろん重罪であるが、せめてもの、という喩え)
と、疑問ではあるが、大切そうに赤ん坊を抱くその姿は、
格闘の後で傷だらけになり、原型をとどめない顔になっていながらも、
聖母のように私には映った。赤ちゃんには本当の母親ではなかったけれど、
女の手に抱かれた時、愛情に溢れた感情が充分に伝わったと思う。
血の繋がりがなくても生まれながらに愛を知る事ができた分、
この赤ん坊は幸せだろうと思う。
あくまでもフィクション映画の中の事だから言える話、と断っておきます。
 
しかし、狂気を演じさせたら右に出るものはなく、
その狂気加減が清々しく思えるくらい狂いまくるダル。素晴らしい!
有名なデビュー作品「ベティー・ブルー」から既に狂気というカテゴリにいた。
何せ、死に顔のアップがラストというデビュー作品なのだ。
今後のキャリアがノーマルに進むはずがない(笑)
しかし他の女優さんが絶対引き受けない映画を、脚本も読まず、
監督と気が合う、大丈夫、と思えた時点でどんな役でも引き受ける彼女は稀有な存在。
どんな残虐な映画も監督や作り手に愛を感じたら、
彼女はオッケーするのだろう。これからも。

映画は監督の願望や夢の詰まったものだと思うので、
それが大変不愉快で後味が悪くても、フィクションであるならばある意味安心できる。
特に私個人の意見では現実が大変だったり疲れ気味の方が、
ホラーやグロテスクは観やすいジャンルなのかな、と思えた。
(もっと口に出してはいけない感想もあったが人として疑われそうなので却下・笑)
いやほんと、個人的な感想ですので私の意見を鵜呑みにしないでね!
実際、おすすめしません。残虐過ぎます。
 
□■□■□■□■□
 

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屋敷女、とは邦題であり原題は「Inside」こちらの方が、
より内容を表しているのに何ともったいない邦題。絶対手抜きだ。 
ポスターは、一番上は日本版。下2枚が海外のもの。 
ダルの横顔を反転させてもきれいで変わらないのが個人的にスゴイと思った。

 
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夜食にグラタンを食べていると、
アレクサンドル・ジャルダンの小説「恋人たちのアパルトマン」(新潮社)思い出した。
主人公の青年がほとんど一目ぼれに近い形で恋に落ちた相手が、
ファンファンというじゃじゃ馬で美しい女の子。
その子が食べているのが真夜中のグラタン。


 「 台所の隣の客間に明かりが点っているのに気が付いた。
  僕は近付いた。ファンファンがいた。絨毯にゆったりと胡坐をかき、
  雑誌を覗き込みながら、フォークでグラタンの残りを機械的に刮(こそ)げ取っていた。」


主人公の青年は恋愛初期の新鮮さは肉体関係を持つと失われる、と思い込んでいる。
なので、恋した相手とはプラトニックを貫き、結婚は別の女性とし、
妻となった相手で性欲を埋め、恋の新鮮さを保てる(はずの)女性とは、
一生新鮮で情熱的なまま付き合っていけると本気で考えている。
既にかわいそうな役割になる結婚相手も決まっている。
なので読者含め、ファンファンや青年の婚約者にとって、
青年の一方的な迷惑な考え方を通して物語は進む。


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最後まで読み進めていくとこの我侭に対して痛快などんでん返しがある。
この青年は悪い人ではないのだけど、あまりにも利己的。
自分の思考のために人の心を犠牲にする。
重い罪をわかっていないため、信頼を置いていた人物にすべてを知られた時、
強烈に叱られる。そこで目が醒める。

ただそんなふうに片付けてしまうにはあまりにも青年は、
親の金や人の心をあっさり使い過ぎなので叱られて良かった。
叱るのは青年が祖父のように親しく思っているおじいさんで実際はファンファンの祖父。
その叱り方も、おじいさん自身の過去も叱るような温かさがあっていい。

青年の頭の中の御伽噺は理想かも知れない。
けれどそれを実践してしまうのであまりにも自分勝手過ぎる。
「合わせ鏡の部屋」なんて凝ったものまで作りファンファンを覗いていたりする。
おまけに隣の部屋もファンファンの部屋をそっくりそのまま反転させて造り変え、
鏡は青年の部屋からだけマジックミラーになっている。しかもそこに住んじゃう。

怖いけれど、そこは小説。
ちなみに映画化もされていて、主演を演じるのは、
ソフィ・マルソーとヴァンサン・ペレーズ。美男美女です。
著者はほぼ自分のことを書いたノン・フィクションのような作品だと言う。
その辺りは謎である。しかしどんでん返しが書けるというのは、
やはり客観視できる作家という目線があるからだろうか。
単行本の帯にうまくまとめてある。


「情熱を長びかせ、永遠のものにする秘訣を、彼女は僕よりも知っていた。」

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画像は映画版「Fanfan」より。
裸身も惜しまぬフランス娘、小悪魔全開のソフィーが超可愛いです。
記事内「」はアレクサンドル・ジャルダンの手によるものです。


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1978年の作品「Pretty Baby」ルイ・マルの作品。
教授こと、黒人ピアニストとシールズのやりとりのシーンが好きです。

最近、児童ポルノ法とか色々と騒がしいですが、
その煽りで、この名作まで消えてしまっては大変惜しい。
どうしても舞台が高級娼館で、12歳の少女娼婦が主人公となれば、
一番に抹消されそうですが、物語ではたまたま母親が娼婦で、
娼館で生まれ、そこで育ち、女だったがゆえに同じ道を歩まざるを得ない、
古い時代のお話で、本当のテーマは少女の「愛情を求める姿」です。
映画の冒頭、少女の母親が出産をします。
無事生まれ、性別を伝えに行くときも、
少女でありまだ商売にならない彼女は一切気にかけてもらえません。
その中で「教授」こと黒人ピアニストだけは彼女ときちんと目線を同じくして話します。

この娼館の女主人はピアニストとして彼を雇いながらも、
少女に黒人と関わることをとがめます。
そんな中、先に書いた教授と幼い少女ヴァイオレットとのやりとりが、
温かく微笑ましくて大好きなのです。なのでそのシーンだけピックアップ。

性描写も裸もないシーンでありながら、そこが娼館であること、
女主人が黒人を未だ差別の目で見ていること、少女が愛を求めていること、
すべてが表現されたシーンだと思います。


「Pretty Baby」Violet & Professor 



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この映画のブルック・シールズは13歳(役は12歳)
なのに、はっきりと大人の美貌を持ち、しかし無邪気さがあり、魅力的です。
実際、この映画の中心となるのはヴァイオレットと、
娼婦を撮りたい、と言って娼館を訪ねてきたカメラマンとの恋です。
ラストはヴァイオレットの心を考えると胸が痛くなりますが、
将来的にはこの方が良いんだろうな、と思わせられます。


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画像は、ちょうどこの年齢の頃のシールズ。


***

一番上はこの映画が紹介された当時の雑誌。
中身はシールズの全裸などが載っているそうです。
すごいな。今では考えられない。ある意味自由かも。偏りはあるけど。


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「日本触媒」のCMが好きです。観たことがあるひとはいますか?
このCM大好きなのに時々しか観たことなくて。
なので「日本触媒」という名前もなかなか憶えることができませんでした。
しかし、幸運なことに昨夜観ることができたので、
しっかり記憶して、すぐにネットで検索開始。

そのCMは2種類あり、私が好きなのは「出会い篇」という方です。
観たことがない、いやもしかしたら観てるけど、憶えていないという方に。
私の観たい願望も添えて(笑)紹介させてください。


 日本触媒CM「出会い」篇の内容は以下の通り。

 「出会い」篇

 監督 シリ・アムヌエイブッタネート
 キャスト 触媒役女性(チャバさん)パッチャリン・ジャットガブアンポンさん
 男性俳優陣 アンポン・ラッタナウォンさんら5名
 ロケ地 タイ・バンコク市内(休日の工場内)
 内容 職場に新しい同僚(若い女性=触媒)が入ることで、
    周りが速やかに変化する(=触媒作用)。
    この“良い変化を促す”技術を持つ日本触媒が、
    多くの化学製品を通じて社会貢献する姿をPRしています。(サイトより)


直接CMへのリンクは載っていなかったので、サイトへのリンクを貼ります。
閲覧にはWMPかREAL Playerのどちらかが必要になります。↓

「日本触媒」テレビCM(リンク切れ)
http://www.shokubai.co.jp/companyinfo/tvcm.html


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微笑ましいという感情に似ています。
もしも自分がこんなふうに新しい職場に迎えられたら、
嫌な気持ちなんてしませんね。お互いに。がちがちの常識ではなく、
ほど良いマナーって涼しくて心地良いと思います。
(という事を伝えたいCMなのですよね。理にかなっている)
「新しい同僚」役、チャバーさんがとても可愛いので、
写真を見つけたかったのですが見つからず。

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最近、今ひとつ元気がなくて、
皆さんのブログに訪問できませんでした。

【おとなのコラム】さんのところにも投稿し遅れ、
あたふたしている間に金曜日、エンジェルちゃん更新日になってしまった。
ああ、とろいぞ私。

でもって23日という日は、このブログにぴったりの話題になりうる、
「キスの日」だったというのにも関わらず、ぼうっとしている内に、
あっさり日付けが替わり、更新し遅れて今日に至ってしまいました。
来週こそは、どーんと一発、小説を投稿しようじゃないか(と、思う)
少し調子が上がってきたので、気を取り直し、
只今ブログ友達さまのおうち、巡回中。

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で、私のカリスマ、超絶筆さばき主婦(?)
ひみこさんが元気とエロス(?)をくださる記事を書いている。
少し前の「エロイやろ」という記事がそれである。
大笑いしつつも、その心は思わずひみこさんに、
自分の魂が合体してしまいそうなほど同意なのでした。

その記事の内容は、
「金鳥 キンチョール」のCMの豊川悦司さんのことである。

吐息混じりで、奥さん連中に向かって、
手に持つ本を朗読する豊川さん。
そこに「やらしいわぁ」と、奥さんたちが言う。
豊川さん演じる男は「やらしいやろ」と、
またまた吐息混じりに言葉を返す。
実際はキンチョールの商品説明なのだけど、
その読み上げっぷりが「いやらしい」。

元々「金鳥」のCMは、毎回どこか「いやらしさ」をふつふつと感じさせる部分があって、
しかも日本独特の、ロマンポルノ系の「いやらしさ」で家族で見てしまったりすると、
本来、虫駆除のCMなのに、どうも気まずくなる。
で、そこが好きだったりする(笑)

前回のダメ男っぽい豊川さんに引き続き、
今回も豊川さんの演技は秀逸。
暑い夏に男の短パン、しかも無精ひげに長髪、しかも、軽く汗ばんでいる、
気持ち悪い(いや失敬)しかし豊川さんは敢えて気持ち悪く演じることで、
功を奏している。気持ち良いくらい暑苦しく、いやらしくてまるなのです。
若い頃、がっつり二枚目を演じた豊川さんが、
三枚目をも痛快に演じてしまう、というのが素晴らしいです。

「かっこ悪いことを一番最初にするヤツを、かっこいいって言うんだぜ」

とは、愛する大澤さんの言葉である(意訳)
やっぱラブだぜ、大澤さん。と微妙に本題から外れる私であった。
最近、CMづいておりますが、本来の番組よりもCMの方が幼少時代から好きです。

「KINCHO CM情報」↓
http://www.kincho.co.jp/cm/

昭和風味の味わい深い「金鳥」のサイトです。
毎回、検索をかける度に、お気に入りに入れるのを忘れるので、
見つけた時、軽く既視感を覚え、くらっと目眩がするのであった(笑)

***

画像は昭和、モガ(モダンガール)風な髪型のヴァネッサ。
化粧落としをしているところも、ナイスな一枚。

昨日、今日と、2夜連続で放送されたドラマ「氷点」を見た。
きちんとドラマを見たのは何年振りになることだろう。

テーマは「罪」と「赦し」。
カトリックの信者であった原作者、三浦綾子さんの代表作。
その中の更なるテーマは「汝の敵を愛せよ」という聖書の言葉。

この物語の色んな人間関係のもつれは、
ひとつの殺人事件から姿を現していくけれど、
きちんと偶然を重ね、再会や、巡り合いを織り交ぜ、
本来なら直接会えないはずの人間に会える。そこで赦しを請うこともできる。
物語として何も起こらないと前に進まないからそうさせたのだとは思うけれど、
それならもっと余韻が欲しかった。

なので、原作がどんなふうな時間の流れを感じさせるのか、
やはり読んでみたいと思った。
なぜなら、登場人物はみんな業を背負って生きていて、
その辛さは筋書きとしてわかるけれど、
あまりにも早いジェットコースターのような展開で、
詰め込みすぎのようで違和感を覚えたのと、
映像があるのに種明かしのような言葉が多すぎる気がしたから。
もっとゆっくり見せて欲しいところが省かれ、
飛ばしてもかまわないところを入れられると(エラそうだな)
正直、もう少し丁寧に作って欲しかったなあ、と思う。
壮大なロケとか美しい景色とか、そういう意味ではなく、
人間の心の「とまどい」の部分を。

説明がへたなので、あらすじはどこかで読んでいただくとして(横柄?)
赦して欲しい人間に対して面と向かうことができる。
そして「赦して」と言える。それはまだ幸せだと思えるのです。
物語のエピソードがどんなに残酷なものであっても、
事実は小説よりも地味で、もっと暗くのしかかる。
そこがうまく伝わらなくて途中から私はこのドラマを少しつき放して見てしまったと思う。

特に今日の2夜目は。
昨日の中途半端なままの方がまだ真実味があったように思える。
憎いものを憎んだまま終わりを迎える方が多い気がするから。

◆ ◆ ◆

現実の私をふと思うと大きな恐ろしい事件に遭っていない、というのは恵まれている。
けれど、生きているだけで、常に痛みを抱え、誰かにも抱えさせていると思う。

そして、赦しを請いたい相手は既にどこにいるのかわからなかったりする。
その事実は本当に人を躓かせる。
現実の方が、絶対的に人の歩幅を狭くさせ、時には立ち止まらせてしまう。
私は身近にいる存在を否定できる立場ではなくても憎んでいるかも知れない。
そう感じさせるその存在を見たくない、と思う。
けれど、どうすることもできない。それが現実なのだ。
私には相手を変える権利などないのだから、どこかで自分の中で答を見つけ、
折り合いをつけなければならない。
ただ、こんなふうに思うのも平和だからなのだ、とも思う。

「氷点」の中で人の心を大いに揺さぶり、
人生をも変えてしまうひとつに「天災」もあった。それだけは人間の範疇じゃない。
けれど、そんな状況にまでならないと大切さがわからないのもまた人間で、
愚かでもあり、ある意味、柔軟性があると思う。
ドラマは、だからそれでいい。私は批評家じゃないしフィクションなのだから。
長編であるこの物語を4時間ほどに絞ることは容易じゃないし、
その物語とテーマが伝わり、登場人物は新たに人生を歩むことができる。
それで充分だと思う。どうしても物語を作る身として、つい言葉の端々だとか、
場面の転換なんかを見てしまったけれど見ることができて良かったドラマだと思う。

痛いほどの寒さの中で、感情を出すようなシーンが何度かあったけれど、
あの場面は個人的に胸が痛みます。人間の感情の中で一番強烈なのは怒りだと思う。
そこから憎しみなどに派生していく。その憎しみは胸の中に消えない炎を作る。
そして憎まれ、赦しを請う想いもまた炎を作る。
どちらの炎もずっと胸に抱え、それを感じた時、人は寒さすら忘れる。
特に今回、舞台が北海道だったこともあり、
私も経験しているのでその寒さは想像できる。
ささやかな怒りごときであの中に放り出されたら、
一瞬で我に返ってしまうという冷たさ。

その冷たさを、凌駕してしまうほどの炎を、私は自分の中に見る。
もう二度と見たくない。そう思っても思っても見てしまう。
それは、怒りも憎しみも越えたもの。絶望というもの。
いっそのこと、諦観できればいいと思う。
自分を一切、コントロールできなくなる絶望感は、
人間として生まれて、とてつもなく辛く重い業のように思う。

***

ところで、私の鬱状態は未だ続いていますが、
その渦中で大事なひとがブログを閉じてしまった。
その時、私は鬱のせいにして最後のコメントを残せないままだった。
明日入れよう、などとのんびり構えていた矢先で私はとても後悔した。

けれどそのひとは、新しいブログを作り、
そのURLから私のブログを見に来てくれて解析結果から新ためて行くことができた。
パソコンでしか繋がりのないそのひととは、
そのひとの歩み寄りがなかったらもうほどけていただろう。
だからこそ、本当に歩み寄ってくれて良かったと思う。
そのひとは私が本当にショックを受けたり、鬱のひどい時に、
言葉で抱きしめてくれたひとだ。
そのひとがブログを閉じてしまった時、
そんな大事なひとをないがしろにした罰だと思った。

本当に失っていいものと、そうではないもの。
きちんと自分の中でわかっていなければ、と痛感した。
大事なひとを傷つけてしまった時、赦してなんて都合が良すぎる、
と、ずっと思っていたけれどそれはやはり私にはできない。
私もやはり、赦しを請う「人間」なのだ。

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