
金井美恵子「軽いめまい」読了。
読み終えたあと、大きなため息。
芸術的なまでの文章と同時に、計算されたプロフェッショナルさにも驚く。
(もちろん、良い意味での計算である)
物語は普通の主婦、という設定である女性が主人公。
日常という空間でいらいらしたり、ぼぅっとしたり、と、
一見、どこにでもいそうな女性である。
しかし流されているようで実は淡々と周りを眺める冷めた目を持つ。
彼女はやんわり友達に意見を言ってはみても、
否定されるとむりやりわかってもらおうとは思わない。
しかし、柔軟ということでもなく、やはりどこか冷めている。
都会の中には人間が人間だと思えなくなるほどたくさん溢れていて、
思いやりが持てなくなる時がある。私も初めて人口の多い場所に行ったとき実感した。
私の住む地域は人口も少なく混んでいる状態が非常に珍しい。
しかし、一箇所とてつもなく人が入り乱れ、意見が多い場所がある。
病院の神経科である。彼らはさまざまな意見を持っている。
時には相手を批判し、自分は間違っていないと言いながらも、
不安で仕方がない、この気持ちをどうしたらいいのかわからないからこそ、
神経科へと赴く。そこで通院している自分と入院している人間を比較したり、
かと思えば、周りにはまったく無関心を装い、ヘッドフォンで自分を隠す者もいる。
その光景とこの小説の人間関係が時折重なる。
主人公の「冷めた目」を、私は医者の目だ、と思った。
それは上下関係という意味でも信頼関係という意味でも冷静という意味でもなく、
先に書いた、ただただ冷めた目で患者たちを見る、という事実に関してのみ。
文中、主婦である彼女を偏見の目で見る人間も出てくる。
それはキャリアウーマンだったり、熟年離婚をし、
新しい恋が始まるのではないか、と希望に胸を膨らませる人間だったり。
けれども、そこは「病院内」なのである。
広いようで実はその施設内で、さまざまな意見を交わしているのだ。
煙草を吸って、プライドを振りかざす妙齢の友達などは、
そんな目で見ると滑稽にすら思える。
物語の始めと最後、主人公のひたすら冷めた目は冴え渡っている。
諦めとも違う、熱意とも違う。
彼女は診察を終えた医者のごとく、日常に戻るだけだ。
何も起こらない。そして女友達も日々を多忙に過ごしているが、
どこかで主人公の専業主婦という立場を恨めしそうに見ている。
誰もがどこかで一度は体験したことがあるような日常の機微。
しかし、金井美恵子の会話が交叉しながら進む表現は読む者に狂気を感じさせる。
ざわざわと周りだけが動き、自分は道の中央に立ち尽くす。
けれど、誰も振り向かない。そんな妄想の中に置いていかれ、物語は終わる。
「医者」や「神経科」というのはあくまでも私の感じたことであって、
物語の舞台ではありません。舞台は日常です。
ただ私自身もめまいを起こすほど、
その文章は激情すら恐ろしいほどに淡々と丹念に執拗に描き、
ほんの少しお経を読んでいるような錯覚を起こすほどに、果てしない。
***
なるべく言葉を少なめにして書こうと思ったのに、
これ以上削ることができない私はアマチュアです。
そして、敢えて長編小説にしてしまう金井美恵子はとてつもなくプロフェッショナル。
言葉というものの羅列が、これほどまでに狂気と感嘆を感じさせるものとは。
ちなみに羅列される言葉の箇所は最初辺りと最後だが、印象がまったく違う。
最後は、主人公の冷めた目が患者を診終わった医者のように日常に戻るのだ。
しかし日常は安心ではなく、また明日もこれが続く、という不安感を煽る。
おお。これが何とも言えない金井美恵子の魅力なのだな、と感じた。
前回読んだ「愛の生活/森のメリュジーヌ」とはまた違う世界だが、
あちらは徹底して幻想を描き、こちらは徹底して日常を描き出す。見事な小説でした。