First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: 本と芸術


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金井美恵子「軽いめまい」読了。

読み終えたあと、大きなため息。
芸術的なまでの文章と同時に、計算されたプロフェッショナルさにも驚く。
(もちろん、良い意味での計算である)


物語は普通の主婦、という設定である女性が主人公。
日常という空間でいらいらしたり、ぼぅっとしたり、と、
一見、どこにでもいそうな女性である。
しかし流されているようで実は淡々と周りを眺める冷めた目を持つ。
彼女はやんわり友達に意見を言ってはみても、
否定されるとむりやりわかってもらおうとは思わない。
しかし、柔軟ということでもなく、やはりどこか冷めている。

都会の中には人間が人間だと思えなくなるほどたくさん溢れていて、
思いやりが持てなくなる時がある。私も初めて人口の多い場所に行ったとき実感した。
私の住む地域は人口も少なく混んでいる状態が非常に珍しい。

しかし、一箇所とてつもなく人が入り乱れ、意見が多い場所がある。
病院の神経科である。彼らはさまざまな意見を持っている。
時には相手を批判し、自分は間違っていないと言いながらも、
不安で仕方がない、この気持ちをどうしたらいいのかわからないからこそ、
神経科へと赴く。そこで通院している自分と入院している人間を比較したり、
かと思えば、周りにはまったく無関心を装い、ヘッドフォンで自分を隠す者もいる。
その光景とこの小説の人間関係が時折重なる。

主人公の「冷めた目」を、私は医者の目だ、と思った。
それは上下関係という意味でも信頼関係という意味でも冷静という意味でもなく、
先に書いた、ただただ冷めた目で患者たちを見る、という事実に関してのみ。
文中、主婦である彼女を偏見の目で見る人間も出てくる。
それはキャリアウーマンだったり、熟年離婚をし、
新しい恋が始まるのではないか、と希望に胸を膨らませる人間だったり。

けれども、そこは「病院内」なのである。
広いようで実はその施設内で、さまざまな意見を交わしているのだ。
煙草を吸って、プライドを振りかざす妙齢の友達などは、
そんな目で見ると滑稽にすら思える。
物語の始めと最後、主人公のひたすら冷めた目は冴え渡っている。
諦めとも違う、熱意とも違う。
彼女は診察を終えた医者のごとく、日常に戻るだけだ。
何も起こらない。そして女友達も日々を多忙に過ごしているが、
どこかで主人公の専業主婦という立場を恨めしそうに見ている。
誰もがどこかで一度は体験したことがあるような日常の機微。
しかし、金井美恵子の会話が交叉しながら進む表現は読む者に狂気を感じさせる。
ざわざわと周りだけが動き、自分は道の中央に立ち尽くす。
けれど、誰も振り向かない。そんな妄想の中に置いていかれ、物語は終わる。


「医者」や「神経科」というのはあくまでも私の感じたことであって、
物語の舞台ではありません。舞台は日常です。
ただ私自身もめまいを起こすほど、
その文章は激情すら恐ろしいほどに淡々と丹念に執拗に描き、
ほんの少しお経を読んでいるような錯覚を起こすほどに、果てしない。


***

なるべく言葉を少なめにして書こうと思ったのに、
これ以上削ることができない私はアマチュアです。
そして、敢えて長編小説にしてしまう金井美恵子はとてつもなくプロフェッショナル。
言葉というものの羅列が、これほどまでに狂気と感嘆を感じさせるものとは。
ちなみに羅列される言葉の箇所は最初辺りと最後だが、印象がまったく違う。
最後は、主人公の冷めた目が患者を診終わった医者のように日常に戻るのだ。
しかし日常は安心ではなく、また明日もこれが続く、という不安感を煽る。

おお。これが何とも言えない金井美恵子の魅力なのだな、と感じた。
前回読んだ「愛の生活/森のメリュジーヌ」とはまた違う世界だが、
あちらは徹底して幻想を描き、こちらは徹底して日常を描き出す。見事な小説でした。


WORK→OFF
SMILE→ON
RELAX→ON


このスイッチに見覚えのある方、手を挙げて♪

はい。ぴん、と来た方。大澤通ですな。
大澤さんが一度公な活動を停止し、
復帰後、初のマキシ・シングル「Summer Breeze」のジャケットに書かれた言葉です。
「SMILE」と「RELAX」が「ON」で「WORK」だけが「OFF」
大澤さんの活動が以前のものとは違う、と感じさせる印象的なデザインです。

目を瞑ると帽子を顔に乗せ、ハンモックで昼寝をしているような、
夏の海辺でのワンシーンを想像させてくれます。
このステキなデザインは、手話を元にしたポップアート、
「RING BELLS」の著者である絵描きさん、門秀彦さんの手によるものです。
(大澤さんのアルバム「Y」のすべての絵も手がけている方)

毎日が安心できる、まさにリラックスとスマイルをもらえるこのデザインが、
このほどTシャツにプリントされ、発売されるそうです。
Tシャツの表はロボットの親子。
この親子がスイッチTシャツを着て手をつないでいるキュートなイラスト。
Tシャツをくるりと回して背中を向くと、このスイッチがプリントされています。
元気なシャーベットオレンジも、微笑がこぼれるような魅力でいっぱいです。
男性用とのことなので、ここはひとつ「父の日」にプレゼントなんていかがでしょう。
リラックスとスマイル、そしてゆっくり休んで、というメッセージ、
ぴったりだと思います(回し者か。ははは)
お父さんも、少し派手なくらいがステキだぜ。
そして、もうすぐ心浮き立つ夏も来るのだ。

愛らしさの中にほんの少しシニカルな甘さを感じる作品もあり、
門さんの作品はファンの方も多いと思います。私もそのひとり。



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詳しくはこちらにて↓

KADO&WORKS
http://www.kado4life.jp/kado-works/index.html

門さんブログ↓こちらにロボット親子とスイッチの待ち受け画像があります。

KADOBLOG
http://kadoblog.blog.drecom.jp/

ポストカードやトートバッグなど、
その他の作品も充実してます。
サイトの入り口からもう、彼の世界にすんなり入り込めます。

しかし門さんのブログにて追記が書かれていました。
在庫があるかはわからないそうです。
今もサイトに行ってみたけれど載っていない。
が、書いてしまうのでした(笑)


***

「Summer Breeze」の画像を探していたら、
大澤さんが以前所属していた「HIP LAND MUSIC」のサイトにありました。
この1曲だけではなく、大澤さんのデビューからのシングル、アルバムすべて、
画像が載っていました。一度に見ると圧巻。
「NOVA BOSSA NOVA」のカフェのイラスト、可愛いです。

HIP LAND MUSIC
http://www.hipland.co.jp/release/search.php?artist=3


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本屋さんに注文しつつ、実は忘れかけていた画集があった。
それが何ヶ月も経ち「入荷した」と連絡があり、驚きとともに、
体の奥底から嬉しさが、じわりと滲み出た。

その本はドローイング集。名のとおり線画ばかりを集めたもの。
画家の名はバルテュス・クロソウスキー。
もちろん色づけされた彼の絵も魅力的ですが、
動きが独特で、柔らかさとは対角にあると常々感じていたので、
もっと肩の力を抜き、さらさらっと描く線画に興味を持った。
何より、この本の表紙を見てあっという間に魅かれてしまった。

色んな文献によるとバルテュスは、
「20世紀のもっとも優れた人物画を描く画家」と呼ばれ、
もちろんその部分は大切なキャリアですが、
私はまずこの目でダイレクトに絵を見てしまったので、
まずそこは関係なく、ただただ魅力的だった。
猫と少女と日本をこよなく愛したバルテュス。
自分は猫の王だと言い、太ももを露わにした少女を描き、
動きはあるのに、夢遊病者のように視線が定まらない人物画のふしぎさに虜になった。

そして何より、当時最も誤解された部分である少女画ですが、
彼にとっての少女はナボコフのロリータに見るような性的対象の存在ではなく、
あくまでも「美の象徴」で「天使」だった。裸でさえも。
彼の絵の中の少女の表情を見ているだけで彼と少女たちとの信頼関係が見てとれる。
もちろん、手も出していないので(失礼!)
彼女たちが誰かと恋に落ちればすぐにモデルから開放したという。

私はそんな少女たちが羨ましかった。
美少女であったかどうかはともかくとして私にも少女時代は確かにあり、
信頼を置く人物の多くが10も20も年上の男性だったので、
彼と少女たちの信頼関係がもしも私にもあったとしたら理屈抜きに素晴らしい。
そんな彼の、ずっとずっと欲しかったドローイング集。
ほんの少しでも本にダメージを与えないように、そっと開き半日かけて眺めた。
ひとつひとつの作品が、ため息が出るほど甘やかで抱きしめたくなるように愛らしかった。

彼は閏年生まれ。自分は他人よりも4年は時間の感覚が違うのだ、
なんてことを自慢にしていたらしい。
そんな彼の若い頃の容貌が、はっとするほどハンサムだったということも。
彼の奥さんは日本人で娘さんがひとりいらっしゃる。
その娘、春美さんは日本でジュエリー・デザイナーとして活躍されているが、
春美さんを撮った1枚の写真を見て驚いた。まるっきりバルテュスの描く少女そのもの。
この親にしてこの娘あり、という感じ。やっぱり羨ましい。

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バルテュスの娘、春美さん。
健康的で美しい。(クリックすると大きくなります)


***

もっと上手にバルテュスについて書ける人はたくさんいるかもしれない。
けれど、絵はやはり感じるもので、感情を文字に変換するのは私にはここまでで限界だ。

ところで、ドローイング(線画)は以前から色づけしなくても、
そのままで完成された作品もあるのに、下書きとして扱われ、
なんともったいないことかと思っていたら、今では立派に、
名前のまま「線画」として「水彩画」や「油絵」などのように、
ジャンルを確立しているのですね。それを知り、またしても嬉しかった。

本棚の整理中、何となく手に取った。
山川健一氏の「多重人格の女神」

病気のお話ではなく、夢の中のできごとのようなエピソードの束。
地球が生まれる前から、現代の今日(こんにち)になるまでの、
短編と写真を融合させた本、と言った感じだろうか。
「女神ガイア」の子宮から生まれる物語の序章、
物語の主人公は、オスになったりメスになったり、
はたまた恐竜にも卵にもなったりする。

そこには詩もあり、女性と男性との「小説」も挟み込まれている。
その文章の合い間合い間に登場しているのがモノクロの裸の女性の写真。
全編において、一糸纏わず。正面から後ろ姿から、何から何まで裸。
そんな彼女の姿が、夢のような物語をいっそう神秘的にしているよう。

それもそのはずで、あとがきのような文章の一番最後のエッセイにあるように、
この本は、著者の初恋をベースに書いているらしい。
この写真の女性は時折、少女にも大人にも見え、
それは著者の語る初恋の11歳の少女のようだと言う。
著者はその初恋の少女こそが、自分にとっての「女神」だと。

その女神が「封印された本」だと著者は語る。
スケールの大きな文章なのに、その物語とは裏腹に、
他人の秘密を覗いてしまったような閉じた感触がする本。
様々な官能的な言葉もしばしば表現されているけれど、
何と言うか、私には女性礼讃の物語たちに思える。

装丁の美しさにもため息が出る。手触りはマットな質感できめ細かい。
ピンク色のクリスタルと作中登場する女性の顔のアップが、
モノクロで写るその表紙。無闇に触れると指紋がついて汚れてしまいそうで、
そこにも安易に触るな、という秘密が見えるような気がする。
この本を読んだのは、もう何年前になるだろうか。
なぜか急にまた惹きつけられ、本の整理はその日、そこで終えてしまった。


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左 少女のような
右 大人のような




「多重人格の女神」/ 山川健一
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写真 大澤則昭 
被写体 白石久美

/ ぶんか社発行(1995/08/01)

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今日は、昨日よりは早く起床。

昼間は良い天気だったそうで、猫たちも2階から屋根に移って遊んだりして、
ほのぼのしていた。その疲れか、今はそれぞれがぐっすり寝ている。

そんな今日の私は、ずっと捜し物をしていた。
マイケル・デウィックさんという方の写真集。
いくつか画像を探したりして、気がつくと時間だけが過ぎ、部屋の中が真っ暗になっていた。

彼の写真集「THE END」は、2004年の作品で漁村であったモントークというサーファーの集まる小さな村で、地元のサーファーたちを集めたヌードやポートレイトで多くはモノクロ。眩しく若々しい真夏の太陽を思わせ、見ていて心地良いのだ。何より人物たちのサーフィンの姿がとても生き生きとして素晴らしい。体から言葉を放つような無言の説得力を持つ。

それもそのはずで、デウィックさんは、
「この写真集を通して理想的な自然環境の中、サーフィンのためだけに永遠の夏を生きる、という夢のようなライフスタイル」を賞賛しているそうだ。

◆ ◆ ◆
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The End: Montauk, N.Y」/Michael Dweck

出版社 Harry N Abrams 9617円(税込)
ASIN 0810950081(2004/6/7)

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以前、書店にて欲しい雑誌をレジに持っていこうとして、
慌てて、バランスを崩し、ばらばらっと(厳密にはどどどっと)
雑誌をカウンターに撒き散らしたことがあった。

その雑誌のタイトルは、

「クロワッサン」
「H」
「PLAY BOY」

若い店員のお姉さんは一瞬だが、私の顔と本を交互に見たが、
きっと、ああ、家族に頼まれたのね的な、笑顔に変わり、普通に接客してくださった。
いえ。全部私のものです。

「クロワッサン」には、ジェーン・バーキンや柳澤桂子さんのインタビューが載っていたし、
「H」はこれまた大好きなモデル、田辺あゆみさんと彼女の赤ちゃんとのセッションが特集だった。
それを写したのはご主人である藤代冥砂さん。
「PLAY BOY」は、結構読み物ページが充実しているのと、
とても軽々と美しい裸を惜しげもなく晒す素敵なガールたちが載っていたので購入。

◆ ◆ ◆

雑誌、という形態が好きだった。
多分一番買った時期は10代~20代だろう。当時は「an・an」や「nonno」等、
職場にあった雑誌を見まくり、古くなった号は捨てるだけなので私がもらい受けた。
その日の帰りは私にとって、宝の山をもらったように、うきうきとした。

今はそれほど買わなくなったが、一冊だけ毎月買っているのは「NIKITA」
セクシーで、広告もうっとりするほどきれいなので、買わずにはいられないのだ。

その頃の私は自分で作る雑誌が欲しかった。
シンプルで洒落たデザインのノートを選び、ノートの1ページ目に、
「Contents」とレタリングシートを貼り、たくさんの特集や紹介したい人物、
そして冬に歩くためのファッション、とかではなく、
冬こそ家で夏気分! という、あっても売れないような特集を作り、
そんな雑誌もどきを、日々、部屋の中で作っていたのでした。
ちゃんとキャラクターなんか作ってね。

写真がなければ手描きで結構。
その人たちの大好きな曲を集めては『冬の散歩で聴くならこの曲!』
なんて勝手なことを描いていたのだ。
もちろん、一番話題に上るのは大澤さんだった。
鈴木雅之さんや山下久美子さんがアルバムを出しました、といっちょ前にニュースのように書き、
『この鈴木さんのアルバムのプロデュースは大沢誉志幸さんで…』
『久美子と大沢さんはデビューの頃から仲が良くて…』
と、聞きかじった情報をいかにも自分が取材した、という感じで書いていた。
そうして紹介したアルバムジャケットも当然、私の手描きだった。
写真があっても貼る、という行動はイヤだった。ぷくっと浮かずに印刷されたように見せる、
と、いうのが幸坂かゆり編集長の信条だったのだ(笑)

それはもちろん、雑誌という形態にしたかったからであって、
切ったり貼ったりの素敵なアートブックとは全く違うものです(笑)
あの頃から変わらないのは、たった1ページだけでも、または1コマくらいだけでも、
気に入った写真を見つけると必ず購入したいと思うところ。
ずっと切り取って保存しておくので、私のスクラップブックは溢れんばかりになっている。

その頃は、大澤さんにインタビューしちゃったりして♪ なんて夢見ていて、
アートな雑誌をいつか作れたらいいな。責任編集で。月刊誌とかでなく季刊誌とかで(笑)
なんて、思い巡らせていたのでした。


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小学4年生から5年生にかけて、
ほんの数ヶ月だけ私は今いる町よりも、更に小さな町に住んでいた。
小さな学校で、全校生徒集まっても90名足らずだった。

そこで、人生初めて、担任の先生が女性だった。
私は何となく理由もなく喜んだ。そう、最初は。
その先生は大学を出てすぐに教職に就いたらしく、
生徒の心理をあまり考えずに授業を進めた。
そして、何より宿題が多かったのに私はうんざりしていた。
チャイムが鳴ると、当然のように、

「はい。今日の宿題は、ここから」
優に15ページほど教科書のページを捲ると、
「ここまで」
先生には私達生徒が見えないのだろうか。
そう思うほど抑揚のない冷たい声で言うと、ぱたんと教科書を閉じた。
そして、呆気に取られる私達生徒を残し、さっさと職員室に戻った。
見た目は普通でも心の中が不良だった私は、当然やっていかなかった。
けれど平気な顔をしていた。
そんな授業中の先生なんか、嫌いだった。

 ◆ 

けれど、先生の住む部屋は学校のすぐ裏手にあったので、
友達数人といきなり訪ねた。
先生はいつものジャージと違い、柔らかな部屋着を纏っていた。
部屋には花が飾られ、突然訪ねた私達を笑顔で通し、
ミルクティーを淹れてくれた。
それも、きちんと葉っぱから淹れる本格的なものだった。

軽い気持ちで行った私は途端に緊張したけれど、
先生は学校にいる時と全くの別人だった。
始終、笑顔で話し「ミルクティーのお代りは?」なんて訊いてくる。
時間は子どもの私達にはすぐに過ぎ、夕刻になると先生らしく、
「もう暗くなるからお帰りなさい」と言った。
帰り、部屋にある大きな本棚が気になった私は、
先生にどれか借りてもいいか、と聞いた。
軽く「いいわよ」と言われ、本好きの私は物色し始めた。

大多数は教職に関しての本だったが、コミックが2冊、
小説は背の高さの揃わないものがたくさん並んでいた。
その中で大きな本達にひっそりと隠されるような、小さな文庫本を見つけた。

「これ、借ります」私が先生にその本を差し出すと、
一瞬、眉をひそめたが、頷いてくれた。
先生にバイバイ、また明日、と手を振って部屋を後にした私は、
ミルクティーで酔ったように、ぼんやりしていた。
鮮やかな花のような、紅茶の香りは私を虜にした。

借りた本は、難しくて宿題のように、さっぱり頭に入らなかった。
なので、先生にもう少し借りていていいか聞くと、
「どうぞ、ゆっくり読んで」と微笑んでくれた。


けれど、ゆっくりしていられない理由ができた。
私自身が転校することになったのだ。
結局、数ページ開いて最後まで読むことのできなかった本だけれど、
返さなければ、と私は友人につき合ってもらい、先生の部屋を訪ねた。
先生は、またミルクティーを丁寧に淹れ、渡してくれた。
温かい白いティーカップ。
その湯気。私は一瞬、感傷に浸りそうになった。
けれど、用事があって来たのだ。

本を返す時、感想くらい言わなくては、と思い、
登場人物の名前と数ページの記憶だけで、
訳もわからないまま、感想を言った。

「ヒロインのセシルが素敵でした。あんなふうに私も夏休みに、
 海の見える所に泊まってみたいです」

先生は仄かに含み笑いをした。しまった。ばれたか、と思ったが、
後で考えると、本当にばれていたのだと思う。
先生には子どもらしい感想として受け取られた、と信じたい。

私が借りた本はフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」
ヒロインのセシルは17歳。やもめで放蕩暮らしを続ける父親と同じ種類の人間で、
セシル自身もアバンチュールを楽しむ子だった。
ある日、二人と父親の愛人の3人で夏休み中遊ぶ予定の別荘に、
とても礼節をわきまえた亡き母親の友達であったアンヌという女性がやってくる。
彼女は愛人をやんわりと拒否し、放蕩暮らしを強制しようとする。
つまり、普通の暮らしに。

そのために勉強を強いられ、仲の良くなった男の子とも離され、
おまけに父親は美しいアンヌと結婚すると言い出し、愛人を捨ててしまう。
セシルはそれから、アンヌから父親と自分の自由奔放な暮らしを取り戻すべく、
計画を練り始める。ことごとく、うまく行く計画。
しかし、思いもよらなかったのは人の心だった。

大人になって、この本を手にした私は、
あの時、先生が眉をひそめた気持ちがよくわかる。
性愛というものを知るには、早すぎる年齢であったばかりか、
愛人や酒や煙草、あらゆるものがその本に書いてあり、
それは、とても誘惑させる類のものであったからだ。
もしも、あの本をあの時期に把握していたら、
私は先生を恐れさせる人間に成長していたかも知れない。
けれども、一種の復讐とも言えるストーリーのこの本を、
真面目な先生はどんな気持ちで読んでいたのだろう。
しかも、その本は隠されるように、
誰の目にも触れぬように置かれていたというのも気にかかる。
4~5年生の私から見れば先生は充分大人であったけれど、
実際は大学を出たばかりの23~4歳の若い女性だったのだ。

優雅なミルクティーと花。

もしかしたらそれはサガンの小説に影響されたものではないだろうか、
などと、邪推してしまう。しかし、そうだとしたら、一体どの人物に?
新ためてこの本を読み返した今、先生に訊いてみたい、と思った。


悲しみよこんにちは

/フランソワーズ・サガン 訳/朝吹登水子
新潮文庫 ISBN 4102118012 改訂版(1955/06)

この文庫本の表紙が好きなのですが、
見当たらなかった。残念。

画像がない、と書いたらチビもぐらさんが色々教えてくださいました。
なので、映画にもなったほど有名なこの物語の、
数々の画像を探してみました。

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フランス語版の「悲しみよこんにちは」
原題が「Bonjour toristesse」なので、
直訳ではありますが、素敵なニュアンスのある言葉。


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映画公開当時のものでしょうか。古さを感じます。
ヒロイン、セシルを演じたジーン・セバーグの横顔、
なんてセシルにぴったりなんだろうと思う。
だからこそ、「セシル・カット」という彼女がこの映画でしていた髪型が、
流行したんだなあ、と納得。


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これぞ、元祖。と言ってしまいたいほど、
この原作と映画の物語にぴったり。
実際は、このようにキュートなイメージではないけれど、
黒い色がこの物語を「暗示」している。

上画像は映画版のヒロインを演じたジーン・セバーグ
ショートカットが本当によく似合う。しかも色気まで感じる。素敵。


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araki

「結局、その日その日の記録とか記憶とか、
そんな大したことじゃないんだよ、写真は。だから、日記。

実際、日記を撮った写真がつまらなかったら、
その人がつまらない人生を送っているんですよ。
だから、写真がつまらないと思ったら、俺がつまらない。
世の中のせいにしちゃダメ。
それに、一番確かで面白いのは、身近なことでしょ。
日常、一番近い「すぐ側のモノ」「すぐ側の時」それが一番面白い。

それと関わらないで、何が人生だってことだよ。
写真だって、想像とか瞑想じゃないからさ。と、写真機は言っているのでしょう(笑)」

◆ ◆ ◆

これは、写真家、荒木経惟さんの何年か前のインタビュー記事。
メモ魔の私は、心に残った言葉を書き留めては、
それがあっちこっちに行ってしまって、
何年か後に思い出して、はっとするのでした。

彼の言葉は「写真」だと思うけれど本人も言っている通り、
つまらない人生ではないから、言っている言葉も印象深いのだろう。
日常の面白さを語っていくには魅力的でなければならず、
魅力的な人間と言うのは、想像力とアイディアと行動力に優れ、
それを自由に表現のできるひとだと思っている。
その表現というのは、何もいきなり前衛的な事をしろ、とかそんなことではなくて、
そのひとの持つ素直さのことだと思うのです。

何年か前に「想像力とアイディア」がものすごく必要だと、
頭が割れそうなほど、考えた記憶がある。
想像力は、時としてアイディアそのものになるけれど、
一番基本は「思いやる目」だと思う。
良し悪しの区別のつかない子どもの意見は辛辣で、
大人すらも傷つけてしまう時もあるけれど、
それは子どもだから、まだ「成長」や「教育」という輝ける救いがある。
けれど、その救いを大人が放棄してしまったらその子は辛辣なまま育つ。
思いやりの何たるかを知らずに。

困った時に手を差し延べることができるひと。
一人きりになりたい時、そっとしておいてくれるひと。
何度も私を助けてくれた友人達は、みんなそんなひとだ。
今でも思い出すと涙が出てくる。その涙すら宝物だと思う。
記憶と経験は「想像力」を助ける。そして行動力の源に生まれ変わる。
誰かに渡す時のための。冒頭の荒木経惟さんの言葉の中に、
「想像や瞑想じゃない」との記述がありますが、
彼は、想像力を遥かに兼ね備えたひとです。
だからこそ、ああいう言い回しができるのだと思います。

ここ数日連続で後光がある言葉達をたくさん聞いてきてるので、
どれから話したらいいのかわからなくなってます(笑)
私は、もう少し想像力が豊かになりたい。
改まって物を考えるとなんか、とほほになるので。
もう少しうまく想像力を伝えられたらと。精進します。
彼の暴力的なまでの写真ヂカラには感服致します。

でもなぜか上画像は猫ちゃん写真集2冊(笑)
Amazonリンクは1冊しか出てこなかった。


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月のきれいな晩だ。

まだ、満月には日があるが、ほどよくガラスのようで、
猫の瞳のように、美しく、儚く、輝いている。


今日の画像は、私の大好きな人形作家、
堀佳子さんの新しい本のカバーです。
以前も、堀さんの人形のお話と、
私の小説のヒロインを無理矢理関連づけた記事を書きましたが(笑)
やっぱりお人形はいいな、と思えます。

その陶器そのものの、つるりとした肌。
そして、ガラス玉の淋しげな瞳。
特に、この表紙の子の緑がかった瞳と、ふわりと顔にかかる黒髪が、
まるで夜の闇のようで否応なく私を惹きつける。
蒼白い肌は冷たいのだろうか。

◇◆◇


11月30日発売のこの本は、堀さんには6年振りの出版だそうです。
昨日サイトに行って、わかりました。あとがきは作家の小川洋子さんが書いたそうです。
何て美しいのだろう、と見惚れる。

何年か前に深夜のドラマで、
人形のような女が好きな男のお話をやっていた。
ヒロインは神田うのさん。
詳しくは憶えていないのだが、
うのさん演じる奔放な女性が結婚することになる男が、無類の人形好きで、
その婚約者に、細い首、くるくるとよく動く大きな瞳のうのさんはぴったりだと思った。

けれど、その男の妹で寝たきりの少女の役の女優さんに、どきりとした。
彼女こそ人形のようだった。まだ10代だったと思う。
少女特有の張りのある素肌と、陶器のような肌の人形は容易にイメージが重なった。
しかも、寝たきりなので寝たまま話をする。その話し方も抑揚がない。
天井を見たまま、誰とも目を合わさない彼女は、まさに生きた人形だった。
あの女優さんは一体、誰だったのだろう。
ストーリーはごくありふれたソフトなホラーだったけれど、
私にとってのホラーは、あの淡々とした少女の存在がホラーそのものだった。

実は私も人形になりたい、なんて思う。
私の人形(ひとがた)を誰かに作って欲しいなんて、思う。
それは、私が死んだ後もこの世に残る。その瞳は常に誰かを見つめているのだ。
そんな私の瞳に誰かが、吸い寄せられてずっと手許に置いてくれたらいい、なんて思うのだ。

 その辺に放っておかないでね
 わたしはいつも あなたを見ているのだから

永遠に生き続ける人形と死は、対極にあるものなのに、
結びつけずにはいられない。
私がこの本を手にした時、自分にどんな反応が起こるだろう。楽しみだ。


*堀佳子さんの公式サイトはこちら。↓

「生き人形 堀佳子の世界」
 http://www1.linkclub.or.jp/~yukiwo/

魅惑的な堀さんの関節人形の数々も見られます。


***

/「堀 佳子 人形写真集「Dolls」(ドールズ)

2005年11月30日発売予定
96頁 価格2500円(+税)
写真撮影:堀 佳子、内倉真一郎、杉山ナル美
あとがき:小川洋子
デザイン:ステュディオ・パラボリカ(ミルキィ・イソベ+明光院花音)
出版社:株式会社カンゼン


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百田千峰さんの「嘘つき金魚」を読んだ。

大好きな世界でした。
読んですぐに読み終わってしまうほど、短いのだけれど、
何度も読み返してしまう。

昭和初期のような絵柄。「乙女」と呼ぶにふさわしい。
この絵柄で、恐怖物とか描かれたらさぞ恐ろしくなるであろう、と
ない事を想像してしまうほど自分の世界を持った方。
同時にかわいかった。昭和初期、なんて書いたけれど、
作品の中では携帯電話も出てきて、現代とミックスしている。
昭和からタイムスリップして来たようだ。

上質な画集を見ながら、お話も楽しめる、という作品。
何度も何度も読み返してしまう。
そして、いつまでも絡みつくように印象に残る。



/青林工芸舎 1260円(税込)
ISBN 4-88379-190-4(2005.7.25)


  恋はみじかい
  夢のようなものだけど
  女心は
  夢をみるのが好きなの

  夢のくちづけ
  夢の涙
  喜びも悲しみも

  みんな夢の中


/「みんな夢の中」

作詞・作曲 浜口庫之助
歌 高田恭子

BGMはこの曲で。

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