元々、左ききだった私ですが、直されてから絵を描くようになった。
それからは絵を描くことが大好きになり、
ちょっとした「隙間」を見つけるとどこにでも絵を描いた。
ちょっとした「隙間」を見つけるとどこにでも絵を描いた。
紙の上以外でも、チラシの裏、ダンボール、シールの余白、壁、アスファルトの上、鉛筆で、チョークで、十勝石で、軽石で、土で。
それを見ていた、当時パルプ工場に勤務していた父が、
本来なら処分される、何にも書かれていない紙を大量に持ってきてくれた。
何の見本もなく描いた人物の顔は長四角だった。
幼稚園になる頃には、とにかく気に入ったものを模写し続けた。
ある日、父が紙をまとめてホチキスで綴じ、本の形態を作ってくれてから、
鉛筆でコマ割ををし、セリフを書き入れるということができるようになり、
「ベタ」と呼ばれる背景の黒い部分も鉛筆で塗りつぶし、自分だけの本を作った。
ただ、私が幼い頃はどんな大人も、漫画というとすぐに否定された時代だった。
そんな中で、唯一否定せず、絵を自由に描く場を提供してくれて、
何も見ていない振りをしながら、実は一番評価して見てくれていた父。
色んなことがあり、今はどうしているのか判らないけれど、
その部分だけは本当に感謝してやまない。
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その部分だけは本当に感謝してやまない。
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上の文章は私がウェブサイトを開設した当時「指先のプロフィール」と称して載せていた。
今は雰囲気を替えた仕様にしたので、省いてしまったけれど文章は手許にある。
なぜいきなりこの文章を出したか。
今は雰囲気を替えた仕様にしたので、省いてしまったけれど文章は手許にある。
なぜいきなりこの文章を出したか。
この間、Twitterにてふとしたこと、本当にふとした出来事から、先に書いた小学生時代読みふけっていた漫画家さんのお名前をお見かけしたからだ。
小林博美先生。大好きな「夜の雪がやさしい」という漫画。
いくつか年上のいとこのお姉さんからもらった雑誌に載っていて釘付けになった作品です。繊細な線、ただ大きいだけではない深さのある瞳、躍動感、情熱、そして美。そのすべてを備えた宝物のような漫画。引越しの多い幼少時代、どんな時も雑誌からその漫画だけ切り取り持っていたけれど、とうとうどこかで失くしてしまった。その後、成長し、パソコンを購入してからも覚束ない指で検索をしたが、その雑誌自体が高値になっており手が出なかった。何よりネットでお買い物をしたことがなくて、戸惑っているうちにそのサイトが消えてしまっていた。
もういちど読みたい。
心から思っていたその漫画が、なんと直接先生の下に届き、その後、DM(Twitter機能のひとつ、ダイレクトメッセージ)にてお話させていただき、なんと、コミックスに収録されていた(知らなかった!)その「夜の雪がやさしい」を送ってくださったのです!
おそるおそる、傷つけないよう袋を丁寧に開封し、懐かしい絵を目にする。ああ、亜子ちゃんだ、嶺(れい)だ、と最初は本当にただただ絵を追った。深呼吸をし、心を落ち着かせ、改めて読んでみた。
あらすじ:主人公の亜子は元気一杯の16歳だけれど、実はよくできた姉妹と比較され、孤独感を味わっていた。そこへ隣に人が越してくる。しかしその隣の庭にある特殊な生え方をした木は亜子のただひとつの居場所だったことから、そこにいても良いか許可を取りに行き、その隣人、髪の長い26歳の美しい男性、嶺と少しずつ言葉を交わし、心を打ち溶け合って行く。彼もまた孤独な悩みを抱えていた。とあるきっかけで亜子がどれほど普段感情を抑えて来たのか、木の隠れ家がどれほど亜子の感情を包み込んでくれたのかを知る。嶺は更に亜子をいとおしく思うようになる。けれど無常にも亜子の両親は亜子自身を認めてくれず、絶望した亜子は家を飛び出す。後で誤解だと知った亜子の家族と共に事情を知った嶺は亜子を探す。木の隠れ家に亜子はいなかった。それ以外なら一体どこに…。嶺はいちど二人で行った海を思い出す。亜子は海の中にその体を沈めようとしていた…。
私は当時いくつだったろう。
小学生か、中学生になったばかりだったか。不登校をしていて毎日何も解決しない日々、ただ学校へ行け、と怒鳴る両親。優秀な姉。私自身、なぜ不登校になったのか当時は理由が判らなかった。いつも昼間は居場所がなかった。けれど、心細い昼間とは反対にひとりきりの深夜は安心した。夜は私に優しかった。この本の亜子ちゃんほどきちんと言葉で伝えることはできなかったけれど、この本のラストのように何とか私の問題は解決した。そして今の私がいる。今でもつい先ほどのことのようにあの頃の感情が蘇る。私はこの本を読むことで自分で自分をセラピーしていたのだ。それがあの時、あの日々の中での存在だったのだろう。
読んでいて何度も涙を堪えた。当時は身近過ぎたため、そこまで感情的になることはなかった。まあ、年のせいもあるだろう(笑)今は、嶺のように亜子を抱きしめたいと思う。今の私は嶺の悩みや淋しさの方がどちらかと言うと身近だったりする。頭脳は別として。それから余談ではあるが当時、鳥を飼っていたこともあり、亜子のインコが(自粛)という場面は鳥たちの存在を思い出して号泣してしまった。あんな目に遭ったら…立ち直れない。きっとあの当時だったら猫ガッデム!と感じていたことだろう。
…逸れました。
この漫画は今後絶対に離すことなく、私の宝物として、同時に少しでも感謝の気持ちを忘れた時の戒めとして時折読み返し、きちんと保存しようと思います。いえ、思いますではなく保存します。
もちろんこの漫画のラストは嶺が助けてくれて、家族とも和解します。しかし亜子は性格がとても優しくいい子だ。裏表のない純粋性と包容力がある。だからこそ嶺も大切にしたいと思ったのだろうし、そこがこの物語の魅力のひとつでもある。今考えてみるとその上での素直さというのはギフトだと思う。こんなふうに書くと本当に私自身、年齢を重ねたんだな、とつくづく思います。もうとっくに亜子や嶺の年齢も越えてしまったけれど、この物語を通してセラピーした日々は大事な記憶です。私という人間を構成してくれたひとつでもあると思っています。貴重なご縁で、こうして再び出逢えたことに大きなしあわせを感じています。今いちど、心から感謝の言葉を捧げます。小林博美先生、どうもありがとうございます。
大切にする!心から!(ハグ)
小林博美先生。大好きな「夜の雪がやさしい」という漫画。
いくつか年上のいとこのお姉さんからもらった雑誌に載っていて釘付けになった作品です。繊細な線、ただ大きいだけではない深さのある瞳、躍動感、情熱、そして美。そのすべてを備えた宝物のような漫画。引越しの多い幼少時代、どんな時も雑誌からその漫画だけ切り取り持っていたけれど、とうとうどこかで失くしてしまった。その後、成長し、パソコンを購入してからも覚束ない指で検索をしたが、その雑誌自体が高値になっており手が出なかった。何よりネットでお買い物をしたことがなくて、戸惑っているうちにそのサイトが消えてしまっていた。
もういちど読みたい。
心から思っていたその漫画が、なんと直接先生の下に届き、その後、DM(Twitter機能のひとつ、ダイレクトメッセージ)にてお話させていただき、なんと、コミックスに収録されていた(知らなかった!)その「夜の雪がやさしい」を送ってくださったのです!
おそるおそる、傷つけないよう袋を丁寧に開封し、懐かしい絵を目にする。ああ、亜子ちゃんだ、嶺(れい)だ、と最初は本当にただただ絵を追った。深呼吸をし、心を落ち着かせ、改めて読んでみた。
あらすじ:主人公の亜子は元気一杯の16歳だけれど、実はよくできた姉妹と比較され、孤独感を味わっていた。そこへ隣に人が越してくる。しかしその隣の庭にある特殊な生え方をした木は亜子のただひとつの居場所だったことから、そこにいても良いか許可を取りに行き、その隣人、髪の長い26歳の美しい男性、嶺と少しずつ言葉を交わし、心を打ち溶け合って行く。彼もまた孤独な悩みを抱えていた。とあるきっかけで亜子がどれほど普段感情を抑えて来たのか、木の隠れ家がどれほど亜子の感情を包み込んでくれたのかを知る。嶺は更に亜子をいとおしく思うようになる。けれど無常にも亜子の両親は亜子自身を認めてくれず、絶望した亜子は家を飛び出す。後で誤解だと知った亜子の家族と共に事情を知った嶺は亜子を探す。木の隠れ家に亜子はいなかった。それ以外なら一体どこに…。嶺はいちど二人で行った海を思い出す。亜子は海の中にその体を沈めようとしていた…。
私は当時いくつだったろう。
小学生か、中学生になったばかりだったか。不登校をしていて毎日何も解決しない日々、ただ学校へ行け、と怒鳴る両親。優秀な姉。私自身、なぜ不登校になったのか当時は理由が判らなかった。いつも昼間は居場所がなかった。けれど、心細い昼間とは反対にひとりきりの深夜は安心した。夜は私に優しかった。この本の亜子ちゃんほどきちんと言葉で伝えることはできなかったけれど、この本のラストのように何とか私の問題は解決した。そして今の私がいる。今でもつい先ほどのことのようにあの頃の感情が蘇る。私はこの本を読むことで自分で自分をセラピーしていたのだ。それがあの時、あの日々の中での存在だったのだろう。
読んでいて何度も涙を堪えた。当時は身近過ぎたため、そこまで感情的になることはなかった。まあ、年のせいもあるだろう(笑)今は、嶺のように亜子を抱きしめたいと思う。今の私は嶺の悩みや淋しさの方がどちらかと言うと身近だったりする。頭脳は別として。それから余談ではあるが当時、鳥を飼っていたこともあり、亜子のインコが(自粛)という場面は鳥たちの存在を思い出して号泣してしまった。あんな目に遭ったら…立ち直れない。きっとあの当時だったら猫ガッデム!と感じていたことだろう。
…逸れました。
この漫画は今後絶対に離すことなく、私の宝物として、同時に少しでも感謝の気持ちを忘れた時の戒めとして時折読み返し、きちんと保存しようと思います。いえ、思いますではなく保存します。
もちろんこの漫画のラストは嶺が助けてくれて、家族とも和解します。しかし亜子は性格がとても優しくいい子だ。裏表のない純粋性と包容力がある。だからこそ嶺も大切にしたいと思ったのだろうし、そこがこの物語の魅力のひとつでもある。今考えてみるとその上での素直さというのはギフトだと思う。こんなふうに書くと本当に私自身、年齢を重ねたんだな、とつくづく思います。もうとっくに亜子や嶺の年齢も越えてしまったけれど、この物語を通してセラピーした日々は大事な記憶です。私という人間を構成してくれたひとつでもあると思っています。貴重なご縁で、こうして再び出逢えたことに大きなしあわせを感じています。今いちど、心から感謝の言葉を捧げます。小林博美先生、どうもありがとうございます。
大切にする!心から!(ハグ)