First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: Essai/book&art

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それは記憶もおぼろげな幼少時代。
元々、左ききだった私ですが、直されてから絵を描くようになった。

それからは絵を描くことが大好きになり、
ちょっとした「隙間」を見つけるとどこにでも絵を描いた。
紙の上以外でも、チラシの裏、ダンボール、シールの余白、壁、アスファルトの上、鉛筆で、チョークで、十勝石で、軽石で、土で。

それを見ていた、当時パルプ工場に勤務していた父が、
本来なら処分される、何にも書かれていない紙を大量に持ってきてくれた。
何の見本もなく描いた人物の顔は長四角だった。
幼稚園になる頃には、とにかく気に入ったものを模写し続けた。

ある日、父が紙をまとめてホチキスで綴じ、本の形態を作ってくれてから、
鉛筆でコマ割ををし、セリフを書き入れるということができるようになり、
「ベタ」と呼ばれる背景の黒い部分も鉛筆で塗りつぶし、自分だけの本を作った。

ただ、私が幼い頃はどんな大人も、漫画というとすぐに否定された時代だった。
そんな中で、唯一否定せず、絵を自由に描く場を提供してくれて、
何も見ていない振りをしながら、実は一番評価して見てくれていた父。
色んなことがあり、今はどうしているのか判らないけれど、
その部分だけは本当に感謝してやまない。

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上の文章は私がウェブサイトを開設した当時「指先のプロフィール」と称して載せていた。
今は雰囲気を替えた仕様にしたので、省いてしまったけれど文章は手許にある。

なぜいきなりこの文章を出したか。
この間、Twitterにてふとしたこと、本当にふとした出来事から、先に書いた小学生時代読みふけっていた漫画家さんのお名前をお見かけしたからだ。

小林博美先生。大好きな「夜の雪がやさしい」という漫画。
いくつか年上のいとこのお姉さんからもらった雑誌に載っていて釘付けになった作品です。繊細な線、ただ大きいだけではない深さのある瞳、躍動感、情熱、そして美。そのすべてを備えた宝物のような漫画。引越しの多い幼少時代、どんな時も雑誌からその漫画だけ切り取り持っていたけれど、とうとうどこかで失くしてしまった。その後、成長し、パソコンを購入してからも覚束ない指で検索をしたが、その雑誌自体が高値になっており手が出なかった。何よりネットでお買い物をしたことがなくて、戸惑っているうちにそのサイトが消えてしまっていた。

もういちど読みたい。
心から思っていたその漫画が、なんと直接先生の下に届き、その後、DM(Twitter機能のひとつ、ダイレクトメッセージ)にてお話させていただき、なんと、コミックスに収録されていた(知らなかった!)その「夜の雪がやさしい」を送ってくださったのです!

おそるおそる、傷つけないよう袋を丁寧に開封し、懐かしい絵を目にする。ああ、亜子ちゃんだ、嶺(れい)だ、と最初は本当にただただ絵を追った。深呼吸をし、心を落ち着かせ、改めて読んでみた。

あらすじ:主人公の亜子は元気一杯の16歳だけれど、実はよくできた姉妹と比較され、孤独感を味わっていた。そこへ隣に人が越してくる。しかしその隣の庭にある特殊な生え方をした木は亜子のただひとつの居場所だったことから、そこにいても良いか許可を取りに行き、その隣人、髪の長い26歳の美しい男性、嶺と少しずつ言葉を交わし、心を打ち溶け合って行く。彼もまた孤独な悩みを抱えていた。とあるきっかけで亜子がどれほど普段感情を抑えて来たのか、木の隠れ家がどれほど亜子の感情を包み込んでくれたのかを知る。嶺は更に亜子をいとおしく思うようになる。けれど無常にも亜子の両親は亜子自身を認めてくれず、絶望した亜子は家を飛び出す。後で誤解だと知った亜子の家族と共に事情を知った嶺は亜子を探す。木の隠れ家に亜子はいなかった。それ以外なら一体どこに…。嶺はいちど二人で行った海を思い出す。亜子は海の中にその体を沈めようとしていた…。

私は当時いくつだったろう。
小学生か、中学生になったばかりだったか。不登校をしていて毎日何も解決しない日々、ただ学校へ行け、と怒鳴る両親。優秀な姉。私自身、なぜ不登校になったのか当時は理由が判らなかった。いつも昼間は居場所がなかった。けれど、心細い昼間とは反対にひとりきりの深夜は安心した。夜は私に優しかった。この本の亜子ちゃんほどきちんと言葉で伝えることはできなかったけれど、この本のラストのように何とか私の問題は解決した。そして今の私がいる。今でもつい先ほどのことのようにあの頃の感情が蘇る。私はこの本を読むことで自分で自分をセラピーしていたのだ。それがあの時、あの日々の中での存在だったのだろう。

読んでいて何度も涙を堪えた。当時は身近過ぎたため、そこまで感情的になることはなかった。まあ、年のせいもあるだろう(笑)今は、嶺のように亜子を抱きしめたいと思う。今の私は嶺の悩みや淋しさの方がどちらかと言うと身近だったりする。頭脳は別として。それから余談ではあるが当時、鳥を飼っていたこともあり、亜子のインコが(自粛)という場面は鳥たちの存在を思い出して号泣してしまった。あんな目に遭ったら…立ち直れない。きっとあの当時だったら猫ガッデム!と感じていたことだろう。

…逸れました。
この漫画は今後絶対に離すことなく、私の宝物として、同時に少しでも感謝の気持ちを忘れた時の戒めとして時折読み返し、きちんと保存しようと思います。いえ、思いますではなく保存します。

もちろんこの漫画のラストは嶺が助けてくれて、家族とも和解します。しかし亜子は性格がとても優しくいい子だ。裏表のない純粋性と包容力がある。だからこそ嶺も大切にしたいと思ったのだろうし、そこがこの物語の魅力のひとつでもある。今考えてみるとその上での素直さというのはギフトだと思う。こんなふうに書くと本当に私自身、年齢を重ねたんだな、とつくづく思います。もうとっくに亜子や嶺の年齢も越えてしまったけれど、この物語を通してセラピーした日々は大事な記憶です。私という人間を構成してくれたひとつでもあると思っています。貴重なご縁で、こうして再び出逢えたことに大きなしあわせを感じています。今いちど、心から感謝の言葉を捧げます。小林博美先生、どうもありがとうございます。

大切にする!心から!(ハグ)

yoshio_okada_akashi
平成最後から令和元年にかけて夢中で読んでいた本がある。
青空文庫なので電子書籍になるけれど本は本だ。最初は病院の待ち時間などで何となく目にしただけだった。それなのにいきなり夢中になり続きが気になり、結局すべてダウンロードして読了した。それは与謝野晶子訳の「源氏物語」だった。令和にいきなり平安時代の物語。しかし構わない。おもしろいんだから。私は今の今まで「源氏物語」をきちんと読んだことがなく、興味はありつつ読むきっかけもなくここまで来た。大和和紀さんが好きなのでいつでも読める体勢は整っていたはずなのに読まなかった。これも縁なのか。

そして読了後、私の光源氏への印象が変わった。
あんた、まめでええ奴やな、といきなり関西弁で答えたくなるような感じだった。まず初めに一夫一婦制の世の中で数え切れないほどの女性を愛人に持つような男を信じられなかったというのがある。第一夫人として最後まで愛される紫の上にしたって誘拐のように引き取り、むりやり手篭めにするのをあらすじで知っていたため違和感があった。けれどいざ読むと確かに紫の上との初夜となる場面は痛々しい。ただ源氏の生きる時代での女性の立場の弱さというものを考慮しなければならない。現代のようにひとりでも生きて行くというのはほぼ不可能に近く、大抵ひとりで生きると決めた女性は尼になり世を捨てる。最初こそ馴染まなかったが大体2帖くらいから慣れた。

そして光源氏の描写が驚くほど美しく、彼に敵うものはないという書き方なので何となく納得して読み進めた。終いには光源氏にどこか好感を持つようになった。と言うのは、彼は自分が手をつけた女性を絶対に見捨てないからだ。読む前から有名だった、容姿があまり良くないとされる末摘花に対しても、途中疎かにはなるものの最終的に思い出し、きちんと妻の座を与える。その辺りの物語の進み具合は痛快だ。なかなかそういうのはできるものじゃない。しかも他にも尋常な数ではない女性と付き合っているので、その人たちの生活の面倒を見ているというのは多分、彼にしかできないことであっただろう。それだけでもすごいと思ってしまう。あくまでもあの時代に於いてだが。何しろ女性の自由がまったくきかない時代の物語で、肝心なのは著者が女性だということだ。そこにますます説得力を感じてしまう。

源氏亡き後の物語にも美しい男は登場する。
それは源氏が生きていた時代、彼がむりやり関係を持った女性が遺した子供の薫であるが、彼は本当の父親の反対を行くような真面目な性質で読んでいてあまりにも恋に関して呑気なので、苛々すること多数であった。彼のライバルとして匂宮という男も出てくるが、彼は源氏の女癖の悪いところを凝縮したようないやなヤツだった。絶対彼は紛うことなきヒールキャラだ。女性に対していい加減でその興味の理由もライバルの薫が気に入ったから奴より先に取ってしまえという単なる負けず嫌いの感情だったりするから救いようがない。最後の最後に登場する浮舟という女性がなかなかに面白かった。性格自体は面白がってはいけないような真面目な女性だが、彼女は薫にも匂宮にも惹かれながら、そして迫られながらも結局靡かず出家し、尼としての人生を選ぶからだ。

そこに私はどうして紫式部が源氏亡き後もこの物語を続けたのだろうという答が潜んでいる気がした。最愛の女性であっても出家してしまえばどうしても手に入らなくなる尼という道。それは光源氏に対しての、そしてあの時代の男に対しての紫式部の筆での復讐であり、登場した女性たちへの救いのような気がした。あの時代にはそれしか方法がなかったのではないか。今も充分女性にとって不便な世の中だが比較できない。何しろ女というだけで罪だと言われるのだから、出家しか男から逃れる方法はないだろう。少なくとも読者である私はそれしか思い浮かばなかった。しかも美しい盛りの頃の出家なのだからもったいないし遣る瀬ない。しかし最高の復讐だ。

ただ女性たちは出家しながらもやはり苦しんでいる。本来ならそんな道など歩みたくなかっただろう。普通に恋愛をし、普通に夫と結ばれ、できれば子供に恵まれ、平穏に過ごす。それが望みだったのではないだろうか。しかしそんな理想も宇治でのお話、いわゆる「宇治十帖」と呼ばれる最後になると恋愛そのもの自体にうんざりしてくる。紫式部とは何者だったのだろう。今読んでも共感できるってすごい。初めて読んで夢中になって続きがどうなるのかどきどきした。こんな読書ってなかなかない。ただ与謝野晶子の訳では「源氏」とか「紫の上」とか名詞が決まっておらず男は位の高さが変わるとその位で呼ばれるし、紫の上など「女王(にょおう)」とか呼ばれるので頭がついて行かず、何度読み返したことか。次回は好評だという瀬戸内寂聴氏の源氏物語を読んでみようと思う。そして大和和紀氏の「あさきゆめみし」もどんなものか読んでみたい。

細かいところで気になったのはあの時代だから医者というものがどういう立場かわからないが、体の不調があると何かと「物の怪」のせいにしていた部分。いや普通に考えて病院行こう!と思うがあの時代の病院などの施設はどんなものだったのかわからないので何とも言えない。宇治十帖に出てくる大君という姫君などは自分の妹を心配し過ぎて死んでしまうのだから儚すぎる。夕霧や葵の上、紫の上や女三宮にも降りかかる生霊としての存在も知識では「六条の御息所」という女性の仕業となっているが、物語の中では「六条」に住んでいる「御息所」という位の人、というくらいなのでちんぷんかんぷんにはなった。

物語のあらすじだけを追うと、昭和から平成にかけて人気だったどろどろしたお昼のメロドラマのような展開だが、ここまで夢中にさせ、今でも胸の奥に息づいているように印象深くなる理由のひとつとして描写の力がある。自然の風景はもとより、着るもの、焚き染める香、凝った手紙、男女の美麗さ、ゆったりとしたあの時代の催し物等、見逃せない魅力がふんだんに散りばめられているからだ。決して現実だけでなくこちらの想像力をくすぐるような抽象的な帖のタイトルなども小説としてとても豊かだ。ここまでの物語をほんの56帖ほどで完結できるなんて本当は短いのかもしれないとも思う。そのくらい紫式部の文章にはセンスとブラックユーモアがある。でなければここまで多くの人を虜にしないだろう。その虜になったひとりに私もまた加わった。世の中、何に夢中になるか本当にわからない。面白い読書体験でした。

上画像 / 岡田嘉夫

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すべてはこの一冊から始まった。







画像から見つけて激しく読みたくなったので次はこちらを読みます。



duras_agatha


以前、スタインベックの「エデンの東」を3月20日から読み始め、
フィギュアスケート世界選手権が始まる26日までに読了する、
と、ここに決意として書いたのに読了したのかどうか、
まったく触れていませんでした。

読みました!
実際は「エデンの東」全4巻と別の2冊を読む予定でしたが、
全4巻読了後、力が尽きました。

名作と呼ばれる作品。今までは、あまりにも有名すぎて食指が動かなかった。
ひねくれ者なので…。町田樹選手のプログラムが素晴らしくて、
彼がよく口にしていたこの本の「Timshel」という言葉がきっかけです。
彼の言葉ががなかったらずっと読まずに知らないままだったのだろう。
それを思うと本当に出会えて良かったと思う。

登場人物はふたつの家族に分かれていて、
しかも幼少期、青年期、老年期と、
すべて描かれているので名前を憶えるだけで困難になり、
最初に掲載されている家計図を何度も遡った。(あの家計図とても役立った)
最終的に読んでしまったあと、すべての人物は頭に入っていた。スタインベックすごい。
それだけ、印象に残る物語を登場人物ひとりひとりに宿らせていたのだろう。
本当に、今さらなのだけど、そして作家さんに失礼なのだけど感心してしまう。
あれだけの長編なのに、人物設定の矛盾のなさ、構成、
ラストでの余白を交えた臨場感など。

あの4冊を町田選手の如く、まず有限実行、と決めて、
6日間で読了する、と負荷をかけた。
とにかく黙々と読んだ6日間だった。何より物語が私を手放してくれなかった。
とても続きが気になって。読書と言うものをしていて基本である、
「読める幸せ」を実感し、意識したのは今回が初めてだったように思います。

この幸せな読了をきっかけに、どんどん吸収したい欲が高まり、
今は読まず嫌いだった様々なジャンルの本を手にしている。
そして、こうして書くというアウトプットの重要さも読書を詰め込んでみて解った。
読むだけ読んで、興奮したままでいたため、
熱を持った気持ちのまま迷子になってしまった。

そんな訳で、小説だけではなく、
意識的に感情を文章にして表に出すと決めて、
小さな事でも書きとめておくようにしている。

そして、もちろん、もうすぐ締め切り間近であるお題小説にも向かっている。
まだまだ細かい推敲は必要だが、エンドマークがもうすぐそこまで見えている。
この小説を終えたら、実はもうひとつ書きたいものがあるのだけど、
その締め切りは6月30日で、あの、まだ手もつけていない状態で。
しかも200枚以上と言う条件なので。
有限実行はできません…。

できる限り書きます。ダメ元ではなく本気で。
ここで努力したことは必ず無駄にはならない。


◆ ◇ ◆

そして原稿を書き終えた一日には、新たに魅惑の読書タイム。
今はマルグリット・デュラスさまの最後の恋人との手記を、
机の脇に積み、1冊ずつ読んでいる。 

画像はそんなデュラスの映画「アガタ」のワンシーンより。
窓辺に広がる海の暗さが、あまりにも哀しく、あまりにも美しくて。 


エデンの東 新訳版 (1) (ハヤカワepi文庫)
ジョン・スタインベック
早川書房
2008-01-24





アガタ/声 (光文社古典新訳文庫)
マルグリット デュラス
光文社
2010-11-11


angel_wing


久しぶりです。

本当に、

久しぶりです。

お、おなじことしか書いてない。
しかしなつかしい友達に会うような感覚でそう思います。
お元気でしたか。私は自分の大切な事に関してはとても健康だと思います。

さて、そんな健康な部分のひとつですが、
それは読書で、今さら?と思われる方もいるでしょうが、
小説もどきも書いていてほんとうに今さらなのですが、
わたくし、読書の読まず嫌いが非常に多くて、
今人気のある作家さんにも食指が動かない、ということが多々あります。

私が多感な時期に共感というよりも、新しい世界を教えてくれて、
また、アフォリズムの神様であると思っているのは山田詠美さんです。
そんな彼女を私は親鳥の元を離れない雛鳥のようにぴよぴよ追いかけ、
ずっと読みふけり、文章まで似てしまうようなことも一時ありました。
なので、彼女の本は欠かさず読んでいても、
なかなか彼女以外を読む余裕がなかったのでした。
多分、その時に読んでも消化しきれなかったでしょう。

偏屈だし頑固なので好きなもの以外認めない、という柔軟性に欠けた面もあり、
いくつも読むチャンスを自ら逃していたものも多いと思います。
けれど、例えば親愛なる大澤さんが愛読している、と知れば、
それを追いかけて読み、単純ながら感銘を受け、
好きな作家がひとり増え、そこから繋がりのある作家さんを見つけ、
またその世界観に感銘を受け、またしても好きな作家が増え、
そんなことを繰り返して、ようやく私は読書が好きです。
と、少しだけ声を出せるようになったと思う。

けれど、書くのも遅いけれど読むのも遅いので、
仮に読んでいるものが映画化になったものだったりすると、
読み終わる頃にはもう既に上映が終わり、
周りからすると、まだ読んでいるの?と思われることも多々ある。

前置きが長くなりました。
最近の私の読了日記をこれまた久しぶりに書きます。
あくまでも感想文、というか一言日記ていどです。

○月×日
「きいろいゾウ」読了。
個人的に大変な時期に読んでいた長編。
読みやすい砕けた文章とクライマックスへの、
じわりじわり、と近づく臨場感がたまらなかった。
文章でのみ味わえる感覚。
映画化、とのことだが、原作のムコさん、
かなり映画版とは容姿の設定が違って驚き。
しかし、番組宣伝などで先に見かけてしまったので、
主人公ふたりはあの映画のままの印象で読んでいた。良かったけど。
読み終わる頃には主人公のふたり、ツマとムコさんに感情移入していて、
最後のページに感涙しつつも、読み終わるのが淋しかった。
そして、ツマが羨ましかった。

○月×日
「綾戸智恵、介護を学ぶ」読了。
自分と重ねて、参考にしようというヨコシマな気持ちで読んだので、
あまりに壮絶な格闘のような彼女の愛情に、ぎゃふん、と言わされた。
しかし、介護が生き地獄でしなくて済むならしない方がいい、という、
作中の彼女の言葉には、彼女がパワフルな人だけに重みがある。
多分、これからあまり読み返さないと思うけれど、
(特に前半、プロフィールのようになっているので)
読んで良かった。介護を美談にしていなかった。


書いててショックだったけど2冊だけだった。でも読めただけで充分かな。
そのくらい心が多忙で、昨年は身の回りの整備の年だとすれば、
今年は闘いなのでは、と思うほど、心身ともにきついのだ。
時間がかかっても自分が自分と他人を分ける唯一のもの、
読書と書くことは絶対にやめてはいけない、と誓った読書でした。

今読もうとして、積んでおいているけれど手をつけてない本は数冊あります。
小川洋子さんの過去のエッセイ、文学数冊、金井美恵子さんのエッセイ数冊、
河合隼雄さんのエッセイ数冊、角田光代さんの文学数冊、
そしてさらに雑誌も読みかけだったりする。
さらにさらに、大澤さんがラジオで言っていて、
読みたい衝動に激しく駆られた安部公房さんの「夢の逃亡」
見つからないので今のところ近所で入手できた「砂の女」を読書予定。

これらすべてを読めるのだ、とその積み上げた本を眺め、胸がときめく。
その気持ちこそ強く私の人生を輝かせてくれるものだ。
絶対になくせない。手放すもんか、と思う。どんな境遇になっても。


◇ ◆ ◇

支離滅裂なようで、書きたいことは書けてすっきりしたような、
不思議な長文になりました。

私自身は変わらず母の介護を続けており、
週2回だったデイサービスが3回になり、
ショートステイも最低一ヶ月に一度は利用させてもらい、
最近になって週一回ヘルパーさんに入ってもらっています。
母はどんどん、本能に近づいている。
いちいちセンチメンタルにはなれないけれど、
時折、本能に触れた直後、いつもの母に戻ったりする瞬間があり、
そんな時は泣き出しそうになる。
そして、そろそろ先を考え、施設入所の申込も始めている。
介護度4なので例え、200人待ちの施設であっても、
一番最後にはならないと思う、とケアマネさんが教えてくれた。
そのケアマネさんは私が倒れないように生きていく方法を、
一緒に考えてくれるありがたい存在である。

明日から母は3泊4日でショートステイにお泊まりです。
その間、ばきばきと固まっている身体を少しでもほぐしたい。
そしてそっと積んでいる本に手をかけられたなら、とても嬉しい。 


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ネットにて有名な黒猫しおちゃんです。
テレビにも多数出演しておりますね。
しゃべるねこ、しおちゃん。可愛いことこの上ない。
猫マニアでも、そうでない人でも、心を虜にしてしまう声。
その高音のため、よく性別を間違われるそうですがしおちゃんは男の子だそうです。
そんなしおちゃんと飼い主さんの愛情溢れる毎日が、DVDになりました。

テーマソングを歌っているのは遊佐未森さん、
その名も「クロ」。とてもかわいらしい歌です。
まだ発売になっていないため、詳細はわからないのですが、
個人的宣伝のために書きました(笑)


下はDVD予告映像です。これだけ観ても「かわいい」の連発です。



飼い主さんの本業は、
シアトル在住のダンサー件インストラクターさん。
Youtubeにて、見事なダンスを披露されております。
それが下の映像。コリオグラフィーとの表記なので、
この曲では振り付けもされているのですね。
かっちょいいです。

 
『For Real by Amel Larrieux (Shinji Kasahara Choreography)』


なのに、しおちゃんには「おとん」と呼ばれているんだなあ(笑)
そこが良いのですね。ナイスギャップ。

Amazonに詳しい目次がありますが、
そこには実はノラだった、しおちゃんとの出会いや、
素朴な日常などが簡潔な文章で描かれています。
散々言い回された言葉ではあるけれど、猫は人を癒してくれる。
あんなに、つん、として、時にはわかっているくせに返事もしなかったり、
にくったらしい時もある。
なのに、そのぶっきらぼうさが心や体の痛みを持つ人には、
なぜだか優しく感じる。
猫は差別をしない。※多くの動物がそうだけど敢えて猫に絞って。
そしてなぜか、苦痛を感じている人にはなぜか敏感で、
そっとそばにいてくれる。そうした上で放っておいてくれる。
つかず離れず、ほど良い距離感を保ってくれる。
だからこそ、しゃべるしおちゃんを見つめる飼い主さんの視線に、
とてつもなく、いとおしさを感じてしまうのでした。

しおちゃんと飼い主さんのブログは今も毎日、
元気にシアトルの空の下で更新されています。
そして、飼い主さんの心からの愛情に包まれて、
ますますしゃべりに磨きのかかる、しおちゃんでいてくれます。
信頼関係って、大切だな、とつくづく思わせてくれるおふたり。
今からDVDの発売が楽しみです。
ちなみに2011年版のカレンダーもしおちゃんに決まっています(笑)
うちも大層、猫好きにもほどがあるってなモンです。


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しゃべるねこ、しおちゃん [DVD]
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著作も出されております。

しゃべるねこ しおちゃんと僕。
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暑い時期に怪談を読む、と言うのも、
なかなか背筋が寒くなって乙なものです。
しかし暑さとは無関係に1年を通して読んでいる愛する怪談がある。
 
京極夏彦氏「嗤う伊右衛門」原作はおなじみ「四谷怪談」。
お岩さんと伊右衛門が出てくる有名なお話。
お岩さんというとどうしても顔の片側がケロイド状になった恐ろしい形相、
というイメージでおまけに伊右衛門も良い縁談話に気持ちが傾き、
岩(お岩さん)を殺そうとする人非人に書かれている。
最終的に自分が手をかけた人間たちからの、
「恐怖!戸板返し」の場面が待っている。
 
しかし京極バージョンの岩と伊右衛門の書き方は穏やか。
周りの人間ばかりがあれやこれやと欲望にまみれている。
伊右衛門も岩を殺さないし、若い女にふらつかない。
ずっと生きていても死んでいても二人の仲は変わらない。
却って、浮世の方がふたりには邪魔だったようにすら思う。
 
後にこの作品は蜷川幸雄氏の初監督で、映画化になったけれど、
京極夏彦の原作が好き過ぎて、怖くて本編を観ていない。
少しだけ予告を観たがそれで充分になってしまった。
映画化、という段階で既に文庫本は主役を勤めたふたりが、
宣伝のために表紙になっていた。それがまた良かった。
限りなく暗い色の赤で埋め尽くされたその表紙は、
ふたりの俳優の横顔が描かれ(唐沢寿明さんと小雪さん)
その真ん中にタイトルがまさに血が流れるかのようなデザインになっている。
余計なものを省いた、ふたりの親密さが魅力的で、
数ある表紙の中で敢えてこの表紙の文庫本が欲しかった。
 
しかし近隣の本屋にはなかった!
なので頼んだ!!すると、来たのは違う表紙だった!!!
 
がーーーん!!!!

 

warau_iemon2


あのショックは未だ思い出すと涙するところだ。
もちろん、届いた本の表紙も素晴らしい。
怖さと共に、ふんわりとした母性を感じる絵。
 
でも、でも、私が欲しかったのはそれじゃない。
私は泣き叫んだ(ウソ)しかし心の中では泣いていた。
けれど、目から入って来た第一印象の大きさは私を救ったようだ。
岩も伊右衛門も、あの横顔のふたりそのものとして、頭で反芻し、
読み進めることができたからだ。具体的な横顔のあの1枚は影響力強し。
だからこそ、ラストに辿り着くまでの悲劇は心が痛む。
なぜ、これほどまでに愛し合える者同士が引き裂かれなくてはならないのか。
京極版の岩はとても強く、崩れていない方の横顔はこの上なく美しいと描かれている。
伊右衛門も大雑把な表現をすると、のほほんとしていて、
ほんの少し女性の扱いが慣れていなかったりする。
悪人は最も悪人だし、壮絶な最期が待っているが、
それでも読後感は静寂が心を占める。
 
そこで、動画サイトでラストシーンのみ少し観てみたのですが、
音楽にトランペットが大きく使われていた。
ここはトランペットじゃなーーーい!
この映画に高らかなトランペットはいらなーーーい!
トランペット自体は好きだけどーーー!
と、心の中で叫び、ゆっくり映像を止めた。
かと言って私に音楽を選ぶようなセンスはない。
どうやら思ったより私の頭の中で、とことん京極版イメージが完成していたらしい。
ただ、棺で眠る(死んでいる)小雪さん(岩)に、
真っ白な内掛けがふんわりかかった姿は美しかった。
骸骨だった上体から足元に一端画面を移し、
もう一度上体が映った時、骸骨ではなく生前の岩の顔だったから。
あの場面だけは断片的に脳内に保存しておきたい。
 
どうも怪談にそぐわない興奮したアクション映画のような文章になりました。
今日も長文。おつきあいいただき、ありがとうございました。

 
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一番上画像が欲しかった文庫本の表紙。
真ん中の画像が美しいけれど違った表紙。下の画像は映画の1シーンから。

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どのシーンか、本と映画では違うので判らないのですが、
せつなさに溢れた良い写真だな、と思います。
互いに額を寄せ合う岩と伊右衛門。何と言う美しさよ。


嗤う伊右衛門 (角川文庫)
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上画像は、
この間少しだけ触れたフランスのストリップ劇場、
「Le Crazy Hose de Paris」の動画からキャプチャーしました。

ここの舞台に立つには、きちんとダンスや容姿のオーディションがある。
「裸の芸術(ヌード・オブ・ジ・アート)」と呼ばれるこのショーについて軽く説明をば。↓
 
◆旅行ツアーサイトより。
 
高級感が漂うジョルジュ・サンク通りにある、パリで最も前衛的なキャバレー、クレイジー・ホース。日本ではあまり馴染みのないキャバレーショーですが、世界各国、選りすぐりのダンサーが出演し、奇抜な衣装や舞台装置、エキサイティングな各種ダンスや歌などで楽しませてくれます。宝塚やミュージカルやバレエが好きな方などにも、本格的に楽しめるエンターテイメントの一つとしておすすめです。
 
ダンスは種類にもよるけれど、
ベリーダンス、ポールダンス、バーレスクはもちろん、
ジャズダンスも突き詰めれば色っぽさは必須条件だと思います。
 
幻想的な照明に合わせて、ゆっくりポーズを作るのは、
早い動きよりも体力、筋力がいる。
けれど彼女たちはすべて笑顔でこなす。大した根性の持ち主である。
アートとは言うけれど、偏見と欲望が渦巻くこの世界を選んだ彼女たち。
私はこういう強い女性達を尊敬する。
体つきを見ていても、ここでは裸になるわけだから、
隠すところを作らないのは当然となる。故にすべてが美しい。
デザイナーがショーのデザイン画を書き、彼女たちに指示をする。
お尻の丸みはこんなふうに。横から見た時のバストトップはこの位置に。
デザイナーは容赦なく体作りを要求する。彼女たちは笑ってオーケーと言う。
スタッフ側、ダンサー、照明、演出に至るまで、
プロフェッショナルが集結した完璧なエンターテインメントです。
 
このように、ストリップ万歳の人間が記事を書くと賞賛の嵐である。
このショーは1951年創業ということで、髪型もボブスタイルのものが多く、メイクも50年代風。
本格的なダンスに素晴らしいプロポーション、豊かな表情、どれをとってもプロフェッショナル。

公式サイトでは、壁紙やダンサー達の紹介があり、
ショーの一部も観られます。その他、顔だけ切り抜いて自分の顔をはめ込むという、
面白い企画もあります。華やかでショーそのもののようなサイトですが、
どのページでも、もれなく音楽が鳴るので音量注意。

crazyhorse_games

CRAZY HORSE PARIS 公式サイト
http://www.lecrazyhorseparis.com/


音楽CDも出ているらしいのですがまだそれは見つからず。
ここ数年の下着カタログでもこのようなセクシースタイルが話題でしたね。
もちろん日本の女性に合わせてありましたがそれはつまりフェイク。
それはもちろんビジネスとして合意した上で、
こちら側に提供される企画なので構わないけれど、
フェイクを本家本元と勘違いしてはいけない。
まずは基本を知りたい、と思い拙い筆ながら書いてみました。
まだまだわからないことだらけなので、もっと知れたらいいなと思います。

crazy-horse-pt
エロティシズム溢れるDVDのジャケット。


少し読書メモ。(注・抽象的です)
私の読むペースは非常に遅い。時期的な意味で。
流行だったらとっくに終了している頃に読む。

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数日前、小川洋子「ミーナの行進」読了。
とてつもない数のエピソードを盛り込んでいるのに、
ごちゃごちゃしていないことに驚愕。
読み始め、私自身があまりにも現実に没頭し過ぎていたため、
彼女の世界に入り込むまで時間がかかったけれど、
しっかり、のめり込みセーフ(?)
小川さんは基本、性善説というか、
登場人物を不幸にしない、という設定が、
せつないけれど救いになる。みんなぶっきらぼうだけれど優しい。
優しさを優しさとして表現しないところも秀逸。
物の考え方は何通りもあるのだと教えられた気がする。
ここでまたまた考える。忘却とは、死とは幸か不幸か。

□■□■□■□■□

今日は、ずっと前から購入していたけれど、
手つかずだったアゴタ・クリストフ「ふたりの証拠」読了。
「悪童日記」の続編ですがそちらは随分前に読んでいました。
続編を読むのになぜ時間を置いたか。正確には避けていたのですが、
その心は「悪童日記」を読んだ時に遡り、
読み始めると止まらなくなり、一気に読んでしまい、
数日ダメージを受ける、という個人的理由から。
物語の背景は残酷で痛々しいけれど描写は淡々と進むので、
こんな表現は一握りの小説に限りますが、残酷さが心地良かった。
前回名前の出てこなかった双子主人公の片割れに、
「リュカ」と名前がつけられていた。
彼の端正で冷酷な美しさが官能的だった。
ショッキングな経験は人間の感情を抑制してしまいますが、
リュカもまたそんな経験の犠牲者だと思う。
年齢にそぐわない冷静さも、彼の置かれた状況ゆえ、かも。
もちろん、お涙頂戴な描写は一切ありません。
そんな言葉は著者が拒否するでしょう。
しかし数日ダメージをわかっていながら、
やはり今回の作品も一気読み。明日から数日が怖いです(笑)
3作目も「読んでないよカテゴリ」の棚に配置しておりますが、
いつ手をつけるか判りません。
 
基本的に読者を突き放しているようで、
実はその世界に包まれている感覚に陥ることができる。
私はそんな作家さんが好きなのだろう。
素晴らしき「ふたりの作家」との出会いにつくづく感謝している。
荒い記事になりましたが、たった今の興奮をそのまま記しておきたく。はい。
 

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夕飯を湯豆腐にしよう、と決め、
ふと川上弘美の小説の中での湯豆腐を思い出し、
何を入れていただろうか、と気になって本を引っ張り出すと、
豆腐の他に春菊と鱈が入っていた。

鍋の中で、くつくつと少しずつ茹で上がるまっしろでつるつるの豆腐。
頬ずりしたくなるほどに愛らしい。
湯2出汁つゆ1の割合で混ぜたつゆに、お豆腐をそっと沈ませた。
箸でひとくち分割って口に熱々のを放り込むと、
鰹出汁の味がじわりと口の中に広がった。
湯豆腐は豆腐だけ、という人たちにはうちでの作り方は邪道だろうと思う。
しかし、おいしくておいしくて止まらない。最初は木綿豆腐を入れたが足りなくて、
明日の朝用の絹ごし豆腐も足した。食感の違いがまたいいったら。
放り込んだうどんもほうれん草もあっという間に鍋から姿を消した。
何となく日本酒なんか飲みたかったところだが、
食べている最中に買いに行くのも面倒だし、食べる方に没頭。
お腹いっぱいで幸せになった。

夕飯後、先ほど出した湯豆腐のセンセイ、
川上弘美の本「センセイの鞄」をそのまま捲る。これまた止まらなくなり読み耽った。
湯豆腐をする時、いつもこの小説を思い出し、みんなが寝た後、
心密かにひとりで涙してしまうのだった。

この小説は小泉今日子さんと柄本明さんが主演でドラマを見た。
あの作品も秀逸でいつかDVDを買おうと思いながら、今日まで来ている。

この本は、誰かを愛した事がある人なら痛いほどせつない話だと思う。
これを読むと恋に年の差なんてないだとか、軽々しく言えなくなる。
実った恋のその先には死が待ち受けているから。
本の中のセンセイは既にいつお迎えが来てもおかしくない年齢で。
けれど、いとしい気持ちは止められない。


  「 いつの間にやら、センセイの傍によると、
   わたしはセンセイの体から放射されるあたたかみを感じるようになっていた。
   糊のきいたシャツ越しに、センセイの気配がやってくる。
   慕わしい気配。センセイの気配は、センセイのかたちをしている。
   凛とした、しかし柔らかな、センセイのかたち。
   わたしはその気配をしっかりと捕えることがいまだにできない。
   掴もうとすると、逃げる。逃げたかと思うと、また寄りそってくる。」


恋しい人に新ためて「いとおしく」感じた時間を表現した的確な文章だと思う。

***

センセイの鞄 (文春文庫)
川上 弘美
文藝春秋
2004-09-03


本当の悪夢は、怖いものに追いかけられたり、
突然、穴の中に落ちるという類ではなく、
夢の中で、どんなに災難に遭ったとしても結末がわかれば、
それは悪夢ではなくて。本当の悪夢とは。


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小川洋子氏の「ホテル・アイリス」読了。
さあ、読むぞ、と意気込んで期待に胸を躍らせて読み始めたが、
あっという間に読み終わってしまった。
けれど読後感が非常に悪く、胸焼けのような胃がひりひりする、
あの嫌な感じによく似ていて私の頭は混乱してしまった。

どれほど一般的に言う残酷なラストが待ち受けていても、
彼女の紡ぐ物語で、好きな作品は何作かある。
むしろこの小説では(肉体的には)救われた、
そう考えてもいいはずのラストなのに何とも後味が悪い。
それは多分、冒頭部分に書いた文章のように、
きちんと物語が終わらない部分にあると思うのだ。
(もちろん、それがこの小説の肝なので批判ではなく)
ヒロインと一緒に短期間過ごす男は卑怯者だ。
最初から最後まで。なのに、謝りもしない。
もちろんだ。夢は途中で終わってしまったのだから。
目が醒める猶予もないまま、完璧に夢は途絶えてしまった。

ヒロイン、マリは美しい少女だ。大きな孤独を抱えている。心の中に。
酷く老成した態度の少女ほど、見ていて哀しい生き物はない。
幼い頃に大事なものを失ってしまうことで大人のような少女が完成する。
マリもまた容貌などは一切関係なく、世にも幸福で同時に不幸でもある出来事を、
少女という可憐な花であるはずの時期に背負わされた。
少女は少女という生き物は生き終わるとただの人間になる。
マリはこの物語の中の永遠の出来事によって普通ではない人間になるかも知れない。

では普通とは何か?悪い夢を見てもきちんと目が醒める人間のこと。
マリは目が醒める前に強引に夢から引き離されてしまった。
きちんと相手に失望したり、立ち直っていく前に。
無理矢理完結してしまったストーリーの迷路に取り残されたまま大人になっていく。
まだマリが少女の段階でこのストーリーは終わるが、
大人になったマリの姿を想像すると、それはあまりにも哀しい。

何かを失うと新しい何かを手にする、という希望の逆説があるけれど、
新しいものを手にするのは、ずっとずっと先の話で、
失ったものを解放しなければ手に入ったことにも気づかない。
気づかなければ絶望が待ち受けている。何に対しても期待をかけないという絶望が。
私はマリの無垢な美しい容貌に、その影を見てしまってやりきれなかった。

***

この間同じ小川作品で「貴婦人Aの肖像」を読んだばかりだったので、
「ホテル・アイリス」の作風のあまりの違いに驚愕。
しかし、物語に出てくる事柄は残酷だとは思わない。
エロティシズムと悲哀を感じた。読み終えたあと、
救いがひとつでもあったら、と思わずにはいられなかった。
ほんの少しだけ、愛がエロスを上回っていれば、
マリと同化して物語を進めていた私の中でこの夢は、
悪夢にはならなかったのかも知れない。
かと言ってこの小説が嫌いなのか、と問われれば、
間違いなく愛着を感じ大好きです。

小川洋子氏の小説に出てくる人物はキャラクター設定がしっかりしていて、
言葉遣いも時折、非現実めいているがそこがまた堪らない。
それから文庫版の表紙が物語の的を得ていてとても魅力的。
砂漠の中の美しく若々しい肉体。しかしその表情は見えない。
そう。登場人物の中で、マリと深く関わった人物以外、
誰にもマリの本当の姿を見抜くことができないように。



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