First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: 書き物関連

2022_0610_bungi19summer
お久しぶりです。
最近間を空けることが多くなっていましたが、私は色々ありつつも元気です。
元気に日常を暮らして、本を読んで、ちょっと映画やドラマなんかも観て(これは冒険なのだ)音楽を聴いて過ごしています。

さて、そんな中、今月6月10日発売の『文藝マガジン文戯 19』夏号(特集は「花火」)に幸坂かゆりの小説が掲載されました。文戯マガジンは「てきすとぽい」さんにプラットフォームを借りて文戯杯と言う企画があり、テーマに沿ったテキストを募集します。毎号発行される文戯マガジンのゲスト作家を決めるため、そちらに応募した作品から投票で決められた上位3位が文戯マガジンに掲載となります。

私は以前の作品ではありますが、自分の中では未完で終わっているような気がしてずっと気になっていた『涅槃の子』と言う作品を推敲し、ラストまで書き込んだ上で応募しました。作品を書いた当時はお題があったのでそちらの文章も消しました。
主人公に名前はついていませんが、誰にも言っていないモデルがいます。とある写真を見て一気に物語が広がっていきました。その作品をもう一度皆さんに読んでもらいたい、と思い応募して、ありがたく投票をたくさんいただきました。とても短いお話です。たくさんの方に読んでいただけるとありがたく存じます。ぜひお手元にどうぞ。

  

現在は私自身も個人で発表している「BCCKS」さんのみの取り扱いになっておりますが、もうじき電子書籍はAmazon他、各社にて購入できるとのことです。ちなみに紙版もございます。
詳しくはこちらまで ↓
『文藝MAGAZINE文戯19 2022 Summer』https://bccks.jp/bcck/173800/info



2021_真犯人フラグ_ラストの原稿
ひとつのドラマを追うのは久しぶりだった。
半年という期間、毎週このドラマを見てきた。理由は勝手に主演である西島秀俊さんのファンで「西島祭」と称して、色々作品を観てみようと思い立ったことと、このドラマの端々に文学が散りばめられていた所に魅かれたからだ。しかし「作中の現実」は想像を遥かに超える心の痛みを伴い、ラストは、心が千切れそうな喪失感があり、それでも、同時に浄化されるようだった。


  

『真犯人フラグ』(2021年10月10日 - 2022年3月13日、日本テレビ)は「考察ドラマ」と位置付けられたドラマのチームが制作と言うことで、その時と同じく、散りばめられた伏線を回収するため、考察をする人々でSNSが賑わった。私自身はこのドラマの打ち出すものとは裏腹に、考察要素を省いて観ていた。

オープニング映像は、デヴィッド・フィンチャーの『Seven』(1995)を思わせた。
細かく切り替わる映像と暗めなアート感がとてもかっこいい。筋書きは妻(こちらは子供たちもだが)が失踪し、残された夫が世間からバッシングを受けるという部分で、同監督作品『Gone Girl』(2014)を思い出した。事件収束自体は『Seven』並みのショッキングなものだったが、ラストは違った。

色々ばら撒かれているけれど、この物語の核となるのは大学時代からの友人として三人の男友達だと思う。主人公、相良凌介(西島秀俊さん)、河村俊夫(田中哲司さん)、日野渉(迫田孝也さん)。共に大学時代、文芸サークルに所属しており、彼らがサークル誌に寄稿した若い頃の小説のタイトルは結構禍々しい。(「蠢く臍の緒」「懺悔の小道」など。ちなみに古井由吉の著作「ゆらぐ玉の緒」なら知ってるぞ。)多分、彼らが若い頃は現在、文豪と呼ばれる作家のような、一筋縄では行かない愛憎を含む物語を書いていたのだろう。

事件について待ち合わせる場所の店名は『至上の時』(中上健司の小説タイトルの一部)。
店主は脱サラして店をオープンさせた日野。この店が自分の人生の完結作だと話す。凌介は大学時代のみんなの憧れだった女性、真帆(宮沢りえさん)と結婚し、子供に恵まれ、家を新築中だ。そして、河村は日本で一番売れているゴシップ雑誌の編集長をしている。そこに凌介と同じ職場で働く二宮瑞穂(芳根京子さん)や、凌介の娘の恋人である橘一星(佐野勇人さん)が協力者として加わる。もちろん、この後色々と問題は起こるが。

もう随分時間が経ってしまったので結末に触れていきます。
失踪事件は三つに分かれていた。子供二人は後に救い出されるが、真帆は世間が公にした頃には既に死んでいた。殺害した真犯人は河村だった。結果的に河村だけが若かりし日の愛憎の文学物語から抜け出せずにいた。もちろん思うだけなら問題はない。本来なら心にしまっておくか、自分で傑作を書くしか凌げない。河村は、文学に於ける才能が豊かで何もかもを手にした挙句、文学を捨てた(と思い込んでいる)凌介を妬みながら羨んでいた。だから大切な真帆を奪って殺した。仕上げに、大袈裟な演出で真帆の遺体と凌介を対面させ、憎しみや殺意を自分に仕向けるよう、挑発する。しかしそもそも挑発するという思考そのものが、凌介の中にはほとんどない部分だったと思う。

クライマックスでも、凌介はただ棺の中で眠る真帆だけを見て、真帆の亡骸に話しかける。
ここは凌介の性格を考えた時、とても自然な行動だ。彼はそれまで様々な憶測が流れようと、自分がどんなに酷い目に遭おうと、ただ真帆に会いたかった。そして形は違えどもやっと会えた。話したいことが山ほどあっただろう。真帆にひたすら話しかける場面は傍から見ると一方的に見えるが、凌介の中では会話が成立し、カウンセリングのような役目を果たしていたと思う。そこで初めてこれからを生きるためのテーマに辿り着き、本を書こうと思ったのだろう。

喩えだが物を創る人に対し、以前の作風の方が好みだった、と現在の作風の変化が好みに合わなくなりファンという席を立つ人もいる。しかしその空席には、また新たな誰かが座ることもある。生きていれば変化は当然だから。しかし以前の作風を忘れられず、距離を置くのではなく認めず動かそうとするファンがいるのも事実だ。そうなると創作以前に一人の人間に執着してしまうことになる。
河村がそうだった。河村は、表面的には生き方を変えたように思える凌介という人間に固執していた。固執と言うのは人を惑わせる。ひたすら円の中をぐるぐる回り続けるからだ。けれど私は思う。創作と生き方は自由なものだ。そうでなければ、と。

作中、凌介は頼りなくお人好し、という描かれ方をしているが、全篇見返してみると、案外言うべきことは言葉にしている(簡潔かどうかはともかく)。しかし本来持っている優しい性格が、彼をお人好しと言う人物にさせてしまっている。ドラマの最終回後、Huluで配信されたアフターストーリーにて、凌介もまた文学に関して挫折をしていたことが判る。それは河村にとって激しい悔恨の念に襲われる真実だった。けれどその挫折を知らなければ、多分凌介は真帆と一緒になっていなかったし、もしかしたら河村と同じ思考でいたかも知れない。

挫折を経験し、生き方を変化させたからこそ暖かい家庭を築くことができた。
それこそたまたま幸せになった訳ではなくて、真帆と一緒に努力をして作り上げた家族だと言うのが、そこかしこのシーンで描かれていた。そう言った意味でも、凌介は小説とは別の部分で創作を捨てていた訳ではないのだろう。一人の時間は大事だが孤独とは違う。人はずっと一人では生きられないのも凌介は既に理解していた。

何かを考える時、行動する時、誰かと関わらなければ決断もままならない。
ただ依存とは違う。依存は人を縛り付ける。人との関わりは信頼がすべてだ。信頼によって心は安定し、解放させることができる。それはパートナーでも友人でも誰でも。感情を言葉で伝え合いながら日々を過ごすことだ。このドラマはそのように生きて来た凌介の温かな眼差しで幕を閉じる。

僭越ながら、個人的にドラマで小説の話が出るごとに私自身と重ね合わせていた。
私も自分の書く物のテーマに日々変化を感じて来ていて、もう以前のように書けないのでは、と不安に駆られ、以前の自分と現在の自分が常に頭の中でせめぎ合っていた。しかし心の経験が増え、深みを増した時、テーマや作風の変化は自然なことだろう。

凌介を見ていて、身近な大切な人にどれほど小さくても生き方に変化が起こった時、意見を聞く耳を持ち、コミュニケーションを交わせるだろうか、と自分に問いかけた。コミュニケーションと言うのは大袈裟なものではないが難しい。心の変化に気づいたことを、先にも書いたが言葉にして伝え合うこと、そうした連絡を繰り返して行くことが、暮らしを、延いては人生を創り上げて行く。けれど時折忘れてしまう。そんな綻びで呆気なく失ってしまうこともある。ただ、もしもそれで離れてしまっても、人は別れても別れても誰かと出会う。いつだって変化する渦中にいるのだ。私は創ることと愛を同列に考えている。

そして改めて思うのは、たくさんの登場人物がいること。
このドラマの凄い所のひとつに、すべての登場人物に主要なシーンがある所だ。どれほど悪事であろうと、彼らが登場する場面に来るとみんなそれぞれが主人公になる。端役というものがない。演者のことを考えないとできないことだろうと思います。
真犯人を追うドラマではあるけれど、そこに集まる人間たちが織り成す関係や、過去から連なる物語を描くことは外せない部分だと思っております。みんな始めはちいさな嘘で、隠し事だった。それらを明かさず秘めてしまったことから悲劇が重なった。けれど人の数だけ人生があり、感情が動く。相手を思いやるからこその悲劇だってある。このドラマを観賞できて良かった。素晴らしかったです。偏った感想ではありますが絶対に書き残しておきたいと思いました。


   

そんな訳で(長いw)
心臓に悪い半年間ではありましたが(失礼か)最終回を迎えてからは時折、好きなシーンを選んでは繰り返して観ています。個人的に、随所に登場する食べ物がとても美味しそうなので夕飯の献立の参考にしました。すみれさん(須藤理沙さん)、光莉ちゃん(原菜乃華さん)、篤人くん(小林優人くん)の合作と言ってもいい、鶏むね肉塩麴カレーマヨソースとかサクサクのコロッケ、真帆から菱田さん(桜井ユキさん)に受け継がれたがめ煮、一星(佐野勇人さん)と光莉ちゃんが出会うきっかけになったパン、あんバターフランスとか。あ、書いててよだれが出て来そうになりました(笑)

ちなみにドラマのタイトルはもちろん視聴者を意識し、マーケティングした上でなくてはならないのでこのようなタイトルになったと思いますが、十分、文学的なタイトルでも似合うと個人的には思っています。ああ、1話から思いついたことを語り尽くしたいところですが、このままだと終わらないのでそろそろ筆を置きます。ここまで読んで下さり、大変ありがとうございました。

主題歌はNovelbrightが歌う『Seeker』という曲です。
歌詞を読むと、身につまされるような想いに駆られます。とても情熱的で良いです。



※メーカー特典付きDVDには凌介の職場、亀やん急便のボールペンがついて来ます。

「真犯人フラグ」DVD-BOX
宮沢りえ
バップ
2022-08-03


※もう売り切れておりますがこういうムックが出るほど話題になったのですね。



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冒頭の画像は、最後のシーン。
真帆に捧げる物語の1ページが既に始まっている。きっと優しい小説だろう。読みたい。

IMG_7236
2021年初の更新になります。遅い(笑)
こちらを訪れてくださる皆さんはお元気ですか?
急な寒さなどで体調を崩したりしていませんか。
暖かい飲み物でも、一緒に飲みましょう。

そして、私自身ですが、
昨年失ったものが私に思いの外、大きな打撃を与えていたようで、
急速に生み出したくなった。多分、物語を。
Twitterでは、日々日常の献立などをつぶやいていて、
料理もどこか創作だとは思うし、もちろん必要で嫌いではないけど、
充実感があるのはやはり物語に没頭できたあとだった。
ある日、父に次の日の些細なことをメモに残したとき、
余白が残ったため、適当なイラストを書き込んだ。
何だかわからない生き物だったのでそのまま、
「謎のいきもの」としてTwitterに載せた。

その謎の子が、度々メモをつける中で色んな表情を発して増えて行き、
結果、名前をつけようとアンケートを取った。
謎のいきものは、にゃぞ子、と命名した。
他にも候補があり、提案もいただき、そのお名前も可愛いので、
今後登場させたいと思っている。
にゃぞ子を描くのは楽しい。下書きも何もしないで描くので、
本当に謙遜でもなんでもなくシンプルに下手なのですが、
私の指そのままに、にゃぞ子も必死に応えてくれるので幸せになる。
何より、にゃぞ子はずっと生きている。私がいくらでもエピソードを生み出せる。
猫たちと暮らした日々が残り、ぽっかりした空間に突如、にゃぞ子がやって来た。
偶然でも、いや、偶然だったからこそそれは不意に私の胸に住み着いたのだろう。

そして、つい昨日のことだが、再びTwitterにてハッシュタグでお題が流れて来た。
「あなた、桜、涙」という言葉を使って文章を作る、というものだ。
むくむくと書きたくなって、文字数が決まっているひとつのツイートでは足りなくて、
そこからみっつほど続きにしてとても短い場面を書いた。
もちろん、推敲を少しだけしたけれど送信してから重複していた言葉が気になり、
ひとつだけ削除してツイートし直したけれど完成させた。

こちらから読めます↓

思えば、物語として文章を書いているとき、すべての日常が消え去り、
「あなた、桜、涙」の場面しか頭の中になかった。
物語を作ることは、私自身のカウンセリングになっているのだろうか。
にゃぞ子も、急に参加したお題の文章も、書き終えて、
ずっと必要としていたものだと判った。

音楽や、スポーツ観戦(主にテレビ)など大切なものはたくさんあるけれど、
それらを愛して行ける器を作り、ろくろを回し、
更にたくさんのものを愛せるように器を広げて行く必要があった。
器の栄養素は物語を創作することだった。
悲しい現実も、届けられなかった花束も、創作の中では喜びに変えて行ける。
支えになって、心の器にまた少し余裕ができて栄養を注ぎ込める。
ただ時折、忘れてしまうだけだ。だからこれからも何度も忘れて、
それでもしぶとく思い出していけたらと思う。
にゃぞ子も、哀しみの小舟に乗った桜を見る「僕」も私の一部分なのだろう。

冒頭のイラストが突如誕生した、にゃぞ子です。
これからも色んな彼女を描くので、見てね(笑)
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こんな感じで色々な姿を見せてくれます。
私ですらどんな彼女が出て来るのか予想できない。

今年1月、それは突然のこと。
文学フリマ、というものへの参加が決まった。
決まった、というより私からフリマのための作品を書かせてもらうことを頼んだ。少しだけ細かなルールがある中、昨年いたサークルを抜けてから初めての執筆だったので、自ずと力が入った。しかし完成した作品はどこか脱力するような、猫と青年の物語になりました。私が締め切りぎりぎりの参加者公募に滑り込んで書ける権利を手にしたそれは「猫アンソロジー」という猫への愛に溢れた企画でした。

こちらの「猫アンソロジー」は「コハク燈」さまにて、現在も販売されております。
可愛らしい表紙の他、中にも惹かれてしまう猫たちの絵が散りばめられ、更にはたくさんの作家さんの猫愛に満ちた力作が収録されております。絶対微笑みがもらえます。ぜひ一家に一冊お手元に!

😽猫アンソロジー「手のひらに猫」2020/01/19 発売
手のひらに猫表紙
😸お求めはコチラから↓ 本の他にも雑貨などがあり、楽しいショップです。


この1月以降は、しばらく自分の作った猫の物語について憑依しており(笑)
なかなか新作が完成しませんでしたが、アイディアはたくさんあり、中には書き始めているものもありますのでこれは2021年に向けますね。一年に一作でもいいから納得したものを書いて行きたいと思います。ちなみに私が書いたアンソロジー作品「永遠の恋」の黒猫マリのモデルはうちの愛猫、ななちゃんです。

この子
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少し吊り上がった大きな瞳でとても利発な子でした。可愛いでしょ♩
さて、そんな訳で執筆は一朝一夕でできるものではないので、そこを痛いほど理解しているため時には焦燥も抱えてしまいますが、まだまだ廃れるには早い。書きたいことがある。書かないと化けて出るくらい後悔する。だから2021年になっても、書いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

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今年に入り、小説を書くことが難しいと感じるようになった。
文章を書く時は、上手かどうかはさておき、いつもためらったりしなかったのに。
必要以上に筆が止まるのがもどかしい。どうしてなんだろう。

しかしそれにはきちんと理由があって。
いくつか原因になる事柄なんかも考えた。以前よく投稿していた場での「書き癖」があったり、日常の変化で本を読む頻度が減っていたり…etc, etc, でも一番の理由は、多分これだ。
「きれいに書こうとして、かっこつけるようになっていた。」
ちょっと気取ったふうに、小難しく見えるように。もちろんそういう文章が好きだからだけども、自然に出てくるものでなければそれはそのまま不自然になるし、肝心の思いが伝わらない。

だからここ数日、自分の過去の小説や読書感想、このブログなども振り返って読んでみた。
日によってかなり差がある。もちろん調子が出ない日もあり、それは(多分)自分にしか判らない部分だけど、それでも残すからにはある程度の水準というのかな、自分の中の尺度でその水準を満たしている文章だけを残したいと考えている。
その水準を上げ過ぎたのだろう。書き始めから妙にきれいに書こうとしてしまうものだから、肩に力が入って緊張して、つっかえて、言葉が繋がらない。今もまだ少し指が止まるけれど、それは新しいPCの文字入力に慣れていないという理由もつけておく(笑)その上で、意識してかっこつけていない分スムースではある。ただ文章自体はきれいではない。簡単な言葉ばかりだし、情報量も少ない。本来ならばもっと緻密で、きめ細かくなだらかで、短くても長くても情報量がぎゅっと詰まった重いケーキみたいな文章を想いを込めて書きたいと思うが、そうやって最初の一行から無理するから(笑)脱落すんねん(突然の関西弁)

そう。このように、色々ごちゃごちゃ絡めて、お喋りみたいな部分があるのが実は私の文章の特徴なのかな、とも最近、思ってきている(あまり認めたくなかったけど…)で、ぺらぺら喋るように書いて調子が良い時は上等だと思える比喩が生まれたりする。要するに日記的な感じでもう少し以前のように、ちょこちょこ更新していないと実際に紙に書く時のように書き方を忘れてしまうんだろう。学生じゃないから毎日ノートをつける訳でもない。大人になったらスケジュール以外に自らの感情を書いて行かないとスムースからは遠く離れてしまう。気づいているようで実は一番忘れやすいことだ。反省。

さっきからスムースという単語を何度か使っているけど、私が書くことで大事にしているのがこのスムース(smooth)という部分。だだだーっと書けること。もちろん推敲込みの話で。そこが強みだとも思っていて、1から書き出して100も1000も書いた中からいらない箇所を見つけて削る、という「大幅な推敲感覚」が私に必要なスムースで、それができないと来れば…焦りもしますね。自分の色だったり核だったりする部分なんだから。そこに気が付けて幸いだった。ずっと書けない理由も判らず、ただ慌てていたって解決しなかった。

そんな訳で、こうしてただ喋るように書く、という大事な部分、多分過去にも何度か書いているであろうこの部分をもっと意識的にやっていかなければ、と思う。いつでも本番に備えられるよう、普段から言葉の柔軟性を鍛えておかなくてはならない。ちなみにこのスムースは読まれて初めて活きる部分。書く時は表すものの倍以上、言葉が必要になり、そのあといらない部分を削る。当然、文字数は少なくなるが、それは大事なスムースのために必要な作業。

現在、夕飯の献立を考えるだけで憂鬱で、しんどくなってしまう精神状態だけど書くことは放棄できない。私は書くことしかできないから。もう、この間51歳の誕生日も迎えたことだし(これは大きい。もう人生の半分以上を生きているということだから)言い切ってしまおう。私にとって書くことは、脳から心を通って指先へ伝わり、PCのキーボードへと流れだし、視覚で感じること。生きてる、と。

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※画像は StartupStockPhotosによるPixabay より。

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昨夜、かなり長いこと寝かせた小説を蔵出ししたところ、
ものすごい下手さが湧いておりました。
ストーリーも、文章も、結びに向けての抑揚もおかしい。

2004年。私はこんなに回らない頭を持っていたのか、と今思います。
元々、エンターテインメント小説とは程遠かったのは確かですが、
それにしてもひどい。まずあり得ない状況が登場人物を悩ませている。
いや作者(私ね)気づけよ、気づかせてあげなよ、と頭を抱えました。
もう完成してしまったものは仕方ないので、
できる限り推敲、改変して小説ブログから、
大澤誉志幸さんの曲名を作品にするブログ、
「ソファーの上でロマンスを」へと移動して掲載しました。
これは、突っ込みどころ満載の掌編です。承知の上です。
しかし恐ろしいことに推敲する前の2004年のオリジナルは、
もっと酷かったということを考えると、マシだ!と思えるのです(作者がw)

軽く作品の内容に触れると、
恋人同士だったのに何らかの事情で会えないまま数年過ごしている。
ある日突然、女性宛てに送られてきたのはグアム行きの片道航空券。
差出人に名前も書いていないが字に見憶えがある彼女は行ってしまうのです。
そこで送り主の彼と再会するのですが、これまで会えなかった理由が酷すぎる…。
2004年のものは何度も書きますが更に酷いので、そのエピソードは丸ごとなくしました。
なので、何か起こりそう、しかし何も起こらない。ドキドキハラハラ、
…いや、ちょっと待って。そのまま!?  と、いうところで終わります。はい(笑)
すいません。山なし小説でございます。雰囲気を楽しんでいただけたらと思います。

なぜ舞台がグアムなのかと言いますと、
以前大澤さんのファンクラブにて物語と同じ日付にてグアム旅行の計画があったのです。
私はもちろん参加できませんでしたが、行ったような気分になるためにその日の月を調べ、
当初のタイトルには副題にファンクラブでついていた名前「Sweet Honey Moon」を、
お借りして付けていました。ハネムーンと初蜜のような月。発想はいいですよね(笑)

ただ、お話をかなり替えたので無駄にハードボイルドなシーンが入ったりして、
本当に何か起こりそうな気配がぷんぷんする小説となりました。
どうなったかは、あ、あなたの目で確かめてみてください!<(_ _*)>💦
ちなみに「g.o.a.t ブログ」、文字規制があるようで一気に載せることができず。
図らずも前後編に分かれてしまいました。
決して長くないし、引っ張りたくなかったので少し残念です。
もしよろしかったら作者がここまでボロクソに言う小説、興味本位で読んでみませんか?w

タイトルは大澤誉志幸さんの1998年のアルバム「Love Life」より、
「Private Heaven」と名付けました。優しい愛に溢れた傑作のアルバムでして、
その優しさと溢れ出すポップさをぜひ、小説にしてみたいと思っておりました。ぜひ。

ヒロインのイメージは我が家にいた猫、ななちゃん。冒頭画像の女の子は、Inka Williamsちゃん。気が強く、それでも包み込むようなまなざしを持っていることからイメージ画像にしました。

◆前編


◆後編


大澤さんのアルバムはコチラ↓

LOVELIFE
大沢誉志幸
ダブリューイーエー・ジャパン
1998-04-25

さて、遅くなりましたが新年一回目の記事です。まずこのご報告から。

幸坂かゆりも小説で参加させていただいた、
小説9編、イラスト9点が収録された本、猫アンソロジー「手のひらに猫」
2020年1月19日(日)文学フリマ京都にて、いよいよ販売されます!
主宰の笹波ことみさん(@kxtxmi)は「コハク燈」という創作サークルにて、
小説やイラストなどを書かれています。


◆文学フリマ京都

◆猫アンソロジー「手のひらに猫」
手のひらに猫表紙
表紙イラストはalmaさん。Twitter →(@alllma_original
A5判二段組/152p(カラー9p含) / 1200円
【さ-03】コハク燈ブースで頒布。

猫と暮らす世界は、
陰惨な未来も絶望も、何もかもがない世界。
手のひらで、猫の柔らかさに触れてみて。
その一瞬でしあわせは永遠になる。
ぜひ当日、お手にとってご覧ください!

なお、通信販売でも購入できます。
(「猫アンソロジー / 手のひらに猫」は2020年1月19日に販売開始)
しかし他の作品も表紙からして素晴らしいので、私もぜひ購入しようと思います。

◆Webショップ「KOHAKUTO shop コハク燈」
https://kohakuto.booth.pm/



今から楽しみで、どきどきします。もうあと少しですね。
昨年3月に、笹波さんの募集に声をかけてからこつこつと進めて参りました。
参加が決まった時に、自分が担当する猫の毛色を指定する、という条件がありまして、
わたくし、迷わず黒猫を希望しました。
そこから間もなく書かせていただけることが決定しました。

うちには猫がいるし、もちろん大好きだし、書きたい、書かせていただきたい、と思いつつ、
大事だからこそなかなかストーリーも浮かばず、夏になる頃までまったく白紙状態でした。
その後、ちらちらと脳内を駆け巡るものがあり、やっと手をつけることができました。

あらすじを少々。
大学生の一人暮らしの主人公の許に突然現われたメスの黒猫。
黒猫は野良で、飼い主がいない。しかしとびきり美しくしなやかな彼女を、
放っておくことができない。さあ、どうなる!

いえ、特にサスペンスでもなんでもありませんが、説明が下手で(笑)
脳みそを空中浮遊させ、自由に自由に書かせていただきました。
そんな幸坂かゆりの小説、タイトルは「永遠の恋」です。
熱過ぎない適温ロマンスが大好きな私の得意分野でございます。
どうか皆様、行ける方は当日、ぜひ、お手にとってご覧くださいませ。
どうぞ、よろしくお願い致します。

/ 追伸

文学フリマ京都は大盛況のうちに幕を閉じたそうです。
当日、私はその場に行けなかったけれどSNSや、同じく参加された皆様からの、
ダイレクトな生の声を読んではわくわくしていました。
余談ですが、その日は一日中眠かったので、
多分、魂の半分くらいは京都に飛んで行ってたのでは、と思います(笑)

参加が決まった時点で、進捗状況もこまめに報告していただき、
その都度、連絡を取り合えて不安になることもありませんでした。
実に気持ちの良いお仕事ができて洵に感謝しております。
今回は本当にありがとうございました。
また縁がありましたら参加させてください。

猫アンソロジーバナー
新元号が決まりましたね。

「令和」

しなやかで強そうなかっこいい元号だな、という印象です。何もわからないけれど希望を感じられるという心持ちがとても心身に良い影響を与える気がします。

さて、話をいきなり自分に寄せますが、
3月1日に発行した新刊「君と僕の記憶のすべて」から、はや1か月経ちます。
時が過ぎるのが最近本当に早く感じます。そこから3月31日に、
こっそり表紙デザインと内容を変更し、BCCKSさんから紙の書籍の販売も行いました。
もちろんこれからも無料で読むことはできます。
ただ単に著者が紙と言うもので手にしたかった、というのが理由です。
そんな訳で紙の方は売り上げ0ですが閲覧して下さった方が60人もいらっしゃって、
EPUBも13冊ダウンロードしていただいております。大変ありがたいことです。
kimi_boku8 kimi_boku1 
右が最初に発行した時の表紙
左が31日にこっそり変更した表紙
(どうしても画像の大きさが揃わない…)

その後、以前参加させていただいていたサークルを離れ、
これからどうしようかと考えていたところ、
ツイッターにて来年の文学フリマに発表する予定だと言う小説を募集しているのを見つけました。
しかもその内容は「猫アンソロジー」!
「手のひらに猫を乗せるしあわせ」とキャッチコピーがついていました。
冒頭の可愛らしい画像が「猫アンソロジー」のバナーでございます。

そちらを笹波ことみさん(@kxtxmi )が主宰で 書き手さんを募集しており、
締切日に知ったのでギリギリのダメ元で応募しました。何とか間に合い、
そこから応募要領の条件を満たした方を選別し、当落が決まる、とのことでした。

それから数日後、メッセージが届き、幸坂、当選いたしました。
私は黒猫が出演する物語を担当することになりました。締め切りは9月22日、
何としてでも傑作を書きたいと思います。がんばれ私。
まずは一ヶ月間、猫の書籍群を読み、そこからテーマを決めて書き始めようと思います。
アイディアはいつも書き留めておけるようにメモを持ち歩いております。


先月は悪夢のような鬱状態に悩まされて何もできない状態でしたが、
カウンセリングの場で思い切り感情を出せたことが良い方向に向かったようで、
もちろんまだ気は抜けないけれど、それでもふつふつと元気は復活しています。
これから春もやって来るし、私のスピードを保つことを忘れず、色々行動できたらと思っています。
あ、それからもうひとつ発表したいことがあるのですが、それはまだ少し時間がかかるので、
完成次第、ブログにて報告します。久しぶりにブログを書くと、まあ長くなりますわ(笑)

ではまた近い内に!

kimi_boku1
幸坂かゆり / 著「君と僕の記憶のすべて
2019年3月1日、BCCKSさんから電子書籍として新作の本を刊行しました。
タイトルをクリックすると本の詳細ページに飛び、そこから読めます。
完全無料公開しておりますのでぜひご覧ください。

しつこいくらいあとがきや解説にも書いたのですが、2006年頃から2018年にかけて書いた小説の中から12篇選んで1冊に纏めました。過去のブログや掲載していただいたサイトの作品もありますが、今回本に纏めるということでかなり執拗に推敲し、中には物語が変わってしまったものもあります。そのくらい成長しているのだ、と思いたいです(笑)

この本を作ろうと思ったきっかけは2006年から書き続けていた「微?エロで32のお題」というお題サイトさまからお借りした32編の物語が2018年にやっと書き終えたからでした。
書いている途中でお題サイトさん自体が消滅してしまった、ということもあり、実際自分でも途中で投げてしまおうかな、とか思ったことは一度や二度ではありません。
それでも半ば意地と、やはりどこか最後は自分自身で読みたいと言う自己満足的な部分があり、この32編を1冊に纏めて本にしよう、と思い立ったのが発端です、が、いざ纏めてみるとなんというまとまりのなさ。酷すぎました(笑)そのままだと自分の好きな作品もおかしなふうに見えてしまうような違和感。そういうものを感じまして色々削っていくうちにどんどん違う内容になり、32のお題も関係なくなり、気づくと私がこれまで生きてきたことをまるで彼岸から見ているような不思議な物語が集まりました。

表紙の無防備に肢を投げ出して毛づくろいをしている猫は、らむ子さん。
かゆり家にいてくれたやさしい女の子です。彼女の写真を偶然見つけて表紙にしようと決めてから、タイトルも内容もすべて変化したほど彼女の存在は圧倒的でした。そんな彼女の写真からは「あんまり攻撃的なおはなしじゃないほうがいいよ」というメッセージを向けられているような気がしました。まともに顔も映っていないのになぜだか私に語りかけてくれていました。らむ子さんはやさしい子だったから…。私は彼女のメッセージを受け、できれば表紙に恥じないような本にしたい、と思いました。

3月1日、というのは自分が決めた締め切りです。
これだけはどうしても守りたかった。編集者がいないので自分で規制を設けるしかありませんでした。そんな訳で過去作品の推敲のすさまじさは格闘としか言いようがありませんでしたが、随分読めるようになったと思います。
そしてタイトルにもなっている「君と僕の記憶のすべて」はこれまでの作品の中でいちばん素直で、自分に近くて、希望も見える大好きな作品になりました。本なので随分字数も増やせることができたので削ってきたものをすべて注ぎ込めました。なんてことのない物語、と言ってしまうのは容易い。けれど私が考える小説はストーリーありきではなく、心の記憶と風景の描写がまずありき、なのです。まだまだ修行しなければならない部分は山ほど見えますがそういった折れることのできないものが自分の中にあるのなら大丈夫だと思えます。
何だかだらだらと書いてしまいましたが、そんなふうに思えたこの本。今回は電子書籍ですが、ゆくゆくは書籍化にもする予定です。そこは自己満足で私自身が紙で読みたいというだけです。値段もつきますし、もしもそれでも購入したいという方がいてくれたら非常に嬉しいことです。

とにかくです! こうして無事刊行できた大事な新刊。
ぜひたくさんの方に読んでいただきたいと思います。ぜひご一読くださいませ。

こちらも好評発売中です。↓ ※アフィリエイトではありません。



花の名残り
幸坂かゆり
BCCKS Distribution
2015-08-17

※この文章は、とあるWebの公募に応募したものです。落選してしまいましたがこの日のことは今でも瞬時に思い出すことができます。ひとつの思い出としてブログに残しておこうと思いました。
uchi_sora
20代後半の頃、現在のカフェのような軽食喫茶に勤務しており、
仲の良い女友達が仕事帰りに時々寄ってくれた。その日もそうだ。混雑した昼も過ぎて客の減った店内で私は少々疲労があったが、何かを言いあぐねているように見えたのでしばらく自然に任せて黙っていた。やがて彼女の方から口火を切った。

「あたし、結婚することにした」

彼女とは小学校から高校に入るまでずっと同じクラスだが性格は正反対だ。私は内向的。彼女は好奇心旺盛で行動力がある。そんな私たちは行動範囲が違うので一緒にいることは少なかったがなぜか気が合い、ふたりで旅行などに出かけた。20代になると彼女は同じ職場でアルバイトをしている大学生の恋人ができた。彼とは喧嘩と仲直りを繰り返しながらも続いていたが大学卒業後は実家のある街に帰ると言う。彼の実家は海を越えた遠い場所だが彼女に一緒に来て欲しいと言った。つまりプロポーズされたのだ。しかし彼女はこう答えた。
「結婚なんて考えたことなかった」
私と彼女の気の合う部分に、結婚に憧れを抱いていないという点がある。そのため、他の友達が婚活などの話を始めるといつも饒舌な私たちが困って黙り込んでしまう。それが突然現実として彼女の眼前に迫っている。私はただ彼女の戸惑いや葛藤を聞くことしかできなかった。

そして彼女が考え始めてから数週間経ち、出した答が先ほどの言葉だ。私はメレンゲが溶けていくようにまろやかな気持ちになり、瞬時に『おめでとう』と口に出していた。海を越えた街で暮らすことを選んだ彼女に、心から幸せになって欲しいと思った。彼女が店を出た後、スタッフに『先を越されたな』と冷やかされたが、もしも言われたのが私ではなく彼女なら辛辣で的確な言葉を返すだろう。彼女は彼について行くのではなく彼と一緒に暮らし、一緒に何かをしたいと考えたから決めたのだ。そこに先も後もない。
そこから双方の話はすぐに決まったが出発にかなり日にちがあったので『少しの間ここでバイトしない?』と話を持ちかけると彼女は喜んで提案を受け容れた。

ところが、同じ職場で終始一緒にいるようになると、元々の性格の違いが炙り出されたように彼女は信じられないほど感情的になった。普段何を言われても冷静に言い返せる彼女が雑誌の占い如きに涙ぐむようになり、同様に普段気にしないようなことに怒りを爆発させた。感情の波が激しくなった彼女のどこをどうなだめたら気持ちが落ち着くのか把握できず、私はしばらく彼女を友達だと思うのをやめた。毎日は殺伐としたものとなり、気軽に一緒に働こうなんて誘ったことを悔やんだ。そのままで彼女のバイト期間は終わった。

すると、憑き物が落ちたように私たちの仲は元に戻った。何の理由もなく突然に。私は彼女にバイト中の様子を伝えると、彼女も自分の何かがおかしいと感じながらどうすることもできなかったのだと教えてくれた。そこからはふたりで反省し合い、歩み寄り、きちんと話をした。彼女だって感情の起伏くらいある。それは私にも言える。今回のことで私たちは初めて苦い経験を味わった。けれどもう何のわだかまりもない。そしてあれはマリッジブルーだったのかも知れないと今なら思う。

出発当日、私はあらかじめ見送りはしないと彼女に伝えて店にいた。しかし突然彼女が店にやって来た。
「え? どうしたの? 飛行機の時間大丈夫?」
「皆さんにもお世話になったから」
彼女はスタッフ全員に挨拶して回り、私の前に来たところで立ち止まった。
「今度......」
彼女が改まって言葉を止めた。
「うん」
「遊びに来て。いつでも気軽に」
彼女は私の手をぐっと握ってから店を出た。窓から彼女の後ろ姿を目で追うと何度も振り返って手を振ってくれた。私も彼女の姿が見えなくなるまで手を振り返した。

その後、彼女は離婚したが帰ってこなかった。とても住みやすくて面白い街だからと言うのが理由だ。現在40代になった今も私たちは飛行機に乗って互いの住む街に会いに行く。変わらずに話は弾む。おまけに年齢を重ねて話題も増えている。遠い街でひとりになって歩く彼女は世間と言う遮るものを素早く翻し、とてもしなやかだ。いくつになっても楽しく笑い合える女友達。沢山の経験を踏まえた私たちは絶対これからの方が楽しくなる。そう確信している。

※ ※ ※

信頼のおける「おんなともだち」を持つのは宝だと思っています。それは心から強いものです。その強さは常識をアップデートしない人たちの言う「女は強い」という概念ではなく、竹のようにしなる臨機応変さだと思うのです。「me too」運動も起こる昨今、時代は見えないところで変化しています。
「おんなともだち」は細やかで勇気があります。
時にきつい真実を投げかけ、時にそっとしておいてくれる。そして私からも発する彼女たちに対する細やかさや伝えたい言葉も受け止めてくれます。年を取った時、自分で稼いだお金、保てるだけの健康、おんなともだち、と言う三種の神器が存在してくれれば、鬼に金棒、基、悔いなく笑ってあの世に逝ける気がしています。そんなことを自らの経験から今回のテーマで書いてみたいと思いました。

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