First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: Love Life

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「大人になるたびに純粋になっていく」
今でこそ耳に馴染んだ気さえするこの言葉を初めて聞いたのは、
平成3年、旭川の野外ライブでの鈴木雅之さんのMCの中でだった。
ひどく印象的でそのライブはそこを中心に、偏って記憶している。

年齢を重ねる内に記憶力が曖昧になって行くのは悪い事とは思わない。
むしろ、そのまま全部、記憶を持っているのは辛い事も多くなるから、
カミサマが「忘れる」と人間に備え付けて、
動物を作ったんじゃないかなんて思う。
好きな人の事は絶対に事細かに憶えていたいけれど、
どんどん細かい記憶はすり変わる。変化していく。
人生の最後に憶えている記憶は僅かなのではないだろうか。

何故急にこんな事を思ったのか、
それはやはり、また好きなサイトさんが閉めてしまったから。
以前も書いたオーナーさんが運営していたもう一つのブログだった。
そこは、賑やかな場所ではなく病気を抱えるオーナーである彼女が、
静かに自分のペースで更新している場所だった。
昨日、更新していたので見に行ったら、さよならの言葉が待っていた。
彼女の気持ちを思うと決して悪い事ではないけれど、やはりただ淋しい。
私はまだブログを続けようと思うけれど、
この先何が起こるか判らないから断定はできない。

でも、とりつくしまもない、と言うのかな。
あまりにも呆気なく、トランクを抱えてポン、と、
去って行ってしまった彼女の背中を、追いたいとも思う。
彼女はとても繊細な人だった。それでも人を傷つけなかった。
以前の記事で私はもう一つの人気のあったブログも、
きっぱりやめた彼女の事を「潔い」と書いたけれど、
ごちゃごちゃ言う方が楽なのに、敢えてそんな事を言わずに去って行く彼女は、
沢山傷ついて来た人なのだろう。色んな辛い記憶を抱えていたのだろう。
それを飾る事なく書いていた。
その彼女こそ、大人になるたびに純粋になっていく、そう思わせる人だった。
そんな彼女が、たくさんの笑顔に包まれて過ごしていますように。
そう願わずには、いられない。

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今日は、
昨日書いた通り、パソコンの中のファイルの整理をしました。
それでも、またしても保存か削除か現実の片付け同様、迷いに迷った。
心の荷物も目に見えない、掴めないモノなのにね。
こうしたら軽快になる、という法則はない。
日が長くなり春の訪れと共に少しだけ軽くなったかな。なれると、いいな。
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姪が突然送ってきた仔猫の写真です。
かーわいーい♪ 春は猫も浮き立つ季節だ。ああ・・・。

相反するもの、が好きだ。
哀しみを哀しみで、喜びを喜びで、表現するものは苦手だ。それは「芸術」に関してだけれど。

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今夜の「夢・音楽館」のゲストの一人、クミコさんは昨日も書いたが、作家、田川ミメイさんのご友人である。私はクミコさんの曲を実は初めて聴いた。

1曲目は「翼をください」
小学生の頃初めて聴いて、なんていい曲だろう、と思った曲。その歌い出しから釘付けになってしまった。ふと見ると微笑みながら歌うクミコさん。この人がクミコさんかあ、とじっと見た。イッセー尾形さんとのやりとりを挟み、再び曲へ。

「わが麗しき恋物語」
白いドレスでピンク色の照明の中歌い出すクミコさん。
人生は愚かだ、と歌うクミコさんは、でも決して「愚か」だけではない感情を含んでいる。淡い微笑みも手の中に残る孤独も、クミコさんのまなざしは、深く深く人生を物語る。

私はこの曲を歌うクミコさんを見て涙が止まらなかった。表現、とは人に伝えるもの。下手すると、その中で自分を見失う危うさを持っている。クミコさんの歌は命をかけているようにも見えた。けれど、それは弱々しいものではない。その命の表現に私は涙したのだと思う。

その後、またトークに移ったのだがイッセー尾形さんが、彼女が歩いて立ち止まった所はすべてステージになる、と言っていて感心。そしてクミコさんはそれに対して自分が公園に行った時のエピソードを話した。

緑の中にいる時、自然に歌が出て来た、と。それは「声」であって「言葉」ではなかった。「シャバダバ~」で歌ったその歌は確実に自分の為に歌ったものであった、と。そんな方法を知っている人だからこそ、あんなふうに歌えるのか、と思った。彼女の曲は聴いてみなければうまく伝えられない。こんな下手な感想なんかより聴いてみるのが一番早い(笑)

そして、私を泣かせたクミコさんは、最後に「わたしは青空」というまたまた涙腺を刺激する歌を歌った。けれど悲しい涙ではない。クミコさんは歌う時、何を見ているのだろう。彼女の心の景色を、あの微笑みの辿り着く所を、見てみたいと思った。歌うクミコさんの歌う宇宙の中は、果てしなく広い。クミコさん自身のために、そして私たち聴き手のために、歌い続けて欲しいと願う。

ところで、この番組を久し振りに見たのですが、今、桃井かおりさんはトークをしていないんですね。最初にちらっと出演しただけだった。残念かも。

今、クミコさんの余韻に浸りながらこんな時に似合う飲み物は何だろう、と考え、ひとつの飲み物が浮かんだ。極上のシャンパン。しゅわしゅわと溢れ出す金色の泡。口の中で切なく弾けるその泡はクミコさんの曲のように鮮やかで、胸の中にそっと広がって行く。そして、ひとくちごとに酔っていくのだ。
わたしは青空 (CD-EXTRA)
クミコ
avex io
2004-11-03

えと。
クミコさんの他にもゲストの方がいらっしゃったのですが、今回はクミコさんを中心に書きたかったのでそこのところはご了承下さいませ。

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そして、更に今日は昨日からの楽しみごとをすべて実行。
で、大澤さん(やっぱり出してしまうお名前)の11月のイベントの写真がファンクラブのサイトで更新された。私はなんか大澤さんからえらい遠い所で写っているが半目で(笑)でもリラックスして写っていたので満足。でも、もっと笑えよ、私、と思う。

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今日は病院の為、外出。

主治医が変わるのだ。あまり慣れていないのに変わっちゃうので、
変な感じだったが、それでも心の中を少しは共有した仲だ。
一通りの体調の説明をした後、話が終わったので問いかけた。
「最後に言葉をくれませんか?」
先生は唸った。そりゃそうだろう。こんな質問。でも、欲しかった。
どんなふうに私と関わって来たのかを知りたかった。
この返事にきっとすべてが凝縮されるだろう、と思ったのだ。

しばらく考えてから先生は最初、
「緩やかな流れでも、きっと良くなりますよ・・・」と、ぽつぽつ話し始めた。
そして、私はただ、うんうんと頷いていた。
すると突然「座右の銘があるんですよ」と言った。
「なんですか?」
「人間万事塞翁が馬、です」
ほお、と思った。

「人生の流れの中で、色んな事が起きますよね。
 幸も不幸も予測できない。でもそれを少しでも上向きにしたいんです」

そして「何の役にも立たない言葉ですが」と付け加えた。
とんでもない。私は初めて先生の感情を見たような気がした。
今までは、貧乏ゆすりしていたり、細くて神経質な印象だったのだ。
それが思いがけず、情熱を聞けた。だから私は首を横に振って、
「とても素晴らしい言葉をありがとうございます」と言って、
「これからも神経科を続けるんですか?」と聞いた。
「そうですね。一生、神経科の医師だと思いますよ」
そして最後に互いに「お元気で」と言い合い、礼をして診察室を出た。

実は最後の方の先生の話を引き出すのは、医師がやる方法だった。
以前の主治医に教えてもらったものを先生にやってしまった。
とにかくひたすら興味を持って聴く姿勢。
ひとつひとつの言葉に邪魔にならない相槌を打つ。適度に目を見る。
それは、内向的な人に対する心構えだ。
先生は初めて見た時、内気そうな人だな、と思った。
正直、この人で大丈夫?なんて思っていた。
けれど、今日、心の会話が出来た事で覆った。
試してごめんなさい、と心の中で謝ったけれど、
医師と患者は共に成長して行くものだと、以前の主治医に教わっていて、
その元、主治医を私は尊敬しているからいいや、と決めた。強引に。

元、主治医は言っていた。
私のように神経科に通う者にとっては病院は卒業を自分で決める学校なのだと。
医者はそれを手助けできればそれでいいのだと。
その為に、医者はひたすら話を聞き、感情を出さない。
私はまだまだ卒業からは遠いけれど、それでも確実に、
少しずつ卒業に近づいているのかもしれない。
またひとつ、別れを経験して、そう感じた。

+++++

「さよなら」と言うのは、幾つになっても、しんみりとする。
だからその代わりに「お元気で」と言った。
次の先生はまだ決まっていない。次、かあ。
かっこいい先生だったらいいな(笑)

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ここ何週間か調子が悪くて、外出していない。
と、言っても家にいれば楽で鬱ではないので仕事はさくさく進む。
お手紙なんかも書いてみちゃったり。

しかし「体調が悪いので病院に行けません」って何か変な言い方だ。
でもその日行けずに母に薬を取りに行ってもらった。
けれどそんな日に限って重大な知らせがあったりして。
私の主治医が変わるらしい。3度目になる。

1番目の先生が好きだった。
人間として尊敬できたし、その先生には隠し事がなかった。
私が大澤さんを大・大・大好き!な事まで知っている。
その日、カウンセリングのついでに軽い話になった。私は先生に言った。
「すごくファンで毎回その人の曲には助けてもらっているんです」
「ほう。どなたですか?」
「うっ・・・(詰まる私)お、お、おおさわよしゆきさんです・・・」
「へえー」
「知ってますか?」
「すいません」
がくっ。
でも言っちゃった。私の顔は真っ赤である。耳まで。
しかも汗だく。怪しい。でも怪しい告白をしちゃったんである。仕方ない。
ままよ!と言う感じだった。しかし先生は、
「いいんじゃないですか?迷惑をかけてる訳じゃないんだから」と言った。
そして「それだけ人を好きになれる事は素晴らしいですよ」と言われた。
そそ、それじゃその人のストーカーまがいになってもいいのか!とは、
病気できつい時には思わない。
認めてくれる事にまず、ほっとするから。
そんな告白で私は先生にかっこつける必要がなくなった。

そしてその先生からは「遊ぶ」という楽しさを教えてもらった。
私は幼少時代から遊ぶということができなかった。
そこで先生が薦めてくれたのが「ジェンガ」だった。
今でこそ、普通に遊ぶおもちゃとして売られている物だが、
当然、私は知らなくて、しかも緊張した。

自分が勝つと必要以上に相手に「ごめんなさい」と思ってしまい、
相手が負けても「やったー!」とは思えないのだ。
先生は遊ぶ事に罪悪感を憶えなくてもいいんだよ、と教えてくれた人だ。
その先生が自分の病院を開業するので今いる所からいなくなる時、
「どうしても読んで欲しい」と絵本のコピーと一枚の紙をくれた。
絵本は「あなた」と「わたし」の二冊。
紙には、

1、自分で感じる
2、自分で考える
3、自分で決める
4、自分で行動をする
5、自分で責任をとる

“responsibility”――反応する能力

そう書いてあった。

それさえできれば、相手をイタズラに恨む事もない。
自分に責任が持てますよ、と。考え方の順序がわからなくなった時に、と。
そしてそれらを受け取り、最後に握手をした。
泣きそうになったが、泣かずに笑顔に変えた。

最後に気の合う患者さん達とパーティーらしき物をやったが、
その縁でポスターを書かせていただいた。
できたポスターは影絵のようなデザインでみんなに褒めていただいた。
その仕事を依頼してくれたのは造形美術作家の小林重予さんだ。
先生の新しい病院のデザインの担当をしている。
どきどきして隅っこのよけていた私に「素晴らしいわ!」と言って、
集まったデイケア・センターで毎月、ポスターを頼んでもいい?と聞いてきた。
私はほとんど回らない頭だったが、「オネガイシマス」と言った。
それから私の仕事の一つになっている。貴重なものだ。
その先生の繋がりで、素晴らしい人達に出会えた。沢山笑った。
自分で決めて行動して責任をとったものには、後悔がない。
だからこそ、先生がまた変わる、と聞いても、
そんなに動揺しなかったのかも知れない。

自分で感じて、自分で考える力が持てれば。
あの紙は今でも、毎年手帳が変わっても必ず、いつも持ち歩いている。

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今日はバレエのレッスンでした。
とは言え、基礎が出来ていないので
基礎訓練のヒーリング・ダンスという踊りです。
ピラティスを取り入れた呼吸法などで、最高にリラックスします。
裸足でそれを終えると、シューズを履いて足1番から。
やっとバレエらしくなって行くのでした。
さらに音楽がゴキゲン(古語)だったりするとそれはもう最高で、
クラシックだと気分がエレガントになる。

しかし、心配事がありました。
おとといあたりからの右手から腕にかけての違和感。
痺れたり、痛くなったり、これはもしかして腱鞘炎!?
とても心配だったので絶対今日行ってほぐさなければ、と思ったんでした。
帰りにそのダンスに通う整骨院の先生に少し見て頂くと、やはり頸椎の歪みが原因。
しかも腫れているらしい。肩も腕もごりごりだった。
結果、腱鞘炎なりかけでした。今日はクラスのみんなから、
「顔色悪いよ」「やつれたんじゃない?」と言われまくりました。
一応今日のヒーリング・ダンスでほぐれたので今は楽です。良かった。

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上画像「クロワゼ」Vol.15 新書館 980円
発売中!すらりと美しい針山愛美さん。

お祭の日、父の親戚が亡くなった。
父と母は通夜に行き、私は家に残った。
父にとっても遠い親戚らしく、そうなると私はますます行く必要がないと思った。
以前から書いているが私と父は血が繋がっていない。
普段気にしないけれど、こういう事が起こった時多少複雑な気分になる。

父。本当の私のおとうさんは今頃どうしてるんだろう。
ふと思い出した。最後に会ったのは何年前だったか。
一人暮らしをしていた頃、家に訪ねて来たのだが当時の彼氏が覗き込んだら、
またな、と言って帰ってしまった。彼に遠慮する事ないのに。
離婚した所でおとうさんはおとうさんなんだから堂々と威厳をかざして、
彼をびびらせるくらいしてもいいのに、と勝手に思った。
それが最後に見たおとうさんの姿だ。
あの時、おとうさんは目の色が薄くなっていたように思えた。
じいちゃんが外人みたいな顔つきだったので年をとって似てきたのかな。

しかし、一緒に住んでいた頃、私はおとうさんが嫌いだった。
いつも怒ってばかりで、気分屋で神経質で。数えたらきりがない。
でもたった1枚の写真の中のおとうさんは好きだ。
私はまだ子どもで季節は夏で、真っ黒に日焼けしていた。
あっぱっぱ、と呼ばれるだぶだぶのワンピースを着て、裸足にサンダル。
おとうさんに後ろから抱きすくめられる格好で撮った写真。
おとうさんは黒いタンクトップを着てサングラスを頭の上にかけて笑っている。
私も天然のくせ毛の長い髪が顔にかかり、乱れているが満面の笑顔で写っている。

おとうさんはマメな人で、
子ども(私と姉)の成長記録を写真に文章付きで記すような人だった。
それが家から離れて行くに連れ、
写真はただアルバムに貼りつけるだけのおとうさんの宿題になり、文章も途切れた。
子どもってそう言うのは敏感に察知できるから。
そんなマニュアルの写真より、
本気の笑顔で楽しさが全身から伝わってくるものが1枚あれば他のものはいらない。
あの写真1枚あるだけでいい。あんなに私を抱っこして笑われたらもう何も言えない。

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(余談)
今日は土用の丑の日ですね。
今日うなぎを食べれば夏負けしないそうだ。しかし、うなぎは苦手だ。        

今日、花束のプレゼントを頂いた。

私は来月、誕生日なのだがその月には花が咲き終わってしまうらしく、
今月にした、と電話口で彼は理由を言った。

その花とは大輪の白百合、カサブランカ。
本当に真っ白で美しく香りが強くどの部屋に行っても香りが届く。
なのに鼻を近づけると、強烈な香りではない。不思議な花だ。
その美しさにしばし見惚れた。ずっと憧れていた花だった。

印象的な花のプレゼントは3度目。
1度目は私が風邪を引いた時。
私が動けない、と知った当時のバンドメンバーが(私はボーカルだった)
見舞いに来てその時、花束を抱えてきた。友達だったので照れた。

2度目は長年勤めた仕事を辞めた時。
従業員やバイトを含めると10人以上いたのだが
そのみんながそれぞれ大きな花束をくれた。
当時、4階に住んでいてエレベーターもなかったので
友達に協力してもらい、4階まで花を運んだ。
へとへとになったけれどたくさんの花束は部屋を美しく彩ってくれた。

そして、3度目。彼は以前入院していて私は「がんばれイラスト」を描いた。
メールのやりとりでや電話で、ラフに笑いあう仲なので、
そんな友達に花を贈られるとやっぱり照れた。

それから、花に憧れる理由は大澤さんの「Serious Barbarian」の映像。
そのDVDの中にも百合が出てくる。私はあの中で百合に唇を寄せる彼女に釘付けになった。
全身をぴったりと覆うボディーコンシャスなワンピース、
見事なまでに長い波打った黒髪。黒いルームシューズ。彼女は黒猫のようだった。
床に置いた白い花瓶の中に百合は活けてあった。
それをすました顔で挿し直したりする。彼女の傍らには彼(大澤さん)がいて、
彼女をビデオカメラに収めている。

あの曲の中の恋人同士である二人に憧れた。
百合は彼女の象徴のように思えた。
清楚なのに強い香りのように毒がある。花に触れているのも彼女だけ。
最後の方で、苛立ちを持った彼女は百合を部屋にばらまき花瓶を床に叩きつける。

百合の清楚さは時として人を惑わせてしまうかも知れない。
聖母マリアのアイテムとして描かれる百合のように。
ちなみに色っぽいシチュエーションの大澤さんと彼女、土屋久美子さんが、
素敵な恋人に扮しているDVDの中の曲のタイトルは「I WANT YOU」
大澤さん、さすが。百合の花の誘惑に気づいてるでしょ。

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「Serious Barbarian」/大澤誉志幸

2003/11/19 ESBL-2113
エピックレコード

※後日談
 猫に百合は猛毒と知り、そこからは家にも庭にも置いておりません。

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小さい頃、毎年風鈴を飾っていた。

両親が若い頃に買った物だから随分古いはずだ。
真っ赤で薄いガラスでできたその風鈴は
毎年涼しい音色を聴かせてくれた。

季節の行事は、当時していた仕事の関係で
夏の時期に忙しくなるのであまり好きではなかった。
けれど、風鈴を出すという事は毎年していた。

そんなある風の強い日。
窓を思い切り開けていたために強風に煽られ、
ただ釘か何かに引っ掛けていただけの風鈴の糸が、
するりと抜けて、堅い床の上に落ちた。
ぱしゃーん、と軽い音がして振り返ると風鈴は粉々に割れていた。
しばらく呆然としていたが、我に返り、片付けを始めた。
その時、自分でも驚いたが涙が出て来た。
いつも側にあったもの。意識もしていなかったもの。
それがもう二度と見られなくなってしまった。

せつない気分にかられ、片付けながら「ごめんね」と風鈴に謝った。
そしてくずかごに捨てる時「ありがとう」と礼を言った。
あれ以来、買っていない風鈴。今でも胸が痛くなる思い出。
お気に入りのカップを割ったりしたら、やっぱり今でも同じ気持ちになる。

今はうちに猫がいて、
風鈴(と言うより鈴)の音がどうも苦手で怖がってしまうので
わざわざ買わないけれど、外を歩いた先で風鈴の音が聴こえると、
やはり振り返ってしまう。そしてあの頃の気持ちを、ほんのり思い出す。

ちりん。

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今日は友達に誘われて占いに行って来ました。
午前中だけしか見てくれないと言うので、朝早くに出掛けた。

私はまったく占ってもらった経験がなく、いざその部屋に入ると、
扉が開いていて、相談者の声も先生の声も筒抜けだった。
前日に聞かれたくない事は紙に書いて持って行ってもいい、と友達に言われ、
何を占うか考えて行った。友達は恋愛や仕事などの相談をメインにしていたが、
実は占ってもらうような事柄が見つからなかった。

なので結局、
「私がこの世に生まれた使命は?」と言う大きな質問を選んでしまった。
先生は私の文章を読み、ふむふむと頷き、
「アンタは周りを笑わせる事が使命だ」と言った。

「アンタ一人では非力だけれど、家庭内、社会内、色んな人が集まる所で、
場を和ませる役割をしなさい。女の人が笑っているのが既に世の中には必要で、
女の人は常に「おかみ」さんだ。男はせいぜい『宿六』くらいなもんだ」

そう語った。
そ、そんな力ないんですけど。
しかもそれ、私じゃなくても女性すべてに当てはまる事なのでは。
ただ頷いて聞いているうちに何故か先生が自分の人生を語り始めたので、
相談時間は5分以内のところ、軽く10分以上話していた。
機嫌良さそうに話しているので、ええ、ええ、とか言いながら聞いていた。
色んなことを話した(聞いた?)けど、私へのアドバイスは結局、
どんなに暗い場所に行ってもアンタが盛り上げて行きなさい、という事だった。
当たっているのかは判らない。
でも、常々なるべく明るい方へ考えて行きたいと考えている所は符合する。
まさかそれが使命とは思わなんだが。

場を和ませる力があるかはなぞだけど、
少しでも笑顔を探して作って行きたいという考え方であるのは事実だ。
いつもその事に心を砕いている。私がブログを書くとき大事にしているのは、
優しく、柔らかく、言葉を表現することだ。やはりアドバイスなのだと真摯に受け止めたい。

本音を言ってしまうと、大澤さんに会えるのはいつ?なんて聞きたかった。
でもそっちの方が怖くて聞けなかった。
「ない」とか言われたら気にしてしまいそうで怖いから。
そして、心から大切だと思う事柄を占いで聞く気にはならなかった。
今回の出来事はとても参考になったけれどまた行こう、とは思わない。

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背中に陽射しを浴びて羽を生やしたい。自由に。
写真は素材サイト「LCB.BRAND」様より。※現在は閉鎖。

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