First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: Love Life


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2015年5月29日、
愛猫、くろちゃんが逝ってしまいました。

数え切れない、
ごめんね、ありがとう、だいすき、さようなら、を言ってお別れした。
ただ、悔やむのはくろちゃんの目を閉じてあげられなかったこと。
彼女は深夜逝ってしまったので、私が抱き上げたときにはもう冷たくなっていた。
何も見ていない美しい眼球はぽっかりと空を映していた。
 
くろちゃんは私の考えすぎていた「なにか」を一緒に持って行ってくれたようで、
くろちゃんに泣かせてもらったことで、色んな憑き物が落ちたように、
私は私自身の問題に向き合えることができているような気がする。
だから、くろちゃんも目を閉じてゆっくり休んで欲しい、と願う。

私はその日の夜、くったりと猫背になり、泣き疲れ、ただ眠ることに集中した。
そんな私の眠る眼前にくろちゃんがいた。
顔を寄せ何も言わずに大きな瞳はただ私を見つめていた。くろちゃんは色がなかった。
目を開けるとくろちゃんの姿はなかった。夢だった。
仮に幽霊なのだとしても怖くない。くろちゃんなのだから。 


◆ ◇ ◆

画像は在りし日のくろちゃんのコラージュ。 
利発で優しくて、勇敢で、みみ、なな、ろでむを産んでくれた。
里子に出した子も2匹いる。
らむ子さんとも仲良くしようとしてくれた。
今も眠る子供猫たちの姿に、時折くろちゃんの面影を見る。
閉じた瞼にあなたの姿を想う。あなたはとても美しく眩い日々をくれた。 
あなたが教えてくれたその日々をこれからも続けていこうと思う。

くろちゃん、ありがとう。 


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こんにちは。
すっかり雪景色の道東地方です。

色々と充実しているようで、どこか無理をしているような感覚でした。
何と言うか、しっくり来ない、というか、力がない、というか。
それでもいつもどおりやる事を決め、調子が出なくてもそれなりに動いていた。
そして、私の通院の日が近づいてきました。
昨年から主治医にうまく言葉が伝えられなくて、
正直、消化不良のまま受診を終えていたので、
短時間で上手に伝えられる方法はないものか、と考え、
以前もやったことはあったけれど、受診する1ヶ月の様子を紙に書く、
ということを、 ワード文書で作成し、見易いよう、A4サイズに印刷した。
以前は手書きだったのだけど、何となく手書きを見せるのは、
生々しい感じがして抵抗を感じたので(笑)

一文字ずつ、自分の心理状態を打っている間に問題点がはっきりと炙り出された。
ああ、自分は今この部分で悩んでいる、ああ、この部分はこうして行こう、と。
割と具体的な対策なども視野に入れて、文書は完成した。
その作業はとても心理的に良い方向に働いてくれたようで、
もやもやしていた部分がすっきりした。
僅かでもアウトプットした事で散らかった心の中が整理された気分だった。
うん、その言葉のまま、私の感情は随分、散らかっていたのだと思う。
そうして整理したものを前もって準備し、病院へ行ったところ、スムーズだった。
主治医とは言え、カウンセリング専門で受診している訳ではないので、
長々と話してははいけない、と言う焦りもあった。
なので、この方法がうまく行ったことに安堵。
次回もこのようにしていこうと思う。

今回初めて気づいたことだけども、読書に関しても、
もちろん読みたい、という欲求はあるけれど、
インプットしっぱなしのまま、後から後から詰め込んで、
結果的に情報も感情もぱんぱんに膨れ上がり、頭に入らなくなってしまった。
いや本当に、アウトプット大事、と痛感しました。
心の欲求があるのに受け付けなくなるという矛盾はパニックを生むから、
しっかり問題点を把握して行きたい。

ただ、まあ…。
ここ一年で、チャクラの第三の目が開けたかの如く、
等身大の自分よりも多少背伸びした本に取り掛かることが多かったので、
うまくコントロールしていけたら、と思います。


◆ ◇ ◆

上画像は、何となく心象風景に近いので。Tumblrより。 


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※ タイトルは大げさです。

少しだけ心の余裕をなくしていました。
介護を終えて1年経ち、自分のことをしようと思い立ったのはいいが、
慌ててしまったのだろう。どんなアイディアもどこか窮屈な思考からなるものだった。
要するに、頭でっかち。ベッドに横になれば訳もなく焦燥感が襲い、
起床すれば訳もなく悲しくなり。私は何か思考を間違えている。
ただひとつそれだけはわかる。

ここ数日、味覚が妙に曖昧になっていた。
味噌汁やおかずの味が微妙にわからないのだ。
しょっぱすぎる、というのはわかった。
けれど、何と言うのか、旨味というのかな。
繊細な薄味。私は結構そういう味が好きなのだがその薄味がわからない。
味はするようなのだけど、鼻から香りが通らないというか、
うまく言えないのだけど、要するに味がわからない。
首をかしげながら食事をする毎日が続いた。

そんな慌てた日々の中での偶然。
いつもの通り、自分なりの「決め事*」をこなしたあと、
なぜだかわからないけどおやつの戸棚を開けた。 
私はあまり間食をしない。真夜中ならなおさらだ。なのにその日だけ。
そこには何が入っているのかわからない包みのお菓子があった。
多分以前購入したのだろうが食べたことがないまま、
家人が食べてしまい、なくなっていた。

その包みを開くと、上からは想像できないような、
かわいらしい焼き菓子が顔を出した。
慌てて包みを見て名前を確認する。
栗のお菓子。洋菓子。仄かな洋酒の香りがする。
ぴりぴりと紙を剥がし、焼き菓子を口にする。広がる甘み。
思わず「おいしい」と言葉がこぼれた。そこから出たのは微笑み。
焼き菓子を包む紙もかわいらしくて、微笑みを手伝う。

甘いものは女の子の精神安定剤、とか、
歯の浮くような言葉を聞いたことがある。
どちらかと言うとせんべいとか、しょっぱいものが好きな私は、
それは人次第だよ、と他人事のように思っていたが、
確かにその日、甘い甘い栗の焼き菓子は私を救ってくれた。
そして何より、味を感じた。

で、考えたのは、やはり人間、ただ生きるためだけの食というものだけが、
命を救うのではなく、見た目やおいしいと感じる心、余裕、色々なものを総合し、
初めて栄養になるのかな、と思った。
もちろん、これは私の時代と個人的な暮らしの状況によるものです。
最近、ごはんを作るときも食べるときも味がしないからおいしさもなく、
そうなると作る気持ちも薄くなり、どうでもよくなっていた。
でも作らなければならない、という義務感だけでこなしていたので、
ますます心が疲れ、日増しに消耗していったのだ。
この小さな偶然は私に大きな変化をもたらしてくれた。ありがたい。
今も緊張していたり望まない気持ちのままごはんを食べると味覚が感知してくれない。
しかし、そこから逃れ、自分だけで食べるとおいしさが戻る。
気持ち次第、というのがわかった。

それからは、おいしい、と思える状況がわかったので、
腹ごしらえするときはなるべくおいしい、と思える場所や時間を選ぼうと思う。
できる限りね。ムリはせず。けれどその時間を増やして行きたい。


◆ ◇ ◆

* 一日の中でやるべき事。
  愛猫のインスリン注射、読書(併読)、日記、夕飯メニューを決める、など。

上画像は、
なんとなく自由を味わえた、甘い焼き菓子を食べた瞬間の私の心。
ひらひらスカートに裸足、という最高に開放的な瞬間。 続きを読む


Pride_and_Prejudice

幼い頃から愛されることを、
当たり前に亭受されてきた人間と、
自分は愛されているのか、常に疑問を感じていた人間。
そのふたりの人間が一緒にいる、というのは、
客観的に考えてもちぐはぐになるだろうな、と思う。
ふたりの「当然」は、まったくの別物であるだろうし。 

突然だけど「いいよ」という言葉。
肯定なのだけど、私には突き放されているようで怖い言葉に聞こえる。
それは、自由ではない無法地帯に行かされるような怖さ。
多分、固定観念だと思うんだけど、
「別に自分が○○してやってもいいよ( ̄ー ̄)」という、
とても意地悪な見方に捉えてしまうのでしょう。
いつからこの言葉にこんな歪んだ考え方を持つようになったのかな。

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幼い頃、数回引越しを経験したが、
多分記憶にある最初の引越しをしてから、
毎日が望まない物語に包まれていた。
だから、あの頃の私に小説は必要なかった。
それでも本が好きだった。あの形態が。
元々、愛書家だったのでしょう。
私はあの頃、学校の図書室でなにを読んでいたかな。
小学校低学年の頃には、絵本はすぐに飽きてしまった。
小説は重くて心に入ってこれなかった。
けれど読んでいた。
漫画は描いていたけどあまり読まなかった。 

私は現在、壮絶に自分の指針となるものを探している。
探しているというよりも心の中に既にある。
それを引っ張りあげる。
多分、それが中枢。
私が目指しているものは自分の中にある。
見つけてあげるのは私の使命だ。

「いいよ」という言葉が否定的ではなく、肯定的に捉えられるくらい、
認知的な歪みを取る鍵が自分の生きてきた中にある気がしている。
そして、それが先に書いた私自身の使命であるような。

◆ ◇ ◆

そんなこんなで大きく出ましたよ、という記事になりましたw
小説の構想がこそっと(シャレちゃうぞ)顔を出したのでメモしたところ、
怒涛のように思考の洪水でメモがいっぱいになってしまったので、
ブログに書き記しておこうと思いました。

上画像は2005年の映画「プライドと偏見」より、
知的な美を振りまく、キーラ・ナイトレイさま。
クリックしたら驚くほど大きくなります。


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携帯電話のメモ帳に、
激しい言葉が記されていた。以下の文章。

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慌てているのが判る。
昨日の電話。
風邪。
思うように機能しない喉。
色んな小さな出来事が調子を狂わせている。

そう。小さな出来事なのだ。
そしてそれらは慌てた所で、
どうすることもできない物事の重なり。

電話は一方的に鳴ったもの。
問題はあるけれど私と言う人間一人で抱えられる問題ではなく、
風邪はひたすら栄養と睡眠を摂り休む。喉も苦しいがそれに付随する。
その間に本を読んでいるのだが、
慌てている心情のせいか分厚い本にめまいを覚え、
私にとって本来の書物を愛する事すら一瞬忘れ、やはり慌てる。
こんな気持ちになること自体がもったいない。

とにかくやりたいことをやれ。
迷ったらこうして書け。
自分を戸惑わせるものは常に潜んでいるのだから取り乱すな。
深呼吸して自分だけの呪文を唱えろ。
自分と言う人間の人生の歯車を他人に狂わせられるな。
他人の人生の問題を丸ごと負うほど万能ではないときづいていろ。

ひとつひとつ進めて行く事。
平常心を取り戻す事。
忘れるな。 

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これ書いたの、すごく憶えてるんだけど、
口調がここまできっぱりしているとは思っていなかった。
でも自分の気持ちがどんどん悲観に流れて行くのが判って、
怖くて怖くて、半ば自戒を込めて書いた。
だから本気で自分に説教している。
本当に流されやすくて困っていたから。

今さらだけど、書くことが核である、と、
ど素人ではありますが思っております。
しかし、当然ながら暮らしていく生活がまずあり、
病気のような認知の歪みや劣等感などもあり、
何かを選んでは本当にこれで良かったんだろうか、と悔やみ、
そんな自分を小さいやつだ、と嘆く。
そして、常に嘆く自分にならないように、と、日々戦う。

本当はもっと楽に生きられたらいいのにな、と思うけれど、
こんなふうにしか生きられないのだからいい加減受け止めて、
そんな部分も具体的に表現化していくしかない。
諦め系作家(笑)さすがにいやだな、これは(笑)

何と言うか、
びくびくこそこそしてるんですよね。行動全般が。
別に何も悪い事してる訳じゃないのに。
いつも何かに追われているような。
で、そういう心の状態なのでバタン!とか大きな音を出されると、
心臓が止まりそうになる訳です(笑)
そういう心情なら当然と言えば当然なのですよね。
これはもう治すというよりも付き合っていくしかなくて。
クセだって治しづらいというのに、こういう条件反射的なものは、
なかなかに難しいだろうな、と。
ヘタしたら一生かかってこの事を研究しなくちゃならないかもしれない。
そうなると私が今世でやりたいことを放棄しなくちゃならなくなる。
それは避けたい。いくら何でも。
なので、私はこんな劣等感丸出し人生でも書く。
そちらを選ぶことにした。
だから諦め、という言葉ともまた違うんだろうが、うん。

自分のしたいことを自分のしたいタイミングで思い切りやれたら、
それはものすごい幸運なことだと思います。
思い通りにいかない事情があって、
年を取るとその事情も増えていって、
自分のことだけ考えて生きていく、というのは難しくなる。
母の介護を経験して痛切にそれを思い、
今、年老いて来た父を思い、
高齢の猫たちのことを思う。
もちろん、自分も年を取るし、体力もなくなってくる。
それでも、ムリしてでも時間を数分作ってでもやりたいことはやる。
むしろそれがないと何のために生きているんだかわからない。
私はそれが書いたり読んだりすることで、
書くことはどちらかと言うと、若干、辛さがあるのだけど、
でも、なくなると困る。そういう存在。
本も分厚いと、うわ、とっつきづらい、と思うけど(笑)読んじゃう。
いやなら読まなくてもいい訳だし。
私はそう思いつつ、読む方を選んでいるのだし。

一番怖いのは、やりたい、と思うものがなくなる事。
幸運なことにこれまでの人生の中ではそういう事はないけれど、 
疲れが溜まると自分を見失って、好きなものもわからなくなり、
悲観的な所に後ろ向きさが加わってどうしようもなくなるから。
それが最近(最近か!)わかったので、
そういう時は悲観に暮れて悲しく過ごすより、
上の文章のように、愚痴なら愚痴を書く、休む、寝る、というのを選んでいる。
そうして自分で納得してやり過ごすと身体の元気は回復する。
身体と精神は連動しているので、
ああ、疲れていたからあんなに落ち込んでいたのか、と思う。
もう少し早く気づきたかったな(笑)

上の文章の中で、最も自分で思っていたいことは後半部分。
「迷ったらこうして書け」とか、
「深呼吸して自分だけの呪文を唱えろ」という部分です。
一番忘れがちな部分。
これからも自分にこの呪文を言い聞かせて行こうと思います。

上画像はたばこの煙すら魅力的なシャルロット・ゲンスブール。雰囲気的に(笑) 
私は現在たばこを吸っておりません。 


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「『氷点』「解凍」」より

"人は声のないものの声を聴こうとするときに、そっと手を触れる。"(P142)

遠く離れれば離れるほど、
その相手への愛情が溢れてくるものか。

もう既に、私の母への愛情は枯渇してしまったと思っていた。
けれど私の手は、いつも母に会うとき、
背中に触れ、言葉が話せなくても、
必ず目線を母に落としていた。
いつも家でそうしていたから。

ただそれだけ?
そうではないはずだ。
そうしなければ母はどこを向いていいのか、
わからなくなったからだ。
それを家で知るのは私しかいなかった。
「私しかいなかった。」
この言葉の中に、傲慢が見て取れる。
結局、私は母を捨てたように感じ、
また、自分をも捨てようとした。
どうしたら良いのかわからずに過ごした父にも、
言葉や説明をうまくできず、
ただ憎むべき対象のように接した。
私は、人を侮り、見下していたのだ、とつくづく、
あの日々を思う。


母は母である、ということを、
段々私自身がようやく、認められるようになってきた。
今では完全に内に篭る母の生き方。
しかしそれもまた現在の母なのだ。
それまで私は、先にも書いたが、
母の人生の一部を奪ってしまったと思っていた。
けれどそうではなかったのではないか。
それは思い上がりである、と、
傲慢でも感傷的な気持ちでもなく、素直に。

「『氷点』「解凍」」を読み終えて、
はっとする言葉がたくさん書かれていた。
自らのみが清らかでいたところで、
淋しさからは逃れられない、
本物の愛ではない、など。
まさに私はそうして生きていたと思う。
周りに穢れたものがあろうと、
私さえ、手を染めずしっかりしていれば、と。
実際はそんなわけには行かないんですよね。
そんな、思い上がりをたくさん知らされた本でした。
 
私は同じ北海道にいて、旭川市神楽町見本林まで行ったこともあるのに、
なぜ三浦綾子さんの記念文学館に足が伸びなかったのだろうと思う。
今こうして三浦さんや三浦さんの関連著作を読んでいると、
いつかは行かなくては、と思う。
北海道の冬の、動けなくなるような豪雪の怖さや、
命を奪われるような寒さを知っている。
私の書く舞台は、もしかしたらそこかも、などと、
影響を受けたかの如く思ったりしている。
夏にあこがれつつもね。

しかし、
生きる意味。
私に与えられているであろう使命、
私は今、それを知りたい。激しく。

そう思いながら、毎日を過ごし、
探求し続け、 読んで書くことをして行きたい。
時間は待ってはくれない。
 

/ Photo on Tumblr
Vintage Shabby Pink!


「氷点」解凍
森下 辰衛
小学館
2014-04-21
 


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今、歯医者に通っている。
血の通った、自分が生きている証だ。
これまでは正直、どうでも良かったのと、
一度すべての歯を治療し終わっているので、
行かなくても何とかなるだろう、という、
惰性の気持ちがあった。

今回、新ためて思ったことは、
確かに治療は怖い。けれど自分から行く、と言うのが、
歯の大切さを判った「おとな」の行為だと言うことだ。
道徳まがいのことを言うつもりではなく、
単純に自分が幼い頃、どんなに母親に連れて行ってもらっても、
数日で通うのをやめていて、その理由はただただ本来の目的も考えず、
怖かったから。

あの時行っておけば、とは思えない。
やっぱりあの時はあの時で私も行きたくない、と必死だったのだし(笑)
けれど、歯が喋ることに影響するような気がしたのは、ごく最近で、
私の滑舌の悪さは歯の悪さを無視してから、ひどくなっており、
もともと話し方(本を声に出して読むなど)にそれほど劣等感がなかったが故、
異変に気づいた。

治療を始めてから、段々喋り方がスムースになって来ている。
ただ、声はある日を(これもごく最近、ここ一年ほど)境に変化している。
時折、年を重ねた人が昔の自分の声を聞いて、
「艶や張りがあり、若い」と言うのを聞くが、多分私も「声変わり」したのだろう。
これは個人的に違いはあると思うが、あくまでも私はそう。

そして、
歯の治療に通い、既に一ヶ月経つが、
自分の中の変化を感じている。
まずここ数年よほど公の場に出る以外は、化粧をまったくせず、
近所へ買い物に行くときなどは顔さえ洗わないこともあった。
そして、歯に違和感もあったことを自覚していたため、
口紅などもはや、興味の対象外だったのだ。
それが、少々、唇に色をつけたくなってきた。
いきなり赤はムリなので(本当は好きな色。ゆくゆくはつけたい)
歯医者に行くときはまったく色味のない保湿成分だけを求めるが、
歯医者のない日は、色がほんのりつくリップクリームから始めた。

それから数日経ち、とうとう唇に色をつけたくなった。
赤い色の口紅は既に持ってはいるが、いきなり塗るのもテレるので、
唇に数箇所ぽんぽんと置いてみて、鮮やかな色を指で伸ばした。
傍から見れば、誰にもわからない程度の薄い色味。
それでも、ああ、自分が等身大になってきている、と思えた。

それまで、鏡に映る私は、
鏡が映し出している本来の自分ではなく、白髪で深い皺を携え、
目に力のない老婆が映るようで怖くて見るのを避けていた。
それは外に出てもそう。もちろん、今もフルメイクはできない。
けれど、人工的に自分の持ち物の一部に色をつけよう、と思えた、
そのことが、単純に老婆から私へと少しだけ戻してくれたのだ。

アイラインやアイシャドウは、落とすのが大変なので、
よほど気持ちに余裕がないとできない(笑)
若い頃はマニキュアまでしていたな、と思い、
あの頃はやはり、体力があったのだ、としみじみ感じる。

でも今の自分に一番興味がある。
語弊があるかもしれないが、ある意味、道半ばではなく、
いつも完成されている自分なので、
どんな失敗を起こしても、失言があったとしても、
今の自分がなぜそうなったか、そう言ったのか、
反省と、もうひとつ、俯瞰で観察する自分がいて、
それがおもしろいのだ。

こんなふうに思考し出したのが、
実は歯医者に通い始めてからだと言うのもまた感慨深い。
ただ、キャラメルや粘りのあるキャンディーなどは永遠に食べる楽しみを奪われたが。
得たものと失うものとバランスなのだろう、と思うことにする。 


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※mixi日記より

大澤さん&久美子のアルバムを、無事購入し、 
感激やら鳥肌やら感涙やら(語彙がアホ) 
いろいろ心の中で巻き起こっていました。 

が、まずは順番に心の状態を書こうと思います。 
ブログに書く前にまずこの秘密日記のようなmixiに(笑) 
この間、ちょこちょこブログやここの日記で探し物をしていたら、 
昨年4月の後半って、私、えらいことした時だったんでした。 
あの時、死ななかったけど、生きているような感覚もなかった。 
しばらく燃え尽き症候群にもなったし、 
いつそこから出てこれたのかも、 
今となっては定かじゃない。 
そして、日記にはっきり、 

 私は今後また、何かしたいとか、どこかに行きたいとか、 
 思えるようになるんだろうか
 
と、書いてあった。 
自分のことなんだけど胸が痛む。 

今年の4月はアイスショーに行った。 
行きたい、と、はっきり思えたものだったから大切に考えて行動した。 
そして、きちんと計画を立て観に行き、戻ってきた。 
移動の方が時間がかかったけど、 
2~3時間のアイスショーの演技の間、 
私、久しぶりに何も考えず、勝手に顔が笑ってた。 
あんなの、本当に何年もなかった。 
あとで痛くなるくらい、笑う筋肉が退化していたくらい。 

だからと言って、そこからすべてがうまく行き、 
病院も終わりー!という訳ではなく、 
相変わらず、外出できない日は困っている。 
オンラインで買い物をしたはいいが、コンビニまで支払いに行くのに、 
玄関から出られなくてうろうろして半日以上経ってしまう事も、未だある。 

けれど、昨年までのように、 
しなければいけない行動でも、どこかが違う。 
ええと。歯医者に通っています。 
実はこれが自分の中で大きいです。 
歯医者=自分のためだから。 
本当はもっと早く行きたかったんだけど、 
ま、事情が事情だったのと、行く気持ちが起こらなかったので。 
自分を思いやれる私、というものが、出てきたんだ、と思う。それが嬉しい。 
時間をかけちゃったから、しばらく通うけれど、それでも清々しいです。 
色んなことが早くできない人だけど、 
段々視界が広くなってきたように思えます。 
本も読みたいと思えて、実際読めている。 
それがとても幸せです。 

こんなことを数日思ってました。 
なので、アルバムはもう少し消化してから、 
怒涛の感想を書こうかな、と思っています。 
音楽を聴いても何にも感じられなかった日々はもう嫌だな。 
波はあるけど、自分がやりたいと思う事は誰にも気兼ねする事なくやろう。 
やっと、自分の人生について考えてるな、と思います。 

以上!


2014,05,31
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ここ最近で一番、
素直な自分が出た文章です。


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毎日、小説を書かない日でも、
ちいさなことでもいいから文字を書くようにしている。 

こうしてキーを打ち込むこと以外に。 
大げさなものではなく、それは毎日のメニューをカレンダーに書き込むとか、 
予定や今日の体調を手帳に書き込むとか、そのくらい。 
よく文字を書くことは頭の体操になると聞くけれど、 
慣れて、同じ言い方だけれど習慣になってしまうと、 
頭の体操としての効果は半減されるような気がする。 
なので、そこを重視するよりは今日はこのメニューだったけど、 
このメニューを作ったのは前回いつだっけ、とか、 
そういうふうに工夫をしてはいる。 

それでも明らかに物忘れが多くなってきて、 
うんうんと考えて数時間後には言葉が出てきてすっきりはするのだけど、 
そのときにはもうその話は終わっていたりする。 
こういう敏捷性は確かに年齢と共に失われているな、と実感する。 

この間(昨日だ)、母の薬に少々変化があり、 
病院に電話、施設に電話、という苦手なことを、 
立て続けにしなくてはならなくなり、頭がこんがらがりそうになった。 
とにかく、話の基本に戻ろう、と考える。 
なかなかうまくはいかないけれど、説明が伝わればいい。 
何も言わずに察してもらおうなんていう自分の甘えがでなければ、それで。 
とにかく電話をするときの私は、らしくなく神妙な面持ちになってしまう。 

そして、病院でのやりとりを終え、 
間に主治医がいなくなり、朝から連絡していた用事は夕方までかかった。 
最後の電話。施設に説明する。これだけになった。 

私は名乗った。 
あちらもわかって、看護室に繋ぎますね、と、そのまま保留音になった。 
その保留音の音楽がサティの「Je te veux」だった。 
保留音としてはよく聞くものだけど、 
今の私には割と特別な音楽なので、 
おお、と感慨深くなり、聴き入ってしまった。 
しかも結構長かったんだな。 
そして突然切り替わり「もしもし」と看護士さんの声が。 

動揺。 

私はいつもこの保留音が鳴ってるとき、 
何とかそれまでの話をまとめようとする。 
そこが根こそぎ、飛んでしまった。 
とりあえず挨拶をし、たどたどしく薬の説明。 
気づくとカレンダーに自分がこれから言うことを無意識に書き込んでいる。 
多分、この書き込みながら話す、というのが落ち着くのだろう。 
動揺しつつ、40数年生きてきて初めて知った。 
無意識にコードを指に絡ませたり、 
近くにあるものに落書きしたり、というのはよく聞く話なので、 
私もそういうクセを持っていたんだな、と変に感動した。 

そしてすべての用事が終わり、 
夕飯も後片付けも終え、パソコンを前にして、 
ツイッターにそのことを書こうとした。 
そのときに、 
出てこなかったんだなあ。 
保留音って言葉が!ああもう。くやしい。 
一番書きたかった、いわば映画でいう、 
クライマックスのシーンに必要な言葉だったのに。 

結局、病院と施設間でのやりとりは事なきを得たので、 
本来そこが安心するべき事柄なのだけど、 
そこを越えてあとで思い起こすと、 
本当に一番くやしかったのは、失念してしまった、 
「保留音」という言葉だった。 
まだくやしい、と思ってるうちは大丈夫かな。 
それともこれも「もう少しゆっくり」なんていう、 
メッセージだったりするのかな、なんて。 
たったこれだけ書くのに長くなった。おおぅ。 
 

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画像はイメージ。 
古い電話、誰かからの電話を待つ女性(リマっち) 
ちなみに「Je te veux」はエリック・サティ作曲で、
フィギュアスケーター、町田樹くんの今季のエキシビション。 
大澤さんがらみでサティを知り、キャッチーなメロディーに惚れ、
そこからサティは私にとって、クラシック界のアイドルです。
でもって、私はこの「Je te veux」でイメージした小説を以前書いたのですが、 
まったく違っていて、人の感性っておもしろいなあ、とまた感動したのであった。 

いやでも町田くんのエキシはまだ断片でしか観ていないので、 
ぜひともテレビ放送に期待したい。(最後話変わっとるがな) 


◆ ◇ ◆

この後、動画サイトにてエキシビションの「Je te veux」を観ることができました。
まともに観られたのは昨日(6月8日)なので、新鮮です。ぴちぴちです。
柔和でほろ苦く、エスプレッソのようなプログラムでした。


この間更新してから早いもので、
既に一週間経ちます。
いつもは2~3人ほど訪問がある、
この辺ぴなブログですが、
「SSOI in 札幌」に行くということについて書いたとき、
一日、400人という破格の訪問人数になりました。
一番驚いたのは私であります(笑)
ご訪問、どうもありがとうございました。
もしもこれがご縁となり、
あ、このブログ読めるじゃん、など、
ちいさなことでも思ってくださったら、
アイムソーグラッドです。(ルーか)

私自身は、
「SSOI in 札幌」に出かける直前くらいから体調を崩し、
未だ若干ではありますが本調子ではありません。
しかし何と言うか、無駄な時間を刻んでいた時計が止まり、
これから意味と言うものがついてくるよ、という第二の時計が、
新たに動き始めたような心境です。
わかりにくいですね。ごめんなさい。
こういった説明や喩えが下手な部分はいつも勉強して、
上手になれたら、と思うところです。

そんな今日は、
かかりつけの医師にアイスショー行ったよ!ということを伝えました。
(もちろんこんな言い方ではないが)
うまく伝わったかどうかはわからない。
まだまだ時計は動き出したばかりだ。

けれど、説明というものを疎かにしない、
どれほど些細なことでも、
理解してほしいと思ったなら、
自分の心を知ってもらうことを諦めたくない、
というお話をしました。
若干、先生がお疲れの様子だったので、
少々語るのが憚れましたが、患者が考えることでもないだろうか、
と、邪念というものは隙があればついて出てきます。

そこでまた話したことを思い出す。
邪念があるときでも、正直調子がいまひとつであるときでも、
どんな私でも、これが今の私であること。
まぎれようもなく、嘘のない。
その事実を曲げずに暮らしていきたい、と言った。
こんなふうにまとまりはしなかったけれど、
こういうことを話した。
先生、記憶してくれているだろうか。
でもきっと私の話し方とか顔つきとかを見たら、
第二の時計が動き始めたことに気づいただろう。

今日はとても風の強い、
今年一番、暖かい日でした。

そんなこんなで、近況から先に書きましたが、
こちらを訪れた方に心から感謝いたします。
読んでくださっている、
そう思えただけでどれだけ励みになることか。

新ためて、
どうもありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。 

PS / 
一番肝心なことを書き忘れました!
私が今回、札幌行きを決めてから携帯のメモ帳に入れて、
いつでも不安になったとき見ていた言葉がありました。 
いつのインタビューか記憶していないのですが、
町田樹選手の話していた言葉です。

 正直、状態が良くなくて、
 こういった時にどう戦うか、
 大きな試練です。 

もちろん立場が全然違うので比較はできませんが、
現在の自分の気持ちに装飾も、気負いもなく、素のままで、
こういうふうにどんな状況の自分も冷静に見つめていて、
弱い部分をさらけ出しているというのに、ある種の強さを感じました。

そういうものを私も求めて表現していけたらいいな、と、
これから生きていく第二の時計に必要な部分だと思い、
彼の言葉がとても参考になりました。
もちろん、今も。 

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