First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: Love Life


消すのはもったいないので2009年のらむ子さんGIFを。
ここまでサイズがバラバラだったとは知らなかった。

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最近、愛猫ろでちゃん(ろでむ)にかかりきりの毎日です。
ろでちゃんは糖尿病で、毎日インスリン注射を打っていましたが、
体力がなくなって低血圧になり、注射は必要のない状態になっています。
けれど2日に1度は病院に行き、点滴と3本の注射を打たなければなりません。

獣医さんに聞きました。
「もしかしたらですが、早いうちの覚悟が必要になっていますか」
意を決して言った質問です。怖かったです。
けれどやはり、今の状態が「いっぱいいっぱい」だそうで、
もちろん、はい、とは仰らないけれどその空気は読み取りました。
それでも本人が食べたいという意欲を見せ続けてくれる以上は、
これまで同様、猫っかわいがりします。猫だけに。
毛づくろいができなくなり、代わりを私が担当しています。
ぬるま湯を注いだ桶に足を、ひたっとつけると、
ぴくっとするのですが気持ちいいらしくじっとします。
これがかわいくてかわいくて。
しばらくのんびり足湯を堪能してもらいますが、
足を拭くのは嫌がります。
皮膚が薄くなっているのでこすらずに、
柔らかく揉むような感じで水気を吸い取ってゆく。

ごはんの後は口の端や鼻の先にまでごはんがついたままになりますが、
その姿は無防備でかわいくて笑ってしまいます。そこをまた嫌がられながらごしごし。
トイレはそちらの方向に動いたのを見かけたらすかさず抱っこして、
トイレの中に入れます。時々目が届かず、床に粗相したのを踏んでしまいます。

けれど、そういった気遣いは必要ではあっても、
普通に暮らしています。こうして文章を書いている今は、
お昼ごはんを終えた猫たちがみんなまるくなって眠っていて、
ななちゃんは私の足の上に頭を乗せているので動けません(笑)
けれどこれが生きるということなのだなと思う。
陽が昇り、ばたばたとして夕刻になり、月がはっきり見える時間まで。
そうして暮らしていく。
変化は必ず起こるのだから。

◇ ◆ ◇

最後もGIFで締めましょう。じゃれまくるななちゃんです。これは最近。
 
ななとお遊び01ななとお遊び1ななとお遊び2

画像が荒くて見づらい…


ハッピーニューイヤー
 
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2016年が始まりましたね。あけましておめでとうございます。
私はシルヴィ・ギエムのボレロで幕を開けました。
素晴らしく心に迫る迫力でテレビながら感動が押し寄せました。

昨年は、31日に熱を出していたため、ほぼ記憶がなく、
思い出すことといえば本に始まり本に終わり、時々映画、という毎日でした。
電子書籍と紙書籍も出版。小説の投稿もウェブ小説も続けた。
今年は文芸賞に応募しようと思います。
そしてさらに勉強不足を補い、趣味としても読書は続けます。

まずは今年のご挨拶。
毎年大晦日はあまり体調が良くなく、
今年もあまり本調子ではございませんが、
ギエムさまで年を越せたおかげでエネルギーをもらえたようです。
好きなことは諦めず、自分に嘘をつかないで生きていきたいと思います。
それから、2016年はもう少しブログを更新したいとも思っております。
今年もどうぞよろしくお願いします。

上画像は連写したみみちゃん。左だけなぜか目つきがチンピラ。


 


あっ らむ子さんがうとうとしてる!
撮ろう!という気持ちが先走りしてアップ過ぎたのが右。

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11月21日締め切りの原稿を終えました。
今年最後のお題小説です。

ずっとかかりきりだったので、
頭の中は物語でいっぱいでした。
本も小説だと影響を受けてしまうので、
読書案内やエッセイなどを選んで読みました。
今はアウトプットが終わりすっきりしています。
どんな影響も入っておいで!と腕を広げています。
インプットも大事だけれどアウトプットして、
少しお腹をすかせなければ栄養を要求しない。
今回は特にそんなことを感じたように思います。

思えば昨年(2014年)
「エデンの東」を読んだのがほぼきっかけで、
本格的に読書を記録するようになりました。
一昨年は家族のことで多忙だったため、
読むスピードは数ヶ月に数冊でしたが、
1年でひと息に200冊以上読んだため、
アウトプットするにもどこかで感情が凝固してしまい、
スムースに流れていかなかったのかなと思います。
何事もバランスは必要だなと痛感した出来事として、
今回のお題小説を書いたときに思いました。

エピソードが浮かぶというのはありがたいことですが、
短篇では大きなエピソードはひとつふたつあれば充分です。
それ以上膨らむとごちゃごちゃしてしまいます。
もちろん消化できるのなら問題ないですが、
私は多分書ききれないと思います…

それでも何とか終わりを向かえ、
登場人物たちともお別れいたしました。
またどこかの小説の中で会えるかな、と想いを馳せつつ、
書き終えてからささやかにひとりで乾杯をしました。
ビールおいしかったです。ひさしぶりでした(笑)
そしてまた本もごくごくと飲もうと思います。楽しみ!


◇ ◆ ◇

今日の記事タイトルもかっこつけてますが、
ただ単に頭がすっきりして書き物が進むときの状態は、
多少おなかがすいているときが適してるよね!という意味です(・∀・)
らむ子さんの写真もなかなかこうしてみると雰囲気があるような。 


小説ブログ「L'oiseau Blue」にて、
「微?エロで32のお題」の26作目を更新しました。
今回のテーマは「探す」です。
微エロどころか、全然エロくないです。よろしかったらご一読ください。

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「アリスの宝物」
http://blog.livedoor.jp/y_yukisaka/archives/52198605.html

この物語は2005年に書いたもので、
今は削除してしまいましたが「ソファーの上でロマンスを」という、
もうひとつあった小説ブログに掲載していました。
その中で今回のお題「探す」 にぴったりだなと思い、かなり手を加えアップしました。 

ふたりきりで暮らしていた祖母を亡くし、途方に暮れるアリスという少女。
偶然その場に居合わせ、手を差し延べる他人のシガレット。
アリスは少女らしい生意気な少女にすくすくと育つが、シガレットは優柔不断な男。
恋人を不安にさせるほど不器用で過去に愛想を尽かされてもいる。
そんなアリスとシガレットの日常は普通の親子のような兄妹のような日々だった。
けれどアリスは成長していく。このままではいけないと思う。
そこから始まる物語です。

何と言うか…
2005年、10年前の自分は傍若無人だったというか…
今もあまり変わらないですが、ひとつのブログエントリ内に収めてしまうような、
単純なテーマではないものをたやすく書き終えてしまっていたことに驚愕しています。
タイトルも非常に悩み、結果的に呆気ないくらい素朴なタイトルになりました。
その他にも英語にしてみたり、目玉焼き、カフェ・モカ、トマト、と言った、
物語の中に出てくる重要な言葉からも考えましたが、まとまらず。 

強引ではありますが、自分の中で終らせた話です。
決していい加減にそう思ったのではなく、答えが出せないほど複雑な設定だったので。
まずアリスの出生、シガレットのこれまで、恋人のカーラ…。
本来ならばもっと書かなければいけない部分がたくさんありましたが、
客観的に見て、この設定は雰囲気で書き終えられる話ではないし、
先述のとおりブログに書くなら連載として小分けしなければ、
読む方にストレスを感じさせてしまうと思いました。
もしも書くとしたらどこか別の所で設定も名前もすべて変えて書こうと考えています。

「ソファーの上でロマンスを」の中にはまだ手を加えて、
再アップできるものもあるかな、と思っておりますが、
想像以上に中途半端な小説が多くて自分で驚いています。
ああ、こんなに度胸があったんだと。悪い意味で…(笑うしかない
勘違いって怖いですね…(笑うしk

「32のお題」も残すところあと6作になりました。
がんばってきちんと書き終えようと思います。
ただし、書き損じのないよう戒めて。魅力的な作品が書けるよう、
がんばっていこうと思います。応援してね!(軽薄か 

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/ 画像は2点ともTumblrより。 


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2015年5月29日、
愛猫、くろちゃんが逝ってしまいました。

数え切れない、
ごめんね、ありがとう、だいすき、さようなら、を言ってお別れした。
ただ、悔やむのはくろちゃんの目を閉じてあげられなかったこと。
彼女は深夜逝ってしまったので、私が抱き上げたときにはもう冷たくなっていた。
何も見ていない美しい眼球はぽっかりと空を映していた。
 
くろちゃんは私の考えすぎていた「なにか」を一緒に持って行ってくれたようで、
くろちゃんに泣かせてもらったことで、色んな憑き物が落ちたように、
私は私自身の問題に向き合えることができているような気がする。
だから、くろちゃんも目を閉じてゆっくり休んで欲しい、と願う。

私はその日の夜、くったりと猫背になり、泣き疲れ、ただ眠ることに集中した。
そんな私の眠る眼前にくろちゃんがいた。
顔を寄せ何も言わずに大きな瞳はただ私を見つめていた。くろちゃんは色がなかった。
目を開けるとくろちゃんの姿はなかった。夢だった。
仮に幽霊なのだとしても怖くない。くろちゃんなのだから。 


◆ ◇ ◆

画像は在りし日のくろちゃんのコラージュ。 
利発で優しくて、勇敢で、みみ、なな、ろでむを産んでくれた。
里子に出した子も2匹いる。
らむ子さんとも仲良くしようとしてくれた。
今も眠る子供猫たちの姿に、時折くろちゃんの面影を見る。
閉じた瞼にあなたの姿を想う。あなたはとても美しく眩い日々をくれた。 
あなたが教えてくれたその日々をこれからも続けていこうと思う。

くろちゃん、ありがとう。 


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こんにちは。
すっかり雪景色の道東地方です。

色々と充実しているようで、どこか無理をしているような感覚でした。
何と言うか、しっくり来ない、というか、力がない、というか。
それでもいつもどおりやる事を決め、調子が出なくてもそれなりに動いていた。
そして、私の通院の日が近づいてきました。
昨年から主治医にうまく言葉が伝えられなくて、
正直、消化不良のまま受診を終えていたので、
短時間で上手に伝えられる方法はないものか、と考え、
以前もやったことはあったけれど、受診する1ヶ月の様子を紙に書く、
ということを、 ワード文書で作成し、見易いよう、A4サイズに印刷した。
以前は手書きだったのだけど、何となく手書きを見せるのは、
生々しい感じがして抵抗を感じたので(笑)

一文字ずつ、自分の心理状態を打っている間に問題点がはっきりと炙り出された。
ああ、自分は今この部分で悩んでいる、ああ、この部分はこうして行こう、と。
割と具体的な対策なども視野に入れて、文書は完成した。
その作業はとても心理的に良い方向に働いてくれたようで、
もやもやしていた部分がすっきりした。
僅かでもアウトプットした事で散らかった心の中が整理された気分だった。
うん、その言葉のまま、私の感情は随分、散らかっていたのだと思う。
そうして整理したものを前もって準備し、病院へ行ったところ、スムーズだった。
主治医とは言え、カウンセリング専門で受診している訳ではないので、
長々と話してははいけない、と言う焦りもあった。
なので、この方法がうまく行ったことに安堵。
次回もこのようにしていこうと思う。

今回初めて気づいたことだけども、読書に関しても、
もちろん読みたい、という欲求はあるけれど、
インプットしっぱなしのまま、後から後から詰め込んで、
結果的に情報も感情もぱんぱんに膨れ上がり、頭に入らなくなってしまった。
いや本当に、アウトプット大事、と痛感しました。
心の欲求があるのに受け付けなくなるという矛盾はパニックを生むから、
しっかり問題点を把握して行きたい。

ただ、まあ…。
ここ一年で、チャクラの第三の目が開けたかの如く、
等身大の自分よりも多少背伸びした本に取り掛かることが多かったので、
うまくコントロールしていけたら、と思います。


◆ ◇ ◆

上画像は、何となく心象風景に近いので。Tumblrより。 


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※ タイトルは大げさです。

少しだけ心の余裕をなくしていました。
介護を終えて1年経ち、自分のことをしようと思い立ったのはいいが、
慌ててしまったのだろう。どんなアイディアもどこか窮屈な思考からなるものだった。
要するに、頭でっかち。ベッドに横になれば訳もなく焦燥感が襲い、
起床すれば訳もなく悲しくなり。私は何か思考を間違えている。
ただひとつそれだけはわかる。

ここ数日、味覚が妙に曖昧になっていた。
味噌汁やおかずの味が微妙にわからないのだ。
しょっぱすぎる、というのはわかった。
けれど、何と言うのか、旨味というのかな。
繊細な薄味。私は結構そういう味が好きなのだがその薄味がわからない。
味はするようなのだけど、鼻から香りが通らないというか、
うまく言えないのだけど、要するに味がわからない。
首をかしげながら食事をする毎日が続いた。

そんな慌てた日々の中での偶然。
いつもの通り、自分なりの「決め事*」をこなしたあと、
なぜだかわからないけどおやつの戸棚を開けた。 
私はあまり間食をしない。真夜中ならなおさらだ。なのにその日だけ。
そこには何が入っているのかわからない包みのお菓子があった。
多分以前購入したのだろうが食べたことがないまま、
家人が食べてしまい、なくなっていた。

その包みを開くと、上からは想像できないような、
かわいらしい焼き菓子が顔を出した。
慌てて包みを見て名前を確認する。
栗のお菓子。洋菓子。仄かな洋酒の香りがする。
ぴりぴりと紙を剥がし、焼き菓子を口にする。広がる甘み。
思わず「おいしい」と言葉がこぼれた。そこから出たのは微笑み。
焼き菓子を包む紙もかわいらしくて、微笑みを手伝う。

甘いものは女の子の精神安定剤、とか、
歯の浮くような言葉を聞いたことがある。
どちらかと言うとせんべいとか、しょっぱいものが好きな私は、
それは人次第だよ、と他人事のように思っていたが、
確かにその日、甘い甘い栗の焼き菓子は私を救ってくれた。
そして何より、味を感じた。

で、考えたのは、やはり人間、ただ生きるためだけの食というものだけが、
命を救うのではなく、見た目やおいしいと感じる心、余裕、色々なものを総合し、
初めて栄養になるのかな、と思った。
もちろん、これは私の時代と個人的な暮らしの状況によるものです。
最近、ごはんを作るときも食べるときも味がしないからおいしさもなく、
そうなると作る気持ちも薄くなり、どうでもよくなっていた。
でも作らなければならない、という義務感だけでこなしていたので、
ますます心が疲れ、日増しに消耗していったのだ。
この小さな偶然は私に大きな変化をもたらしてくれた。ありがたい。
今も緊張していたり望まない気持ちのままごはんを食べると味覚が感知してくれない。
しかし、そこから逃れ、自分だけで食べるとおいしさが戻る。
気持ち次第、というのがわかった。

それからは、おいしい、と思える状況がわかったので、
腹ごしらえするときはなるべくおいしい、と思える場所や時間を選ぼうと思う。
できる限りね。ムリはせず。けれどその時間を増やして行きたい。


◆ ◇ ◆

* 一日の中でやるべき事。
  愛猫のインスリン注射、読書(併読)、日記、夕飯メニューを決める、など。

上画像は、
なんとなく自由を味わえた、甘い焼き菓子を食べた瞬間の私の心。
ひらひらスカートに裸足、という最高に開放的な瞬間。 続きを読む


Pride_and_Prejudice

幼い頃から愛されることを、
当たり前に亭受されてきた人間と、
自分は愛されているのか、常に疑問を感じていた人間。
そのふたりの人間が一緒にいる、というのは、
客観的に考えてもちぐはぐになるだろうな、と思う。
ふたりの「当然」は、まったくの別物であるだろうし。 

突然だけど「いいよ」という言葉。
肯定なのだけど、私には突き放されているようで怖い言葉に聞こえる。
それは、自由ではない無法地帯に行かされるような怖さ。
多分、固定観念だと思うんだけど、
「別に自分が○○してやってもいいよ( ̄ー ̄)」という、
とても意地悪な見方に捉えてしまうのでしょう。
いつからこの言葉にこんな歪んだ考え方を持つようになったのかな。

-----------------------------

幼い頃、数回引越しを経験したが、
多分記憶にある最初の引越しをしてから、
毎日が望まない物語に包まれていた。
だから、あの頃の私に小説は必要なかった。
それでも本が好きだった。あの形態が。
元々、愛書家だったのでしょう。
私はあの頃、学校の図書室でなにを読んでいたかな。
小学校低学年の頃には、絵本はすぐに飽きてしまった。
小説は重くて心に入ってこれなかった。
けれど読んでいた。
漫画は描いていたけどあまり読まなかった。 

私は現在、壮絶に自分の指針となるものを探している。
探しているというよりも心の中に既にある。
それを引っ張りあげる。
多分、それが中枢。
私が目指しているものは自分の中にある。
見つけてあげるのは私の使命だ。

「いいよ」という言葉が否定的ではなく、肯定的に捉えられるくらい、
認知的な歪みを取る鍵が自分の生きてきた中にある気がしている。
そして、それが先に書いた私自身の使命であるような。

◆ ◇ ◆

そんなこんなで大きく出ましたよ、という記事になりましたw
小説の構想がこそっと(シャレちゃうぞ)顔を出したのでメモしたところ、
怒涛のように思考の洪水でメモがいっぱいになってしまったので、
ブログに書き記しておこうと思いました。

上画像は2005年の映画「プライドと偏見」より、
知的な美を振りまく、キーラ・ナイトレイさま。
クリックしたら驚くほど大きくなります。


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携帯電話のメモ帳に、
激しい言葉が記されていた。以下の文章。

-------------------------------

慌てているのが判る。
昨日の電話。
風邪。
思うように機能しない喉。
色んな小さな出来事が調子を狂わせている。

そう。小さな出来事なのだ。
そしてそれらは慌てた所で、
どうすることもできない物事の重なり。

電話は一方的に鳴ったもの。
問題はあるけれど私と言う人間一人で抱えられる問題ではなく、
風邪はひたすら栄養と睡眠を摂り休む。喉も苦しいがそれに付随する。
その間に本を読んでいるのだが、
慌てている心情のせいか分厚い本にめまいを覚え、
私にとって本来の書物を愛する事すら一瞬忘れ、やはり慌てる。
こんな気持ちになること自体がもったいない。

とにかくやりたいことをやれ。
迷ったらこうして書け。
自分を戸惑わせるものは常に潜んでいるのだから取り乱すな。
深呼吸して自分だけの呪文を唱えろ。
自分と言う人間の人生の歯車を他人に狂わせられるな。
他人の人生の問題を丸ごと負うほど万能ではないときづいていろ。

ひとつひとつ進めて行く事。
平常心を取り戻す事。
忘れるな。 

---------------------------

これ書いたの、すごく憶えてるんだけど、
口調がここまできっぱりしているとは思っていなかった。
でも自分の気持ちがどんどん悲観に流れて行くのが判って、
怖くて怖くて、半ば自戒を込めて書いた。
だから本気で自分に説教している。
本当に流されやすくて困っていたから。

今さらだけど、書くことが核である、と、
ど素人ではありますが思っております。
しかし、当然ながら暮らしていく生活がまずあり、
病気のような認知の歪みや劣等感などもあり、
何かを選んでは本当にこれで良かったんだろうか、と悔やみ、
そんな自分を小さいやつだ、と嘆く。
そして、常に嘆く自分にならないように、と、日々戦う。

本当はもっと楽に生きられたらいいのにな、と思うけれど、
こんなふうにしか生きられないのだからいい加減受け止めて、
そんな部分も具体的に表現化していくしかない。
諦め系作家(笑)さすがにいやだな、これは(笑)

何と言うか、
びくびくこそこそしてるんですよね。行動全般が。
別に何も悪い事してる訳じゃないのに。
いつも何かに追われているような。
で、そういう心の状態なのでバタン!とか大きな音を出されると、
心臓が止まりそうになる訳です(笑)
そういう心情なら当然と言えば当然なのですよね。
これはもう治すというよりも付き合っていくしかなくて。
クセだって治しづらいというのに、こういう条件反射的なものは、
なかなかに難しいだろうな、と。
ヘタしたら一生かかってこの事を研究しなくちゃならないかもしれない。
そうなると私が今世でやりたいことを放棄しなくちゃならなくなる。
それは避けたい。いくら何でも。
なので、私はこんな劣等感丸出し人生でも書く。
そちらを選ぶことにした。
だから諦め、という言葉ともまた違うんだろうが、うん。

自分のしたいことを自分のしたいタイミングで思い切りやれたら、
それはものすごい幸運なことだと思います。
思い通りにいかない事情があって、
年を取るとその事情も増えていって、
自分のことだけ考えて生きていく、というのは難しくなる。
母の介護を経験して痛切にそれを思い、
今、年老いて来た父を思い、
高齢の猫たちのことを思う。
もちろん、自分も年を取るし、体力もなくなってくる。
それでも、ムリしてでも時間を数分作ってでもやりたいことはやる。
むしろそれがないと何のために生きているんだかわからない。
私はそれが書いたり読んだりすることで、
書くことはどちらかと言うと、若干、辛さがあるのだけど、
でも、なくなると困る。そういう存在。
本も分厚いと、うわ、とっつきづらい、と思うけど(笑)読んじゃう。
いやなら読まなくてもいい訳だし。
私はそう思いつつ、読む方を選んでいるのだし。

一番怖いのは、やりたい、と思うものがなくなる事。
幸運なことにこれまでの人生の中ではそういう事はないけれど、 
疲れが溜まると自分を見失って、好きなものもわからなくなり、
悲観的な所に後ろ向きさが加わってどうしようもなくなるから。
それが最近(最近か!)わかったので、
そういう時は悲観に暮れて悲しく過ごすより、
上の文章のように、愚痴なら愚痴を書く、休む、寝る、というのを選んでいる。
そうして自分で納得してやり過ごすと身体の元気は回復する。
身体と精神は連動しているので、
ああ、疲れていたからあんなに落ち込んでいたのか、と思う。
もう少し早く気づきたかったな(笑)

上の文章の中で、最も自分で思っていたいことは後半部分。
「迷ったらこうして書け」とか、
「深呼吸して自分だけの呪文を唱えろ」という部分です。
一番忘れがちな部分。
これからも自分にこの呪文を言い聞かせて行こうと思います。

上画像はたばこの煙すら魅力的なシャルロット・ゲンスブール。雰囲気的に(笑) 
私は現在たばこを吸っておりません。 


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「『氷点』「解凍」」より

"人は声のないものの声を聴こうとするときに、そっと手を触れる。"(P142)

遠く離れれば離れるほど、
その相手への愛情が溢れてくるものか。

もう既に、私の母への愛情は枯渇してしまったと思っていた。
けれど私の手は、いつも母に会うとき、
背中に触れ、言葉が話せなくても、
必ず目線を母に落としていた。
いつも家でそうしていたから。

ただそれだけ?
そうではないはずだ。
そうしなければ母はどこを向いていいのか、
わからなくなったからだ。
それを家で知るのは私しかいなかった。
「私しかいなかった。」
この言葉の中に、傲慢が見て取れる。
結局、私は母を捨てたように感じ、
また、自分をも捨てようとした。
どうしたら良いのかわからずに過ごした父にも、
言葉や説明をうまくできず、
ただ憎むべき対象のように接した。
私は、人を侮り、見下していたのだ、とつくづく、
あの日々を思う。


母は母である、ということを、
段々私自身がようやく、認められるようになってきた。
今では完全に内に篭る母の生き方。
しかしそれもまた現在の母なのだ。
それまで私は、先にも書いたが、
母の人生の一部を奪ってしまったと思っていた。
けれどそうではなかったのではないか。
それは思い上がりである、と、
傲慢でも感傷的な気持ちでもなく、素直に。

「『氷点』「解凍」」を読み終えて、
はっとする言葉がたくさん書かれていた。
自らのみが清らかでいたところで、
淋しさからは逃れられない、
本物の愛ではない、など。
まさに私はそうして生きていたと思う。
周りに穢れたものがあろうと、
私さえ、手を染めずしっかりしていれば、と。
実際はそんなわけには行かないんですよね。
そんな、思い上がりをたくさん知らされた本でした。
 
私は同じ北海道にいて、旭川市神楽町見本林まで行ったこともあるのに、
なぜ三浦綾子さんの記念文学館に足が伸びなかったのだろうと思う。
今こうして三浦さんや三浦さんの関連著作を読んでいると、
いつかは行かなくては、と思う。
北海道の冬の、動けなくなるような豪雪の怖さや、
命を奪われるような寒さを知っている。
私の書く舞台は、もしかしたらそこかも、などと、
影響を受けたかの如く思ったりしている。
夏にあこがれつつもね。

しかし、
生きる意味。
私に与えられているであろう使命、
私は今、それを知りたい。激しく。

そう思いながら、毎日を過ごし、
探求し続け、 読んで書くことをして行きたい。
時間は待ってはくれない。
 

/ Photo on Tumblr
Vintage Shabby Pink!


「氷点」解凍
森下 辰衛
小学館
2014-04-21
 

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