First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: Love Life

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@kayuri_y (Instagram)

なんて日付けを置いたことだろう、と他人事のように驚いてしまう。
まずはすべての事柄は置いて、いちばん書かなければいけないことを。

2018年1月2日、愛猫らむ子さんが逝ってしまいました。
昨年の12月1日に体の異変を感じ、猫病院にかかったところ慢性腎不全が発覚し、
今年の1月2日には永遠の眠りにつきました。
よって、昨年の12月はまるごとらむ子さんの月のようです。
その12月の通院に関しては毎日Twitterでつぶやいておりました。
Twilogにも残っているので思い出したいことがあったらそちらを見るようにしています。

らむちゃんの最期は病院でした。
12月30日に栄養がまったく摂れなくなり酸素も必要なため、
家で看るのはむりだろうとのお医者さまの判断によるものです。
いつでも異変があったら知らせてください、と電話番号を託して帰宅後、
新年を迎えた1日あとに、彼女は眠るように逝ったとのことでした。

2日、迎えに行った時には、院内に誰も通さないよう配慮してくださり、
らむちゃんの体に合わせた箱の中を見ると、きれいに毛を整えられ、
可愛らしく目蓋を閉じたらむちゃんの姿がありました。
傍らには薄い桃色のタオルとカリカリ数袋も添えてくださいました。
そこで、今までくろちゃんやろでちゃんはお庭に埋めていたのですが、
真冬で地面が掘れない旨を話すとペット霊園のことを教えていただいた。
ひとしきり挨拶が終わるときちんと窓のついた紙の蓋を閉じ、
紫色の布をふんわりかけてくださり、先生は小雪の舞う外まで見送りに来てくださった。
そして私たちの車が出発して病院から遠ざかるまで深々とお辞儀をしてくださった。

帰宅後、すぐさま霊園に連絡を取り、次の日に予約を入れた。
そこまで済んで私も義父もへなへな、という感じで床に座り、
静かにごはんを食べた。お弁当になってしまったが文句など出るはずもなく…
みみちゃんとななちゃんはなぜだかいつもより深く眠りについていて静かだった。

深夜、お風呂もすべて終え、ひとりきりになったとき、
らむちゃんを寝かせてある部屋に呼ばれた気がしたので上をしっかり着て行ってみた。
紫の布を外し、蓋を開け、閉じた目蓋のらむちゃんの横顔を見つめた。可愛い。
そういえばじっくりお話していなかったね、と、出会ってから今日までのことを、
らむちゃんに「憶えてる?」と何度も訊ねては溢れる涙を拭った。
何時間か経ち、箱もすべて元通りにして部屋を出た。
みみちゃんとななちゃんがぱっちり目を開けて私を迎えてくれた。
やっぱりわかってるんだな、と思う。私はふたりを同時に抱きしめる。

翌日、ペット霊園で遺骨は庭に埋めたいと話すと、
では陶器の容れ物などは必要ないですね、と可愛らしい巾着袋を薦められた。
青と桃色があって、らむちゃんに似合いそうな桃色を指定した。
焼き場ではずっと泣くまいとしていた決心が崩れてしまったけれど、
何とか笑顔で見送ることができた。
骨になった猫を見るのは生まれて初めてだった。
らむちゃんの骨はまるで恐竜図鑑で見るかのように、
しっぽの先まできれいに骨の形を残していた。喉仏も。
霊園の方が喉仏について説明してくださる。
まるで両手を広げているようなまるい形の上に、すっと伸びた上部は観音様のように見える。
だから喉仏と言うんですよ、と。そのお話を聞きながら、らむちゃんの骨を、
巾着袋に入れていく。最後の最後、その喉仏をそっと置いてきゅっとリボンを結んだ。

雪がちらつく中、家に戻り、巾着袋を前にして義父とお酒を少し飲んだ。
この子は野良だったのに家に入れてしまって、他の猫たちともなかなかうまくいかなかった。
人間が勝手なことをしてらむちゃんはしあわせだっただろうか、とずっと気になっていた。
けれど最後の一ヶ月間、急激に3匹は寄り添い一緒に眠った。
その柔らかな表情を見てこれで良かったのだ、と自分の中で納得した。
雪が溶け、春になり、土が柔らかくなったら、くろちゃんやろでちゃんが眠る場所に、
らむちゃんも一緒に眠る。絶対にらむちゃんだけ別の場所で眠らせるなんてしたくなかった。
だから最初は霊園でお墓を勧められるんじゃないか、とかそういった猜疑心もあったが、
きちんとわかっていただけて感謝の気持ちで一杯だった。
今もらむちゃんの遺骨はおうちにいます。
きっと、お庭に場所を移す日、新たに寂しさが襲うだろうな、と思いますが、
きちんと最後の最後まで全うさせようと誓っております。
ramumimi ramunana1 ramuutouto
懐かしい若い頃のおあそび動画を作ってみました。

◆ ◆ ◆

おひさしぶりです。いきなりの長文になりました。
この間にも小説を更新していたのですが、書く気にならず、
もたもたしていたら2月に入ってしまいました。
でも過ぎたとは言え、らむちゃんのことは必ず書こうと思っておりました。
こうして彼女のことを書いている今も、なぜだかみみちゃんとななちゃんは静かです。
まるで私の集中力を途切れさせないかのように。不思議だ。いい子だね。

前回の続きになります。

「母の日」ですね。
数年前までは姉とふたりでカーネーションと一緒に、
ちょっとしたお菓子などを渡していましたが、
今は入院しているのでお花も食べ物も遠慮しています。
父親との話を先に書きましたがもちろん母親との間にも葛藤はありました。

けれど数年前、認知症を患い、脳梗塞を2度起こし、
脳の言語を司る部分が破壊されたため一切話ができなくなりました。
現在は療養入院をさせていただいている病院先に洗濯物を届け、
顔を見に行き、二言三言話しかけて母の寝顔を見て帰る日々です。
その間、母は言葉を発することはなく起きているときはただ私の顔を見つめます。
家で介護をしている最中はその目がとても怖かったのですが、
今は見つめられたら微笑みの目を向けています。

治ることはもうないとわかっていて鼻から栄養を摂り眠るだけの母に、
ここまで進んでしまったんだ、という冷たい感想しかありませんでした。
それは介護中、距離が近すぎたため感情が麻痺してしまったせいだと思っています。
しかし母が家を離れ、感情が落ち着いたとき初めて治らない母に戸惑いが生じ、
家にいるときのような気軽な言葉のかけ方すらわからなくなってしまいました。

だからいつも、
「元気?」「寒くない?」「いっぱい寝た?」などの言葉をかけて終わり、
その後は再び洗濯物を袋に詰め、なくなりそうな備品の補充に行くだけでした。
そんなある日、突然自分の中から母に向けて出てきた言葉がありました。
「早く良くなってね」という言葉でした。
本来なら嘘になります。治ることはないのだから。
けれど、その言葉を聞いた母の目は明らかに微笑みを向けてくれていました。
そのとき、どうしてこんなに喜んでくれる言葉をかけてあげなかったのだろう、
と、悔やみました。けれどその言葉を母に向けるということを、
私は知らなかったのだろうと思います。
次からは毎回その言葉をかけ、母の微笑みの眼差しを受け取っています。
その眼差しは今、母からもらう唯一の〈言葉〉です。

こんな状態になった今、葛藤について書こうとしても何も出てきません。
圧倒的に世話を受ける立場になってしまった母が、
脳梗塞を起こす少し前、まだ話ができたときに言ったことがあります。
「こうやってできないことが増えていって死んでいくんだね」と。
病気がわかったきっかけとなったのは文字が書けなくなったことでした。
そこから70代前半という若さもあり、ものすごい速さで病気は進行し、
得意だった洋裁もできなくなった母を思い、堪らない気持ちになります。
どれほど口惜しく悲しかったことだろうと思います。

時折、幼かった頃の夢を見ては母を責めたりしているので、
記憶のどこかでは消化できていない部分もあるのだとは思いますが、
もうそれをぶつけることなんてとてもできない。
病気以前は手を繋ぐことすら嫌がるほど支えられるのを嫌がった母が、
今では手も足もすべて、看護師さんや介護師さんに任せています。
私も介護中、爪を切ったりハンドクリームを塗ったりと、触れる機会がありましたが、
母は何の抵抗も示さず、むしろ喜んでいました。観念してしまったのだと思います。
ただそうして観念した母は少女のように無邪気でした。
娘が言うのもおかしいのですが愛らしかったのです。
以前なら目上に対し、可愛いだなんて失礼だから絶対に言ってはいけない言葉でした。

昨夜「母の日」ということでふと、母が好きだった曲を思い出し、
動画サイトで調べて聞きました。
山口百恵さんの「秋桜(コスモス)」です。
元々、百恵さんの曲や顔立ちなどが好きだった母は、
アイメイクなどを真似ていたほどです。
姉と母と3人でカラオケに行ったときも、
(母は歌わないのですが聞くのが好きだからとついてきていました。)
私がふざけて八代亜紀さんの物真似を大げさにしたりして笑わせる中、
何となく入れた「秋桜(コスモス)」を歌ったとき、
その歌詞に感情が溢れそうになり、また下手な物真似をしてふざけてしまいました。
もちろんふざけずにはいられなかったというのが事実ですが、
きちんと歌って聞かせてあげれば良かった、とも思います。

「秋桜(コスモス)」の歌詞は娘が嫁ぐ前日のお話です。
始まりは庭に咲くコスモスを眺めながら母と娘がアルバムを眺めながら、
色んな思い出話に花を咲かせるのですが、
娘の荷造りを手伝う母が突如涙を溢れさせ、
「元気で」と娘にひとこと言うのです。
娘はこの結婚の前日のたった一日だけ、
もう少しあなたの子供でいさせてください、と返します。

私は成人式に本来母が望んでいた着物すら着なかったし、結婚もせず、
花嫁姿も孫の顔も見せることができなかったけれど、
曲中の気丈な母親と私の母を重ね、涙がとまりませんでした。
子供の頃、どれだけそばにいて欲しいときにもいなくて、父親が去ったあと、
恋愛を楽しむ母に反撥し、私自身が精神を崩してしまったこともあったけれど、
それでも私は母を愛しているのだろうとどうしようもなく思うのです。
こころのどこかで本当は気づきたくなかった感情かも知れませんが、それは多分、
ずっと憎らしい、と思うような元気な母でいて欲しかった私の甘えだと思います。
気づいてしまった今年の「母の日」は私にとってひどくせつない日に感じました。

※「秋桜(コスモス)」歌詞(リンク



時間が過ぎてしまいましたが、母のことを思う日は一日ではないなと実感しております。

昨年11月、以前聴いていたタケカワユキヒデさんの楽曲を再び耳にし、
動画を視聴しているうちに大家族と呼ばれる彼の人生観というのか、
どのような父親像なのかとても興味が湧き、
幸運なことに彼は自分が父親であるという目線からの本を、
多数執筆してくださっていたので読んでみた。

青天の霹靂というのか、言葉どおりの衝撃を受けたものの言葉は逆かな。
曇り空から強烈な光が差したようでした。
私の両親はお世辞にも子煩悩という訳ではなく、
子供側として少し被害者面して言うと、
人生を狂わされたと思っています。ひどい言い方ですが。

特に父親は母以外の人間を結婚後に愛し、
私たちがいるにも関わらず思いを遂げて家を出た。
のちに離婚はしたけれど養育費を払うという裁判の可決に対し、
結局謝るだけで最後まで払わなかった。
そのため母と姉と私は極貧生活を強いられた。
母親はずっと働きづめで常に疲労し、私葉その頃不登校になったのだが、
理由も問えないほど生活に追い詰められていたのだと今なら思う。
そう、今なら。どうして父親は養育費をくれなかったのだろうと。
父親の生活が苦しかろうが自分の生きたい人生を再び手に入れるために、
ひとつの築き上げた家族を捨てることの対価として養育費の支払いを命じられたのに、
たまに家に顔を出しては「ごめんな、俺も苦しくてな…」なんて言い訳をしていた。
甘い。今ならそう思う…。哀しいかな。すべてはもう遅い。
遅いから仮に実際会ったとしても問い詰めたりはしないけれど気持ちには傷痕として残った。
男女関係について、友人知人、親戚、テレビの中、本の中、様々なメディアで観て来て、
父親ってなんだろう、と私は小学生の低学年と高学年のちょうど中間辺りで、
そう疑問に思ったまま成長しました。

本題の前に長くなりましたが、これらは必要な要素なので…。
そこで先に書いた晴天の霹靂が起こったのです。
タケカワさんの著書「ビューティフルネームの本」と「娘を持つ父親のために」の2冊は、
私のそれまでの人生観を覆し、大いに戸惑い、戸惑ったままこうして書いている。
どちらの著書でもタケカワさんは偉ぶらず、タイトルとは裏腹に、
〈父親〉という括りではなく〈親〉としての立場から、
〈娘〉であり〈自分の子供たち〉に目線を置いて書いている。
〈親〉として子供たちがこれから育ち、自立して生きていくために自分たち両親は、
何をしてあげられるのか、また何をしてはいけないのか、そのことを読みやすく、
また大切な箇所は何度も繰り返しています。

タケカワさんの動画やインタビューなどでも子供たちに関するお話をされているとき、
本当にちいさなことにも目を見張った。例えば、車酔い。
私も例に漏れず車酔いをよくする子供だった。
そしてドライブ中、車の中を汚してしまったのと父親の顔から表れ出ている、
〈俺の運転が悪いというのか〉という非難めいた視線が怖かったのを今でも憶えている。

タケカワさんは車酔いをする子供にどうしたら良いのかと奥さんと一緒に対策を考える。
彼の提案は、年齢の違う子供たちに共通した曲をみんなで歌うというものだった。
それは音楽を生業としている彼の思考だから一見、特殊に思えるけれど、
実は私にも当てはまる対策だった。うちも両親共に音楽好きだったので、
当事から車中ではよく音楽を流していた。
しかしそれは父親が選択した音楽で私たち子供はそれほど馴染めないものだった。
そこで、私と姉のお気に入りの音楽の中から、
車でかけても雰囲気に差し支えのないお気に入りの曲を選び、
カセットテープで編集したものをおずおずと父に差し出してはかけてくれるか気遣った。
ほんの僅かな時間だったがかけてくれたときは、
それらに合わせて一緒に歌っているので決して車酔いしなかった。
そのことに気づいて以来、音楽のかからない中で酔いそうになったときは、
上を向いたり窓を開けたりしながら一番の効果である〈心の中で歌う〉ことを実践していた。

もちろん今さらあの頃の自分の父親に対し、
タケカワさんのようだったならとは思わない。比較は馬鹿げている。
けれどタケカワさんのように酔わないための対策を考える、
という親がいることに非常に驚いたのだ。時代の差とも思わない。
今健在なら70代後半であろう実父だが音楽が好きだという共通項があり、
タケカワさんでさえ既に60代を越え、後半に入ろうとしているからだ。
これはひとつのエピソードだけれど、
その他にも父親が率先して食事を作ったり対話の徹底性など、
子供と関わるためのアイディアがたくさんありここには書ききれない。
ますます父親ってなんなんだろう、と混乱を極めた。それが現在です。 

最近、とある書籍にて〈愛着障害〉なる言葉を目にした。
まだあまり咀嚼できていない状態なので明言は避けたいところですが、
〈愛着というものはストックしていける〉というひとことに目が留まった。
愛着の基本は〈子供が安心して暮らせる保護にある状態〉を指すので、
〈愛情〉とは区別して書かれています。
〈愛情〉は感情的な問題なのでそこはまた違う話になります。
もしかしたら私はたった今〈愛着〉をストックしている真っ只中なのかもしれない。

事実、タケカワさんの書籍(「娘を持つ~」)を参考にして、
一緒に暮らすあまり仲の良くない義父におずおずと接してみたところ、
現段階では驚くほどコミュニケーションがスムーズになっている。 
とても単純なことです。相手の話に頷きを入れるか否か。それだけ。
私は相手の顔を見て話したり、相槌を入れるということは随分前から行なっていたけれど、 
義父は相槌も打たず、話していた話題から自分のエピソードを思い出すことが多く、
みんなが会話している場面でも話をさらっていってしまう癖があった。 
そこをとりあえずあからさまにムッとして黙り込むのをやめてみて、
話をさせて積極的にではなくても〈聞いてるよ〉というアプローチをしてみた。
まずは自分からそうして態度に表してみる。そこから始めた。次に言葉を。
まだまだ昨年末から今年にかけての試みなのでこの先のことはわからないけれど、
それでも話をしたくないからと、それまで逃げるように寝室に隠れ、
ひたすら眠っていた段階からは一歩進めたような気がしている。
思いを口に出すのは怖いけれど生活を楽にもしてくれる。
相槌のないおしゃべりを仕掛けるのはしどろもどろになるしなかなか困難だけれど。

少しずつ少しずつ。 
義父も高齢なのでできないことが増えてきている。
私が多少手伝いに回るとき、コミュニケーションが取れないとほんとうに大変だと思うのだ。 
そして今までずっと私の癖であった鼻歌、いや割と真面目に歌いながら行動する、
という、はた迷惑な私の癖が復活したのが嬉しい。もうずっと忘れていたから。
口元を緩ませるのは心をほぐすことにも繋がると思う。
それを思い出せたことが一番大きいかも知れない。

今日は「母の日」ですが、まずは父親に関することから書かなければ、
母親の話に言及できないと思い、気持ちの整理をつける上でも書いてみました。
これだけでもブログとしては充分長いので得意の第2弾へともつれ込もうと思います(笑)

※参考動画



※参考文献

娘を持つ父親のための本
タケカワ ユキヒデ
集英社
2001-12


ビューティフルネームの本
タケカワ ユキヒデ
T-time
2012-11-15


アタッチメント―生涯にわたる絆
数井 みゆき
ミネルヴァ書房
2005-04


いきなりですが、
第65回Mistery Circle」さんにアップした私の小説に訂正がございます。
タイトルは「Lily's Mysterious Days」となっておりますが正しくは「I love you」です。
訂正前のタイトルが公になったときは本来のタイトルを恥ずかしく感じて、
諦めてしまいました。しかしその後、どうしても落ち着かなかったため、
もう一度管理人さまに連絡を取り直しました。このあと訂正してくださる予定です。
今もまだ以前のままになっておりますが、先にこちらで皆様にお伝えします。
個人的に裏側の見せたくなかった部分をお見せしてしまい、非常に残念に思います。
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そんな訳で2016年、締め切りのあるものはすべて書き終えたので、
自分が今年書いた過去の作品を読み返してみると、
ふと、スランプ時期が思い出されて冷や汗をかきました。
 
ものすごく苦労して「作った」形跡がはっきり読み取れてしまって。
多分、思うように書けないことからより慎重になり、
自分の思う「完璧」を作リすぎてしまったのだと思う。
だからどこかが過剰になる。オチがつき過ぎる。
もちろんそれはひとつの作品として失敗作とは思わないけれど、
でもどこか自分の設定する矜持に反しているので気持ち悪さがある。
小説の完成に安堵しただけで心が完成しない。
何かを書き忘れたように、ひどくざらざらとした感触のまま皮膚に残る。
そこで勝手に傷つき、落ち込む。疲れているのですぐ次に向かうこともできない。
次の作品に向かおうと思えるまでもどかしい時間を過ごす。

更に、書き終えて読者の目に触れてしまえば、
作品の判断は読者に任せてしまうので、
その悩み苦しんだ自分にとって、もやもやした作品だと思っていたものが、
案外読者受けは良かったりして書き手側は混乱する。
本来そのような乖離はない方がいいに越したことはないけれど、
なかなかそのようにうまくは行かない(もちろん逆も存在する) 
自分ひとりだけでも様々な側面が存在するのだから。

けれど、どこかで自分の文章のズレを感じ、矯正する。
慣れていくとまたズレが起こる。その繰り返しの中で、
触れたり、巡り合ったりして「よし!」と思うものが書けるのかも知れない。
どちらにしても色んな物事に触れていなければ、
触発されることもないので充電期間は必要で、
100パーセント充電されたらまた始動できる………と思います。

最後、ちょっと弱気になりましたが、
今年はさすがに書くスパンが短かったなと思います。
1年に6作書いたということは2ヶ月に1作の計算になるので、
充電中の時期があったのかも知れないにも関わらず、
むりやり放電していたのでしょう。
そのまま12月に入り、充電が追いつかずとうとう電池切れ。
充電中の放電だから漏電もしていたのでしょう。
突然ぷつん、と切れて何も書けなくなった。今現在その状態です。
もちろん、1年の間に素晴らしい本、映画、音楽、芸術等に触れました。
そこからせっかくいただいたパワーに対し、消化させられなかった。
感情が揺り動かされる大きな出来事もあったのに、
書くために懸命になりすぎてどこか心の片隅に置いやってしまっていた。

来年はきちんと消化し、充電する期間を設けようと思います。 
そうでなければもったいないし、愉しんで苦しめない(笑)
何よりも、満足できるものを書きたいし、読んでもらいたいから。

追記:
「Mistery Circle」さまサイトにて、
タイトルの変更が無事行われました。管理人さま、
お手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした。 

お題小説ブログ、Mistery Circleさま(第64回目)に掲載していただきました。
今回はひとつに絞れず、2作品書きました。

今回、私にいただいたお題は、

起 裏切ったのは、あんたの方じゃないか。そんな台詞が頭に浮かんだ。
結 その左手は義手だったのですね?

と、いう文章でした。

「砂時計の住人」
http://misterycirclenovels.blog.fc2.com/blog-entry-455.html

「軌跡」
http://misterycirclenovels.blog.fc2.com/blog-entry-456.html

ふたつとも関連性はなく、別々のお話です。
「砂時計の住人」は若干、暴力描写がございます。苦手な方はどうかお気をつけてください。「軌跡」はふたりの女性の終末と再生の物語です。こちらは暴力も性描写もございません。それでもふたつとも読んでいただけるとありがたく思います。ぜひご一読くださいませ。

最初にお題を受け取ったとき、裏切りや乱暴な台詞だったのでとても悩みました。そして義手。義手に関しては山田詠美さんの短篇小説でとても敬愛する作品があり、その物語を思い出してしまうとどうしても自分で書くものが陳腐に思えたので、そこから自分を切り離すのが個人的に最も大変な部分でした。

そして、今回、自分の中で「まるまる影響を受ける時期」と「この辺でやめておいて書くことに集中する時期」というのを、自分の中のキャディさんが完全に読み間違いました。書く段階に入らなければならないのに、読んだもの、観たものの影響が強く、なかなか取り掛かれない上に、影響がそのまま物語に反映されてしまい、何度もやり直しました。7作くらい物語を作り、6作目くらいに書いたものを採用して、何とか物語を膨らませ、いたはずの人物を削り…なんと言うか、MCさんに初めてお題小説を投稿したときを思い出しました。

いただいたお題は初見で、あ、書ける、と直感で思うものは、大体うまくカチッと嵌り、筆の進みも速いのですが、うまく嵌らないとお題という縛りが急に窮屈に思えます。最初は何もかもが初めてだったので、とにかく窮屈でたまらなかった(今だから言える)MCさんの中でもかなりのベテランになった今はお題の文面をかなり変化させたり、お題そのものをテーマにしたり、と応用を利かせられるようになったのですが、今回はその私の中のキャディさん(しつこい)のせいで、ほぼ何も書けず。もとい、書けるのだけど私の文章じゃなくて、影響を受けたものの受け売りのようになってしまった。なので、少し休憩してとにかくお題小説から離れてみました。そのおかげで、アイディアはたくさん貯まったのですが、いかんせんひとつの小説を書くには多すぎました(笑)いくつかのアイディアがまた、別の作品で発表できるよう活かしたいと思います。

小説を書いていたのはちょうどリオ・パラリンピックの真っ最中であり、そのことからも「義手」という言葉に敏感になりました。特別に普段からも差別したことはないし、身近にもいた。けれど物語の中に入るとどうしてもそれは特別な要素になってしまう。そこだけが目立たないよう取り組んだつもりです。

では今いちど、ぜひ読んでね!


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あまりにも近くにさよならがあったので、なかなか書けなかった。
愛猫ろでむ、18日の深夜亡くなりました。
くろちゃんの下に行ったのだから大丈夫。
そう言い聞かせて毎日を過ごしています。

少しだけ、ろでちゃんとの最期を書かせてください。
その日、昼に猫病院に連れて行き、点滴をしてもらい、
今後の治療について話し合いをしたばかりでした。
けれど、帰宅してからなんだかいつもと様子が違った。
予感がした。予感はしたけど、精一杯ろでちゃんが苦しまないよう、
送ってあげようと思った。
見えないけれど、くろちゃんにも祈ってお願いした。
ろでちゃんを見守って、苦しそうなら連れて行って欲しいと。

私はその日ずっと、ろでちゃんの手ってを握り、
瞳孔が夜に似つかわしくない開き方をしたらすかさず名前を呼んだ。
けれど何度も痙攣を起こし、もう体力もなくなってきたのがわかった。
数秒に一度の呼吸音の中、瞳孔はすっと大きく透明になり始めた。
最期だ。私は瞳孔が開ききってしまう前に「ありがとうね!」と叫んだ。
そのあと鼓動は完全に止まった。
胸に抱きしめた身体の柔らかさと正反対に、
やせ細り、規則正しく並んだ骨がやるせなかった。
ろでちゃんはがんばってくれた。
私も…もしかしたらもっとがんばれば、ろでちゃんは復活したかも知れない。
けれど私にはできなかった。ここまでしか。
そしてここまで世話をさせてくれて、可愛い、いとおしい、と思わせてくれてありがとう、
ただそれだけを思った。

これからは、みみちゃん、ななちゃん、らむ子さんとの暮らしになる。
子供の頃は仲が良くなかったななちゃんだけれど、
ろでの体力が落ちて来た頃、よく身体を舐めて一緒に眠っていた。
そのななちゃんが、ろでの最期の姿を見てしまって、
そのせいか判らないけれど今は若干情緒不安定だ。
きちんと不安を取り除いてあげたい。
言葉が通じるのかはわからないけれど、
かわいいね、大好きだよ、大切なんだよ、と3にゃんに毎日言っている。
なんだかんだで(らむ子さんだけ判らないけれど)みみとななは18歳。
いつ何が起こるのか判らない年齢。
私自身が後悔しないように、ではなく、彼女たちに、
痛みや辛さを感じさせないようにして寿命まで一緒に暮らしていきたい。


◇ ◆ ◇

画像は亡くなる数日前のろでちゃんと私の足。
よくこうして寄り添ってくれていました。これが最期の写真になりました。
そして高いところからじっと見ていた精悍な顔つきの1枚。
ついキラーン加工してしまいました(´∀`)


消すのはもったいないので2009年のらむ子さんGIFを。
ここまでサイズがバラバラだったとは知らなかった。

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最近、愛猫ろでちゃん(ろでむ)にかかりきりの毎日です。
ろでちゃんは糖尿病で、毎日インスリン注射を打っていましたが、
体力がなくなって低血圧になり、注射は必要のない状態になっています。
けれど2日に1度は病院に行き、点滴と3本の注射を打たなければなりません。

獣医さんに聞きました。
「もしかしたらですが、早いうちの覚悟が必要になっていますか」
意を決して言った質問です。怖かったです。
けれどやはり、今の状態が「いっぱいいっぱい」だそうで、
もちろん、はい、とは仰らないけれどその空気は読み取りました。
それでも本人が食べたいという意欲を見せ続けてくれる以上は、
これまで同様、猫っかわいがりします。猫だけに。
毛づくろいができなくなり、代わりを私が担当しています。
ぬるま湯を注いだ桶に足を、ひたっとつけると、
ぴくっとするのですが気持ちいいらしくじっとします。
これがかわいくてかわいくて。
しばらくのんびり足湯を堪能してもらいますが、
足を拭くのは嫌がります。
皮膚が薄くなっているのでこすらずに、
柔らかく揉むような感じで水気を吸い取ってゆく。

ごはんの後は口の端や鼻の先にまでごはんがついたままになりますが、
その姿は無防備でかわいくて笑ってしまいます。そこをまた嫌がられながらごしごし。
トイレはそちらの方向に動いたのを見かけたらすかさず抱っこして、
トイレの中に入れます。時々目が届かず、床に粗相したのを踏んでしまいます。

けれど、そういった気遣いは必要ではあっても、
普通に暮らしています。こうして文章を書いている今は、
お昼ごはんを終えた猫たちがみんなまるくなって眠っていて、
ななちゃんは私の足の上に頭を乗せているので動けません(笑)
けれどこれが生きるということなのだなと思う。
陽が昇り、ばたばたとして夕刻になり、月がはっきり見える時間まで。
そうして暮らしていく。
変化は必ず起こるのだから。

◇ ◆ ◇

最後もGIFで締めましょう。じゃれまくるななちゃんです。これは最近。
 
ななとお遊び01ななとお遊び1ななとお遊び2

画像が荒くて見づらい…


ハッピーニューイヤー
 
mimi_collage1

2016年が始まりましたね。あけましておめでとうございます。
私はシルヴィ・ギエムのボレロで幕を開けました。
素晴らしく心に迫る迫力でテレビながら感動が押し寄せました。

昨年は、31日に熱を出していたため、ほぼ記憶がなく、
思い出すことといえば本に始まり本に終わり、時々映画、という毎日でした。
電子書籍と紙書籍も出版。小説の投稿もウェブ小説も続けた。
今年は文芸賞に応募しようと思います。
そしてさらに勉強不足を補い、趣味としても読書は続けます。

まずは今年のご挨拶。
毎年大晦日はあまり体調が良くなく、
今年もあまり本調子ではございませんが、
ギエムさまで年を越せたおかげでエネルギーをもらえたようです。
好きなことは諦めず、自分に嘘をつかないで生きていきたいと思います。
それから、2016年はもう少しブログを更新したいとも思っております。
今年もどうぞよろしくお願いします。

上画像は連写したみみちゃん。左だけなぜか目つきがチンピラ。


 


あっ らむ子さんがうとうとしてる!
撮ろう!という気持ちが先走りしてアップ過ぎたのが右。

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11月21日締め切りの原稿を終えました。
今年最後のお題小説です。

ずっとかかりきりだったので、
頭の中は物語でいっぱいでした。
本も小説だと影響を受けてしまうので、
読書案内やエッセイなどを選んで読みました。
今はアウトプットが終わりすっきりしています。
どんな影響も入っておいで!と腕を広げています。
インプットも大事だけれどアウトプットして、
少しお腹をすかせなければ栄養を要求しない。
今回は特にそんなことを感じたように思います。

思えば昨年(2014年)
「エデンの東」を読んだのがほぼきっかけで、
本格的に読書を記録するようになりました。
一昨年は家族のことで多忙だったため、
読むスピードは数ヶ月に数冊でしたが、
1年でひと息に200冊以上読んだため、
アウトプットするにもどこかで感情が凝固してしまい、
スムースに流れていかなかったのかなと思います。
何事もバランスは必要だなと痛感した出来事として、
今回のお題小説を書いたときに思いました。

エピソードが浮かぶというのはありがたいことですが、
短篇では大きなエピソードはひとつふたつあれば充分です。
それ以上膨らむとごちゃごちゃしてしまいます。
もちろん消化できるのなら問題ないですが、
私は多分書ききれないと思います…

それでも何とか終わりを向かえ、
登場人物たちともお別れいたしました。
またどこかの小説の中で会えるかな、と想いを馳せつつ、
書き終えてからささやかにひとりで乾杯をしました。
ビールおいしかったです。ひさしぶりでした(笑)
そしてまた本もごくごくと飲もうと思います。楽しみ!


◇ ◆ ◇

今日の記事タイトルもかっこつけてますが、
ただ単に頭がすっきりして書き物が進むときの状態は、
多少おなかがすいているときが適してるよね!という意味です(・∀・)
らむ子さんの写真もなかなかこうしてみると雰囲気があるような。 


小説ブログ「L'oiseau Blue」にて、
「微?エロで32のお題」の26作目を更新しました。
今回のテーマは「探す」です。
微エロどころか、全然エロくないです。よろしかったらご一読ください。

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「アリスの宝物」
http://blog.livedoor.jp/y_yukisaka/archives/52198605.html

この物語は2005年に書いたもので、
今は削除してしまいましたが「ソファーの上でロマンスを」という、
もうひとつあった小説ブログに掲載していました。
その中で今回のお題「探す」 にぴったりだなと思い、かなり手を加えアップしました。 

ふたりきりで暮らしていた祖母を亡くし、途方に暮れるアリスという少女。
偶然その場に居合わせ、手を差し延べる他人のシガレット。
アリスは少女らしい生意気な少女にすくすくと育つが、シガレットは優柔不断な男。
恋人を不安にさせるほど不器用で過去に愛想を尽かされてもいる。
そんなアリスとシガレットの日常は普通の親子のような兄妹のような日々だった。
けれどアリスは成長していく。このままではいけないと思う。
そこから始まる物語です。

何と言うか…
2005年、10年前の自分は傍若無人だったというか…
今もあまり変わらないですが、ひとつのブログエントリ内に収めてしまうような、
単純なテーマではないものをたやすく書き終えてしまっていたことに驚愕しています。
タイトルも非常に悩み、結果的に呆気ないくらい素朴なタイトルになりました。
その他にも英語にしてみたり、目玉焼き、カフェ・モカ、トマト、と言った、
物語の中に出てくる重要な言葉からも考えましたが、まとまらず。 

強引ではありますが、自分の中で終らせた話です。
決していい加減にそう思ったのではなく、答えが出せないほど複雑な設定だったので。
まずアリスの出生、シガレットのこれまで、恋人のカーラ…。
本来ならばもっと書かなければいけない部分がたくさんありましたが、
客観的に見て、この設定は雰囲気で書き終えられる話ではないし、
先述のとおりブログに書くなら連載として小分けしなければ、
読む方にストレスを感じさせてしまうと思いました。
もしも書くとしたらどこか別の所で設定も名前もすべて変えて書こうと考えています。

「ソファーの上でロマンスを」の中にはまだ手を加えて、
再アップできるものもあるかな、と思っておりますが、
想像以上に中途半端な小説が多くて自分で驚いています。
ああ、こんなに度胸があったんだと。悪い意味で…(笑うしかない
勘違いって怖いですね…(笑うしk

「32のお題」も残すところあと6作になりました。
がんばってきちんと書き終えようと思います。
ただし、書き損じのないよう戒めて。魅力的な作品が書けるよう、
がんばっていこうと思います。応援してね!(軽薄か 

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/ 画像は2点ともTumblrより。 

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