昨年の私は「散々」と「しがらみ」いう言葉を筆文字で書き、
藁人形に打ち付けたいような年でした。
しかし今年は何故だか大晦日からわくわくする感覚が沸いて来て、
まだ見ぬ2019年がとても楽しみに思えたのが驚きでした。
別段何をした訳でもない。そこで思う。
年が変わるというのはただ日付をまたぎ、今日から明日になるだけではないのだと。
確実に何か目に見えないものがしっかり息づいているのだと思うのです。
藁人形に打ち付けたいような年でした。
しかし今年は何故だか大晦日からわくわくする感覚が沸いて来て、
まだ見ぬ2019年がとても楽しみに思えたのが驚きでした。
別段何をした訳でもない。そこで思う。
年が変わるというのはただ日付をまたぎ、今日から明日になるだけではないのだと。
確実に何か目に見えないものがしっかり息づいているのだと思うのです。
もちろん、だからと言って今年に入り、
いきなり悩みごとの元が断たれる訳ではなく、未だ継続しているモノもある。
けれど突如芽生えたその「わくわく」という気持ちひとつで物事の捉え方に変化ができ、
少しずつと言うよりは強引な形で幸せへと進んでいます。
昨年失くしたものがあった分、心の器には他のものを受け入れられる余裕もできました。
いきなり悩みごとの元が断たれる訳ではなく、未だ継続しているモノもある。
けれど突如芽生えたその「わくわく」という気持ちひとつで物事の捉え方に変化ができ、
少しずつと言うよりは強引な形で幸せへと進んでいます。
昨年失くしたものがあった分、心の器には他のものを受け入れられる余裕もできました。
それがとても神秘的に感じたので神社だけは参拝に行かなければと思い、
初詣に出かけ、今回もしっかり勢い良くお賽銭をバーン!と投げ、
神様に昨年の感謝とお祈りをしましたが、今年は少し図太く言わせてもらった。
初詣に出かけ、今回もしっかり勢い良くお賽銭をバーン!と投げ、
神様に昨年の感謝とお祈りをしましたが、今年は少し図太く言わせてもらった。
「私は精一杯がんばる。だから神様、困った時には助けを求めるから救え」
そのように伝えた。もちろん意訳だ。
そこまで神様に啖呵を切ったのだから、
私は今年、そして来年再来年と、1年だけではなく自分自身をきちんと見つめ、
自分以外の人間が抱える問題を自分と混同しないことに気をつけ、
幸せを目標にしようと本気で思う。
私自身を大切にする。
そんな私という人間を、
自分を大切にしようとしてちいさな手を合わせる誰かを、
神よ、
どうか救いなさい。
◆ ◇ ◆
この文章は自分の過去ブログにも載せましたが、
最初は「She is」というサイトのエッセイの公募に向けて書いたものでした。
そのときのテーマは「ハロー、運命」ぴったりだ!と膝を打つほどだった、が、あいにく掲載にはなりませんでした(笑)それでもこの時に感じたこの心の動きを3月に入った今も大事にしております。ちなみに上の画像は私の足元と凍る玄関前です。
そこまで神様に啖呵を切ったのだから、
私は今年、そして来年再来年と、1年だけではなく自分自身をきちんと見つめ、
自分以外の人間が抱える問題を自分と混同しないことに気をつけ、
幸せを目標にしようと本気で思う。
私自身を大切にする。
そんな私という人間を、
自分を大切にしようとしてちいさな手を合わせる誰かを、
神よ、
どうか救いなさい。
◆ ◇ ◆
この文章は自分の過去ブログにも載せましたが、
最初は「She is」というサイトのエッセイの公募に向けて書いたものでした。
そのときのテーマは「ハロー、運命」ぴったりだ!と膝を打つほどだった、が、あいにく掲載にはなりませんでした(笑)それでもこの時に感じたこの心の動きを3月に入った今も大事にしております。ちなみに上の画像は私の足元と凍る玄関前です。