First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: 日常ダイナマイト


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3月1日、母が入院することになった。
元の認知症に加え、脳梗塞と動脈硬化。
すぐにその日、ICUに入った。

1日その日、
父の兄の兄、私には義理のおじさんにあたる人が亡くなり、
細かな準備もあったので、母を病院に連れていく予定を後回しにした。
医師に「26日、いきなり言葉を発せなくなりました」と伝えると、
「すぐに連れてきて!」と言われた。
「血管が切れているかも知れない」と。
大慌てで家に戻り、母を病院に連れていき、
MRI、ホルター、採血など検査をして、上の結果が出た。

私も父も母も担当医師の話を聴いた。
「26日当日に来たらもう少し進んでいなかったかもしれない」
私は認知症の症状が進行したのだとばかり思っていて、
救急車を、という発想に至らなかった。

私のせいだ。

動脈硬化という病気の原因も、
もしかしたら毎日の食を預かっていた私が、
手抜きをして油っこいものを食べさせたのかも知れない。
お母さん、ごめん。私のせいだ。
そう思うと泣けてきた。
母の前で泣きたくなかった。
でもあまりの不甲斐なさに涙が溢れて止めることができなかった。
医師は「そんなに泣かないで。認知症もあるし、素人の判断では難しい」
と、すかさずフォローを入れてくれた。
「私たちはプロで、これでご飯を食べている訳ですし」
とも言ってくれた。
そして医師はどうかご家族の方は自分達を責めないでください。
これは嘘でもなんでもなく本心です。そう言った。 
これまで、母には何でもないですよ、と言い、
家族にはアルツハイマーが進行しています、
と、ふたつの言葉を用意しなければならない立場だった医師。
本心です、という言葉は重かった。心に響いた。
先生、ありがとうございます。
今まで3秒診療じゃん、などと思っていてごめんなさい。

とにかく手術をするまでではないということ。
2週間ほど入院して細かな検査をして原因を究明していこうと話した。
母はついこの間、かかりつけの内科に行ったばかりで、
血圧は低く、心配されたくらいだった。
肺も心電図も異常なし。
以前吸っていたタバコも忘れてしまったのか、
最近はもう吸っていなかった。
他の病気を持っている訳でもないので、
どうして急にこんなことに、と毎日のメニューを書いたメモや、
母の朝から晩までの日記を読み返し、考えた。 
思い当たることと言えば、的外れかもしれないが、
うちが古く、寒暖差が激しいこと。
お風呂を出た瞬間、マイナスの気温の中に出てくる。
タオルだけかぶせて、すぐに暖かい部屋に移動するけれど、
その数秒ですら年齢を重ねた母には負担だったのかもしれない。

ICUの病室に入る時は消毒をして、
専用の衣服とスリッパを身につけ、マスクを着用した。
横たわり、点滴液を腕につけた母の手を握り、
マスクの上から目だけで笑って、
今日から入院することになったけど、急でごめんね。
先生や看護士さんたちはみんな優しいから。
みんなお母さんの味方だから。 
私もマスター(父)もお姉ちゃんも、明日また来るから。毎日来るから。
そう言うと母はいつものとおり、柔かい笑顔を曖昧に浮かべていた。
私達は手を振って ICUの病室を出た。
父はすぐにお通夜の場所に向かい、昨夜はそのまま戻らなかった。
母のことが気にかかるのは当然だけれど、
お兄さんにきちんと別れを言っておいで、落ち着いてね、と、
言葉をかけた。
本当は私も落ち着いていなかったけれど、
亡くなったおじさんと母のことは全く別だ。
私はひとりで家に戻り、猫たちにえさをやり、水を換え、
洗濯をして遅い夕飯をとった。

夢は、母のことばかりが出てきた。


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日が明けて今日、入院準備をした鞄を持って、
姉と私で再び病院に行った。
母はまた点滴をたくさんつけていたが、付き添われ、ゆっくり歩いてきた。
でっきり病室に呼ばれるかと思っていたので、驚いた。
けれど少しでも歩くのは良い運動になるし、
その対処法がありがたかった。

言葉はたどたどしく、私がほぼ一方的に喋り、
いつものように笑わせたりしたが、
時折、思い出したように猫の名前を口にし、
またしても思い出したように席を立ち、どこかに行こうとし、
慌てて「どうしたの?座ってていいよ」と姉と母を座らせた。 

その後はすぐに眠くなってしまい、病室に戻ることにしたが、
一段と小さくて、昨夜かきむしったと言っていた目が腫れていて、
何だか別人に見えた。
ちょうど4時になり、面会時間が終わる頃、
リハビリ担当の療育師さんが来て、母に話しかけた。 
「桜、猫、電車、と言ってみてください」と言っても、
療育師さんの言葉を、母はなかなか反芻することができない。 
「はい」とだけ返事をする。
「言ってみて」と再び言うと、
つたなく「言ってみて」 と言う。
そこを粘り強く何度も「桜、猫、電車、どれでもいいですよ」と続ける。
母はひとこと、
「ねこ」
と、言った。

さすがだ(笑)
母の猫好き。只者ではない。

療育師さんも「おおっ そうそう!次は?」と促す。
「・・・さくら でんしゃ」小さな声で母は言う。
そのたびに療育師さんは、
「言えるじゃないですかぁ!」と笑顔を向けてくれる。
それから病気になってからのコミュニケーションのとり方、
言葉の言える範囲はどのようなものだったのかなど話し、
私と姉は病室を出た。
「先生は優しいから大丈夫だよ」とまた言って。
療育師さんは笑った。 


明日もまた母に会いに行く。
明日は父も一緒だ。
少しでも気が紛れるように、
柔らかな笑顔が途切れないように、
猫の写真でも持っていこうかと思う。
今日も昨日に引き続き、よく晴れた日で、
凍った水が溶けて陽があたり、
きらきらと輝いていて、しばし見惚れた。


上画像は陽だまりの中、ぐうぐう眠るらむ子さん。

heart_hand
 
久しぶりに長文になりそうです。
読まれる方、覚悟(笑)

今日髪を切った。一年振りに。
腰を超えるほど長く伸び、とにかく結ばないと、
日常生活が大変だった。それを肩の位置までばさり。
気持ち良かった。取れかけたウェーブのかかった髪が床に落ち、
シャンプーの後、整えた時は10代の頃の懐かしいストレートだった。
私が毎回通う美容室は、一人のお客様にじっくりと時間をかけてくれて、
髪へのリクエストを、1ミリも疎かにしない信用できる美容師さんだ。
場所が変わり、家から少し遠くなっても、
毎回、その美容師さんに髪を任せる。私のオンリーワン。

そして、今回私の髪はもちろんだが、
母の髪を切って欲しい、と切り出すのを迷った。
私は母が髪を切りたい、と言ってきた時点で、
そこに任せようと思ったのだけど、周りが、
その美容院はそういう人を受け入れてくれる所なのか、
と、気にかけていた。
確かに意思の疎通は難しいが、喋る事ができない訳ではない。
しかし固有名詞がとにかく判らなくなっているので会話が心配ではあった。
けれど、もちろん私が一緒についていくのだし、と言うところで、
周りの人間は曖昧に頷いていた。
その曖昧さが怖かった。何だか心許なくなる。
どんなふうに答えられても不安だが、私が「決定」するのは怖い。
という事で、直接訊いてみた。
美容師さんは(もちろんだけど)べらべら喋る人ではなく、
私は言葉を選び、母の病気を説明し、

母が髪を切りたがっています。
伸び放題なんです。最低限の条件は決めますので、
髪をお任せしてもいいですか。

と、言った。
迷った割には結構はっきり言ったな、と思う。
「はい」か「迷い」の目を見せるか、どちらかだと思ったのだが、
美容師さんは「もちろんです。喜んで。ぜひ切らせてください」と言ってくれた。
涙は・・・出なかったけれど、私の心は一気に潤んだ。
そして、母がもしも他のお客さんと会いたくなければ、
前後に誰もいない時間を選びます、と心遣いを見せてくれた。
その言葉はとても優しく、贈り物をいただいたように、
とてもとても頼もしく嬉しかった。本当にありがたかった。

帰り際にも「いつでも連絡してください」と言って、
深々とお辞儀をして私を見送ってくれた。
それは毎回で、いつも笑顔になれる。
けれど今日は私にとって特別な意味合いを持ったお辞儀だった。

きっと今よりこれからの方が大変になると思う。
誰からも返事がなくてもいいからツイッターなどで呟いて、発散している。
そう話すと「どんどんぶちまけろ!」とも言ってくれた。
大変力強い言葉。よくよく考えてみると、
私は随分その美容師さんの言葉に救われてきた。
色んな事を教えてもらっている。
過去にもあった。このブログにも書いた。
ただあの頃の私はもっと人間関係に壁を作っていたと思う。
人見知りというヤツで。
しかし今は人見知りしている場合ではなくて、
人と話す時、柔軟になり、声も大きく出すようになった。
(母がなかなか聞き取らないからクセになっていた)
会話、というものをきちんとするようになっていると思う。
母とはケンカばかりしている訳ではないし、よく笑い、話もする。
母が覚えていなければ、チャンスとばかりに同じ話もする(笑)
そして時折、歌う。母は昔から音楽が好きで、
音楽だけは覚えて歌えるから。感覚を刺激するようにしている。

話が逸れましたが、
そんな訳で久しぶりに行った美容院で、大きな勇気と安堵感をもらえた。
他人に体の一部、特に髪を触らせるのは抵抗がある場合もある。
けれど何よりも信頼感があれば、へっちゃらになる。
色々、家では大変だったり罰ゲームのような事柄が起きるけれど、
こういった信頼感のおかげで何度でもむくむくと希望と言う細胞が活性化される気がする。
信頼している人の手なら怖くない。撫でられている猫のように安心できる。
母にもそんな柔かく、頼もしい手を感じてみて欲しい。
新しい髪形になってわくわくして欲しい。


◆ ◆ ◆

先に、大変なんて書いたけれど結構最近は平和に暮らしている。
私にある程度、覚悟ができたところもある。
マスター(父)が入院した時、すべてが私にのしかかったが、
何とか超えられたのが大きい。責任感が育ってくれたのだろう。
母の病気はつくづく奇異だと思うけれど、私にとって母はどこまでも母だ。
時に、そんな当然の事に気づけなくなるのがこの病気だ。
そこを少しばかり超えたかな、と思う。今は。

「私がついてるから大丈夫。安心して」

この言葉を、常に言えるようにストレスを溜めず、
ツイートでいいからぶちまけ(笑)
ゆるゆると過ごしていけたらいい。
病気には名前があり、同じ病名の人はたくさんいる。
けれど、人それぞれに病気の症状の出方は違うのだから。


・・・ええと、
一気に書いたので文章が支離滅裂かもしれません。
が、今の正直な気持ちなのでこのままにします。
心の揺れを、そのままに。

(注)こんな大変な状況なのに、個人的な記事です。
読み飛ばしていただいて構いません。内容も重いです。


fancy


母がどんどん忘れてゆく。
最近の出来事、あらゆる名前、猫の撫で方まで。

時折、
「ねえ、お母さんの事相談してみようか」と、
母自身に訊ねてしまいそうになり、呆然とする。
私の知っている母はそこにはいない。
知らない人が目の前でぎこちなくご飯を食べていたり、
ひたすら眠っているだけ。

しかし子どもが成長していくのとは違う。
医師に言わせると、落ちていくだけだと言われる。
でなければ、現状維持。
現状維持?良くなってくれないの?信じたくない。
しかし確実に私が手を出す事柄は日々増えている。
その先に希望が見えないのが辛い。
母がベッドに眠りに行って、やっと一日を終えた、とため息をつく。
母は昼間、何もしない。しようともしない。
少しでも体を動かしてみて、腕を伸ばすだけでいいから、
と、言ってもやってくれない。なぜしないの?と問うと、
「面倒」という言葉で片付けられる。
腹が立って、そんなに寝たきりになりたいの、と怒鳴る。
そうでなければ、ぷい、と場所を離れる。
しかし戻ってきたら既にもう眠っている。

いつも辿り着くのは、
人間が記憶を失くしていく様は、
きれいなものじゃないという事だけ。
もう受け入れている。ただ私が少し疲れているだけだ。

心が疲弊した時に絶対的に必要なものは好意的な興味だと思う。
一日を終えた夜に、
自分が何かを好きだという気持ちや、信じたり、希望を持つ気持ちが、
短時間でいいから何よりも上回って欲しい。願うように思う。
何かを好きだと思い、興味を持つのが、
どれほど大切で、どれほど難しいか、
これほど痛切に感じることは今までなかった。
生に興味を失くした人間は人間ではなく手のかかる人形だ。
 
私は自己顕示欲の強い冷酷な人間です。


aba041c4.jpg

***

家では最近、母とトランプをしている。
読み書きができないので、今のところ「神経衰弱」のみ。
最初は、数字がなかなか読めず苦心していた母だが、
元がゲーム好きなので、楽しそうに毎日遊んでいる。
しかしショックだったのは圧倒的に私が勝つだろうとタカをくくっていたのに、
「圧倒的」ではない勝ち方だったこと。
おとついは2組だけ私のカードが多かっただけで昨日は引き分け。
今日に至っては負けてしまった。
私はゲームは普段からしないしトランプも苦手、と強がりたくなった。
また明日もやる予定なので明日こそは大勝利してやる。

母も段々、数字が読めないなんてどの口が?というほど、
あっけなくカードを開き、ほいほいと組を合わせて手に入れてしまう。
あっという間に少なくなる並べたカード。これは本当に頭の活性化になるかも。
遊んでいるつもりが本当に神経が衰弱してしまったら大変だが、
もう少し慣れたらババ抜きとかもやってみたい。

本気で笑って、母が大好きな音楽をかけて、
「楽しむ」ということを思い出して欲しい。
何となく母の調子が悪くなった時を思い起こすと生活がつまらなさそうだった。
父はテレビを見ていることが多く話もしないし、病院も気乗りしない調子で。
退屈も過ぎると危険だ。ぼんやりすることが多くなるというのは恐ろしい。
とにかく元気に笑って遊んで、暮らしというものを少しでもにぎやかにしたいと思う。


画像のリマっちは何となく風を浴びて気持ち良さそうだったので。
こんなふうに気分転換な「ぼんやり」は必要だと思う。
(勝手にイメージしているだけでこの写真のリマっちの気持ちは知らない。)

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