First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: 日常ダイナマイト


※mixi日記

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今日、デイから戻った時の母はいつもと変わらなかった。 
ところが、夕飯を終え、しばらくソファに座ってから言葉を発しなくなった。 
発せないわけではないらしく、しつこく訪ねると返事は戻ってくる。 
しかしいつものようにたった一言の「うん」とか「いや」とか、 
そういう単語すら全然口にしない。 
「おやすみ」も言わなかった。 
ただ目だけぎょろぎょろして天井を見てる。 

一緒に寝ている父が「寒くないか?」と聞くと、 
「寒い」と言うらしいが、手は冷たくない。 
眠れないとも言う。 
ただその言い方がイラついてるような感じ。 
脳梗塞で言語野がやられてしまったので、 
思ったとおりには話せないし、会話はできない。 
それは今までもそうだった。 
けれど「うん」すら発さない上、いつも寝すぎるくらい眠る人が、 
眠れない、というのが気になる。 

仮に症状が落ちてしまったと考える。 
急だ。いつも。 
以前、なだらかに下降していくもの、と、医師はこの病気について語った。 
しかし、毎回毎回なだらかだった事なんてない。 


※ ※ ※ 

明日、姉が来るけれど、関わり方について 不安だ。
あまりにもひとりで母を見ていたせいか、 
頼り方というか関わり方が判らなくなっている。 
姉が来たら安心はするが、
同時に気遣い過ぎて、ただただ疲弊してしまう。 

姉にやってもらいたい事は下の世話とかではない。 
私に会う事でもない。今のうちに、母が顔を忘れてしまわず、 
こうして急に言葉が出なくなってから後悔しないように、 
母に会いに来て欲しい。 
命より大切な約束事なんてないと思ってる。極端だけど。 
もしかしたらスケジュール通りには行かないかもしれないし、 
ショートも行けなくなってしまうかもしれない。 
だから今来るのなら母とコミュニケーションをとって欲しい。 
考えに考えた結果がこれだった。 

今のところ、ケアマネさんとのプランで進行していて、 
ショートステイも昨日新たに来月分を予約できた。 
今年最後から来年までスケジュールはできている。 
私のうつ状態も知ってもらっている。 
命より大切な約束事なんてないと思ってる。極端だけど。 
もしかしたらスケジュール通りには行かないかもしれないし、 
ショートも行けなくなってしまうかもしれない。 

けれど、何が起こるか判らないから覚悟だけはしておく。 
いつでも動けるようにはしておかなければならない。


2012年11月23日

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見直すと意味が判りにくい文章があったので手直し。
姉にして欲しいことを羅列しているが、
私自身がもう投げ出したかったんだろう。


2015年(平成25年)6月30日 転載 


※mixi日記

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この間、横浜に住む同級生である友人が遊びに来ていた。 
楽しく、明るく過ごした、と思う。 
もちろん、友人になんの落ち度はなく、 
思いやりを持った彼女には連れ出してくれたことに、 
深く感謝しているし、これからも縁を大切にしたいと思う。 

ただ個人的に自分の内面が最低だった。 
彼女も仕事で色々な事があり、多忙で大変そうなのに、 
そんな話を聴きながらも、そんな彼女が眩しかった。 
で、落ち込んだ。 

私の周りは友人を含め、同い年で親の介護をしている人がいない。 
(いても私の近くにはいない) 
なので相談はもっぱらケアマネさんや、 
自分のかかりつけの病院の医師に話す。 
友人と話していてその差がどんどん広がった。 
自分が彼女よりも老けているように感じたり、 
または情報が極端になり、ネット上での話題が多いせいか、 
子どもっぽく感じたりして焦りが生じた。 
更には、元上司が経営するお店で「お母さん元気か?」という、 
何気ない一言で涙が出そうになり、慌てた。 
虚しかった。 

睡眠薬を常用しているが、
ここしばらく早朝覚醒してしまい、もう一度飲もうか迷う。 
でも目覚めてしまったとは言え、朝の3時に飲んだら、
今度は起きるのがつらいのでは、 と、考え直して飲まない。
そしてそのまま眠れずに目覚ましが鳴る。 

今は以前やりたいと思った事もやる気力がない。 
デイの日は寝たまま、時が過ぎる。 
次回のショートステイは一日多く希望を入れられたので、少しは休まるだろうか。 
とにかく今のままではやばい。 
完璧に、鬱状態だ。客観的に見ても。 

明日はデイサービスがない日。 
私はちゃんと母を起こせるだろうか。 
自分の弱い気持ちに負けて布団から出ず、 
母を寝っぱなしにさせてはいけないのだ。 


----------------キリトリセン(ここから愚痴注意)-------------------- 

てか、父さあ。 

起きてんだから朝のおむつ交換くらいたまにはしろ。 
できないじゃなくやる気を出せ。わからないなら見て憶えろ。 
母を起こさず、ずーっとドラマ見てんじゃねえ。 
ご飯食べさせてる時に一人だけ関係ない顔してんじゃねえ。 
足元危ないのに床に簡易寝床作って寝転がってばかりいるな。 
おかげで母が今日引っかかって転んだじゃないか。 
いいか。配偶者だろう。自分で選んだひとなんだろう。 
 
自分が看られないというなら施設とか方法考えろ。 
私に丸投げするな。 

以上。失礼しました!


2012年11月22日

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人格が上と下で違います。
母が転んでも怪我がなくてラッキーだったのだと思う。 

2013年(平成25年)6月30日 転載 


※mixi日記

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続きになります。 

そんなこんなで、 
デイサービス、ショートステイなど、 
フルに活用させていただいて、 
何とかまぬがれている。 
私はまだ起きられない、というか、 
起きて何かを考えたくなくて母がいない間、 
ずっと眠る、という生活にしていた。 
うつ状態も治したい、という意味でも。 

以前かかった胃腸炎は治りつつある。 
しかし、口内炎が口中にできてなかなかごはんを食べられず、 
エンシュアリキッドを服用した。 
私が動けないと困るから。 

なので、最近はやはり施設入所、というものが頭をよぎる。 
父は母の介護から逃げているから体の調子を崩しやすい。 
勝手な考えだけれど、人は目を向けなくてはならないものから逃げると、 
その代償のように体の具合が悪くなる。(と、思う) 
きっと私もだ。 
しかしこんな事を考えていても仕方ないので、 
具体的に行動したい。 
もしも施設入所となれば、 
今のケアマネさんとは離れなければならない。 
しかし、そんなに簡単に入所できるものでもない。 
ただ、言わなければ。 
じゃないと、もうさすがに限界が近いのだろう。 

それでも、明日、 
友達と会うのだ。そしてその間、母はショートだから、 
気にする事もないのだ。 
3回目のショートステイ、初の2泊3日。 
もしも今回もうまくいけば、来月は一週間予定したい。 

こうすれば母は元気でいられるとか、 
こうすれば健康状態を保て、清潔でいられるとか、 
私は間近にいてわかっているけれど、 
それを常に実行するにはあまりにも疲れる。 
常に2人分。 
母は私にすべてを預けるが、 
預かった分、私は2人分の暮らしをする。 
それがとても重くのしかかる。 

母の事を省けば、私は多分元気だろう。 
笑顔にもなれる。母の前でもだけど。 
だけど、いつも母を寝かせた8時以降、 
明日なんて来なければいいのに、と心の中で元気じゃない私がつぶやく。 

自分勝手でいい。 
わがままといわれても構わない。 
私は楽になりたい。 

自分の人生を生きたい。 


*** 

長くなりました。申し訳ありません。 
100文字限定になったの、知らなかったので、 
2つに分けました。我ながら長い(笑) 
ああ、こうして笑う事は好きだ。とても。

2012年11月15日

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今読み返したら既に半分、崩れてますね・・・。 

2013年(平成25年)6月30日 転載 


※mixi日記

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母はいつもどおり8時になると眠りにつき、 
たった今、横浜から地元にやってきている友人の電話を待っております。 
明日から18日まで母はショートステイ。 
同い年の友人と久しぶりにげらげら笑いたいと思う。 


あまりにも気力がなかった。 
正直、今も。 
気力なんてそう簡単に回復するものじゃないよなあ、と、 
なんとなく神妙に思いつつ、 
体力ですら気力の低下で力を発揮しないこともあるよなあ、 
と、またしげしげと考える。 
タイトルにも含ませたとおり、 
今私は、元気である。 
けれど、元気じゃない。 
両方持っている。 
普通に何かを見て笑ったりするし、 
ネットなどで会話をするのは変わらず楽しい。 

ただやっぱり母の事になると、心ががくっと重くなる。 
ベッドにしがみついて起きたくない。 
起きるしかないけど。しょうがないから。 
父がやってくれる事、
姉が助けてくれる事(就職が決まったので今はあまり会わないが) 
すべてをありがたく思い、受け入れている。 
けれど、鬱という心の中まではさすがに誰も何もできない。 
自分でもわかっている。 
本当は休めば治る。鬱病ではなく、まだ鬱状態だから。 
ストレスの発端となったものから離れれば何とかなる。 
しかし、それがムリだからいつも鬱は私の隣にいるんだよなあ。 

睡眠薬や安定剤といった薬は既に処方されているし、 
先生に話したところでどうにかなるものでもない。 

そして、父は母の事はやろうとしない。 
母のおむつを替えて、とはもう言えない。 
姉も先に書いたようにあまり頼めない。 
けれど最近、母のデイがない日、 
私は明らかにおかしくなった。 
私が起きられないので、母も起きられなかった。 
結局、私が起きだせたのは午後2時。 
恐ろしい事に2日続けてしまった。 
今こうして書けるくらい、何もなかったのだから、 
幸運だったと言わざるを得ない。 
水分も何も摂らせず、ただ寝せたままにしているなんて、 
立派な虐待だと思う。 

その間、父がいなかったのかと言うと、いたのだけど、 
母に対して何もできないから放っておいていた。 
私が起きないと、母の何もかもが動かない。 
その事を、2日続けた事で実感した。 
何か方法を考えねば、と。 
これ以上続けたらやばいので、急遽デイを連日入れさせてもらい、 
母を預けた。 
私が一人で寝ているのなら何の問題もないから。 

(続く)

2012年11月15日

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2013年(平成25年)6月30日 転載 


※mixi日記

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わ。 

前回書いたのって8月だったのか!(驚愕) 
父、退院しっぱなしになってた。 
もう今はめまい体操もサボるほど回復して、 
私にどやされている父です。 

そして、母は9月後半、一泊二日で初ショートステイを経験した。 
いつもデイは送迎があるのだが、今回は父の車で行くことになった。 
初めてのデイの時、見送るのがつらかったのを思い出した。 
母の、どこに行かされるのか判らない怯えたかなしい眼差し。 
またその経験をするのだ。きついな、と思った。 
父がぽつりと言った「いやなもんだな」という一言で思い出したのだ。 
そうか。父は初めてだったのか。 
じゃあ、こういうきつい気持ちを経験しておいてもらって良かった(笑) 
ケアマネさんは「明日なんてすぐ来るから気持ちを切り替えて!」と、 
後ろ髪を引かれる私と父の背中を押してくれた。 

次の日は、 
本当にあっという間にやってきた(笑) 

母の初ショートステイは大きなトラブルもなく、 
平穏無事に終えられて、職員さんが「また来てね」と言ってくれた。 

そしてその間、私は久しぶりの「ひとりきり(&猫たち)」を味わい、 
何にも囚われずに過ごせた。 
当日はどんな変化が訪れたのか判らなかったけれど、 
その後の私の気持ちの落ち着きぶりがすべてを表していた。 
やっぱり、息抜きって大事なんだな。 

母の介助に始まり、介護という言葉も使うほどの状態になり、 
要介護4の認定が下る現在まで、2年か3年経つが、 
深夜から朝、そして昼までも母の何もかもについて、 
考えずに済む事は初めてだったと思う。 

2年か3年。 

この数字を書いていて、 
もちろんこれからもあるけれど、長かったな、と、ひっそり思う。 
もちろん、父の存在、姉の助けはあるけれど、 
概ね私ひとりでやっていたのだ。 
やっとここまで介助の手が伸びたんだな、と思えた。 

日々、 
小さなトラブルはあるし、 
未だ母との言葉の疎通がうまく行かなくて、 
ケンカのようになってしまったりもする。 
絶対的に私が折れなければならないのはきつかった。 
ごはんを食べさせながら母の前で涙が止まらなかった事もあった。 
けれど、本当にやっと、ここまで来れたんだな、と思ったら気が抜けたのか、 
私がアウトー(笑) 

胃腸薬に頭痛薬、風邪薬に安定剤、睡眠薬、 
様々な薬が手放せなくなっていたある日、 
薬すら受けつけなくなり、体がだるくて動けず、急遽姉にヘルプを出した。 
病院へ行くと胃腸炎だった。 
先生がおなかを触って、 
「ガマンしたなー」だったか「こらえたなー」だったか一言、言った。 
そうなのか。私はガマン(こらえて?)していたのか、と思った。 
点滴を強制的に受けながら、私はこれまでのことを淡々と考えていた。 
ガマンは、した覚えはないな、と。 
しかし気持ちよりも体が徐々に蝕まれてしまったのだろうな、とは思った。 

思えば自分の食事も、母に食べさせたあと、 
面倒になって自分は食べず、デイの日なら掃除したあと、そのまま寝てしまい、 
夕飯のみ食べると言う生活になっていた。 
ビールを飲む気力も失っていた。 
ただノルマのように、母の起床時間、トイレの回数、就寝時間、 
それらを短く毎日記録し続ける日々になっていた。 
体が悲鳴をあげるのも当然だ。 
反省しつつ、回復しつつある今も、 
(ほぼお気に入りになった)赤ちゃんせんべいをおやつにしている。 
関係ないが、猫のろでむも歯ぐきの炎症を起こし、 
赤ちゃんごはんを食べている。何と言う偶然。 
そんなところまで一緒じゃなくていいからね。 
いや、一緒にがんばって良くなろうね、とは思うようになった(笑) 
猫は、私が元気じゃないと大変な事になるもん。 
大好きなんだもん、とちょっと甘えた言葉なんぞ言って締めましょう。 

少しでも、心には花が咲いている。 
まだきれいに。 

2012年11月05日

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胃腸炎は今は良くなりました。酷いだるさもなくなった。
体がある程度動かせると気持ちが、がらりと変わる、と実感しています。日々。

2013年(平成25年)6月30日 転載 


※mixi日記

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ちょっと前の話になりますが、 
父が無事、退院しました。 
とは言え、あまり心配していなかったのですが(笑) 
何かあっても病院内だし、みたいな親不孝な考え方をしてました。 

その間、母は連日デイサービスに通わせていただきました。 
私の用意なんてちょろいのですが、母はやはり戸惑った。 
朝になり、用意を済ませても今ひとつ事情を把握していなくて、 
いざお迎えが来たら「今日も行くの?」と言う。 
なので毎日「マスター(父)が入院してるから協力して。がんばろう」と、 
何となく曖昧な理由付けをして母に行ってもらった。 

父の着替えや細々した届け物は、 
姉に車で連れて行ってもらった。ありがたい。 
父の回復は早く、退院も思ったほど日にちがかからなかった。 
が、退院するという朝「今から退院ー」と電話が来た直後、 
電話が壊れたらしく、通じなくなった。 
PCに接続できないことで気づいたことだった。 
その時に限って、ケアマネさんが電話をくれていたらしく、 
通じない!と慌てて家に来てくれた。 

父が入院、母は私ひとりで看てる、というのを、 
ケアマネさんはわかっていたけれど少しのん気に構えていたという。 
で、家に来たら既に父がいるし(笑) 
平謝りされた。 
「困っている状態の時に手助けできなくて本当にごめんなさい。 
一番、必要な時だったのに」と、言った。 
そしてこの間二度目の認定調査の結果、 
母の要介護度は3から4になっており、 
知らなかったらしくそれを聞いて、また謝られた。 
さすがにすべての行動に介助が必要な今、 
私ひとりの介護では大変だ、という事でこれからの事を踏まえ、 
ショートステイも利用できるかも、という方向になった。 
父があれほど回数を渋っていたデイサービスも週3回でオッケーにしてくれた。 
連日の利用も望んでくれたほどだ。 

色んなことが急に動いた。 

電話が壊れた、というアクシデントも、 
今考えれば、ケアマネさんが直接家にくる動機になったし、 
父とは、入院という形ではあれ、距離を置いたのが良かったのか、 
私の負担を少し理解してもらえるようになったし、 
ショートの話を出しても、否定せず、 
今回のことで父にも謝られた。 
いや、無茶しなきゃいいんだよ、このやんちゃじじいが。 
とは、言わなかったが心の中で思った。 
肝心の電話も、うちではなく電話会社の方が原因だったらしく、無料で直してもらえた。 
急にへたへたと座り込むようなおかしな気の抜け方をした。 

現在、 
ケアマネさんと入所先の方との面会を待っている。今月30日会う予定だ。 
もちろん、どうなるかはわからないけど驚くほど進展があった、と思う。 
人の気持ちを動かしてしまったのだから。 
それが具体的に物事を変えてゆくのだから。 
電話が壊れたことと、今回すんなり行ったことは、 
偶然とは思えないのだ。 
神様のようなものがいるんだな、と思えた。 
(電話が壊れた、と知った時はものすごくめんどくさく感じたが) 

もちろん、だからって私の負担が減った訳ではないし、 
母の状態を見て小さなことに気づいていなければならない。 
努力していくことは必要だ。 
だけど、何となく安心できたのは確かだった。 

なので、母がデイに行っていて、父も家でのんびりしていたある日、 
姉にとても久しぶりにカラオケに連れて行ってもらった。 
もう既に今のシステムがわからず、すべてに驚いたが(笑) 
思い切り声を出し、好きな曲を歌い、とても楽しかった。 
歌うの、大好きなんだもん。 
一人暮らしの時、毎日家ででっかい声出して歌ってたもん。 
選んだ曲は懐かしいものが多数だったけれど、気にしない。 
2時間歌い、姉とがらがらな声になりながら「また来ようね」と言った。 
大事な時を過ごさせてもらった。 

2012年08月24日 

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2013年(平成25年)6月30日 転載 


※mixi日記
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恐ろしい事に、 
昨夜書いたばかりの父について。 

今日、入院しました。 

朝、めまいで通院している病院へ行き、 
たいそう調子が良くなったと言われたばかりだったのに。 
帰ってきて昼ごはんを食べて、寝てしまい、 
起きてきてオロナミンCとか飲んでいるうちに、 
具合が悪くなってきて横になった。 
何度かもどして、具合も良くならないため、 
救急車呼びました。 

夕方だったので家の前がご近所の方でいっぱいになった。 
救急車は今年4月にいちど呼んでいたので、 
変な話、スムーズだった。 
それから昨日書いた、保険証や診察券を一緒の場所にしておく、 
というのがおかしな感じで功を奏した。 

姉に連絡を入れて、 
母を看ていてもらえたので安心できた。 
帰りは「すぐに戻るから」と母に何度も言って、 
私を迎えにきてくれた。 
しばらくの期間は入院してみっちり「めまい」と仲良くするように、 
と、看護士さん。 
父のお調子者の部分はとっくに通院で見抜かれていた。 
確かに少し良くなったらすぐに昨日書いた如く、 
自転車爆乗りしたり、パークゴルフを具合悪くなるまでやっていたり。 

でも。まあとりあえず、 
入院先ではおかしな事はしないでしょ、と、少々安心している。 
しかし、姉も色々大変なのに来てくれて、 
帰り際、看護士さんと必要な事を話すために残っていたのに、 
父の横道に逸れる話が長い長い(笑) 
姉も私も何度か鞄を持ち直しては「じゃ明日・・・」と言いかけていたというのに。 
そして母の話はひとつも出なかった。 
仕方ないか。今は。 
別に何か言われても嬉しくないし。 
とにかくいい歳なんだからやんちゃしすぎ注意。 
何かあったら看護士さんにみっちり説教してもらいたまえ。 

明日がデイサービスの日で良かった。 
そんな母自身はごたごたがあった時、うとうとしていたのだが。 
ま、それも今に始まった事じゃないし、誰に対してもそうだから仕方ない。 
ただ、集まったご近所さんが「いつでも声かけてね。力になるから」と、 
救急車に乗り込む私に向かって叫んでくれた事がありがたかった。 
怒鳴られても泣けないのに、優しい言葉はこういう時、反則。 
しかし救急車の中で、というかこんな時に泣くのはおかしい、と、 
自分に喝を入れた。 

明日からしばらくは母とふたり。 
あ、猫ももちろん、にゃんにゃーん、と元気にしている。 
しかし、今日は人間のごたごたが通じてしまったか、 
かなり疲れて皆にゃん、いびきをかいて眠っている。ごめん。ごめんね。

2012年08月15日


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2013年(平成25年)6月28日 転載 

※mixi日記

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父が、内耳性めまいのため、耳鼻科に通院している。 
以前起こした発作的なもので救急車を呼んでから続いているもの。 

発作のようなもの(急なめまい、発汗、嘔吐)は、 
時折、忘れた頃に起こるので、 
父のトイレが長いと若干不安になる。 
しかし、発作が出ない日が続くと、 
けろっと忘れ、パークゴルフだ、草刈りだ、自転車でゴー、 
など、さすがに暑いんだから少しじっとしてようよ、 
という日々。 
で、案の定「汗が!汗が!めまいがーーー!」と、 
夜中にうろたえるのである。 
大変だな、これはどうしたら良いのかな、と、 
とにかくすぐに病院に行けるように診察券や保険証などは、 
ひとつの場所にわからなくならないよう、まとめてある。 

が、 
最近、何だか多い。 
発作ではなく、発作的なもの。 
恐れのようなもの。 
発作不安だろうか、とも思う。 

夕飯を摂っている時、今日行った耳鼻科での話になった。 
「鎮静剤とか飲んだらどうなんだろうな」というもの。 

私「何で?」 
父「夜眠れないから」 
私「いやいや毎回夕方6時半くらいから寝てるでしょ」 
父「2~3時間したらすぐに目が覚めるから、何か鎮静剤とか、 
  そういうの飲むかな」 
私「え?そんなに眠れないの?」 
父「でもなあ、あんまりずっと鎮静剤やら睡眠薬やら飲んでたら、 
  痴呆になるんだっつーから怖くて」 
私「(むっ。かれこれ10年以上飲んでる私にケンカを売っているのか?) 
  そこら辺の人に聞くよりは先生に相談した方がいいよ(ピキピキ)」 
父、そこで何となく話がずれて終わる。 

そしてその夜、先ほどトイレに起きてきた父との会話。 

父「やっぱり内科の先生に聞いた方がいいか?」 
私「え?そんなに眠れないの?」 
父「トイレに行きたくて仕方がなくて目が覚める」 
私「それで目が覚めるんだからいいじゃん」 
父「膀胱がぱんぱんになって目が覚める」 
私「だから、目が覚めるんだから大丈夫じゃん。そのまま目が覚めなかったら」 
父「垂れ流しだ・・・」 
私「まあね。さっき調べたりしたけど、鎮静剤と安定剤と入眠剤と睡眠薬って違うからね」 
父「そうなのか」 
私「自分が睡眠に関してどこで悩んでいるのか、理解した上で言ってみたらいいんじゃない? 
  寝付けないとか」 
父「寝つきはいい」 

だね。おやすみも言わずにベッド行って数秒で寝てるしね。 

私「じゃ、2~3時間で目が覚めることか」 
父「トイレで起こされるからよー」 
私「じゃ、おしっこの方じゃない?膀胱炎を気にしてみるとか」 
父「身内がそうだった」 
私「あ、じゃあ、そこ心配じゃん、あんまり勝手な判断で薬もらうより、相談してみな。 
  後、眠いのをトイレで起こされても我慢はだめだよ」 
父「我慢はできんから」 
私「そう言ってる私が我慢してたわ、ちょっとトイレ」 

バタン。 

戻ってきたら父の姿なし。 
既に寝に行ったらしい。 
話の途中でいつもこれだ。ふううう。 
どこからどこまでの不安なんだ? 
確かに内耳性めまいは、聴覚や耳について調べても、 
これといった原因はなかった。 
先生が言うには「自律神経の方」だそうだ。 

で、そういう話を待合室で他の患者さんと話していた。 
私には父の話より、その患者さんの話が癪に障る。 
そしてそれを誰よりも鵜呑みにしてしまう父にも苛立ちを覚える。 
だから、母がデイサービスに行く、と提案した時も、 
まず噂から信用し「虐待されたりするらしいぞ」とか言った。 
今、無事週2回通っている現在、なーんにも不安がないっぽい。 
次にショートステイを利用したい、と提案した時、 
「あんまり色んなところに場所を替えてもかわいそうで・・・」 

まあ、そうね。それはわかる気がするわ。 
でもね。提案してるって事は私も十分かわいそうな立場になってるわけで。 

「ヘルパーさんっていうのもあるんだよね」 
「俺の友達のばあさんが行ってるとこのヘルパー、きっついし、 
 無愛想らしいぞ!」 

・・・・・・・。 

ええと。 


話が進まないよぉぉぉぉ。 


ケアマネさんがこの間来た時、 
私はちょうど姉と買い物に行っている最中だったので、 
話に立ち会えなかったことがあった。 
いや、何か違う話だったから別に良かったらしいが、 
いきなりケアマネさんが来た時、 
父は「娘を呼び戻します!」と、電話しようとしてケアマネさんに止められたそうな。 
そらそうっすよ。呼ぶな(笑)話があるんなら聞いておけ。 
それか、何日何時に来てください、とか他の方法とってよ。 

と、 

少し前の事が頭の中を駆け巡った。 

で、最近気づいたのだが、 
私は日記をつけているので父がいつ発作を起こしたか、 
母のデイサービスはいつか、などすべて記録してある。 
父が具合が悪くなるのはいつもデイサービスの前日。 
偶然かもしれない。 
疑うのは悪いことかもしれない。 
でも、本当にそれは不安隠しなんじゃない? 
実際、デイがない日の私を見て見ぬ振りをして、 
デイの準備を終え、朝死ぬ気で起きる私も見てる(大げさだ) 
なのに、やはりそこでも父は何もしない。 
100歩譲って、朝の下の世話は私がやるとして、 
そしたらその後、朝食を食べさせてくれるとかしてくれたら助かる。 
父自身もそれがわかっていると思う。 
けれど、自らしないのだ。 

だからなんじゃないの? 

ごめん。軽率だし最低だと判ってる上で書く。 
罪悪感を隠したいんじゃないの? 
具合が悪い、先生のお墨付き、という言い訳ができれば、 
そこ(介護に関わらない自分)から逃れられると思っているんじゃない? 
私、今いっぱいいっぱいで、もう死にたいくらいだし、 
無意識に朝携帯握ってたから何調べてたっけ?と、 
開きっぱなしの画面を見たら「薬 致死量」とかだったりするし、 
もう性格悪くなってるからこのくらいの憶測は勘弁して。 

第一、本当に悩んで夜中に相談する割に、 
私がトイレ中にいなくなってるし。どこ行ったと思ったら寝てるし。 
でもまあ、内科の坂本竜馬ばりの先生に相談しに行ったら? 
軽く「考え過ぎじゃ!」と一蹴されると思うよ。 
それか、もっと面倒な検査をさせられるか。 
どちらにしても、なんでもないといいね。安心して一緒に介護しようや( ̄ー+ ̄) 
いやなら、施設、ヘルパー、色々考えよう。 
それでなくてもついこの間2度目の認定調査で要介護4になったんだから。 
私にだってできることとできないことあるんだよ。 
ごめんな、っていつも言うけど、それで済まないことだってあるんだよ。 

憶えとけ! 

・・・って、私自身何書いてんだか、 
わからなくなってきた。 


2012年08月13日

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2013年(平成25年)6月27日 転載 

※mixi日記

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介護について調べていると、
ついつい介護者本人のことではなく、
介護をしている家族のことについて調べてしまう。

すると、
結構胸にぐっとくるようなありがたい、というか、
心の内側に言葉をかけてもらえたようなサイトに出会う。

絶対に孤立してはいけない。
ひとりでの介護はムリ。
間違いなく共倒れになる。

うん。実感してる。
そして、その言葉は、
私が聞きたいんじゃないんだけどな。
父や姉は、どこまで理解してくれているのだろう。
毎晩不安になる。
しかし姉は手術を終えて大変でそれどころではない、
と、思ってみても、
「それどころ」のことに、
私は毎日関わって暮らしているのだ。
正直、生きることに目眩を感じる。
今日出会ったサイトには、そのままの言葉が書かれていた。


(引用)

 このサイトを訪れる人の多くは、
 介護者など、当事者ではないかと思うが本当のところは、
 当事者ではなく、介護者の兄弟や親戚などに見てもらいたいと思っている。

(引用終わり)


ここから文章はまだ続くのだけれど、
この2行だけで大きくため息が出た。
特にこんな夜中に見つけてしまうと、本音が浮き彫りになり、隠せない。

姉にこの文章を教えて見てもらおうかな、と考え、
それが果たして良いことなのかとふと立ち止まる。
母は要介護3だけれど、性格がおとなしい。
暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりといったことはない。
無意識で傷つく言葉は言われるけれど。

だから、どこかに甘えがあるのかな、とも思う。
けれど大変でてんてこまいで父に、母の具体的な世話を手伝って欲しい。
父はとにかく頭がこんがらがってしまう。
短気でせっかち、という性格もある。
一口ずつ「あーん」と食事を運ぶことも過去、一度だけしてくれたが、
多分いらついてしまったんだろう。もう二度としてしない。
私が少し席を離れる都合があったときも、
「母が食べるのを見ていてね。スプーンで運んであげてね」と言っても、
「はい、待っててね」と母に言うだけ。
実際、私が朝起きられないとき、朝食を食べさせたらしいのだが、
母がむせてしまい、2~3口で食べるのをやめたそうだ。
母が「もういらない」と言ったからやめたと。
多分、母は食べ方がわからず、
むせたのも手伝って、食べるのを諦めたのだ。
そして今、こうしてこれを書いている私自身が一番悪いんじゃないか、とはっとする。
母がひとりでは日常を暮らしていけないとわかっていて、
なぜ「起きられない」なんてことをしているのだ。
父ばかり悪く言うが、当然父にも精神的なストレスはかかっている。
内耳性めまいの発作のようなもの(突然の嘔吐、頭痛、冷や汗)もこの間起こしたし。

でも、そんなこと言ってる場合じゃ・・・。


・・・・・・・・・。


ええと。


なんだかよくわからなくなってきた(笑)
ここら辺でやめておこう。ごめんなさい。
聞き流してください。
最後に、そのサイトさんの文章を。

※「ひとり介護は無理」

本当にごめんなさい。
書き殴って、勝手にすっきりして寝ます。
あとで読み返して冷や汗かいて消すかも。


2012年07月15日

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月を見ると季節は夏だけれど、暑かったか記憶にない。
ただ、普通に笑えることが少なくなっていて、
夜に母が眠ったあと、介護のことについてばかり調べていた。
介護の何を調べていいのかも判らなかった時期だった。

リンクさせていただいた文章が、私には初めての家族側の立場の文章だった。
どこか、私だけじゃないんだ、と思えてありがたくて夜中に泣いた。
私はこの文章にとても救われたが未だ手探りの方も多いのだろうな、と思う。 


2013年(平成25年)6月27日 転載 

※mixi日記

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姉の手術の日が決まり、先ほどまで家にいた。
仕事を辞めると言う。
姉から辞めると言ったわけではなさそうだった。
含みを持たせていたので、話を聴きたかったが、
父もいたし、話しにくいのだろうと思い、
そのまま帰してしまった。気がかりだ。
けれど、父は手術に必要な連帯保証人の欄に印鑑を押してくれて、
義父なので何となく言いにくそうな姉に、
「気にすることない」と言ってくれて、ありがたかった。

手術当日は姉の旦那さんが付き添うので良かった。
長男くんも案外、今日見るとなかなか頼りになりそうだった。
(縦にも横にも大きいということも安心する要素のひとつ♪)
で、長男くんは姉にべったりだし(笑)
長女ちゃんの負担はやはり心配だが、
今の病院は便利なことに携帯オッケーだから、
小さいことでもいいからメールで呼んで、と言っておいた。
姉は本当にそういうのに遠慮するひとで、
しかも巧みに心配させまいとする術に長けているので、
へたすると、こちら側からうまく誘導しないと気づけない。
大変な時はお互いさま。
がんばっていこう。協力を惜しまないよ。姉。

そんな私自身についてですが、
軽く鬱の初期症状のようなものに陥っております。
一度鬱にかかっているので自分で判る。
自分の病院でも「絶対周りに助けを求めないと絶対に崩れるで。絶対や」
と、なぜかその日は原口あきまさ氏に似た先生に当たったのでそう言われた。

あさって、ケアマネさんが訪問の日なので、
デイサービス週2回から3回に増やしてもらう。もう私が決めた。
最近起きられないのだが、眠くてとか夜更かしでとかではないのも判っている。
要するにいっぱいいっぱい状態に極近い状態なのだ。
このまま進んだら本格的に鬱になってしまうので、
とにかく今のうちに対処しなければ、と思っている。

父にはだめ元でもう一度ショートステイについて質問してみて、
なぜそんなにショートを利用したいのか、と問われたら、
自分がおかしくなりそうだから、と言う。
イヤだけれど、必要なら精神科に通院中という事も言う。

私が過去、病的に起きられなかった時は不登校をしていた中学時代。
あの時と似ている。2階で寝ていて下が火事かもしれなくても起きずに、
このまま死んでもいい、と思うくらい起きる事への恐怖がある。
逃げられないこと、途切れない先の見えない道への恐怖。不安。
大げさかもしれないが、起きられない、寝られないというのは死活問題なので、
とにかく一大事なんだよぉぉぉ!ということは伝えたい。

さて。

明日も母のデイの日。
デイの日は今の所、起きられる。
けれど布団をかぶってぶるぶる震えて出ていけない!なんて言うのも、
時間の問題なので、本当に早く相談してみる。
なんで起きられないの?
とか根本的な質問に答えている場合ではなく、
起きられない、しかも病的に、ではこうして対策を練ろう、というふうに、
具体的な案を検討しなければ何も前に進めない。
泣かずに済みますように。
 

2012年06月17日


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姉の話 後日談。(mixi日記)

姉の手術が無事終わったと、
姪っ子に報告を受け、とりあえず安心した。

姉は結婚当初から突っ走っていたからなあ。
大変な手術だったけれど、
いい機会だと思って、
身体ともに、ゆっくりして欲しいな、と思います。

姪っ子とはメールで連絡をしているのだけど、
取り出した姉の内臓物を添付してきたので、どびっくりした。
まったく今の子は(笑)
術後の姉ともお話をしたということだし、
姪っ子のメールの語尾なんかからも、
余裕を感じ取れるのでひとまず安心かなと。
何より「大丈夫だよー」と書かれていたので、
おおう、ありがとう、と思った次第。

うん。

本当に良かった。
とりあえずは。
まだ悪性だとか良性だとかの検査が残っているので、
気持ち半分と言ったところだが、
手術は成功したので良かった。うん。 


2012年06月21日 

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2013年(平成25年)6月26日 転載

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