First Kiss

幸坂かゆり Weblog

カテゴリ: 日常ダイナマイト


※mixi日記

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自分の好きなこと、興味を持っていることに熱中できないって苦しい。 
なんの感情も出ないのに苦しい。 

ところで、 
父がいきなり今私も住んでいるこの家を売る、と言い出した。

なんでも、 
家を売っても私たちがすぐ出る訳ではなく、
購入した管理人さんに家賃を払って住まわせてもらうという事らしい。
父が亡くなったら家を出る、
又は、私が住まわせてもらうには私が家賃を払う。
 
売る理由ですが、持ち家なので父が死んだ後、
管理の負担がすべて私にかかるので大変だから、という事でした。 
で、実際不動産に相談もしていて、茨城県に住む人だか誰かが、 
その父の条件(?)で、ぜひ譲って欲しいと言っているそうな。 
(金額的な事はまだ聞いていない。) 

・・・ええと。 
それって父にもしもの事があったら、 
私は追い出される、ということですよね? 
いやマジで私、住むとこ今からでも探さなくちゃ。 
それを言うと、そんなに早く死なせるな、と言ったが、 
それとこれとはまったく別の話でしょ。 
もちろん、私だって父の死を願って言った訳じゃないぞ(笑) 
先へ先へと考えるのは必要だし、
母の事は大問題だから立ち止まってる場合じゃないし。 
いずれ、という意味では父の行動も良いと思う。父の家だし。
 
ただなあ。 
タイミングがちょっと悪すぎ。 
なんだって、デイにショートに新たにヘルパーさんが入って、 
まだまだ馴染まない中、また新たに問題を抱えるかな。
せめて一言欲しかった。家を売るって直接の言葉でも。  
ひとつひとつ、とにかく母の事だけでも、
少しずつ解決してから段階を踏んで欲しい、と思った。 
最初、話を聞いた時、私とのケンカが原因かと思ったよ。 
施設に入れるお金がないから家を売るのでは、と。 
違ったけどね。 

あのさ、父。
それももちろん、いいんだけど、 
自分だけは、ぽっくり逝くものと思ってない? 
母を間近で見ているんだから理解してて欲しいと思うんだけど、 
あんなふうに突然、調子が悪くなって、 
70代に入ったか入らないかのまだまだ若い時期に、 
認知症を発症することもあるんだよ? 
40代の私ですら今から怖いんだから、 
自分の施設とかの事も考えない?そこは年金でってか。ああそう。 

父は特別養護老人ホームに入所申込を渋っていた。 
で、父があわあわしまくっていた金額も、
収入によって金額が変わると教えてもらい、
何段階かに分かれた表を見せてもらった。
そしてどうやら母の年金額で何とかなりそうとわかった。 
ああ。ここまで辿り着くのにどんだけかかったか(涙・・・。泣かないけど) 
施設の「し」の言葉でも出そうものなら死に物狂いで、 

入所してから何年もかかるんだぞ、 
どうせオレがもうすぐ死ぬから大丈夫だ(?)
などなど、色んな言葉のバリアで返された。
ホント入所申込までは大変だった。 

明日は2度目のヘルパーさんが来る日で、 
もちろんまだ慣れていないから私が通常通りいて教える。 
慣れてきたら、私がいなくてもやってもらえるようにしてもらう。 
そんな感じなのだ。 
そこで、家が・・・。 
私自身、戸惑っていると自分の頭ではわかる。 
けれど感情が出てこない。疲れていて考えられない。 


でもとりあえずはここで一端、話はすべて出たかな。 
家を売却するという話は姉にもケアマネさんにも話したし。 
実際、母の認知症の進み具合の速さには驚いている。 
私の主治医の話では十分母の年齢では若年性認知症でしょう、ということだった。 
そして若年性は80や90になってからと違って、進行が早いと。 

うん。毎日接していたら痛いほどわかる。 
意思表示の仕方なんて毎日変わるし。 
それでもまだ私の事を他人に訊かれて、 
「娘さん?」というと「うん」と言ってくれるのが幸いです。 

昨年は「整備」の年だったな、と思うが、 
今年(前半)は「闘い」の年だな、と思う。


2013年03月15日

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今は借家になり、家賃を払って住んでいます。 
茨城県ではなく、道内の人が管理人さんです。

色んな事があり過ぎて頭がついていかなかった。
具体的な方法は判らなくてもとにかく少しでも一息つきたかった。
毎日、息継ぎができなくて苦しかった。

2013年(平成25年)7月2日 転載(大幅に加筆、修正) 


※mixi日記

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明日は母をデイに送り出してから、 
特別養護老人ホームへの入所申込に行きます。 
待ち人数が多く、申し込んだからすぐ入所、
と、いう事はまずないと思うので今後の事を考えて。

うん。やっぱりこれからを考えると、 
こういう方法を考えておかなくては、と思いました。 
まず父が手伝ってくれない、というのは現実問題だけど、 
そこで止まっていては解決しない。 
だからと言って私はこれ以上はできない。 
 
今回申し込む所は、
普段母が利用してるショートステイ先です。 
あちらの方も母の様子を見ているし、
こちらも職員さんの様子を見ている。 
だから安心しておまかせできるかな、と踏んでいます。 

おとつい自分の病院に姉が付き添ってくれて、一緒に行ってきた。 
姉はどうやら「うつ」というものを基本的に理解していなかったらしい。 
主治医に「妹はうつなんですか?」と確認していた。 
主治医は「うつ、というと納得するのに難しい言葉ですが、 
不安を伴う、疲労をいいます」と言った。 
うん。そうだよ。疲労しつつ、めっちゃ不安なんだよ。 

姉「そういうもんなんですね。よくわからなくて。
数日休めば大丈夫ですか?」と聴いた。 
主治医「そのくらいで治るものではありません」 

お。 

すごいきっぱり仰ってくださり、私がびっくり。 
主治医「この状態でよくやってると思いますよ」 
姉「そうなんですか」 
私「そうなんですか」 
おまえの事じゃい。 
主治医はいつも施設についてどうよ?と訊いてくれる(こんな言い方じゃないが) 
もう既に限界に来ているので父が許さない、というのは理由にならず、 
また父にもそうやってごねている場合ではない、と言いたい。 
金額で悩んでいるけれど、訊いてみなければ分からない。 
事実、特養の待ち人数は多いけれど、同じ人が複数申し込みをしているので、 
重なっているだけで、人数どおりの待ち人数というわけではないらしい。 
そして、例えばめちゃくちゃ待つようなら、 
その間だけグループホームという手もありますよ、と仰った。 
(その後、金額的にムリと分かったが) 

色んな方法が今のところあるから、 
まず実行しなければ。 

私の状態は、深刻な「不安を伴う疲労」状態である。 
ひとつの事を終えたら、休んで、また次の事、というように、 
流れで行動する事が困難になっている。 
なので、一日の仕事がとても遅い。 
動きが鈍く、言葉もうまく出てこなくて、身体中痛い。 
もうデイサービス、ショートステイ、そしてヘルパーさん、という、 
できる限りのサービスを利用させてもらっているので、 
それでまず私の状態を少しでも良くしたい。 
まあ、本来一緒に住む父が一週間のうち、1~2回くらい、 
母を起こす、トイレに行かせる、朝ごはん食べさせる、その後薬を飲ませる、 
まで、やってくれたらヘルパーさんを利用する事もないんだけど。 
この間大ゲンカになった時、 
私「少しは手伝ってよ」 
父「やってるべや」 
という言葉を考えたら、ムリだと思う。 
明日も明後日も明々後日もぐったりするだろうけど、やるしかないから。 

その後、20日には今月2度目の母のショートステイがあるので、 
その時に少々休ませてもらおう。 


2013年03月14日

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2013年(平成25年)7月2日 転載


※mixi日記

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今日は初めてヘルパーさんを利用しました。 

母は起こされるときから「いやー!」という絶叫の嵐。 
トイレでも着替え中もそうで、 
そのつど、ヘルパーさんふたりと私で、 
「うん、うん、いやだよね」となだめながら進めた。 
ごはんも慣れないひとから食べさせてもらうせいか、 
「もういい」とやめてしまう。 
 
「いや」とか「もういい」と言うのは、 
母なりの意思表示であって、 
本気でいやがっているのではなくて、戸惑いが見え隠れしているだけ。 
なのでごはんもそういいながら全部きちんと食べ終えた。 

一時間きっかりのサービスだったけど、 
今日はそんな感じで順調に行ったので、 
10分ほど余った。 
これからどんなふうになっていくかな。 
今日はやり方や物の場所などを教えるために私がいたけど、 
これからはヘルパーさんのみの仕事になる。 
父に聞いたって分からない。 
とにかく入念に物のありかを分かりやすいよう、場所をきっちりさせた。 
こういうとこ、自分でA型だと思う(笑) 

しかし、そんなこんなで母の朝の時間は無事済ませたから、 
「少し休んでいい?」と訊くと、父が「うん」と言った。 
「ほんとう!?何時まで!?」 
「3時くらいまで寝てれ」 
や、やった・・・! 
父はパッドを外すことはできる。
付け替えができなくてもパンツのみ履かせたらいい、
と、以前説明しておいてある。 
直接パンツというのは後が大変だけど。 

いいのだ。何かあったら呼ぶだろう。 
なにより父自身が寝ていい、と言ってるんだから構う事はない。 
ああ。なんということだ。夢のようだ。 
夢にしないうちに即効、2階の寝室にゴー。 
外はひどい地吹雪だったのだが、 
そんな音も聞こえないくらい熟睡した。 

その熟睡で寝返りを打たなかったせいか、 
寝違えるというおまけがついてしまったが。でもすっきりした。 


これが今日の日記。 


そして思ったのは、 
夕飯を食べている父の背中を見ていて、 
ああ、もうこのひとに介護を頼るのはムリなんだな、ということ。 
父は母の方を向いて食べない。 
逆方向のテレビを見て茶碗を持って背中を向ける。 
これでは何があってもわからないだろう。 
母の「いやー」にもまったく慣れず、言われるたびにむすっとする。 
その分、ゴミ出しや雪かき、買い物などはしてくれる。 
だからそこはおまかせする。 
ただ母の身体介助の部分は、 
諦めてしまったほうが私自身、 
精神的な健康を保てるのではないか、と思った。 
期待してしまうからいらいらするし、疲れる。 
少々さみしいかもしれないけれど現実。 
助けてもらうところ(上に書いたような)は助けてもらう。 
それだけだ。 

という心の動きでしたが、今後どうなるのかはさっぱり。 
とりあえず、寝違えに早く治って欲しい。

2013年03月02日

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2013年(平成25年)7月2日 転載 


※mixi日記

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この間、日記を書いたものの、 
あまりに生々しかったため、削除しました。 
何人かの方が既に読んでくれていたようで、 
申し訳なく思います。でも読んでくれてありがとう。 

さて、明日は母のデイの日です。 
デイサービスがあって本当に助かります。 
今日も一日母と一緒にいるだけで、 
悪い言い方だけど疲れた。 
デイも何も利用できない生活がずっと続いたら、 
良質な介護どころか、大変な事件を起こしかねないだろう。 
まだデイがあるから、ストレスが溜まっても数時間は息抜きができる。 
本当にありがたいです。 

この間消した日記の内容に、 
父と大ゲンカした、という大きな事柄が含まれていた。 
私が少々壊れた次の日だったか、それに近い日だったか、 
多分まだ私自身が落ち着いていなかった時だ。 
(そもそも鬱状態が一日で終わると思い込んでるってのが、もう) 
身近にある壊れないものをばんばん床に叩きつけていた。 
それで父が不審に思い、起きてきたのだった。 
正直聞こえると思わなかったのでびっくりした。 
「何も言わないとわからない」 
と、言われたが前日、散々話し合った末だったので、 
これ以上何を話せと?というのが正直なところだった。 

どこでケンカになったか今となっては覚えてないのだけど、 
介護が大変、という話ではあったと思う。 
あ、そうそう。 
「少しは手伝ってよ」と言ったんだ。 
父は「やってるだろう!」だったので、 
「身体介護だよ!?」と言い返したんだった。 
で「今までおまえの言う事をきかなかったことがあるか!」と言ったので、 
何のことかと思ったら、 
「NTTひかり」に加入したことと(去年の夏かな?) 
猫のエサが病院のものだとかだった。 
ひかりは実際、ひかりTVが観られるけれど、 
正直、私はほとんど観ない。 
父ばかり毎日観ている状態。 
猫のエサは今、病院療法食で正直高い。 
なので健康を考えつつ、自分で何とかするしかない。 
というか、ひかりについては「は?」という感じだった。 
何と言うか今さら?て言うか、今?その返し、唐突過ぎない? 

最終的に、 
「おまえの母親だろ!」 
「あなたの伴侶でしょ!」 
そこから大きな話はなかった気がする。 
で、父はとにかく、
俺はやってる、大変だ、これ以上ムリ、的な話だったので、 
「じゃあもういいよ。全部あたしがやる。
絶対に母に触らないでね」と言った。 

なんかもういいや、という気分だった。 
途中「俺は物に当たらないだけ立派な人間だと思うぞ」
と、言った父の言葉を思い出し、 
「あたしが物に当たっても人に当たらない人間で良かったね。おやすみなさい」 
と、確か8時台に寝たと思う。睡眠薬でムリヤリ。 
実際は最高潮に苛立っている時に、
睡眠薬なんてものは効かない、と分かったが。 

が、しかし。 

そこまで私が言ったのだから、 
父は悠々自適に過ごすだろう、と思ったら、 
なぜかその日から母を起こしてくれたり、 
(母が私じゃないと嫌がる、という理由でやらないけど)
トイレ介助をしようとする。 
はて? 
何が突き刺さったのかな。 
わからないもんだな。 

ところで、明後日2日、 
とうとうヘルパーさんが来る。 
これもまあ、私が勝手に決めたのだが、 
父が何もしないから入ってもらうのだし、 
おもいっきり父のいる前でケアマネさんに頼んだのだし、 
父自身が印鑑押しているのだから、 
もう文句を言われても遅いのだが。 
それこそ、デイの人もショートの人も、 
認知症の進んだ人間の一言一言に一喜一憂なんてしていない。 
いや、語弊。しているけれど、
敢えて流すようにしているのではないだろうか。 
そうでなければいちいち傷つく。 

料理がおいしくない、と言われるなんて日常茶飯事だし、 
最近の母は意思表示が強くて何かするたびに「やー!」と叫ばれる。 
着替えの腕を通そうとする、座らせようとする、立たせようとする、 
とにかく事あるごとに、だ。 
最初こそ戸惑ったものの、それでも何とかなだめて、
行動を進めていかなければならない。 
拒絶されている時は母が裸だったり、トイレ中だったりするのだから。 
時にはあいまいに「そうだね」なんて言いながら、ささっと終わらせる。 
いやだと言われたからやらない、なんて屁理屈は通らないのだ。 
介護は口よりも、行動。 
私なんかに言われたらプライド傷つくだろう。 

と、言うわけでまたまた愚痴りました。 
聴いてくれてありがとうです。 
今回は削除しないよう、心がけて書きました(笑) 


今宵は木曜日。大澤さんのラジオの日。 
地方なのでPCから聴いているのですが、 
先週はダウンロードした先に、
NACK5のチャンネルが見当たらなくて諦めたのでした。 
しかし、先ほど繋いだら入った! 
き、聴けるかも!と、仄かな期待をしています。 

いやはや大澤さんといい、小塚くんといい、 
私はやはり気が多いな(笑) 
これぞ、贅沢贅沢。 
好きなものこそ、誠なり。

2013年02月28日

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ぶつかった日の日記。
もうぶつかりたくないな。
しかも私は常軌を逸している。
 
2013年(平成25年)7月1日 転載 


※mixi日記

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まず、 

この間の「絶望感」というタイトルの日記にて、 
たくさんの方に心配をかけてしまったこと、 
大変申し訳なく思います。ごめんなさい。 

まずこの「死にたい」と思った気持ちが既に、 
調子が悪い証拠だと思うので、 
なんとかして良い方向へと向けていきたいと思いました。 

そして、 
調子は崩したけれど、 
何とか半日は休めた。 
夜はいつものとおりだったが。 
しかし、デイのない日で、 
父が母を起床させ、トイレに連れていき、 
着替え、食事介助、薬介助等、すべて夕方までひとりでやらせた。 
もちろん、メモに書いたりしてやり方は教えた上で。 
私は気になって眠れなかったけれど、 
敢えて放っておいた。 

夕方、私がベッドから出てくると父はへろへろになっており、 
もう根を上げたようだった。 
父の思考は、誰かや何かのせい、というのがまずあるので、 
そこが既にいけ好かない(笑) 

「母さんがこんなことにならなかったら。」 
「私がだめになったら大変になるから。」 
「今すぐ○○をしなくちゃいけないから(オレ今は介護ムリ~、みたいな)」 
そして、オレのせいじゃないんだよなあ、と言いたげ。 
もう飽きたよ。こんな状況だから勝手ことはできない、なんて言ってるけど、 
かなり勝手なことしてるよ。 

何だか、母が一番純粋な気がしてきた。 
実際、いやなことはいやと言うけれど言い訳なんてしないし、 
良いことには素直に表情に出る。 
作為なんてものがまるでない。 
だからと言って大変じゃない、と言えばうそになるけど。 

でも、 
父の反応に疲れる。 
父が一日でばてた事柄の倍を私は何年もやってきたんだけど。一人で。 
そこんとこ抜けてるよ? 
もちろん年だからムリさせたくない、とは思ってるんだよ。 
でも、私が実際大変なことになってたんだし、 
そこは仕方がないと思って欲しい。 

そして、明日ケアマネさん、姉、父、母、私が揃い、 
入所施設の説明などの話をする。 
急なお願いだったのに、
「午後3時半以降でしたらどんなに遅くなっても伺います」 
と、言ってくれたケアマネさん。 
それを姉に伝えると、 

「随分アバウトなんだね。
午後○時にはパパを仕事先から迎えに行かなくちゃならないし、 
もう少し早い時間だったらいいんだけど」 

などなど言ってきたので、 
何か途中で聞かなくなった。
考えが今の状態だとマイナス思考になってしまっているのかもしれない。 
だけど、施設入所は人生そのものを決める話だと思うのだ。 
施設に入所できたら、そこが母の最期の住まいになるんだよ。 
どうしてそんな理由が言えるの? 
パパの仕事の迎え?同じ市内なんだから、 
一日くらいバス使ったり、タクシーじゃダメなの? 
苛立って、叫びそうで大変だった。 

いや・・・。 
私も精神状態が良くないからすべてが悪く見えてしまっているんだ。 
まずは明日になってみないとわからない。 
一日中、ひとりで身体介護をしたことのない姉と父は、 
「他の人のケース」というものをとにかく強調する。 
けどね。介護は他人のケースが当てはまらないんだよ。 
100人認知症患者さんがいたら100人みんな違うんだよ。 
本当にわからないんだったら、本当に給料でもあげるから、 
一日ずっと看て欲しい。言葉よりわかるでしょう。 
介護に一番必要なのは言葉ではなく行動。 
奇しくも私のしたい事とまったく逆のこと。 
でもだからこそ、やりたいと思うこと、好きだと思えることは、 
とにかく大事にしたいと思うのだ。 
介護で燃え尽きたくないから。 


あああ。 


ごめんなさい。 
立ち直ったつもりがまたグチに~。 
しかし本当にこれを読んでくださる皆さんに感謝です! 
ここがなければ(こういうのは今の所mixiにしか書いてない) 
とっくに私は壊れていたと思う。 

二重人格に見えようが、 
ブログでは私の好きな想像の面や好きなものや事柄などについて話したい。 
FBも。あ。ツイッターは少々感情の荒ぶりは出るけどここほどではない。 
色々と分散させながら自分を保ちたいです。 

壊れてしまったらむ子さんのカリカリ入れも買ったし。 
同じく壊れた電子レンジも買い換えた。 
と、言うかここ数日で壊れ物多すぎ。 
色んなものが壊れている。 
使う人間の調子を表しているのかも。なんつって。 
いきなりスピリチュアルな感じで終わろうと思います。 

明日、とにかく話を覚えたいのでメモの準備。 
聞く耳の準備。深呼吸、深呼吸。

2013年02月19日

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もう夢見る気持ちがない頃ですね。
しかし本当にこの時、やたらと物が壊れまくっていた。
私の心に警告があったのかもしれないですね。 

2013年(平成25年)7月1日 転載 


※mixi日記

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何もかもイヤになって、 
おとついの晩、 
母にやっていることの朝から晩までをメモに書き、 
父にすべてを託して、薬を多めに服用し、 
なるべく、 
なるべく、 
目覚めないようにした。 

しかし起こされた。 
起こした相手は姉。 
どうしてここにいるのか、と、私は混乱した。 
なんのことはない。父が呼び出したのだ。 
一体、仕事のある姉になんと言って呼び出したのだろう。 
まだ頭がぼんやりしていたときだったので聞くのを忘れていた。 
ただ姉が来たのは11時過ぎくらいだったので、 
母のデイへの朝の準備、 
起こす、おむつ替え、着替え、食事、送り出しは、 
私のメモを見ながらすべて父がやったらしい。 
できるんじゃないか。 
やらないだけで。 
そしてやる気がないだけで。 

そして今日、 
普通に父に階下から電話を鳴らされ、起こされた。 
母の準備、先ほど書いたすべてを私がやった。 
私の昨日は何も意味がなかったらしい。 
私は介護をするために生まれてきたのか。 
もうそうするしかないのか。 
心臓を治す気力がなくなった。 
いつ死んでもいい。 
涙ばかりバカみたいに溢れる。 
姉は「完璧にしなくてもいいんだから」と言った。 
してないよ。 
できるわけないじゃん。 

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こんな愚痴、ごめんなさい。 
読み捨ててください。 
ただ、あまりにも誰にも知られなくて淋しかったのだと思います。 
きっと私はどこかおかしいのでしょう。

2013年02月15日

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コメントでは「吐き出して」という内容や、
現実的なアドバイスをいただいたりと、とても勉強になりました。
感情的になりやすい時期に具体的な言葉はとてもありがたかった。
夢を見られる心の状態でないのがよくわかる。

2013年(平成25年)7月1日 転載 


※mixi日記

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昨日、夕方5時少し前、 
私が夕飯の支度をしていたとき、 
母がトイレ直後に気を失い、すぐさま病院に行った。 

いつだったか忘れてしまったけど、 
年末にもあったのだ。 
そのときはもうパニックで、 
大変だったけど今回は2度目なので、 
「ああ、また急激に血圧下がっちゃったんだ」と思い、 
以前どんなにその後、意識を取り戻しても連れてきてください」と、 
言われていたので連れていった。 

ところが、 

そこで改めて検査をするため、 
緊急入院になった。 

ああ。また色んな方向に心も身体もあっちゃこっちゃ行くのか。 
母は病院の寝巻きに着替えさせてもらい、点滴を打ちながら、 
用意された病室へと案内された。 
父ももちろん一緒で、途中から電話してくれたらしく、 
姉も来てくれたのだけど、 
なんか私は、ひとり、という感覚だった。 
もちろん、物理的にはみんないてくれて、 
私が院内を迷子になったら救ってもらったが(異常な方向音痴) 
何と言うか、入院の準備から毎日の面会、退院、その後、 
すべて私が管理するのだ、と決まっているので、 
理解できすぎて心がなんにも動かなかった。 
めんどう(ごめん母)とか、怒りとか(父や姉に対する) 
そんなもの、ちゃち過ぎて、 

姉の言う、 
なかなか会えなくてごめんね、 
も、 
父の言う、 
頼むな、 
も、 

どうでも良かった。はいはい、という感じ。 
もういいよ。何もしなくても言わなくてもいいよ。 
心がささくれ立つだけだから。 
多分、姉は私の事を元気そうだと思っただろう。 
けれど、人前でわざわざ具合悪くなんてしないし、 
実際体は痛いけど、いててて、と無意識に出る以外わざわざ口にしない。 

とにかく、MRIの結果のみ判ったので聞くと、 
新しい脳梗塞はなかった。 
なんでもないとは思うけれど、 
今回、自律神経などの関連も検査するとの話だった。 
なんでもないって、どういう状態なんだろう? 
ごめんね。母。 
母を前にすると優しい気持ちで見てるんだけど、 
離れたら恨めしくなってしまうんだ。 
もうイヤになってしまうんだ。 
そして、今回判った事。重要な事。 

父は、 
・・・どんなふうに考えているのかな。
わからないな。 
今日、入院するための用意をして病室に入ったところ、 
早い時間だったせいか母は寝ていて、 
私と父が入っていくと、一瞬笑顔を見せてくれたが、 
眠くてたまらないらしく、すぐに目を瞑ってしまった。 
多分、色々検査があり、昨夜も遅かったので疲れているのだろう。 
私達はそのまま帰ってきた。 

その後、父が午後になったらもう一度行ってくる、と言い出した。 
「なんで?」 
「いや、母さん、全然笑いもしなかったから」 
「え?笑ったよ、最初に目が開いたときに」 
「あ、そうか?」 
見えていなかったのか、どこか別のところを見ていたのか、 
私と父の母への印象が違った。 

自分に笑顔を向けられなかったのが何かイヤだった? 
だからもう一度行こうとした? 
あ、いや。さすがに考えすぎか。 
心配だっただけだよね。 
もう、段々私、性格がどす黒くなっていきそう。 

夜、姉からメールが来たが、 
勉強会や会議があって行けない、とのこと。 
姉は循環器科の助手さんをやっている。 
「そのうち退院しちゃうね(笑)」と書いてあった。 
うん、そうだね。お姉ちゃんにはあんまり関係ない事なのかな? 
お疲れ様だね。お互いにね。 
それだけを返信した。 

私は夜中、お風呂に湯を張り、入る前に、 
その表面をばっちーん!と叩いてストレスを発散した。


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本当に連日連日、グチグチグチグチごめんなさい! 
嫌気がさしたら読み飛ばしてくださいね。 
これはもう、一体いつ解決するのか判らないから。 
とりあえず、日記のような感じで書きとめています。 

すごく性格が悪くなってます。。。 
そこ!元からとか言わない!


2013年02月07日

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少々手直ししています。
よくこの文章でmixiにコメントくれた方、理解してくださったな、
と、痛切に思います。めちゃくちゃです。文法が。

2013年(平成25年)7月1日 転載 


※mixi日記

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今日は母をショートステイからお迎えに行った日でした。 
今現在、もう母を寝かせたので一安心しておりますが、 
申し訳ないのだけど、ものすごく逃げたかったです。 
迎えに行くのがいや、というのと、 
介護したくない、というのと、 
母への想いはそれぞればらばらで、 
自分の中で結構な葛藤があった。 

で、 

忘れちゃならない私の体調。 
先月30日にもろもろ検査したので、 
さすがにもう結果が出てるかな、と思い、 
それでも出てなかったら行くのが面倒なので、 
父に訊ねてみた。 
「電話で聞いてみてもいいかな、検査結果が出てるかどうかだけ」 
割かし、軽い質問だったように思うのだが、 
なぜか父はいい顔もいい返事もしない。 
そして、 

「・・・オレが10年通って今までそんな話は聞いた事がない。」 
「いやいや、結果を電話で聞く訳じゃないよ。結果出た?ってだけだよ」 
「いや、血圧を測って、受付をしてからだな・・・」 
ああ、面倒くさい(笑)聞かなきゃ良かった。 
父はこういう判らない問題に出くわすと逃げ出すクセがある。 
今日もこの直後、なぜか積もってもいない雪かきをしに外に行ったので、 
じゃ、いいよ、と電話で聞いた。 
検査結果、出てますよ、と言う事だったので、 
ではこれから伺います、と言って電話を切った。 
 
ほらぁぁぁ!全然平気だったじゃんかよぉぉぉ! 
というか、もう、こういう事、
うっかりでも父に訊くのはやめようと誓った日でもあった。 

結果は、全身のコリが酷いとのこと。 
心臓のポンプの動きまで圧迫するくらいのコリ。 
なので心臓が痛かったのだ。 
心電図は大丈夫だった。良かったです。 
心配してくださった方、どうもありがとう! 
点滴を受けていってな、と仰る先生だったが、 
今日はいかんせん時間がない。 
なので電気(マッサージ?)をかけることにした。 
そして、うちの状況をよく知っている町医者さんなので、 
少々姑息だが父抜きで相談をしてみた。 
おおごとにして欲しかったのだ(笑) 
しかし、意に反して感情が出て涙が出た。 
先生がうんうん、と普通に聞いてくれたからだ。 
ああ、どうしてこう、肯定されるとすぐに涙腺が緩むのか。 
否定されたらムキになってでも泣かないというのに。 

「本当にこのままだったら倒れちゃうよ」 
先生は仰る。 
そこで質問。 
「療養のための入院などできるのでしょうか」 
ごくり。 
「できますよ」 
先生、あっさり。 
「ベッドが空いてないとかそういう時はうちで点滴して一日待ってもらって、 
というふうになるけど、何日かの入院ならあてがありますよ。いつでも言ってな」 

せんせぇぇぇぇ(つд<。)・゚・ 

ありがたかった。 
先生も「そういう、もしも、の時の場所をひとつでも持ってる方いいぞ」 
と、仰る(結構言葉遣いは荒い)。そのとおりです、はい。 
「少しは○○さん(父)も手伝ってくれたらいいのになー。分担しないといかんぞ。 
これやって、あれやって、どんどん言ったれ」 
うおお(笑)さすが古くからの知り合い。父の性格を判ってらっしゃる。 
という訳で、思いがけずに出た涙も含めて先生を味方につけることに成功。フフフ。 

しかし、その後が恐ろしかった。 
電気をかけ終え、上を着て、スリッパを履こうとして、 
ベッドから降りようとした瞬間、意識をなくしたらしい。 
どかん!と大きな音を立てた私は、はっと気づくと、 
隣の無人のベッドに激突していた。 
看護士さんたちが「大丈夫!?」「どうしたの!?」と、 
駆けつけてきた。 
自分でも何が起こったのか判らなかったし、 
言葉も出なかったので、血圧を測り、 
やはり注射のみ打つことになった。 
「後で痛いところがあったら来てくださいね」 
と、注射中の看護士さんが言ってくださる。 
先ほど先生の横にいた看護士さんなので、 
私の状況も涙も見ていたひとだった。 

そして、帰りは本当に家まで近いのだけど、 
父に電話して来てもらった。 
大丈夫かな、と言うと、看護士さんは、 
「そのくらい大丈夫大丈夫」と言ってくれた。なんか、気持ちいいぞ(笑) 

そして母を迎えに行き、 
ずきずきする体で夕飯を作り、母も寝て、今である。 
いやはや、痛い。打ち身。 
しかしつい、スケートで転んだら次の日とか、 
ぶつけた場所が洒落にならないような色になってるんだろうな、とか思った。 

とにかくわたわたと過ぎた一日であった。 
血行も良くしたいので、昨日格安で購入した美容ローラーを、 
顔とか腕にころころしよう。(顔関係ない) 

2013年02月04日

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美容ローラー、ストラップタイプの小さいものなので、
効果のほどは判りませんが、それでも「希望」を続けようと思える物に出会えて、
とても嬉しかった。今は時折気づいてはコロコロっとしてます。

2013年(平成25年)7月1日 転載(今日はコロコロしてない・・・) 


※mixi日記

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お久しぶりです。 

今年に入り、元旦早々風邪を引き、 
更におみくじが2年連続小吉だった幸坂かゆりです。 
もう少し派手な感じのが出て欲しいな、と若干罰当たりな考えを持っております。 

さて、2013年に入りました。 
1月はあっという間に終わった。 
おせちなんてぱぱっと見た目重視、食べるの重視で作ったし、 
年越しそばに至っては緑のたぬきでした。 
母は寝る時間も決まっているし、起こすのもなんだし、と、 
父と二人で食べた。ガキの使い見ながら。 

次の日、お正月気分はとっとと抜けました。 
すぐにいつもの生活。 
起床、母のトイレ、着替え、食事、薬、の繰り返し。 
そして2月に入りました。 

私の体調がいつになくおかしく、 
風邪とかではなく、心臓辺りが苦しい。 
いつもベッドに体を横たえたら「ふーっ」と楽になるのに、 
横になった時こそが苦しく、あまり良い睡眠が取れない。 
結果的に寝不足になり、起きていても動悸、息切れが激しい。 
なので、近所の内科に行ってきました。 
ひどい全身のこりと脈に問題があったのかな? 
胃腸を整える薬と強心薬を処方された。 
今は結果待ちです。 

と、 
ここでまた父の悪口突入なのですが(笑) 

私が調子を崩すと、なぜか俺も俺も!というように、 
父までが調子を悪くする。 
厳密には調子の悪いところをムリヤリ探して、 
ああ、俺もここ調子悪いんだった、と、 
私一人だけ調子が悪い、というようにさせない。 
まあ、今回は実際父も風邪を引いたのだが、 
病院も行ってインフルエンザでも重い病気でもないとわかり、 
医師にも色々生活の仕方や薬など処方されたし、 
黙って睡眠摂っとれ、と思ったのだが、 
トイレに起きてくるたび、はあはあと息を切らし、 
寝ればいいのに血圧や体温を測りだす。 
ああもう、鬱陶しいな、目の前で!と、思っていたら、 
医師に「あなたは病院に来すぎ!」と一蹴されたらしい。 
すっきりした(笑) 

うん。本当に毎月の検査とかそういうのなら良い事だと思うけれど、 
ちょっとした事で大騒ぎするから。 
だから今回の医師の言葉はよく言ってくださった!という感じ。 

そして、 
父の風邪も良くなり、私の病院もとりあえず結果待ちになっているが、 
なぜか父はもうすべて終わった、というように、 
私の調子を忘れたようである。 
いやいや、検査しただけで心臓は相変わらず苦しいんだけど、 
でもって、これから治療が始まるんだけど。 
父は私に倒れられたら困るので必死だ。 
もちろん、人並みに心配してくれているが、 
介護は私にまかせっきりなので、 
自分の心配の方が大きいのはわかってる。 
絶対そんなふうには言わないけどね。外面、めっちゃいい人だから。 

話が逆になってしまったが、2月1~4日まで、 
母はショートステイを利用している。 
なので、今現在少し楽をさせてもらってます。 
そう。楽に過ごすために色んな用事は1日にがっつり入れた。 
その日へろへろになってもとにかくきちんと連日休みたいから。 

その1日目。 
兼ねてから予約をしていた、 
精神保健福祉士さんとの相談。 
実は父には内緒でやりとりした。 
が、その方は女性なのだが、父に今日その人と会う、と言って、 
とりあえず、待っててね、と言うと、 
ああ、女同士の話だから外にいる、と言う。 
まったく自分は関係ないと思っちゃってるのかな。 
必要なら話に入ってもらうつもり満々なんだけど。 

そして、何日か前から話の整理をするため、 
ノートに書きとめていたものを保健福祉士さん(以下、Tさん)に見せた。 
この日は初めてだったので何を相談して良いのかわからなかったが、 
とりあえずノートを見せて現在の介護状況を知ってもらった。 
まず、父の介護への協力のなさに驚いていた。 
そんなふうには見えないらしいのだ。はたから見てると。 

そして肝心の相談事、実は施設についてなのだったが、 
何も今すぐ、という訳でもなく(もちろん今すぐ入れる施設はない。) 
ただ先へ先へと考えていくと、情報を知りたかったのだ。 
施設と一言で言っても病状や体調によって利用できる場所も条件がある訳だし、 
ケアマネさんは利用中のデイサービスに所属している人なので、 
施設の話をしたら悪いかな、という気持ちがあり、
なかなか本格的に話せなかったのだ。 
そこでどのように話したらいいか、色々とアドバイスをもらった。 

そして実はノートを見せるのが怖かった。
私の介護の仕方をすべて見せるのだから。 
が、「全然間違っていないです」と言葉をいただき、 
何となくもやもやとした落ちた気力が回復したようだった。 
およそ1時間に渡って話をした。最後に、 
私とTさんは席を立ち、ありがとうございます。
とても助かりました。と言った。 
Tさんは鼻がみるみる赤くなった。 

えっ? 

それは泣く直前の表情。 
私も赤くなっているのがわかる。 
お互いに、何だか通じてしまったのか。 
心の深い闇や救われない口惜しいプライドなど。 
もちろん、ふたりとも泣かない。 
けれど、それだけでもうこれからの相談は絶対にうまくいく、と確信した。 
女の勘は鋭いのだ。 
Tさんはすぐにきりりと笑顔に変えて、
「いつでもいらしてください」と言ってくれた。 
はい。これからもよろしくお願いします。 

受け付け前のロビーでは父が待っていた。 
何か置いてあった週刊誌のグラビアの際どさに驚いていた。なんのこっちゃ。 
偶然にもその日、
市がおむつを少し負担してくれる制度に申請していたものが、 
通ったと連絡が来た。 (通常、おむつ券)
少しだけ荷が軽くなった。 
後は、今ケアマネさんに頼んでいるヘルパーさんについてのお話。 
とりあえず昨日電話が来て、色々と話を進めてくれている。 
周りの人がたくさん支えてくださっている。私もがんばりたい。 
 
しかし、私の体調が不安かな。 
今も心臓が痛くてだるい。 
せっかくゆっくり寝られる日なのに、横になると苦しいってため息だ。 
本音を言うと、数日入院治療とかしたい。 
でも、それが現在できない状態だから、がんばっているのだ。 
一人で背負うには介護というものは重過ぎる。 


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またまた長文、失礼いたしました。 
これだけ書いてもまだまとまらない感じです。 
てか、頭がぼーっとする。熱はないけど。 
心臓の存在感に圧倒されている。ひたすらに。 

が、ブログも元旦から更新していないので何とかしたい。 
ムリせず、できるかな、と思ったら今日更新したい。 
そして、こうして困った状態の私に色々アドバイスをくれて、 
話を聴いてくれた友人。 
本当にどうもありがとう。 
きっとまだまだ話はつきないと思うのだけど、 
どうか、これからもよろしくお願いします。 


画像は今日(この日)届いた本たち。 
「霧の中のラプンツェル」は、あらい・まりこさんのコミックで、 
以前読んだものが好きなのとホロコースト文学に興味があるので、 
購入してみたのだが、えらく中途半端に終わっていて消化不良。 
ラストが見たい。が、未だ刊行されていないようなのでとても気になる。 
心臓に悪い話だった。 


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この画像に載せた本たちの感想も今度書きたいです。 

2013年(平成25年)6月30日 転載


※mixi日記

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今年は色々あった。 

自分のブログを読み返してみたら、
一ヶ月にひとつしか記事がなかった。 
それでもがんばって書いた方なんだよな、と思った。 
 
2月に母の病状の認定調査を依頼したのだが、 
結果が出る前に母が脳梗塞を起こし、入院。 
その後、新ためて調査をし直し、要介護度3という通知が来た。 
次の月、ケアマネさんも決まり、デイサービスも利用できるようになり、 
入浴介助は何とかそちらでしてもらえることになった。 

今ではデイサービス週3回、 
ショートステイも何とか月1で利用ができている。 
ケアマネさんとは何とか月始め、中旬、下旬、と2泊3日くらいの頻度で、 
入れられたらいいね、と話している最中です。 
その間に、再度認定調査があり、要介護度4になった。 
段々母自身でできないことが増え、 
私の役割が増えていった。 
それはここにも書き記している。 

2012年は整備の年だったように思う。 
色んな道を整えてもらって、迷ってどこへ進んだらいいのか判らないところを、 
案内してもらった、という感じです。 
デイやショートがなかったらどうなっていただろう、と考えるとぞっとします。 
私の社会不安障害も復活してしまい、苦しさと孤独感が半端なかった。 
姉も今は就職が決まり、ほとんど連絡もとっていない。 
けれど正直、どのように頼ったら良いのかも判らないのです。 
同じ事をする人間が2人いても仕方がない。 
そして姉にも家族があるから当然一日中は頼めない。 
心が悲鳴をあげそうな時にはやはりプロに頼むのが一番だな、と思いました。 

夏の終わり、 
私自身の診察で先生が、 
「お父さんはまだこんな状態でも施設を許してくれないの?」と訊いてきた。 
すっかり忘れていたが、そういえば父は反対していたんだった。 
お金の問題が一番だけど、後の理由はなんだろう。 
自分で一日世話してみればわかると思うけど、 
本人はとにかくしたがらないし、 
やらせようと何度も試みて絶望に叩き落とされている。 
母は私の事を「召し使い」だなんて、悲しい事を言う。 
なんだかなあ、と、つくづく思う。 
夜も眠れない日々が続き、薬で眠っても早朝覚醒してしまう。 
まだ薬があるだけマシだが。 

・・・あ。 

愚痴ってた(笑) 
ごめんなさい。 

でも、こうして字にすると本当に吐き出したくなってしまった。 
それでもYoutubeに大澤さん&リマっち動画2本と、 
小説一本書けたんだから、良かった。 
まだ私というものが存在できてる。 
好きなものがあるというのは強いと思う。 

好きなもの、と言えば、 
今日(12月27日)大澤さんのラジオの年内放送が終わったのだが、 
そのラジオも今年から始まったのでした。 
FM Nack5「明日はきっとハレルヤ」です。 
私の地域では聞けないので、KeyholeTVをダウンロードし、 
そこから配信されるのを聞いていた。 
途中「Nack5が有料になるので配信を停止します」とかもあったけれど、 
今のところ、無事聴けている。 
そして、年内放送を無事終えた。 
毎週大澤さんがかけてくれるお気に入りの音楽が心地良く、 
たまに大澤さんの楽しそうなオシャベリと自分の落ち込み度のギャップに、 
突き放されるような淋しさもあったけれど、 
それでも楽しく背中を押されるようだった。 

そして、フィギュアスケートの小塚くん。 
アイスショーにお花を送る企画に参加させてもらったり、 
競技で振るバナーへの伝言を書かせてもらったり、 
今できる限りの応援をさせてもらった。 
競技結果には一喜一憂したけれど、 
彼の演技は相変わらず私のどツボに入る素晴らしさで、 
今年は柔軟さも加わって、その成長振りに勇気をもらった。 
どちらかというと、彼のエキシビションが心に添ってくれた。 
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」と、 
マイケル・ブーブレの「ムーンダンス」 

両方ともに夜の世界で、 
朝の眩しさが脅威になっていたところ、 
とても救われました。 

こうして書いていると、 
本当に色んなところで力をいただいている。 
そこは素直に感謝の気持ちでいっぱいだけれど、 
なぜか聖書の言葉なんかも思い出してしまうのだ。 

「求めよ、さらば与えられん」 

助けて、ではなく、方法を教えて欲しい。 その力を与えてください、と。 
話が戻るけれど、今後、ヘルパーさんを呼ぶかどうかも、 
ケアマネさんと話している。 
実際、どうなるかは判らないけれど、 
困った時、何もできない時に助けてくれるプロの人がいる、 
と、思えるだけで安心できますよ、とケアマネさんは言ってくれる。 
私も来年にはなるがその事も視野に入れようと思う。 
事実、私が倒れたら誰も助ける人がいないから。 
がんばれるだけの事はしてきた。 
もうムリはできない。 
ただ母親だから大事にしなさい、と言うのは、 
介護をした事のない人の奇麗事、と受け止めている。 
言葉もなく何もできなくなってしまった人を数ヶ月も一人で看たら、 
愛情なんて擦り切れる。 

だから、そうならないように、 
いや、そうなっても少し離れて落ち着けるように、 
色んなサービスを利用したいと思っている。 
何度も書いているけれど、母と私の人生は違う。 
人生が終わる場所だって違う。 
母は母。私は私。だから父も、どうか自分の人生を考えて欲しい。 
もちろん、父が具合が悪くなったりしても見放したりしないから。 
だからみんなで元気でいられるように分担していこう。 

来年はそんなふうに目標は「分担」。 
母の世話をしろと闇雲に言っているのではなく、 
困った時の処置の仕方を個々で学んで行かなければならない。 
そうしなければならない時期に来ている。 
たった今、母はショートステイ先にいる。 
29日には戻り、年内30日に臨時のデイがあり、今年は終了。 
来年4日までは家で丸々過ごす。 
最低限でいいからやっていかなければ、と思う。 

まったくもう、 
ああもう、 
めんどくさいなあ(どうしたらいいと同義語)

と、心の中でつぶやきながら、 
毎日なるべくムリせず、ムリさせず暮らしたい。 
今年一年で私の態度は随分クールになったように思う。 
けどそうしなければ本当にやっていけないので、 
そうやってやっていこうと思います。 
長くなりました。こんな愚痴日記を読んでいただき恐縮です。 
来年も書いちゃうと思いますので、 
どうぞよろしくお願いします(笑) 
今年また書けると良いけれど、もしも書けなかったら挨拶できないので、 
今のうちに。 

良いお年を! 


急に思い出したけれど、 
本当に、今年はロデたん(※愛猫ろでむ)大変だった! 
急にお口が腫れて普通のカリカリが食べられなくなって、 
注射も塗るビタミン剤も処方されて、 
毎日通院したのでぐったりしちゃって。 

今も赤ちゃん用のごはんを食べてますが、 
大分元気になりました。今日カリカリを買ってきて、 
補充できたので一安心したところです。 
(あとは私が年賀状を書き終われば・・・。)


2012年12月28日

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この後、2012年は年賀状が仕上げられなかったんだった。
なので大事な人には随分後になってその年賀状を入れて、
手紙にして感謝を報告させていただきました。
封筒と便箋を新調したのが、嬉しかった。
手に取って、長い時間見ていたのを憶えてる。
けれどyoutubeに動画2本上げたのと小説書けた、という記憶は薄い。 

2013年(平成25年)6月30日 転載

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