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今年初めての更新になります。
もう1月中旬に入ろうとしていますが、新年明けましておめでとうございます。そして寒中見舞い申し上げます。今年も11日と日付は遡るのですが北見神社に参拝に行って参りました。おみくじは昨年同様「末吉」でしたが、何となく書かれていることに希望を感じたので結ばず、そのまま持ち帰って来ました。

1月早々反省の弁なのですが、わたくし、本気で年賀状の存在を忘れておりました。
友人知人に何枚かいただき、それではっとした次第です。申し訳ありません…。という訳でブログの方で新年の挨拶と代えさせていただきます。毎回毎回本当に平謝りでございます。いただいた年賀状は大事に保管させていただいております。はい。

昨年は「散々」という言葉がぴったりの年でしたが、今年は大晦日からわくわくする感覚が沸いて来てまだ見ぬ2019年がとても楽しみに思えたのが驚きであり、嬉しくもありました。確実に年が変わるのは日付けをまたぐだけではないんだ、という何か目に見えないものがしっかり息づいているようでした。そこまで神秘的に感じたので神社だけは参拝に行かなければと思い、今回もしっかりお賽銭をバーン!と投げ、神様に昨年の感謝とお祈りをしました。今年は少し図太く「私は精一杯がんばる。だから神様、困った時には助けを求めるから頼んだ」(意訳です)と伝えました。私の座右の銘でもある聖書からの言葉「求めよ、さらば与えられん」を意訳で伝えた訳です。

色々なことに悩まされた昨年。今年になっていきなり悩みごとの元が断たれる訳ではなく未だ継続しているものもありますが気持ちの捉え方で解決策が見えたりして、少しずつ、と言うよりは強引な形で光の見える方へと進んでいます。昨年失くしたものがあった分、心の器には他のものが入れるよう余裕ができました。そこに私は今年、そして今年から来年再来年と、1年だけではなく自分を大切にし、きちんと見つめ、自分以外の人間が抱える問題を自分と混同しないことを目標にしたいと思います。

もちろん、大変な人を放っておくということではなくその人の問題をその人自身に帰依させる、というのを自分の中に持ちたいのです。そうでなければ私まで惑わされてしまう。今までがそうであったから私はおろおろし続け、結果的に自分の意見も出せないまま終わることが多かった。うまく行かせるかは場数を踏まないとわからない。だから積極的に色々なやりたいと思うことには関わって行こうと思います。おみくじ裏面の「神の教」が印象に残ったので書き出しておきます。
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「神の教」

なさけこもったその一言に死んだ心も生き返る
優しい一言がどれほど先方の胸に暖かい光を与え、力を添えるか。言葉には魂があり、
力がある。常に神様と御一体になって、暖かい心を養ない、良い言葉、優しい言葉で
人を慰め、人をいたわり、明るい世の中を作りましょう。とげある言葉は人をきずつける。

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写真は昨年のものです。今年はどんど焼きの日と重なって混んでいたため撮影を断念しました。北見神社は天照大神様を祀っております。