7541e7ef0dcf10278b7e558c0feba7e0
さて、2018年振り返り記事です。
大晦日に突然重い話から始まりますが、必要だと思うので書きます。

私は子供の頃、家族と縁の薄い少女だった。家でも学校でも落ち着かず不登校になっていた私が誰よりも安心して身を寄せた音楽があった。それがタケカワユキヒデさんだ。彼は周知の通り、ご結婚もされたお子さんがたくさんいてお孫さんもひ孫さんもいらっしゃる。彼は家族というものを愛し、愛されている。昔から。そんな当たり前のように差し出される愛に溢れた作品を私は子守唄にして生きてきた。学校に行けなかった日は情けなくて仕方がなかったが真夜中に彼の歌をヘッドフォンで隠れて聴いた時間だけは自分を許してあげられる唯一のものだった。

時は移り、現在です。
2018年9月17日、平成30年、手稲神社秋季例大祭。私はその日を一生忘れないだろう。

昨夜書いたように5日深夜、胆振東部地震と名づけられた地震が起き、道内でも遠い道東地方ですら被害があった。その約2週間後の17日、タケカワユキヒデさんのソロライブが手稲神社で行われるのを友達が教えてくれた。札幌は本当に同じ道内でも北見との距離がかなりあるので、大概のライブなどはスルーしてしまう。同じ遠方に出向くのなら友達がいる東京や大阪に行った方がいいと思えるくらいだ。
そんなぼんやりした考えでいた時に地震と停電が起こった。しかも道内全域のブラックアウト。私はその時も灯りのつかない中で、ああ、これはもう手稲へは行けないな、と半ば諦めて道順なども調べるのをやめた。しかし手稲神社の公式サイトやFacebookなどで秋祭りの準備が進んでいると知った。ようやく私は往復バスの予約をし、色々と準備を進めた。決めてしまうと準備はあっという間に整った。しかし前日ベッドに入る前に思った。

何しに札幌に行くんだろう。

あまりにも淡々と物事を進めて明日に迫っているという日に思ったのはそんなことだった。心に感情が入っていなかった。眠れなかったがバスの中で眠ればいいだろう。でもそこまでしてどうして、と心に問いながらその日が来た。私ひとりだし仮にバスをキャンセルしてキャンセル料を取られるにしても自分が悪いのだから全額支払う気でいた。でもここまで来て行かないのも変だ。何だったら札幌に着いたら駅ビルでぶらぶらして好きなカフェもあるし、そこに行ってそのまま帰って来よう。そんなことも考えていた。

しかし、あれよあれよと言う間に時間が経ち、通常通りの電車に乗ると手稲神社に着いてしまった。ライブの始まる時間は19時45分だったが私が着いたのは17時だった。まだ時間があったが席は座ったもの順だったので空いてる席を確保したあと、動けなくなってしまった。通路が隣にある一番端の前から4~5番目の席でスピーカーのまん前。ライブ前のお稚児さんの舞や風雪太鼓を観た。そわそわしていたけれど芸術が大好きなので感激した。心にじわりと笑みが広がるようになってきた。

19時45分。タケカワユキヒデさんがステージに現れた。斜めからだと遮るものがなくてものすごく近い位置でよく見えた。彼が出て来た瞬間、やはり気持ちが高揚した。そして歌い始めると慣れ親しんだ声と人懐こい笑顔にこちらもつられる(眼鏡をかけたのでよく見えた)。今書きたいのはライブ内容のことではないので細かいことは省きます。今回は一人きりで感動も恥ずかしさも享受できたことが大事なことだった。誰かと分かち合うことも大事だけれど私は数年の間、肝心の私というものがおざなりになっていて他人の人生を生きているような錯覚に陥っていたので、私自身を喜ばせてあげたかったのだ。「一人で」他のお客さんたちと盛り上がる。私の人生を楽しむことを思い出す。それがきっと手稲神社に来た意味だったのだと思う。

ライブ後、サインと握手と軽くお話ができる機会があったにも関わらず私はお礼以外何も言葉にできなかった。そこだけがもどかしい。まだまだ自己肯定の低い私はうまく喋ることができなかった。上手いというのは芸人さんのようにというのではなく、自分の話したいことを相手に伝えられるかどうかだ。その時に必要なのは自分の感情と決意だ。自分ではない誰かばかり見ていたら一人になった時躓く。口から出る言葉が本当に自分の言いたいことなのか相手を気遣っている言葉なのかわからなくなってしまうのは自分をきちんと見てあげなかったからだ。今ならあの日言いたかったことがわかる。それは「こんな大変な時期に来て下さってありがとうございます」という感謝。それだけだ。いつかきちんと自分の言葉を話せる機会があるだろうか。だとしたらその時までに自己評価を通常まで引き上げておきたい。直接会えて、あなたの歌を聴けて良かった。本当に良かった。

帰りも迷子になりまくったけれど、結果的に色んな人に道を尋ね行きたい場所へと辿り着けた。そしてなぜあそこまで道に迷ったのか、それは札幌がまだ地震直後という状況だったので節電のため普段目印にしているものの照明が消えていたという理由もあった。帰りは夜行バスで5~6時間揺られた。夜なのでそこでも照明は消され、スマホも手書きもできなかったが私の心は感情に溢れてすぐにでも何かに書きたかった。この感情を書くまで死ねないとも思った(笑)明らかにこの日を境に私の中の何かが変化してきていた。もちろん感情に上下はあったがそれでも。一人きりになって充分自由に思考できることが重要で、そこで私は改めて自分を取り戻せたのだと思う。時折感情の波に押され、躓きながらも一度手に入れた大切な自由はこれから芽吹くことと思う。

そして今日は大晦日。
やっと心から微笑できるようになった。しがらみとの決別。仲違いしていた古い友達との仲直り。色んなことが私を前に進めて行く。今年、私が初詣で引いたおみくじは末吉だった。確かに1年として考えると散々だったと思うけどやはり散々さにも最後が訪れたようだ。もう来年はとっくに目標に突き進んでいるだろう。最後に、ライブの動画を上げている方がいらしたのでお借りします。

『ガンダーラ』
いきなり1曲目からでした。

『銀河鉄道999』
ラストの曲。ものすごく盛り上がりました!
 
今年の最後、この気持ちを来年は行動に移して行きたい。
長くなりました。今年は本当に厄年かと思うほどの1年でしたが大晦日にその呪縛から逃れそうです。もう全身で空気が変わるのを感じている。来年への課題もある。そこへひたすら向かうのみ。来年は良い年になりそう。長々とつき合わせてしまいました。皆様、来年もまたお会いしましょう。良いお年をお過ごし下さい。