Pride_and_Prejudice

幼い頃から愛されることを、
当たり前に亭受されてきた人間と、
自分は愛されているのか、常に疑問を感じていた人間。
そのふたりの人間が一緒にいる、というのは、
客観的に考えてもちぐはぐになるだろうな、と思う。
ふたりの「当然」は、まったくの別物であるだろうし。 

突然だけど「いいよ」という言葉。
肯定なのだけど、私には突き放されているようで怖い言葉に聞こえる。
それは、自由ではない無法地帯に行かされるような怖さ。
多分、固定観念だと思うんだけど、
「別に自分が○○してやってもいいよ( ̄ー ̄)」という、
とても意地悪な見方に捉えてしまうのでしょう。
いつからこの言葉にこんな歪んだ考え方を持つようになったのかな。

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幼い頃、数回引越しを経験したが、
多分記憶にある最初の引越しをしてから、
毎日が望まない物語に包まれていた。
だから、あの頃の私に小説は必要なかった。
それでも本が好きだった。あの形態が。
元々、愛書家だったのでしょう。
私はあの頃、学校の図書室でなにを読んでいたかな。
小学校低学年の頃には、絵本はすぐに飽きてしまった。
小説は重くて心に入ってこれなかった。
けれど読んでいた。
漫画は描いていたけどあまり読まなかった。 

私は現在、壮絶に自分の指針となるものを探している。
探しているというよりも心の中に既にある。
それを引っ張りあげる。
多分、それが中枢。
私が目指しているものは自分の中にある。
見つけてあげるのは私の使命だ。

「いいよ」という言葉が否定的ではなく、肯定的に捉えられるくらい、
認知的な歪みを取る鍵が自分の生きてきた中にある気がしている。
そして、それが先に書いた私自身の使命であるような。

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そんなこんなで大きく出ましたよ、という記事になりましたw
小説の構想がこそっと(シャレちゃうぞ)顔を出したのでメモしたところ、
怒涛のように思考の洪水でメモがいっぱいになってしまったので、
ブログに書き記しておこうと思いました。

上画像は2005年の映画「プライドと偏見」より、
知的な美を振りまく、キーラ・ナイトレイさま。
クリックしたら驚くほど大きくなります。