lips


今、歯医者に通っている。
血の通った、自分が生きている証だ。
これまでは正直、どうでも良かったのと、
一度すべての歯を治療し終わっているので、
行かなくても何とかなるだろう、という、
惰性の気持ちがあった。

今回、新ためて思ったことは、
確かに治療は怖い。けれど自分から行く、と言うのが、
歯の大切さを判った「おとな」の行為だと言うことだ。
道徳まがいのことを言うつもりではなく、
単純に自分が幼い頃、どんなに母親に連れて行ってもらっても、
数日で通うのをやめていて、その理由はただただ本来の目的も考えず、
怖かったから。

あの時行っておけば、とは思えない。
やっぱりあの時はあの時で私も行きたくない、と必死だったのだし(笑)
けれど、歯が喋ることに影響するような気がしたのは、ごく最近で、
私の滑舌の悪さは歯の悪さを無視してから、ひどくなっており、
もともと話し方(本を声に出して読むなど)にそれほど劣等感がなかったが故、
異変に気づいた。

治療を始めてから、段々喋り方がスムースになって来ている。
ただ、声はある日を(これもごく最近、ここ一年ほど)境に変化している。
時折、年を重ねた人が昔の自分の声を聞いて、
「艶や張りがあり、若い」と言うのを聞くが、多分私も「声変わり」したのだろう。
これは個人的に違いはあると思うが、あくまでも私はそう。

そして、
歯の治療に通い、既に一ヶ月経つが、
自分の中の変化を感じている。
まずここ数年よほど公の場に出る以外は、化粧をまったくせず、
近所へ買い物に行くときなどは顔さえ洗わないこともあった。
そして、歯に違和感もあったことを自覚していたため、
口紅などもはや、興味の対象外だったのだ。
それが、少々、唇に色をつけたくなってきた。
いきなり赤はムリなので(本当は好きな色。ゆくゆくはつけたい)
歯医者に行くときはまったく色味のない保湿成分だけを求めるが、
歯医者のない日は、色がほんのりつくリップクリームから始めた。

それから数日経ち、とうとう唇に色をつけたくなった。
赤い色の口紅は既に持ってはいるが、いきなり塗るのもテレるので、
唇に数箇所ぽんぽんと置いてみて、鮮やかな色を指で伸ばした。
傍から見れば、誰にもわからない程度の薄い色味。
それでも、ああ、自分が等身大になってきている、と思えた。

それまで、鏡に映る私は、
鏡が映し出している本来の自分ではなく、白髪で深い皺を携え、
目に力のない老婆が映るようで怖くて見るのを避けていた。
それは外に出てもそう。もちろん、今もフルメイクはできない。
けれど、人工的に自分の持ち物の一部に色をつけよう、と思えた、
そのことが、単純に老婆から私へと少しだけ戻してくれたのだ。

アイラインやアイシャドウは、落とすのが大変なので、
よほど気持ちに余裕がないとできない(笑)
若い頃はマニキュアまでしていたな、と思い、
あの頃はやはり、体力があったのだ、としみじみ感じる。

でも今の自分に一番興味がある。
語弊があるかもしれないが、ある意味、道半ばではなく、
いつも完成されている自分なので、
どんな失敗を起こしても、失言があったとしても、
今の自分がなぜそうなったか、そう言ったのか、
反省と、もうひとつ、俯瞰で観察する自分がいて、
それがおもしろいのだ。

こんなふうに思考し出したのが、
実は歯医者に通い始めてからだと言うのもまた感慨深い。
ただ、キャラメルや粘りのあるキャンディーなどは永遠に食べる楽しみを奪われたが。
得たものと失うものとバランスなのだろう、と思うことにする。