
なんと言うか、ここまで生きていてとても不思議だ。
子どもの頃に夢見た40歳は、もっと落ち着いた大人だと思っていた。
こんなに子どもだったとは(笑)
人間って根本的にはそれほど子どもだろうと大人だろうと、
性格は変わらないんだな、と実感しています。
いえ、あくまでも私の場合です。もっと同い年で大人のひとはいます。
もしかしたら今の小学生の方がよほどドライで大人っぽいかも知れない。
私自身は、まだまだ白黒つかない灰色のような、
歩いていても曖昧な砂浜の上のような、
いや、年をとるごとにますます砂に足を取られてしまうような、
そんなあやふやさが内面に存在する。
反面、そんな灰色な部分が大人の「ようなもの」なのかな、とも思う。
ほんとうに経験も何もない赤ん坊であれば、
誰かを気遣ったり、心が傷つくことに怯えたりなんてしないと思う。
だから、今の私は私なりに30代という道を歩いて来たんだろうな。
今まで誇るものは何もない、と思って悲観に暮れたこともあったけれど、
誇るものなんてなくていいんだ、とも考えるようになってきた。
人望は周りが決めることで、自分にできるのはただ生き抜くことなんて思ったりするのだ。
そして何より傲慢になるかも知れない、という怖さがあった。
なんと言うか、みんながみんなではないけれど、私よりももう少し上の世代、
60代や70代の方々が近所に多いのだけど、人を少し見下すような、
冷やかすような、そんな人をよく目にするので、
そんなふうに年を取りたくない、と、それこそ子どものように、
頑なに拳を握り締めて決断する時もある。
なので、以前よりももっと微笑むことが大事だと思うようになった。
嘲笑を続けていると微笑むことができなくなりそうなので。
もちろん、顔の筋肉を保持したいというある意味切実な点でも(笑)
しかし、その笑いの「素」が誰かを貶める事柄だと却って怒りの方が強く出て、
その結果、歯を食いしばるという難点も出てくるわけだが、
そんな自分に青いな、と思ってみたり、しょうがないやとも思ってみたり。
人生は単純か複雑か。そんな思いがぐるぐるしている。
そのままの私がたった今の私。40代突入です。おめでと。私。
***
画像はロシアのモデル、ナタリア・ヴォディアノヴァさん。
本当は今日に間に合わせたくて、彼女の動画を作っていたのですが、
最終的なパソコン保存をしようとするとエラーになってしまい、完成ならず。
動画の一部を切り取って載せました。
彼女の写真のように心は裸一貫40代、というイメージで。
(ナタリアさんは40代じゃないけど)
以前は、今日中にやると決めたらやる!という頑固さがあ強かったけれど、
そうそううまく事が運ぶ訳はない、と、何となくわかっているのも、
30代を越えたからだろうか。ははは。