(注)こんな大変な状況なのに、個人的な記事です。
読み飛ばしていただいて構いません。内容も重いです。
母がどんどん忘れてゆく。
最近の出来事、あらゆる名前、猫の撫で方まで。
時折、
「ねえ、お母さんの事相談してみようか」と、
母自身に訊ねてしまいそうになり、呆然とする。
私の知っている母はそこにはいない。
知らない人が目の前でぎこちなくご飯を食べていたり、
ひたすら眠っているだけ。
しかし子どもが成長していくのとは違う。
医師に言わせると、落ちていくだけだと言われる。
でなければ、現状維持。
現状維持?良くなってくれないの?信じたくない。
しかし確実に私が手を出す事柄は日々増えている。
その先に希望が見えないのが辛い。
母がベッドに眠りに行って、やっと一日を終えた、とため息をつく。
母は昼間、何もしない。しようともしない。
少しでも体を動かしてみて、腕を伸ばすだけでいいから、
と、言ってもやってくれない。なぜしないの?と問うと、
「面倒」という言葉で片付けられる。
腹が立って、そんなに寝たきりになりたいの、と怒鳴る。
そうでなければ、ぷい、と場所を離れる。
しかし戻ってきたら既にもう眠っている。
いつも辿り着くのは、
人間が記憶を失くしていく様は、
きれいなものじゃないという事だけ。
もう受け入れている。ただ私が少し疲れているだけだ。
心が疲弊した時に絶対的に必要なものは好意的な興味だと思う。
一日を終えた夜に、
自分が何かを好きだという気持ちや、信じたり、希望を持つ気持ちが、
短時間でいいから何よりも上回って欲しい。願うように思う。
何かを好きだと思い、興味を持つのが、
どれほど大切で、どれほど難しいか、
これほど痛切に感じることは今までなかった。
生に興味を失くした人間は人間ではなく手のかかる人形だ。
私は自己顕示欲の強い冷酷な人間です。