暑い時期に怪談を読む、と言うのも、
なかなか背筋が寒くなって乙なものです。
しかし暑さとは無関係に1年を通して読んでいる愛する怪談がある。
京極夏彦氏「嗤う伊右衛門」原作はおなじみ「四谷怪談」。
お岩さんと伊右衛門が出てくる有名なお話。
お岩さんというとどうしても顔の片側がケロイド状になった恐ろしい形相、
というイメージでおまけに伊右衛門も良い縁談話に気持ちが傾き、
というイメージでおまけに伊右衛門も良い縁談話に気持ちが傾き、
岩(お岩さん)を殺そうとする人非人に書かれている。
最終的に自分が手をかけた人間たちからの、
「恐怖!戸板返し」の場面が待っている。
しかし京極バージョンの岩と伊右衛門の書き方は穏やか。
周りの人間ばかりがあれやこれやと欲望にまみれている。
伊右衛門も岩を殺さないし、若い女にふらつかない。
ずっと生きていても死んでいても二人の仲は変わらない。
却って、浮世の方がふたりには邪魔だったようにすら思う。
後にこの作品は蜷川幸雄氏の初監督で、映画化になったけれど、
京極夏彦の原作が好き過ぎて、怖くて本編を観ていない。
少しだけ予告を観たがそれで充分になってしまった。
映画化、という段階で既に文庫本は主役を勤めたふたりが、
宣伝のために表紙になっていた。それがまた良かった。
限りなく暗い色の赤で埋め尽くされたその表紙は、
ふたりの俳優の横顔が描かれ(唐沢寿明さんと小雪さん)
その真ん中にタイトルがまさに血が流れるかのようなデザインになっている。
余計なものを省いた、ふたりの親密さが魅力的で、
数ある表紙の中で敢えてこの表紙の文庫本が欲しかった。
しかし近隣の本屋にはなかった!
なので頼んだ!!すると、来たのは違う表紙だった!!!
がーーーん!!!!
あのショックは未だ思い出すと涙するところだ。
もちろん、届いた本の表紙も素晴らしい。
怖さと共に、ふんわりとした母性を感じる絵。
でも、でも、私が欲しかったのはそれじゃない。
私は泣き叫んだ(ウソ)しかし心の中では泣いていた。
けれど、目から入って来た第一印象の大きさは私を救ったようだ。
岩も伊右衛門も、あの横顔のふたりそのものとして、頭で反芻し、
読み進めることができたからだ。具体的な横顔のあの1枚は影響力強し。
だからこそ、ラストに辿り着くまでの悲劇は心が痛む。
なぜ、これほどまでに愛し合える者同士が引き裂かれなくてはならないのか。
京極版の岩はとても強く、崩れていない方の横顔はこの上なく美しいと描かれている。
伊右衛門も大雑把な表現をすると、のほほんとしていて、
ほんの少し女性の扱いが慣れていなかったりする。
悪人は最も悪人だし、壮絶な最期が待っているが、
それでも読後感は静寂が心を占める。
そこで、動画サイトでラストシーンのみ少し観てみたのですが、
音楽にトランペットが大きく使われていた。
ここはトランペットじゃなーーーい!
この映画に高らかなトランペットはいらなーーーい!
トランペット自体は好きだけどーーー!
と、心の中で叫び、ゆっくり映像を止めた。
かと言って私に音楽を選ぶようなセンスはない。
どうやら思ったより私の頭の中で、とことん京極版イメージが完成していたらしい。
ただ、棺で眠る(死んでいる)小雪さん(岩)に、
真っ白な内掛けがふんわりかかった姿は美しかった。
骸骨だった上体から足元に一端画面を移し、
もう一度上体が映った時、骸骨ではなく生前の岩の顔だったから。
あの場面だけは断片的に脳内に保存しておきたい。
どうも怪談にそぐわない興奮したアクション映画のような文章になりました。
今日も長文。おつきあいいただき、ありがとうございました。
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一番上画像が欲しかった文庫本の表紙。
真ん中の画像が美しいけれど違った表紙。下の画像は映画の1シーンから。
どのシーンか、本と映画では違うので判らないのですが、
せつなさに溢れた良い写真だな、と思います。
互いに額を寄せ合う岩と伊右衛門。何と言う美しさよ。
嗤う伊右衛門 (角川文庫)
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