daphne-groeneveld-by-peter-lindbergh-for-numc3a9ro-126-lange-02
令和2年、2020年。
すっきりときれいで、心に響く音だった。
素敵な年になると思っていた。それがまさか、何百年に起こるか起こらないかの感染症が流行るなんて思わなかった。誰もがみな、この感染症に振り回されたと思う。それは、もちろん私も。手洗い、うがいはいつもの倍以上の数になり、常時マスクを着ける。外食も人数が多いと飛沫が飛び、感染の恐れがあるためなかなか気軽に出られなくなった。

そして、大きな別れがあった年でもある。
愛猫たち、22歳まで生きてくれた、最後の猫、みみちゃんが4月27日に逝ってしまい、家には猫がいなくなってしまった。今でも少しだけ猫たちのいない空間になれず、足元がよろめいたりする。私の嘆きようを見て友達は黒猫のぬいぐるみを贈って下さった。(ぬいぐるみの名前はミーコニャーニャ)
猫たちについての想いは尽きなくて、どんなに文字にしても22年分の感情は書ききれない。だからこれからも折に触れ、彼女彼らの存在については書いて行くと思います。今となってはひたすらにいとしかった彼らが果たして、家にいて幸せだったのか、それだけが気にかかる唯一のことです。

そして5月。
小学生の頃から大ファンでずっと聴き続けて来たアーティスト、ゴダイゴのギタリスト、浅野孝巳さんがご病気で逝ってしまった。信じられなくて、ニュースを探し、こんなニュース、デマに決まってると思って疑わなかったが、仲間であるミッキー吉野さんやタケカワユキヒデさんがコメントを出し、本当なのだ、と肩を落とした。もっとたくさんギターを聴きたかった。飄々とした言葉が、優しい笑顔が、そしてコロナが明けた時にはゴダイゴでステージに立つ姿が見たかった。

7月。
私自身は、ほぼ家での仕事なので、あまりコロナの影響は受けていなかったと言えるが7月に入り、義父が病気を発症した。突如状況が変わり、病院付き添いのため、毎日病院へと出向く生活になった。最初こそ、どうして義父の人生に自分が合わせなくてはならないの、と恨めしい思いでいっぱいで、妙に機嫌の悪い顔で通院していたが、義父を待つ40分ほどの時間を、患者さんがあまり来ない隅の席を選び、缶コーヒーを飲みながら本を読むのが日課になり、私の積読本がみるみる消化されていったので現在は良しとしている。

8月になっても9月になっても、酷暑と戦いつつ、猫たちのことが頭から離れない日々を過ごしていた。しかし10月。突如降って湧いたかのようなニュースが。コロナ禍の中でずっと継続していたツアーを中止せざるを得ない状況だった大澤誉志幸さんが、北海道に来てくれるとのこと。思えばコロナが流行る前、北見市へのライブが決定していたのだが、こんなことになり、半ば諦めていたところだった。大澤さんは「絶対北海道に行くから」と言っていたのを思い出し、まさか本当に約束を守ってくださるなんて、と感慨深く思い、私も参加を決めた。小学生以来の小樽だった。その記述についてはしつこいくらい語っております。↓ こちらをどうぞ。

小樽慕情 1

  

このような状況になり、初めて風邪以外で着けていなくてはならないマスクは息苦しいと思った。それでも夏を越え、涼しい秋を経て、やっと冬の空気でなじんできた。きっとまだまだマスク生活は避けられないだろうけれど、早く、少しくらいマスクを外しても平気な未来が見えると幸いだと思う。それまではどんなに息苦しくてもずっと着け続けます。好きな人の三日月のような唇の笑顔が、マスクなしで早く見られますように。そしてその笑顔を微笑んで見つめられるようになれますように。心からそう願う。(「2」で終わりです、はい。)