First Kiss

幸坂かゆり Weblog

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@kayuri_y (Instagram)

なんて日付けを置いたことだろう、と他人事のように驚いてしまう。
まずはすべての事柄は置いて、いちばん書かなければいけないことを。

2018年1月2日、愛猫らむ子さんが逝ってしまいました。
昨年の12月1日に体の異変を感じ、猫病院にかかったところ慢性腎不全が発覚し、
今年の1月2日には永遠の眠りにつきました。
よって、昨年の12月はまるごとらむ子さんの月のようです。
その12月の通院に関しては毎日Twitterでつぶやいておりました。
Twilogにも残っているので思い出したいことがあったらそちらを見るようにしています。

らむちゃんの最期は病院でした。
12月30日に栄養がまったく摂れなくなり酸素も必要なため、
家で看るのはむりだろうとのお医者さまの判断によるものです。
いつでも異変があったら知らせてください、と電話番号を託して帰宅後、
新年を迎えた1日あとに、彼女は眠るように逝ったとのことでした。

2日、迎えに行った時には、院内に誰も通さないよう配慮してくださり、
らむちゃんの体に合わせた箱の中を見ると、きれいに毛を整えられ、
可愛らしく目蓋を閉じたらむちゃんの姿がありました。
傍らには薄い桃色のタオルとカリカリ数袋も添えてくださいました。
そこで、今までくろちゃんやろでちゃんはお庭に埋めていたのですが、
真冬で地面が掘れない旨を話すとペット霊園のことを教えていただいた。
ひとしきり挨拶が終わるときちんと窓のついた紙の蓋を閉じ、
紫色の布をふんわりかけてくださり、先生は小雪の舞う外まで見送りに来てくださった。
そして私たちの車が出発して病院から遠ざかるまで深々とお辞儀をしてくださった。

帰宅後、すぐさま霊園に連絡を取り、次の日に予約を入れた。
そこまで済んで私も義父もへなへな、という感じで床に座り、
静かにごはんを食べた。お弁当になってしまったが文句など出るはずもなく…
みみちゃんとななちゃんはなぜだかいつもより深く眠りについていて静かだった。

深夜、お風呂もすべて終え、ひとりきりになったとき、
らむちゃんを寝かせてある部屋に呼ばれた気がしたので上をしっかり着て行ってみた。
紫の布を外し、蓋を開け、閉じた目蓋のらむちゃんの横顔を見つめた。可愛い。
そういえばじっくりお話していなかったね、と、出会ってから今日までのことを、
らむちゃんに「憶えてる?」と何度も訊ねては溢れる涙を拭った。
何時間か経ち、箱もすべて元通りにして部屋を出た。
みみちゃんとななちゃんがぱっちり目を開けて私を迎えてくれた。
やっぱりわかってるんだな、と思う。私はふたりを同時に抱きしめる。

翌日、ペット霊園で遺骨は庭に埋めたいと話すと、
では陶器の容れ物などは必要ないですね、と可愛らしい巾着袋を薦められた。
青と桃色があって、らむちゃんに似合いそうな桃色を指定した。
焼き場ではずっと泣くまいとしていた決心が崩れてしまったけれど、
何とか笑顔で見送ることができた。
骨になった猫を見るのは生まれて初めてだった。
らむちゃんの骨はまるで恐竜図鑑で見るかのように、
しっぽの先まできれいに骨の形を残していた。喉仏も。
霊園の方が喉仏について説明してくださる。
まるで両手を広げているようなまるい形の上に、すっと伸びた上部は観音様のように見える。
だから喉仏と言うんですよ、と。そのお話を聞きながら、らむちゃんの骨を、
巾着袋に入れていく。最後の最後、その喉仏をそっと置いてきゅっとリボンを結んだ。

雪がちらつく中、家に戻り、巾着袋を前にして義父とお酒を少し飲んだ。
この子は野良だったのに家に入れてしまって、他の猫たちともなかなかうまくいかなかった。
人間が勝手なことをしてらむちゃんはしあわせだっただろうか、とずっと気になっていた。
けれど最後の一ヶ月間、急激に3匹は寄り添い一緒に眠った。
その柔らかな表情を見てこれで良かったのだ、と自分の中で納得した。
雪が溶け、春になり、土が柔らかくなったら、くろちゃんやろでちゃんが眠る場所に、
らむちゃんも一緒に眠る。絶対にらむちゃんだけ別の場所で眠らせるなんてしたくなかった。
だから最初は霊園でお墓を勧められるんじゃないか、とかそういった猜疑心もあったが、
きちんとわかっていただけて感謝の気持ちで一杯だった。
今もらむちゃんの遺骨はおうちにいます。
きっと、お庭に場所を移す日、新たに寂しさが襲うだろうな、と思いますが、
きちんと最後の最後まで全うさせようと誓っております。
ramumimi ramunana1 ramuutouto
懐かしい若い頃のおあそび動画を作ってみました。

◆ ◆ ◆

おひさしぶりです。いきなりの長文になりました。
この間にも小説を更新していたのですが、書く気にならず、
もたもたしていたら2月に入ってしまいました。
でも過ぎたとは言え、らむちゃんのことは必ず書こうと思っておりました。
こうして彼女のことを書いている今も、なぜだかみみちゃんとななちゃんは静かです。
まるで私の集中力を途切れさせないかのように。不思議だ。いい子だね。

小説の更新は久しぶりです。
「微エロで32のお題」29作目を「L'oiseau Blue」にて公開しました。
rain
「埋み火」(うずみび)
http://blog.livedoor.jp/y_yukisaka/archives/52274817.html

埋み火とは、火鉢を消した中で完全に消えきっていない火、つまり種火のことです。
この種火によっていちから火を熾すより早く火が熾るようになります。
私がこの言葉を使ったのはどんな燃えかすの中にも火はある、というもので、
お釈迦様の説法の本にも書いてあって参考に読みたかったのですが見つからず。
きっとこういうのってあとから忘れた頃に出てくるんですよね(笑)
もう消えてしまった火も実は隠れているだけで残っているのだと、
その部分を恋に置き換えて書いてみました。

タイトルに火を使用しているけれど裏のもうひとつのテーマは水です。
だから最初、タイトルに迷ったのですが水を主体としたタイトルにしようとすると、
どうも横文字ばかり浮かんでしまって、それも悪くはないのですが、
今回の小説に限っては日本語がいいなと思い「埋み火」を選択しました。

ずっとメモ帳などに思いついたことをつらつら書き、
アイディアが少しずつたまっていった頃、
気づくと充電期間に入ってから5ヶ月が経っていました。
あの電池切れの状態のときはもうこれ以上何も書けないのでは、と、
思っていたほどなのに、またこうして書くことができました。不思議ですね。
もちろん適当なものではありません。適当どころか今回書いた小説が、
今後自分のテーマになるような気がしています。
その種火のようなものが文章の中に埋め込まれているのだと思います。
今回はお題ありとは言いながらないようなものだったので、
完全に書きたいものを書きました。起も結もないまったく自由な小説。
自由だから下手したら物語すらないかも知れません(笑)
でも私が望んでいるのは実はその「物語のなさ」で、
揺れたまま答えの出ない文章を書き続ける旅のようなものを綴っていきたいのです。
今回の「埋み火」はその決まった方向性での一作目としてちょうど良かったと思っています。

なのであらすじは、と言われると、少し困ってしまうのですが(笑)
ジャンルとしては恋愛です。故に性描写も少々ございます。
起承転結のはっきりした小説がお好きな方にはつまらないと思えるかも知れませんが、
これが幸坂かゆりの目指すものの一歩です。
どうぞご一読くださると嬉しく思います。

前回の続きになります。

「母の日」ですね。
数年前までは姉とふたりでカーネーションと一緒に、
ちょっとしたお菓子などを渡していましたが、
今は入院しているのでお花も食べ物も遠慮しています。
父親との話を先に書きましたがもちろん母親との間にも葛藤はありました。

けれど数年前、認知症を患い、脳梗塞を2度起こし、
脳の言語を司る部分が破壊されたため一切話ができなくなりました。
現在は療養入院をさせていただいている病院先に洗濯物を届け、
顔を見に行き、二言三言話しかけて母の寝顔を見て帰る日々です。
その間、母は言葉を発することはなく起きているときはただ私の顔を見つめます。
家で介護をしている最中はその目がとても怖かったのですが、
今は見つめられたら微笑みの目を向けています。

治ることはもうないとわかっていて鼻から栄養を摂り眠るだけの母に、
ここまで進んでしまったんだ、という冷たい感想しかありませんでした。
それは介護中、距離が近すぎたため感情が麻痺してしまったせいだと思っています。
しかし母が家を離れ、感情が落ち着いたとき初めて治らない母に戸惑いが生じ、
家にいるときのような気軽な言葉のかけ方すらわからなくなってしまいました。

だからいつも、
「元気?」「寒くない?」「いっぱい寝た?」などの言葉をかけて終わり、
その後は再び洗濯物を袋に詰め、なくなりそうな備品の補充に行くだけでした。
そんなある日、突然自分の中から母に向けて出てきた言葉がありました。
「早く良くなってね」という言葉でした。
本来なら嘘になります。治ることはないのだから。
けれど、その言葉を聞いた母の目は明らかに微笑みを向けてくれていました。
そのとき、どうしてこんなに喜んでくれる言葉をかけてあげなかったのだろう、
と、悔やみました。けれどその言葉を母に向けるということを、
私は知らなかったのだろうと思います。
次からは毎回その言葉をかけ、母の微笑みの眼差しを受け取っています。
その眼差しは今、母からもらう唯一の〈言葉〉です。

こんな状態になった今、葛藤について書こうとしても何も出てきません。
圧倒的に世話を受ける立場になってしまった母が、
脳梗塞を起こす少し前、まだ話ができたときに言ったことがあります。
「こうやってできないことが増えていって死んでいくんだね」と。
病気がわかったきっかけとなったのは文字が書けなくなったことでした。
そこから70代前半という若さもあり、ものすごい速さで病気は進行し、
得意だった洋裁もできなくなった母を思い、堪らない気持ちになります。
どれほど口惜しく悲しかったことだろうと思います。

時折、幼かった頃の夢を見ては母を責めたりしているので、
記憶のどこかでは消化できていない部分もあるのだとは思いますが、
もうそれをぶつけることなんてとてもできない。
病気以前は手を繋ぐことすら嫌がるほど支えられるのを嫌がった母が、
今では手も足もすべて、看護師さんや介護師さんに任せています。
私も介護中、爪を切ったりハンドクリームを塗ったりと、触れる機会がありましたが、
母は何の抵抗も示さず、むしろ喜んでいました。観念してしまったのだと思います。
ただそうして観念した母は少女のように無邪気でした。
娘が言うのもおかしいのですが愛らしかったのです。
以前なら目上に対し、可愛いだなんて失礼だから絶対に言ってはいけない言葉でした。

昨夜「母の日」ということでふと、母が好きだった曲を思い出し、
動画サイトで調べて聞きました。
山口百恵さんの「秋桜(コスモス)」です。
元々、百恵さんの曲や顔立ちなどが好きだった母は、
アイメイクなどを真似ていたほどです。
姉と母と3人でカラオケに行ったときも、
(母は歌わないのですが聞くのが好きだからとついてきていました。)
私がふざけて八代亜紀さんの物真似を大げさにしたりして笑わせる中、
何となく入れた「秋桜(コスモス)」を歌ったとき、
その歌詞に感情が溢れそうになり、また下手な物真似をしてふざけてしまいました。
もちろんふざけずにはいられなかったというのが事実ですが、
きちんと歌って聞かせてあげれば良かった、とも思います。

「秋桜(コスモス)」の歌詞は娘が嫁ぐ前日のお話です。
始まりは庭に咲くコスモスを眺めながら母と娘がアルバムを眺めながら、
色んな思い出話に花を咲かせるのですが、
娘の荷造りを手伝う母が突如涙を溢れさせ、
「元気で」と娘にひとこと言うのです。
娘はこの結婚の前日のたった一日だけ、
もう少しあなたの子供でいさせてください、と返します。

私は成人式に本来母が望んでいた着物すら着なかったし、結婚もせず、
花嫁姿も孫の顔も見せることができなかったけれど、
曲中の気丈な母親と私の母を重ね、涙がとまりませんでした。
子供の頃、どれだけそばにいて欲しいときにもいなくて、父親が去ったあと、
恋愛を楽しむ母に反撥し、私自身が精神を崩してしまったこともあったけれど、
それでも私は母を愛しているのだろうとどうしようもなく思うのです。
こころのどこかで本当は気づきたくなかった感情かも知れませんが、それは多分、
ずっと憎らしい、と思うような元気な母でいて欲しかった私の甘えだと思います。
気づいてしまった今年の「母の日」は私にとってひどくせつない日に感じました。

※「秋桜(コスモス)」歌詞(リンク



時間が過ぎてしまいましたが、母のことを思う日は一日ではないなと実感しております。

昨年11月、以前聴いていたタケカワユキヒデさんの楽曲を再び耳にし、
動画を視聴しているうちに大家族と呼ばれる彼の人生観というのか、
どのような父親像なのかとても興味が湧き、
幸運なことに彼は自分が父親であるという目線からの本を、
多数執筆してくださっていたので読んでみた。

青天の霹靂というのか、言葉どおりの衝撃を受けたものの言葉は逆かな。
曇り空から強烈な光が差したようでした。
私の両親はお世辞にも子煩悩という訳ではなく、
子供側として少し被害者面して言うと、
人生を狂わされたと思っています。ひどい言い方ですが。

特に父親は母以外の人間を結婚後に愛し、
私たちがいるにも関わらず思いを遂げて家を出た。
のちに離婚はしたけれど養育費を払うという裁判の可決に対し、
結局謝るだけで最後まで払わなかった。
そのため母と姉と私は極貧生活を強いられた。
母親はずっと働きづめで常に疲労し、私葉その頃不登校になったのだが、
理由も問えないほど生活に追い詰められていたのだと今なら思う。
そう、今なら。どうして父親は養育費をくれなかったのだろうと。
父親の生活が苦しかろうが自分の生きたい人生を再び手に入れるために、
ひとつの築き上げた家族を捨てることの対価として養育費の支払いを命じられたのに、
たまに家に顔を出しては「ごめんな、俺も苦しくてな…」なんて言い訳をしていた。
甘い。今ならそう思う…。哀しいかな。すべてはもう遅い。
遅いから仮に実際会ったとしても問い詰めたりはしないけれど気持ちには傷痕として残った。
男女関係について、友人知人、親戚、テレビの中、本の中、様々なメディアで観て来て、
父親ってなんだろう、と私は小学生の低学年と高学年のちょうど中間辺りで、
そう疑問に思ったまま成長しました。

本題の前に長くなりましたが、これらは必要な要素なので…。
そこで先に書いた晴天の霹靂が起こったのです。
タケカワさんの著書「ビューティフルネームの本」と「娘を持つ父親のために」の2冊は、
私のそれまでの人生観を覆し、大いに戸惑い、戸惑ったままこうして書いている。
どちらの著書でもタケカワさんは偉ぶらず、タイトルとは裏腹に、
〈父親〉という括りではなく〈親〉としての立場から、
〈娘〉であり〈自分の子供たち〉に目線を置いて書いている。
〈親〉として子供たちがこれから育ち、自立して生きていくために自分たち両親は、
何をしてあげられるのか、また何をしてはいけないのか、そのことを読みやすく、
また大切な箇所は何度も繰り返しています。

タケカワさんの動画やインタビューなどでも子供たちに関するお話をされているとき、
本当にちいさなことにも目を見張った。例えば、車酔い。
私も例に漏れず車酔いをよくする子供だった。
そしてドライブ中、車の中を汚してしまったのと父親の顔から表れ出ている、
〈俺の運転が悪いというのか〉という非難めいた視線が怖かったのを今でも憶えている。

タケカワさんは車酔いをする子供にどうしたら良いのかと奥さんと一緒に対策を考える。
彼の提案は、年齢の違う子供たちに共通した曲をみんなで歌うというものだった。
それは音楽を生業としている彼の思考だから一見、特殊に思えるけれど、
実は私にも当てはまる対策だった。うちも両親共に音楽好きだったので、
当事から車中ではよく音楽を流していた。
しかしそれは父親が選択した音楽で私たち子供はそれほど馴染めないものだった。
そこで、私と姉のお気に入りの音楽の中から、
車でかけても雰囲気に差し支えのないお気に入りの曲を選び、
カセットテープで編集したものをおずおずと父に差し出してはかけてくれるか気遣った。
ほんの僅かな時間だったがかけてくれたときは、
それらに合わせて一緒に歌っているので決して車酔いしなかった。
そのことに気づいて以来、音楽のかからない中で酔いそうになったときは、
上を向いたり窓を開けたりしながら一番の効果である〈心の中で歌う〉ことを実践していた。

もちろん今さらあの頃の自分の父親に対し、
タケカワさんのようだったならとは思わない。比較は馬鹿げている。
けれどタケカワさんのように酔わないための対策を考える、
という親がいることに非常に驚いたのだ。時代の差とも思わない。
今健在なら70代後半であろう実父だが音楽が好きだという共通項があり、
タケカワさんでさえ既に60代を越え、後半に入ろうとしているからだ。
これはひとつのエピソードだけれど、
その他にも父親が率先して食事を作ったり対話の徹底性など、
子供と関わるためのアイディアがたくさんありここには書ききれない。
ますます父親ってなんなんだろう、と混乱を極めた。それが現在です。 

最近、とある書籍にて〈愛着障害〉なる言葉を目にした。
まだあまり咀嚼できていない状態なので明言は避けたいところですが、
〈愛着というものはストックしていける〉というひとことに目が留まった。
愛着の基本は〈子供が安心して暮らせる保護にある状態〉を指すので、
〈愛情〉とは区別して書かれています。
〈愛情〉は感情的な問題なのでそこはまた違う話になります。
もしかしたら私はたった今〈愛着〉をストックしている真っ只中なのかもしれない。

事実、タケカワさんの書籍(「娘を持つ~」)を参考にして、
一緒に暮らすあまり仲の良くない義父におずおずと接してみたところ、
現段階では驚くほどコミュニケーションがスムーズになっている。 
とても単純なことです。相手の話に頷きを入れるか否か。それだけ。
私は相手の顔を見て話したり、相槌を入れるということは随分前から行なっていたけれど、 
義父は相槌も打たず、話していた話題から自分のエピソードを思い出すことが多く、
みんなが会話している場面でも話をさらっていってしまう癖があった。 
そこをとりあえずあからさまにムッとして黙り込むのをやめてみて、
話をさせて積極的にではなくても〈聞いてるよ〉というアプローチをしてみた。
まずは自分からそうして態度に表してみる。そこから始めた。次に言葉を。
まだまだ昨年末から今年にかけての試みなのでこの先のことはわからないけれど、
それでも話をしたくないからと、それまで逃げるように寝室に隠れ、
ひたすら眠っていた段階からは一歩進めたような気がしている。
思いを口に出すのは怖いけれど生活を楽にもしてくれる。
相槌のないおしゃべりを仕掛けるのはしどろもどろになるしなかなか困難だけれど。

少しずつ少しずつ。 
義父も高齢なのでできないことが増えてきている。
私が多少手伝いに回るとき、コミュニケーションが取れないとほんとうに大変だと思うのだ。 
そして今までずっと私の癖であった鼻歌、いや割と真面目に歌いながら行動する、
という、はた迷惑な私の癖が復活したのが嬉しい。もうずっと忘れていたから。
口元を緩ませるのは心をほぐすことにも繋がると思う。
それを思い出せたことが一番大きいかも知れない。

今日は「母の日」ですが、まずは父親に関することから書かなければ、
母親の話に言及できないと思い、気持ちの整理をつける上でも書いてみました。
これだけでもブログとしては充分長いので得意の第2弾へともつれ込もうと思います(笑)

※参考動画



※参考文献

娘を持つ父親のための本
タケカワ ユキヒデ
集英社
2001-12


ビューティフルネームの本
タケカワ ユキヒデ
T-time
2012-11-15


アタッチメント―生涯にわたる絆
数井 みゆき
ミネルヴァ書房
2005-04


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バレンタインも終わり(なにもしていない)15日になりました。
今日2017年2月15日は、私が小説を応募した賞の締切日です。

実は文学賞のような公募をしているものに応募するのは初めてなので、
実に不思議な気分を味わっております。
自分の中で納得のいくものを仕上げて投稿したつもりですが、
なんの賞にもかすらなければ大賞を獲った方の作品を読み、
自分の作品と比較してみようと考えています。
自分の作風を変える訳ではなくてもしかしたら、
その賞の趣旨に私の書いたものが合ってないだけかも知れないじゃないですか(笑)
小説家を目指すということは心の中に山あり谷ありだと思うし、
何度応募して落ちたところで終える訳にはいかない理由がありますから、
賞が獲れなくても落ち込むところではないと思っています。

そんな訳で、唐突ですが昨年、私比でたくさんの小説を書いたと思うのですが、
好きだなと思うものと、あ、これは、と隠したくなるものなど多様でした。
2016年末に近づくにつれ、電池切れ騒動(私の中で)が起きていたので、
ほとんど全滅なのですが、色々書き直す設定や箇所がありつつも、
一番自分らしさを出せた小説がふたつありました。
お題小説なので当然お題ありきですべて自分の力ではありませんが、
お題を膨らませて溶け込ませて自分のものにするという結果を作ることはできたものです。
ひとつは「涅槃の子」
もうひとつは「咲き乱れる」
「涅槃の子」は非常に好評で、私も久しぶりに力の入らない小説が書けたので、
プロの方に講評してもらったところ、とても嬉しい言葉をいただきました。
「咲き乱れる」についてはそれほど手ごたえは感じませんでした。
もちろん批判を受けたわけではありません。
けれど投稿先のお題ブログの管理人さんが少し無理されてるかなと(笑)
寸評に気を使ってくださっているような印象は受けました。

私の目標とする文章は起承転結のはっきりした物語に重きを置くのではなく、
オチがあるのかすらわからない、なだらかな、けれど読み応えのあるもの。
もちろんはっきりとした指標はあってただつらつら書くのではなく。
2004年からネットで小説を書き始めてその後2014年頃、
何かに憑かれたように本を読み、その気持ちが膨らんでいきました。
そこからは何を書いても物足りず、その物足りなさに描写不足というものがあります。
説明ではなく描写。言葉にできないものを見えるものにすること。
多分、これは一生の課題だと思います。
これまでもマシかなと思えたのが上記ふたつの作品であって納得するものはありません。

過去に素人ではありますが、マンガを描いていていくつか応募したことがありますが、
結果は散々でした。自分でもこれは落ちるだろうな、と心のどこかでわかっていながら、
「せっかく描けたからもったいない」という甘えがあったまま原稿を送り、
当然ながらびしっと厳しい評価をしていただきました。
中学生だったのでとても傷つきましたが、あんなに稚拙な、
半ば投げたような原稿を読んでくださったことに感謝をしております。
マンガはそれからも批評に書かれた課題をクリアする努力をしつつ、
数作品描いて最終的に「少し古い」と言われたところで止めました。
マンガはよほどのことがない限り時代と共に生きていくものだと思っているので、
その言葉は私にとってマンガ投稿の終焉を表していました。

そこから紆余曲折があり、書かずにはいられない体質の私が思い出したのは、
あらすじに数ページかけていたことでした。
ここまで書くならいっそ小説にしたらどうかと思い、それが小説の始まりでした。
なので、私の書いた小説に時折「マンガのような」と形容されることがありました。
どきっとしましたがとても光栄でした。文章の頭に「上質な」とついていたからです(笑)
やはり経験は素直に表に出てしまうのだなと思いました。

勉強という言葉ほど小説を書くのに似合わない言葉もないと思いますが、
日々様々な「想う」感情やこれまでの経験に心を震わせながら、
書きたいことを可視化させ、これからも言動だけは偉そうに書いていこうと思います!(笑)

※上画像撮影 京ノ紅猫(クリックすると大きくなります)

随分と時間をかけている「微エロ?で32のお題」ですが、
幸坂小説ブログ「L'oiseau Blue」にて28作目を更新いたしました。
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Planet Love
http://blog.livedoor.jp/y_yukisaka/archives/52268810.html

かなり時間が経っておりますので説明をいたします。
こちらは32個の小見出しのような短いお題があり、
そこから物語を膨らませて小説を書くというものです。
しかし当事(2006年頃?)投稿していたサイトが閉鎖。
その後、あまりにも私がゆっくりしているうちにお題元サイトも閉鎖。
途中まで書き上げたサイトは表示もされなくなってしまい、
タイトルやキャッシュなどで探し回って見つけ出し、
拙ブログに掲載し直しました。その頃の私はコピペというものを知らず、
いつもぶっつけ本番で投稿していたので下書きが残っていませんでした。
そんなこともあり2006年とは書きましたが、年月日については既に定かではありません。

そんな博打的な書き方をしていたことと、あまりにも時間をかけてしまったことで、
恐る恐る1作目を読み返してみると、書き方はもちろん感覚や思想というのでしょうか。
そういうどこか表現の仕方が違うため読んでる途中で激しく赤面しました。酷いです。
作者本人が赤面するくらいですから読者の方はもっと赤面すると思います。
そんな訳なので初期のお題小説はもう無視してください。
もっと言えば読まないでください!なかったことにしてください!(笑)
今はコピペ、下書きなどパソコンの基本は何とか憶えたので大丈夫です(今さらか)

今回は32作目中28作目、テーマは「撫で回す」でした。
撫で回す、という言葉から、うわエロいと普通に感じましたが、
32のお題当初のテーマである「微エロ」という部分をどんどん省きたくなり、
何作目からか、お題の言葉そのものは使用するとして物語は勝手に書くようになりました。
今回の「Planet Love」では舞台を冬に設定し、
「撫で回す」のは手の冷たさをほぐす、という描写になりました。
そしてここのところ、遠ざかっていた恋愛のジャンルになり、自分で驚いています。
少々SF風味ではあるかも知れません。慣れてませんが(あかん)

次回29作目のテーマは「愛撫」です。
何となく今回と被っていると思うのですが、自分なりに言葉の違いを解釈して、
一生懸命書いていこうと思います。
あと4作!とか一丁あがり!という書き方はしたくないのですが、
さすがにもう10年以上経っていると、書きたいものも興味も変化しているので、
できるだけ早く、書けるうちに終了できるのを私自身望んでいます。
もしもひとりでも読者の方がいてくれるなら幸甚に存じます。ぜひ、ご一読ください。

※上画像はTumblr
  『Sundiamonds of Life』 http://sundiamonds.tumblr.com/  より。

いきなりですが、
第65回Mistery Circle」さんにアップした私の小説に訂正がございます。
タイトルは「Lily's Mysterious Days」となっておりますが正しくは「I love you」です。
訂正前のタイトルが公になったときは本来のタイトルを恥ずかしく感じて、
諦めてしまいました。しかしその後、どうしても落ち着かなかったため、
もう一度管理人さまに連絡を取り直しました。このあと訂正してくださる予定です。
今もまだ以前のままになっておりますが、先にこちらで皆様にお伝えします。
個人的に裏側の見せたくなかった部分をお見せしてしまい、非常に残念に思います。
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そんな訳で2016年、締め切りのあるものはすべて書き終えたので、
自分が今年書いた過去の作品を読み返してみると、
ふと、スランプ時期が思い出されて冷や汗をかきました。
 
ものすごく苦労して「作った」形跡がはっきり読み取れてしまって。
多分、思うように書けないことからより慎重になり、
自分の思う「完璧」を作リすぎてしまったのだと思う。
だからどこかが過剰になる。オチがつき過ぎる。
もちろんそれはひとつの作品として失敗作とは思わないけれど、
でもどこか自分の設定する矜持に反しているので気持ち悪さがある。
小説の完成に安堵しただけで心が完成しない。
何かを書き忘れたように、ひどくざらざらとした感触のまま皮膚に残る。
そこで勝手に傷つき、落ち込む。疲れているのですぐ次に向かうこともできない。
次の作品に向かおうと思えるまでもどかしい時間を過ごす。

更に、書き終えて読者の目に触れてしまえば、
作品の判断は読者に任せてしまうので、
その悩み苦しんだ自分にとって、もやもやした作品だと思っていたものが、
案外読者受けは良かったりして書き手側は混乱する。
本来そのような乖離はない方がいいに越したことはないけれど、
なかなかそのようにうまくは行かない(もちろん逆も存在する) 
自分ひとりだけでも様々な側面が存在するのだから。

けれど、どこかで自分の文章のズレを感じ、矯正する。
慣れていくとまたズレが起こる。その繰り返しの中で、
触れたり、巡り合ったりして「よし!」と思うものが書けるのかも知れない。
どちらにしても色んな物事に触れていなければ、
触発されることもないので充電期間は必要で、
100パーセント充電されたらまた始動できる………と思います。

最後、ちょっと弱気になりましたが、
今年はさすがに書くスパンが短かったなと思います。
1年に6作書いたということは2ヶ月に1作の計算になるので、
充電中の時期があったのかも知れないにも関わらず、
むりやり放電していたのでしょう。
そのまま12月に入り、充電が追いつかずとうとう電池切れ。
充電中の放電だから漏電もしていたのでしょう。
突然ぷつん、と切れて何も書けなくなった。今現在その状態です。
もちろん、1年の間に素晴らしい本、映画、音楽、芸術等に触れました。
そこからせっかくいただいたパワーに対し、消化させられなかった。
感情が揺り動かされる大きな出来事もあったのに、
書くために懸命になりすぎてどこか心の片隅に置いやってしまっていた。

来年はきちんと消化し、充電する期間を設けようと思います。 
そうでなければもったいないし、愉しんで苦しめない(笑)
何よりも、満足できるものを書きたいし、読んでもらいたいから。

追記:
「Mistery Circle」さまサイトにて、
タイトルの変更が無事行われました。管理人さま、
お手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした。 

lily
参加させていただいているお題小説サイト「Mistery Circle」様にて、
今年最後の小説が更新されました。
今回いただいたお題。

起 どうして、恋愛しなきゃならないのかなあ。
結 冬の夜の冷たい闇に、ふたりぶんの白い吐息が解けて消える。

お題自体は念頭に入れつつ、台詞には登場しておりません。
テーマとして自由に書かせていただいております。 

「I Love you」(Lily's Mysterious Days 改題) 幸坂かゆり
http://misterycirclenovels.blog.fc2.com/blog-entry-472.html 

今年最後、ということであまり不吉な感じで終わりたくなく、
幾分ファンタジーな物語を意識したので暴力描写もなくR18でもありません。
ぜひご一読くださいませ! 

あとがきにも書きましたが、
私がMistery Circle(以下MC)さんに参加してから10年になります。 

以前、3作ほど書かせていただいたあと、卒業という形にしたのですが、
その後、サイトが閉鎖。しかし、そのときお世話になった管理人さんが、
もう一度復活させたいという趣旨のことを語っておられて、
そのときスランプ時期ではあったのですが、
以前、大変お世話になったので少しでも恩返しができたら、という想いで、
再び参加をさせていただいています。
書ける場があるのは大変光栄なことです。
スランプとか言ってる場合じゃないです。

このMCさんには本当に助けていただきました。
勇気ももらいました。正直、このサイトがなければ私は道に迷い、
もう書くことすらしなくなっていたかも知れません。
(その割には今回のはちょっと…いや一生懸命は書きました…はい)
お題、と言いながらお題無視で進行したり、
物語の中に溶け込ませるという掟破りを数々犯しておりますが、
ひとつひとつこつこつ書いてきた作品が自信へと繋がっていったものです。
これからも、スランプなどドアと一緒に蹴破って、
何ならスランプごと抱きしめてでも書き続けて行こうと思います。
今一度、宣伝ではございますが、ぜひご一読くださいませ。

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上画像は少々生意気ながら賢さを感じさせる女の子として、
モデルにしたリリー=ローズ・デップちゃん。

「ハピネス」 タケカワユキヒデ


11月17日、突然、ゴダイゴの音楽が聴きたくなり、
手っ取り早くYoutubeで探した(すいませんすいません)
しかし今いちばん聴きたいと思うアルバムの中の曲は当然見つからない。
けれどヒット曲や小学生当事大好きだったVo.タケカワユキヒデさんのソロなどが、
ひとつのチャンネルにて歌詞付きで見つかった。
安易にイイネ!とか押して違法だとしたら応援しちゃいけないよなあ、と思い、
チャンネル元に行き、リンクしてあるサイトに飛んだ。
すると本人さまのオフィシャルサイトだった。
しかも「11月17日更新」と書いてあった。
(現在は11月24日のインフォメーションに纏められています)

聴きたくなったジャスト当日、ブログ更新日でした。うおー!タイムリー!
何とか落ち着きを取り戻し、安心してその歌詞付き動画をツイッターにてつぶやいた。
曲は馴染んでいるし懐かしいけれど過去に知っていたと同時に、
過去と言ってしまえないほど彼の曲には思い入れがあります。

タケカワ、と恥ずかしさから呼び捨てで呼んでいたタケカワさんは私の初恋のひとであり、
数日前気づいたばかりなのですが私の「お兄ちゃん欲」を満たしてくれた存在でもある。
個人的ですが、あらためて考えると私がファンになる人は年齢に関わらず、
自分が勝手に「兄っぽい認定」をしている人なんだな。
さらに超個人的になりますが、私がタケカワさんの音楽を必要としていた時期は、
両親の事情で引越しが重なったり不登校になったり、心身ともに不安定な時期だった。
それこそ家でも外でも自分の居場所がなく何もかも蚊帳の外のような状態。
自分が悩んでいるのかもわからないくらい混乱していた。
そんなときに引越し続きで配置すらごちゃごちゃしていた巨大なステレオで、
それでも無理矢理聴いていたのがタケカワさんのソロアルバム「Lyena」だった。
当事はレコードでした。引越し中、ステレオが使えないときも、
親戚の家を訪ねる機会があれば持参し、そのおうちにてかけてもらった。
なぜあのときあれほどタケカワさんの音楽を欲していたのか。
多分、私にとって彼の曲は子守唄だったのだろうと思いました。

今現在も数ヶ月前から不安定になり、自分でも何がそれほど不調なのかわからないまま、
過ごしてきて、ふとタケカワさんの声がまた聴きたくなり、先のチャンネルにて、
がぶがぶと水を飲むように1曲ずつすべて聴いた。
タケカワさんが今でも現役でしかも今月26日にニューアルバムを発表し、
今後、ライブも予定されている。
唯一、幼い頃の思い出を共有している姉にこの偶然を話すと、
感激のあまり涙ぐんでいた。ドーナツ屋さんで。

そしてそのお水がぶがぶ的タケカワさん欲求(書き方おかしい)は、
今日(こんにち)も続いており、以前のものでまだ聴いたことのなかった楽曲を気に入り、
ダウンロードしちゃった♪ 「I Love you」って言うんだぜ。直球だぜ。
数年前にも突然タケカワさん返り(だから書き方g)したときがあった。
そのときのことはあまり憶えていないけれど定期的に訪れる。
いやただ単にファンである気持ちが継続しているだけかも知れないけど(笑)
それでも日付けやアルバム発売間近だったという偶然は、
それまでまったく触れていなかっただけ驚きを感じてしまうのです。

Youtubeのチャンネルは「amenityinc」という名前で、
ここは公式のタケカワさんの事務所の名前です。
歌詞付き動画には「僕シンvol.2」と書かれてあって、
どうやらそれはライブのようで「僕とSing Together」の略でした。
歌詞は、黒色、青色、赤色と分けてあり、
色にはそれぞれ、タケカワさんがひとりで歌うところ、一緒に歌うところ、
(ファンの)皆さんだけに歌ってもらうところ、と表記してあります。
「皆さんだけに歌ってもらうところ」は何気にハードルが高いです。
ひとりだと歌う勇気が出ません。タケカワさんはS属性でしょうか。

それにしても名曲揃いです。
そこから流れてちょっと他の若き日のタケカワさんの動画なども見ましたが、
今この年齢になって見てみると子供のときとは目線が少し違っていました。
色っぽいところがあったり、わかっててやってる的なかわいいあざとさがあったり(オイ
歌の合間に下唇を噛むくせをあらためて見てはどうしようもなく甘い感情に捉われます。
きっとまた人生の岐路で私はタケカワさん返りをしてしまうことと思います。
そして、その度に元気なタケカワさんが幸せに歌っていてくれていたらいいなと願います。
幼かったあの頃、あんなに惜しげもなく笑顔をくれる人というのを私は知らなかった。
幸せをありがとう。今だからこそ恥ずかしくなく言える。


◆ ◆ ◆

ところで大人になってあらためて見たことで突っ込んだ部分もありました。
私の個人的イメージでどうしても「君」「僕」という言い方が似合うと思っているため、
「おまえはとてもワンダフル」というタイトルを見つけたとき、
瞬時におまえ言うな、と思ってしまいました。すいません。
そして懐かしの森永ネクターやハバナチョコレートのCMに至っては、
自分の顔が色んな色に染まり、汗も火も噴き出ました。
多分その勢いは銀河鉄道999の窓をかち割り無賃乗車してしまうほどでしょう。
うん。「愛って奴は言葉や数字じゃあらわし切れないミステリー*」ですよね。

※ニューアルバム。ライブ音源のようですね。
 伸びやかですてきなジャケットです。↓


 
※デモ音源が聴ける贅沢なシリーズも出ていました。↓

HOME RECORDING DEMO ARCHIVE SERIES VOL.1
タケカワユキヒデ
G-matics
2010-08-25

 
※デモ音源シリーズ8作目。↓ 7作目の曲は視聴できます。良いです!

HOME RECORDING DEMO ARCHIVE SERIES VOL.8
タケカワユキヒデ
(株)ディスクユニオン
2011-04-27






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*歌詞引用 「ハピネス」 作詞 / 奈良橋陽子、山川啓介(1979年)

「三つの癒し 2 『感情をアップデートする』」 その3です。

これまでどれだけの感情や感傷、感動など溜め込んでいたのだろうと思う。
こうしてみっつ目を書けるところまで来れたことを嬉しく思います。さてみっつ目の癒しは、町田樹さんの新しいプログラム「Ave Maria」でした。(実際の彼のブログでの表記は「"Ave Maria” by Chris Botti」です) 忘却の彼方にむりやり押しやっていた寂しさを思い出させてくれた映画、その経験を忘れずにいてもいいと背中を押してくれた音楽、次に私を癒してくれたのは「浄化」による昇華でした。



町田さんのこのプログラムはまず情報を一切シャットアウトしてまっさらな気持ちで鑑賞しました(放映のない地域だったので動画鑑賞になりました)もちろん、このプログラムを今こうして書いている「三つの癒し」の記事にするとは夢にも思わなかった。思考が停止するほどの美しさと静寂に、あっという間に飲み込まれました。

周りがうるさく思えてたまらないとき、もしかしたら自分が自分のようでなくなっていて、
そんなもどかしさが他人に投影されているのかも知れない。創ることを人生の中心に据えて生きていたら時折、現実や日常と言う壁にぶつかる。生活の重みに比べたら芸術や美術は軽く見られてしまう。けれど本気でやりたいこと、伝えたいこと、それが溢れたとき、人は一線を越える。情熱で周りを降参させてしまうことがある。多分それが本物の持つ力でそれは恐れていてはできないことだろう。

だから私もあと一歩でいいから足を出してみる。震えながらでもいいから。
練習と言う場数を踏み、付け焼刃で行う訳ではないと心の中で思うことが最強の呪文になる。そう。失敗も成功もやってみなくちゃわからないけれど練習ならいくらでもできる。今回2作の小説を書く上で珍しく習作というものを数本書いてみた。すべては同じお題なのだけど物語がすべて違うものを5作ほど書いたがどれも上滑りしてちっとも面白くなかったのでボツにした。そのとき影響を受けたものに似ていたものがあり、それがどうにも納得できなかった。芸術も小説も古(いにしえ)から続くものだから、今さらどれにも似ないということはできないけれど、それでも自分なりの意志や感情として自分の名前をクレジットして表したいものがある。そこに辿り付けたら、例え周りに駄作だと言われようが(傷はつくけど)後悔はしないだろうと思って、一生懸命書いた。それが今回の「砂の中の住人」であり「軌跡」だった。

そして、こうして悩んでいるとき頭に浮かぶのはアイスバレエダンサーと呼んでしまいたくなるような美麗な身のこなしのフィギュアスケートを滑る町田樹さんです。彼は現役時代から色々計算をしてきた…と書くと人聞きが悪いな(笑)自分の信念や言葉遣いを決して曲げず、良い意味で周りに迎合せずに意志を貫いている人。結果、少々強く感じるようになった個性には慣れない人からの笑いが起きることもある。でもそれが笑って済むものではないことは真剣に見ていればわかる。彼が作り上げてきたものの新鮮さは、これまで見たことがないほど強く彼自身を放出していた。信じているものを本気で演じる人はとても魅力的だ。だから強く魅かれる。彼は間違いなく他の誰に似せることもなく、自分の考えを貫きながら進みたい方向へと向かっている。

「"Ave Maria"by Chris Botti」は2016年10月1日にたった一度だけ(ゲストスケーターだったので)公演されたプログラムで、イタリアのトランペッター、クリス・ボッティの演奏する音楽を使用していた。聖母マリアのアイテムでもある青の衣のような照明の色、彼女が天に還って行った時、受胎告知を信用しなかった人間のためにするりと落としていった青い衣と降り注いだバラ。聖書で知ったマリアは嘘も不貞もすべて赦す人だった。

随分前のことだけれど知人が突然、聖母マリアの何が偉いの、と言っていたことがあった。
「たかがキリストを産んだだけなのになぜこの人が崇められるのかわからない」と。調べれば?と思ったのは後のことで私は咄嗟に知人の言葉に傷ついてしまい、何も言えなかった。今思うと口惜しい。聖書は宗教として信仰している人にとっては命のように大切だけれどそうでない人にとってはフィクションの物語だと思う。私はそう感じている。けれど私が傷ついたのは、命を生む、息を吹き込む、というのは大きなことだと思うからだ。「たかが」と言ってしまえるものじゃない。

仮に、あの日に還って議論するなら、まず聖書は物語であること。
マリア以前に彼女の母親が既に不思議な力を持っていたこと。現代の言葉で言うなら超能力のようなもの。彼女がマリアを産み、その力はマリアにも宿った。そして力があったからこそキリストという立場の人間を産むことを選ばれた。「選ばれた」のだから普通じゃない。けれどそこまで説明するのも億劫だったのでそのまま知人との話を終えた。もちろんその頃の私は折伏する力も持ち合わせていなかった。私にとって聖母マリアはアイドルのようなイコンだった。だから「たかが」と呼ばれたことに傷つき、怒りもあった。私はマリアを美しいと思い、見つめていたいと思っていた。ただ芸術や創作が宗教と違うのはそれを布教しないということ。個人の強い想いが芸術や創作活動を支える。

おっと、少し話が散らかってしまいました(笑)
私は勝手ながら町田樹さんにそんな個人の想いを重ねた。あのときの知人の言葉の傷は町田さんの存在によって少しずつ癒されていくのを感じる。癒された傷は痕として残るけれど痛みは消え、暗い思考も思い直す余裕ができ、思う存分愛することを自分に赦すことができるようになる。そして芸術へと昇華する。もしかしたら「生む」ということは、傷をつけられ、癒し、昇華する。そのことの繰り返しなのかも知れない。私はこれからも私の愛する物や思考を愛し続け、不意に耳に入る雑音に思考が歪んだら軌道修正をしながら表現していきたいと思うのです。端から真剣に取り組んでいる人を見て嗤う人には、結局何を言っても理解されないだろうな、と最近やっと自分と他人を切り離して考えられるようになりました。多分もう大切なもの以外を強く非難したり抗議するには時間が足りないのだと思う。今ある時間は大切だと思うものたちへと向けていきたい。

ええと。
長々とだらだらと大いに書かせていただきました!本当に個人的な健忘録のようなものですが、最も忘れたくないことでもあります。もしも読んでいただけたのなら、そして少しでも共感していただけたのならとても嬉しく思います。 

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(注)一部、仏教などの宗教用語が混じっていますがここでは宗教としてではなく「表現」として使用しています。同様に宗教に関する事柄に対し、的確ではない言葉も用いておりますが故意にそのように表記しています。ご了承ください。

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