First Kiss

幸坂かゆり Weblog

さて。
小樽の大澤誉志幸さんのライブから既に2週間経とうとしています。
私はやっと体を休め、帰ってきたーと実感しております(遅い。遅すぎる…)このように、現実を体に浸透させることにかなり時間を要してしまう体質(性質?)なもので、もう既に新たな明日に向かっている皆さんが多い中、私自身も悔いのない11月を迎えるため、小樽から札幌まで行き、帰りの高速バスの中でのことも書いてしまわなくてはと思いました。17日はこの方のお話を。
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タケカワユキヒデさんです。

帰りであるこの日(10月17日)は偶然、タケカワユキヒデさんのライブが配信される日でもありました。旅の途中だったのなら観ることは諦めたと思いますが、何と言うことでしょう。帰りのバスの中、という時間帯だったのです。バスの中ではあまり好みじゃない映画が流れ、10分ほどの休憩以外5時間ほど同じ格好のまま座席に座りっぱなしの苦痛の時間。もちろん感謝している。しかしそれとは別のところでまたこんなふうにも思うのである。それは仕方がないことだろう。私より一つ下の男友達がライブ好きでやはり高速バスを利用せざるを得ない状況になった時、特に夜行バスは辛かった、ともらしていた。というのは夜行バスは照明が消されてしまうので読書もできずスマホも明るく迷惑になるため、使用することなど言語道断。そこはただ眠るだけの空間になる。眠れない場合どうなるか。そこは地獄だ。彼は言った。
「強い酒の一杯でも飲まないとやってられない」
そのくらい年を重ねた後の高速バス(特に夜行)は辛い。足にも腰にも来る。私も数年前、座席がちょうどタイヤの上という場所に当たり、足の血流が滞り、命の危機を感じた。(いや、上げたり下げたりくらいしよう)

そんな今回ですが、夕方であり、スマホオッケーの状態。
タケカワさんの今回の配信は、17日、横浜mint hall「僕はsinger vo.1」略して「僕シン」というタイトルのライブでした。そこで配信も一緒にやってくれるとのこと。1部と2部に分かれており、私は2部から観られる状況だったので、スマホからいそいそとチケット購入(こんな時、文明の機器は素晴らしいと思う)イヤホン準備。いつでも観られる楽な姿勢を取った。

タケカワさんと今回一緒に演奏するのは、ゴダイゴのサポートメンバーとしても活躍されている、竹越かずゆきさん。澄んだバランスの取れたきれいな声と素晴らしい音楽センスの持ち主です。今回はその竹越さんが選曲をされたそう。既に1部が終了しており、和やかな雰囲気の中始まった。この日の選曲はスタッフさんがツイート。

2部は嬉しいサプライズがありました。
竹越さんが選んだ曲の中にタケカワさんのソロ「Happy Birthday」がありますが、歌おうとしたまさにその時、花束を持って娘の基さんが黒いマスクをして登場。タケカワさん、ご自分の誕生日(10月22日)をすっかり忘れてらしたそうで本気で驚いていました。照れ隠しなのか本性なのか、基さんに向かって、
「我が娘ながら、黒マスクだと悪者に見えるなあ」と仰って笑ってハグをしておりました。そして竹越さんがハッピーバースデイトゥー タケカワさーん♩と、歌い、会場は拍手。
タケカワさんと言う人は誰かを喜ばせることには躊躇しないのに、自分が祝福されると照れてしまう人なのだな。そうして歌った「Happy Birthday」。実はこの曲の冒頭、小さな子がアカペラで歌うところから始まっておりますが、その子が今回花束を持って来た基さんなのでした。美しく立派に成長されて目の前で微笑む娘さんと微笑み返すタケカワさん。時の流れを感じさせつつ、ゴダイゴが活躍した初期を知っている私個人にとってもグッと胸にくるシーンでありました。

タケカワさんと竹越さんの "タケ竹" ハーモニーは互いの呼吸の合わせ方はもちろんのこと、声の相性も素晴らしくてアンコールにてタケカワさんの初期のソロアルバムの名曲「Lyena」を歌い始めた時は嬉しくて堪らなかったのですが、なな、なんと、そこで突如バスは山の中に入り圏外に。一気に現実に引き戻される私。ああ、あのラストの方でリピートされる美しいハーモニーが丸ごと聴けませんでした。残念。美しかっただろうなあ。まあ、こんなこともある。最後は恒例となった「銀河鉄道999」でのラストなのですが、再度アンコールを望む拍手の多さで急遽出て来てくれました。本当にアンコールもすべて終えたので帰るばかりだった、と言うタケカワさんでしたが、もう一曲だけね、と1部で歌ったゴダイゴの「Back in time」を歌ってくれました。

こちらの曲です。2011年のゴダイゴのEP「Walking On」のカップリング。作詞はタケカワさんと、娘でミュージシャンである愛さんとの共作です。


途中、圏外になったことを除き、とても良い時間を過ごさせてもらいました(リラックスし過ぎて気づくと椅子の上に足上げてたしなw)終えるとすぐにイヤホンをしまってスマホもオフ。大澤さんとタケカワさんの曲を耳の中で交互に反芻しながら少しばかり目を閉じ、帰途に着いたのでした。

このように、なんて贅沢な2日間だったことでしょう。
美味しくて楽しくてときめいて笑い合って、そんな2日間。胸に残る最高のお土産は感動でした。今でも昨日のことのように思い起こす幸せなライブふたつ。このふたつを書けて良かった。昨日のことのよう、と言いつつ記憶はかなり消えています。それでもこうして少しでも書き残せたら悔いなく11月へと飛び込んでいけることでしょう! 読んで下さった方、どうもありがとうございます。また遊びに来てね。


さて、オーセントホテル着。お風呂も済ませ、明日の準備をしつつお喋りを続け、結局眠りについたのは4時半とかではなかっただろうか。お喋りは旅の醍醐味ですよね。
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ホテルの方にいただいた小樽マップ。

これを頼りに歩いたのでボロボロですがとても良い思い出。
11時にチェックアウトを済ませ、私たちはいざ、朝ごはん探しに堺屋周辺を闊歩。
「お祭りみたいでしょ」
と、友達が言うように繊細な風鈴が音を奏で、古い家屋に北一硝子製であろうサンキャッチャーが等間隔に吊り下げられており、不思議な空間を彩っておりました。
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※画像はクリックで大きくなります。

そしてお昼前、美味しそうな丼物の写真がたくさん載った看板のお店発見。
もうお腹ぺこぺこだったし、美味しそうだし、ホテルでもらった地域プレミアムチケットが2千円分あり、しかも当日有効とのことだし、加盟店だし(うるさいな、おいw)そのお店にゴー♩
店内はすいており、好きな席に座ることができました。私は性懲りもなく鮪のたたき丼(血に飢えている)友達は、サーモンほたて鮪のたたき丼…? 長い名前の上そのままだった(笑)
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濃厚でとても美味しかったです。
◆「どんぶり茶屋 おたる堺町通り店」https://donburi.jp/shop/otaru/

食べ終えて外に出るとなんと、長蛇の列になっておりました。入ったタイミングが良かったのですね。さて、友達がぜひとも私を北一硝子に連れて行きたい、と言って下さり、また私も非常に行きたい場所であったため、そちらを目指しました。いざ店に入ると1号館、2号館、3号館まであったかな? とても広くて限られた時間内ではすべてを回るのは困難なほどでしたが、本当に美しかった! 
途中、オルゴール堂を見つけ、思わず大澤さんの曲目を探す私たち。…なかった。「そして僕は途方に暮れる」は永遠の名曲だぜ。次回来た時にはぜひ置いておくれ。
さて、個人的に目が満足してしまうとそのまま心に刻み付けて帰宅しがちなのですが、ここはひとつだけでも思い出の品を購入しようと思い立ち、探したのは、やはり猫製品でした(笑)しかも黒猫縛り。とは言ったものの、結局私が購入したのはお財布に入れておくお守りで黒猫でもなかった(笑)

こんなやつさ。
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ちっちゃくてかわいい。いつもそばに置いておけるというのも嬉しい。
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こんなに福々しいお顔をしているのだ。この子が毎日お財布にいてくれる。嬉しいぞ 
かわいいお手手が取れてしまわないよう、袋に入れたままお財布の中にそっと入れました。
この猫ちゃんはこちらのお店で。↓
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サイトとは外観がかなり違いますが蔦の絡まるこの建物も味わい深くて素敵です。豊富な品揃えで目移りしてしまいます。それから運河クルーズなども興味はありましたが、今回は時間がなかったため保留。

北一硝子の中にあるカフェにてティータイム(お店の名前失念)
途中で帰宅時間の逆算式でアラーム設定していてくれた友達。なんとここでアラームが。と言う訳で注文したメロンクリームソーダは詰め込むように飲みました。アイスではなくソフトクリームだったので文字通り飲んだ感じです。アルコール以外の炭酸を飲むのは実に10年以上振り。甘くて、とても美味しかった。急いでいても味は判る。そんな一心不乱に食べる私をなぜか激写する友達(笑)カフェは天井が高く雰囲気があり、美しかった。
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無心w

◆「北一硝子3号館 北一ホール」https://kitaichiglass.co.jp/

    

さて! 長々と続けて来ました「小樽慕情」
どれだけ満喫したか伝わったでしょうか。会場にて真っ先に目にしたのが売り子と化していた酒井まろさんだったことの驚愕、大澤さんに久しぶりにお会いし、その歌声を聴き、MCに横っ腹が痛くなりw 初めて会うのに和気藹々と接してくれたファンの皆さま、優しいスタッフさま、あの日関わったすべての方々に御礼申し上げます。とても素晴らしい一泊二日の旅行になりました。日常から離れ、心も体も浮遊させる大事さを、日常に戻った今、実感しています。またこの次にお会いしましょう。ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
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素敵な街、小樽。また来るね。

こちらで今回の連載は終了です。長々と付き合わせてしまいましたが、
終始、心が冷静で和やかな旅になりました。自分にとってはまたひとつの冒険だったと思います。

前回までのあらすじはこちら↓から。

小樽慕情 1

さあ、二次会でございます…(あくまでも16日の話です)
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いきなり食べ物ー!

こちらは大澤さんのライブ後、立ち寄ったお店にて出て来た突き出しでございます。
大澤さんがMCで北海道の食べ物で、じゃがバターの上に塩辛を乗せる、という独特な食べ方に感銘を受けていらしたのですが、そんな矢先にこちらが出て来たのでした。タイムリー。実は私、塩辛が苦手なのですがここまで来たら縁です。食べずにはいられない、と思い、口にしてみました。
すると何ということでしょう…!(古)美味しかったのです。すっかり大人の舌になっていたようで塩辛が食べられるようになっておりました。付け合わせの柿とぶどうは大好物なので、すんなり、特にぶどうは皮ごとまるごといただきました。

本来は、一緒に行動を共にした方が連れて行きたい、と言っていたお店があったのですが、何とコロナでなくなっていました。残念です。そんな訳で深夜0時を回り、開いている店も少なくなって来た中でこちらのバーを見つけたのでした。艶のある木目調のカウンターやセンスの良い調度品が飾ってある素敵なお店でした。そちらのマスターに今日の(16日のは話ですw)行事を訊ねられ、
「大澤誉志幸さんのライブです!」
と、みんなで(総勢6人)一斉に答えた。
「ああ、大澤さんね。来てたんだね」
おお…。ご存じの様子で嬉しかった。
私たちは奥の席に案内され、それぞれ着席し、飲み物を選んだ。

そうして始まった二次会での乾杯。私はミモザを選びました。
シャンパンとビールを半々に割ったカクテル。私はいつもおめでたい時にこの飲み物を頼む。今回はもちろんのことだ。集まった6人のファンの方は上手に写真を撮っている。こういう時、なぜか臆してしまって「撮らなくてもいいや」とか思ってしまいがちなのですが、がんばって撮りました。撮らないと(ネタ的に)後悔する、と思ったのでした。結局飲み物撮るの忘れたけど(笑)
こうした大人数が集まる席にはちょうど相手とこちらを挟むようにアクリル板が置いてありました。そのアクリル板の下部分が四角く両腕くらいなら入りそうな大きさで開いていたので、ついついシチュエーションコントを始めてしまう私たち。銀行の受付嬢だったり、刑務所の面会だったり(笑)特に面会コントは迫真の演技で「差し入れだよ…」「早くここから出してくれ…!」とか言って笑った。昭和の人間はドリフとひょうきん族でできているのでコントがお好きなのである♩

それにしても話は戻るが、じゃがいもと塩辛というのは官能的な食べ物である。
一件、お酒に合わないかと思ったけれど何のその。とても合う。お腹は少し膨れるが。さて、ライブ会場も出たので皆さんそれぞれに今日の感想を話す。
「打ち上げの時の大澤さんのズボンの裾、短くなかった?」との発言もあった。そう言えば可愛い足首がいつもより見えていた。それだったのか。皆さん、よく見ている…。しかし女子トークは結構危ない方向にも進んだのでここはピーとしておきましょう。好きな男をつまみにするの、悪くない。

こちらのお店では1時までお邪魔させていただきました。会計を頼むときちんと割り勘状態で会計票(そんな言い方?w)を持ってきてくださり、各々で現金がテーブルを飛び交った。そしていざ外に出ようとすると結構な大雨。なんてこったい。マスターがタクシーを呼んで下さり、後にタクシーが来ると行先まで告げて下さった。当たり前なの? 私はそうは思えない。とても紳士的な行動だと感心してしまった。
それまでお喋りを続けていたけれどタクシーが来て私と友達が乗り込むと、すぐみんなの姿が小さくなってしまった。ああ、もっとお話ししたかったです。きちんと挨拶も。本当にどうもありがとう。心から。そして、オーセントホテルへと向かう私たちでした。

  

さて次の日は小樽を散策しました。つづく(多分それで終わりますw)
こちらを案内してくれたのは、大澤さんの「北海道ファン有志の会」での管理人の方で、細かい大澤さん情報、提供した楽曲など掲載されたウェブサイトを制作されています。ぜひこちらもご覧ください。

「円山文系皿桃日記」
https://sapporo-maruyama.saloon.jp/

連載形式になっております。前回はこちらからどうぞ↓

小樽慕情 1
小樽慕情 2
小樽慕情 3

大澤さんのライブを終えて、打ち上げに参加しました。そこでのことを少しだけ。

ステージに大澤さんと酒井まろさんが座り、客席から私たちが見ている、という感じで始まりました。乾杯の音頭を取り、みんなでひとくちごくり。フードはうみのやさんのカツサンド(美味い!)と可愛いマカロンの詰め合わせでひとりひとつずつ、という配慮でした。大澤さんがそばに来ないのは少し淋しいけど、きっともう少しでコロナのワクチンだって開発されるさ…。と言うか食べる方に夢中でカツサンドを写真に収めるのを忘れ、マカロンは家で撮りました(笑)
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打ち上げ時にいただいたマカロン♩(あの場で撮った方が絶対可愛さ増し増しだった…)
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そして応援時に振った鈴付きのスティックと打ち上げで大澤さんが再登場した時、会場のみんなでかけたメガネ。大澤さん曰く「みんなすごいね。まつ毛バッキバキだね!」とのことです(笑)この写真だけ見ると、ゆるふわ系のSMの女王様みたいですね。(や、そういうジャンルがあるのかは知らないですが)

打ち上げでは大澤さんもまろさんも喋る喋る。
ここではピーと鳴ってしまいそうな話が盛沢山で大笑いしました。主に食べ物に関する話が多く、北海道にいながら初めて知ったものもありました。

ひとつだけ…。長崎のトルコライス(トンカツ、ピラフ、ナポリタンを一皿に盛った長崎生まれの洋食のお話をされてた時、ボリュームたっぷりだったためさすがの大澤さんも全部たいらげられなかったそうなのですが、間もなくお店に入って来た女子高生数人がぺろりと食べてしまった、とのことでした。
「女の子って食うよねー」
「絶対彼氏の前では違うよね」
「ペロッと食べちゃってさ、うわー、こぇー、すっげーってw」
…とのことでした(笑)
大澤さんのこういう口調を多感な中学生の時から耳にしていたせいか、わたくし、めっちゃ口が荒いです。勤め先で「すげえ、じゃなくて凄い、ね」と何度も正されました。はい。つまりはすべて大澤さんのせいです(笑)

そして、一段高いステージに座る大澤さんが足を組んだり組み替えたりしている足が目に入り、前からずっと思っていたことですが今回もまたきゅっと引き締まった可愛い足首は健在で思わずガン見しました。その足を包むPumaのスニーカーも似合っていて、また、軽く履きやすそうで私も欲しいな、と思っています。

  

帰って来てからハイスピードで更新していたので、今日は余談となりました。
すーごく楽しかったぁ そして大澤さんとまろさんを見送った私たち一行は二次会に出かけるべく、夜の小樽へと繰り出したのでした。

つづく(まだかよ!)

「うみのや 小樽」→ Facebook
「ル・キャトリエム」(マカロンのお店)→ Facebook

さて、前回に続きまして3回目でございます。
過去記事はコチラ↓

 小樽慕情 1
 小樽慕情 2
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こちらは、使用するはずだった道東地方用のフライヤーです。コロナのバカヤローでございます。
本当に素晴らしい完成度で感激致しました。大切にします。
コロナが落ち着いたらぜひ今度こそ道東地方のツアーも実現できますように✨


ライブは1部と2部に分かれており、その間に換気の時間がありました。
お店側で対策をしっかりされております。安心して楽しめるよう配慮して下さっていました。
大澤さんのライブ、1部はJazzyだったりBluesだったり、ゆったりお酒を嗜みながら聴くのにぴったりの渋さで、割と静かに進行して行きました。1部のラストは「そして僕は途方に暮れる」を感動的に美しく歌ってくれました。

そして2部です。2部は盛り上がり必須だろう、と思っていたら案の定でして、3曲目辺りから前の方が立ち始めたので私も勿論立ち上がったら、前方がまったく見えなくなってしまうと言う(私にとっての)アクシデントが! するとスタッフの女性が「どうぞ」と通路側に席を作って下さり、大澤さんの姿が見える場所に移動させてくださいました。私が後ろでうろうろしていたのを素早く見つけて機転を利かせてくださって、本当に感謝しています。

それから、今だからMCなどの話をしてもいいかな。
冗談交じりに、という前提ではありますが「生前葬」をしたい、と言うお話をされていました。
「そこで誰が来たかチェックできる。ああ、あいつ来なかったな、とか判るじゃん」
「BGM流したりして。それを俺も一緒に聴いてんだよ。最高じゃん!」
「カンパーイ! とかしちゃってさ」
「で、泣いたりしてね。俺がw」
「それでやっぱりゴーゴーヘブンかけちゃったりして、本当にヘブン行っちゃうw」
…と、明るく元気に話しておりました(笑)何となく複雑な思いで聴いていましたがやっぱり後半の喋りで笑った。またそんな話を聞く酒井まろさんが飄々としてて、大澤さんのお話にうまく一言でオチをつけるので可笑しくて。いい味を出していらっしゃる。そして歌ったゴーゴーヘブンはやっぱりイカしてた。そして歌詞がやはり溶けていた(笑)
かっこいいぜ。ちくしょーめ。

その「ゴーゴーヘブン」から「Lady Vanish」へ。
「Lady Vanish」はスタイリッシュな中に重低音が体に響くようなアレンジで、以前「Blue Mood」にて配信ライブがあった時もカッコよくってぞくぞくしました。濃厚でセクシーな楽曲から始まったライブは大澤さんの持ち味である抒情的な刹那を含め、爽やかなバラ色の風も吹かせて、大人のバラードで締めてくれました。声援できない分、大きな大きな拍手を送りたい。大澤さん、北海道に来てくれてありがとう。また行きますね。

さて、長いこと連載みたいにしていたレポート、と言うか感想ですね(笑)
独り言を読んでくださってありがとうございました。この後は番外編です。一気に読者が減りそうですが(笑)
  
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こちらは今回ゲットした大澤さんSASURAI TOURグッズです。
マスクは写真の薄い青色とグレーの2色1セットですが、帰りにそのままグレーの方をつけて来てただいまお洗濯中につき、写真はなしです(個人的か)トートバッグもありましたが、家には既に以前購入したサイン入りのデニム版があるのでちょいと遠慮しました。その他、ポーチ、クリアファイルを2種類。今考えると本当になぜあの場で撮って来なかったのか、と不思議になります。なぜ家なんだと(笑)

さて、前回に引き続き「小樽慕情」をの2をお送りいたします。
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※こちらのフライヤーは北海道有志の会の方が制作されたもので、
今春道東地方に来る予定だった際、私も短い文章を寄稿させていただきました。
今回そちらのフライヤーもいただき、感慨深く眺めました。心から御礼申し上げます。

オーセントホテル小樽から飛び出し、夕食を無事終えた私と友達はいざ、移転したばかりの花園町のライブハウス「A.LIVE」を目指しました。しかし容赦のない雨の上、今一つ場所が判らなかったので、またもや一区間ではありますがタクシーで現地にゴー。店内に入ってすぐに目に入ったのは、吸い込まれそうな青色のステージ。海の底のようだった。
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最後の写真は興奮したせいです(笑)
引き戸をガラガラと開けて入るお店で「よっ!」とか言って入りたくなるアットホームな造りです。無事、入場手続きを終えると「物販販売しまーす」の声に飛びつくと、何と売り子さんはドラムス&パーカッションの酒井まろさん!思わず握手して欲しくなりましたが時間が押しているようなので、迷わずトートバッグ以外を全部買いました。個人的にマスクが欲しかったので入手できて嬉しかった。(あとで気づいたのですが、そのマスクをなぜそこで開けなかった。なぜ大澤さんの前でつけなかったのか…)

私は一般入場だったので、後ろの方に着席。カシスソーダを注文。
大きなテーブルの上には何やらパーティーグッズらしきものがたくさん乗っており、鈴のついた棒を渡されました。棒の先には2色のきれいなリボンがひらひらしていて「大澤さんが登場した時や、感情が昂った時などにどうぞ!」とのこと。そうでした。声援はできないのです。皆さん、それぞれに工夫を加え、一緒に行った友達もホワイトボードを持参し、その時々で想いを書いては消し書いては消し、を繰り返していました。大澤さんの名前入り団扇も手作りしている方がいたり、その横でお菓子を下さったり、和気藹々とした良い雰囲気で時間が進んで行きました。

そして、ふっと店内が暗くなり、ステージのみにライトが当たり、先ほどのガラガラと開ける引き戸から大澤さん登場。拍手喝采。大澤さんは出て来ただけで一種近寄りがたいほどのオーラがあり、風圧を感じます。一般人には到底出せない「何か」がある。それは毎回思うことだ。

大澤さんと先ほどまで売り子さんをしていた酒井まろさん(小林稔侍似)と視線で合図を交わし、一曲目が始まる。スピード感と強さがあるファンの間ではなじみのある楽曲。前日の函館では歌わなかった、と後で聞きました。大澤さんのギターはいつも絶品。音も最高。マスクの中が笑顔でいっぱいになる。三曲ほど続けてブルース系の雰囲気のある曲を歌ったあと、イメージが崩れるような大澤語録たっぷりのMC(しかも長いのだw)
北海道を大変お気に召してらして、温泉、食べ物、今の時期ですと紅葉の美しさなどを熱く語ってくれました。そしてなぜか「アンヌプリ」を思い出せず「セントなんとか」みたいな感じでまったく違う言葉になってしまう大澤さん。セントってどこから出たんだろうと考えると、多分「ニセコアンヌプリ」で記憶してたのではなかろうか。そうだと合点が行く。けど北海道の地名は難しいのでこの先、三回は確実に北海道に来てくれるとのことなので(暴露)ゆっくり憶えましょう♩

今回、記事タイトルにしたものの元は渚ゆう子さんの「京都慕情」です。大澤さんのお気に入りのカバー。雨の降る小樽はやはりどこか抒情的で、思わずこの曲を思い出し、タイトルに拝借しました。実際、歌ってくれた時、似合っていた。感傷的になりそうだった。大澤さんバージョンで歌う「京都慕情」は曲の後半がビートルズの「Here There And Everywhere」のフレーズを入れるアレンジになっているところが堪らなく好きです。

ここで、2012年にラジオで放送された大澤さん弾き語りの「京都慕情」がYouTubeにアップされているものをどうぞ。まだ今ほど歌にアレンジを加えていない歌声はどこか少年のようです。

こう言ったナイーブな楽曲を演ったり、エロティシズム満開の曲も演ったりしながら、ステージはどんどん進んで行きます。いつの間にか後ろの方に男性のお客さんがたくさんいらしていて、背中に声が届きました。「そして僕は途方に暮れる」を歌った時も「やっぱ、いいなあ…」というため息のような声が聞こえて来て微笑みがこぼれました。(マスクの中で)
吉川晃司さんに提供した「ラ・ヴィアン・ローズ」や、鈴木雅之さんに提供した「ガラス越しに消えた夏」の時も「フー!」という歓声と共に「すごい素敵だよね」と聞こえました。

さて、ここで3へと続きます。

2020年10月16日から17日、大澤誉志幸さんのライブに行って参りました。
昨年7月の美幌以来の大澤さんです。毎回思うのは、参加できたのが奇跡のようだと言うこと。個人的に、昨年よりも複雑な状況になり、ますます参加も難しくなるだろうと思っておりましたが、大澤さんが道内に来てくれるのだから今回は少々義父には我儘を言わせてもらい、急遽行くことに決めました。自分の人生なのだ。自分がやりたいことを遠慮してどうする。年も体力も待ってはくれない。

そんな大澤さんのツアータイトルは…
大澤誉志幸 SASURAI TOUR 2020「★BIRTHDAY★TOUR !!!」
※2020年10月9日~2020年10月25日
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です。大澤さんの誕生日は10月3日。63歳になりました。カッコいい63歳だ。
私はこのツアーの10/16(金) 北海道 小樽「A.LIVE」さんに参加しました。実は翌日の札幌に参加予定だったのですが予約が間に合わずSold outになってしまったので前日の小樽に変更しました。本来ならどちらも参加したかったところです。

小樽の天候は晴れたり曇ったり雨降りだったり、はたまたきれいな虹が拝めたりと、まさに秋の猫の目お天気でした。小樽には中学生の時、修学旅行で行って以来です。
確かあの日も雨で寒くてあまり色んな場所が見られなかった。そういえばあの時もバスの中でガイドさんがかけてくれた音楽に『そして僕は途方に暮れる』があり、男子生徒の強面の子が「その曲も一回かけてー」とリクエストしてガイドそのものを邪魔されたガイドさんに静かにキレられていた。

そんな小樽ですが、私の旅はまず北見から札幌に高速バスにて移動することから始まった。
札幌にて大澤Loverの友達と合流し、更に小樽へと移動。予約していたオーセントホテルにチェックイン♩スタンダードツインの素敵なお部屋。
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大澤さんのライブまでに夕食を済ませようと外出。と、外は大雨。傘を持ってきていなかった。動揺。とにかく目についた「これだ」と思ったお店に入ることにした。大丈夫。北海道は何でも美味い。このように雨は脳内スケジュールを変更させる力を持っている。
しかし急遽入ったお店「炉ばた屋 鶴吉」さんはとても美味しかった。懐かしさを感じさせる佇まいの小上がりに席を取り、注文したのは、舞茸の天ぷら、牛タンの炭火焼き、鉄火丼、そしてアルコールは乾杯の時のためにとっておきたかったのでここはウーロン茶で。単純にごはん食べる時は炭酸が入ってない飲み物の方がいいかな、とも思っている(いらない情報)
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このように、ゆっくり写真なんて撮りながら食べている間にいつの間にか時間が経ち、ライブの予約順があるため急いで(や、結構味わったw)お腹に詰め込み、ライブハウスに移動。
一区間だったがタクシーを使った。雨は脳内スケジュー(略)
いざ目的地「A.LIVE」さんへと!(2へつづく!)

  

「オーセントホテル小樽」https://www.authent.co.jp/
「炉ばた屋 鶴吉」(紹介サイト)https://hitosara.com/0005019223/
「A.LIVE」https://m.facebook.com/ALIVE-1683645215252199/

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今年に入り、小説を書くことが難しいと感じるようになった。
文章を書く時は、上手かどうかはさておき、いつもためらったりしなかったのに。
必要以上に筆が止まるのがもどかしい。どうしてなんだろう。

しかしそれにはきちんと理由があって。
いくつか原因になる事柄なんかも考えた。以前よく投稿していた場での「書き癖」があったり、日常の変化で本を読む頻度が減っていたり…etc, etc, でも一番の理由は、多分これだ。
「きれいに書こうとして、かっこつけるようになっていた。」
ちょっと気取ったふうに、小難しく見えるように。もちろんそういう文章が好きだからだけども、自然に出てくるものでなければそれはそのまま不自然になるし、肝心の思いが伝わらない。

だからここ数日、自分の過去の小説や読書感想、このブログなども振り返って読んでみた。
日によってかなり差がある。もちろん調子が出ない日もあり、それは(多分)自分にしか判らない部分だけど、それでも残すからにはある程度の水準というのかな、自分の中の尺度でその水準を満たしている文章だけを残したいと考えている。
その水準を上げ過ぎたのだろう。書き始めから妙にきれいに書こうとしてしまうものだから、肩に力が入って緊張して、つっかえて、言葉が繋がらない。今もまだ少し指が止まるけれど、それは新しいPCの文字入力に慣れていないという理由もつけておく(笑)その上で、意識してかっこつけていない分スムースではある。ただ文章自体はきれいではない。簡単な言葉ばかりだし、情報量も少ない。本来ならばもっと緻密で、きめ細かくなだらかで、短くても長くても情報量がぎゅっと詰まった重いケーキみたいな文章を想いを込めて書きたいと思うが、そうやって最初の一行から無理するから(笑)脱落すんねん(突然の関西弁)

そう。このように、色々ごちゃごちゃ絡めて、お喋りみたいな部分があるのが実は私の文章の特徴なのかな、とも最近、思ってきている(あまり認めたくなかったけど…)で、ぺらぺら喋るように書いて調子が良い時は上等だと思える比喩が生まれたりする。要するに日記的な感じでもう少し以前のように、ちょこちょこ更新していないと実際に紙に書く時のように書き方を忘れてしまうんだろう。学生じゃないから毎日ノートをつける訳でもない。大人になったらスケジュール以外に自らの感情を書いて行かないとスムースからは遠く離れてしまう。気づいているようで実は一番忘れやすいことだ。反省。

さっきからスムースという単語を何度か使っているけど、私が書くことで大事にしているのがこのスムース(smooth)という部分。だだだーっと書けること。もちろん推敲込みの話で。そこが強みだとも思っていて、1から書き出して100も1000も書いた中からいらない箇所を見つけて削る、という「大幅な推敲感覚」が私に必要なスムースで、それができないと来れば…焦りもしますね。自分の色だったり核だったりする部分なんだから。そこに気が付けて幸いだった。ずっと書けない理由も判らず、ただ慌てていたって解決しなかった。

そんな訳で、こうしてただ喋るように書く、という大事な部分、多分過去にも何度か書いているであろうこの部分をもっと意識的にやっていかなければ、と思う。いつでも本番に備えられるよう、普段から言葉の柔軟性を鍛えておかなくてはならない。ちなみにこのスムースは読まれて初めて活きる部分。書く時は表すものの倍以上、言葉が必要になり、そのあといらない部分を削る。当然、文字数は少なくなるが、それは大事なスムースのために必要な作業。

現在、夕飯の献立を考えるだけで憂鬱で、しんどくなってしまう精神状態だけど書くことは放棄できない。私は書くことしかできないから。もう、この間51歳の誕生日も迎えたことだし(これは大きい。もう人生の半分以上を生きているということだから)言い切ってしまおう。私にとって書くことは、脳から心を通って指先へ伝わり、PCのキーボードへと流れだし、視覚で感じること。生きてる、と。

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※画像は StartupStockPhotosによるPixabay より。

inka2
昨夜、かなり長いこと寝かせた小説を蔵出ししたところ、
ものすごい下手さが湧いておりました。
ストーリーも、文章も、結びに向けての抑揚もおかしい。

2004年。私はこんなに回らない頭を持っていたのか、と今思います。
元々、エンターテインメント小説とは程遠かったのは確かですが、
それにしてもひどい。まずあり得ない状況が登場人物を悩ませている。
いや作者(私ね)気づけよ、気づかせてあげなよ、と頭を抱えました。
もう完成してしまったものは仕方ないので、
できる限り推敲、改変して小説ブログから、
大澤誉志幸さんの曲名を作品にするブログ、
「ソファーの上でロマンスを」へと移動して掲載しました。
これは、突っ込みどころ満載の掌編です。承知の上です。
しかし恐ろしいことに推敲する前の2004年のオリジナルは、
もっと酷かったということを考えると、マシだ!と思えるのです(作者がw)

軽く作品の内容に触れると、
恋人同士だったのに何らかの事情で会えないまま数年過ごしている。
ある日突然、女性宛てに送られてきたのはグアム行きの片道航空券。
差出人に名前も書いていないが字に見憶えがある彼女は行ってしまうのです。
そこで送り主の彼と再会するのですが、これまで会えなかった理由が酷すぎる…。
2004年のものは何度も書きますが更に酷いので、そのエピソードは丸ごとなくしました。
なので、何か起こりそう、しかし何も起こらない。ドキドキハラハラ、
…いや、ちょっと待って。そのまま!?  と、いうところで終わります。はい(笑)
すいません。山なし小説でございます。雰囲気を楽しんでいただけたらと思います。

なぜ舞台がグアムなのかと言いますと、
以前大澤さんのファンクラブにて物語と同じ日付にてグアム旅行の計画があったのです。
私はもちろん参加できませんでしたが、行ったような気分になるためにその日の月を調べ、
当初のタイトルには副題にファンクラブでついていた名前「Sweet Honey Moon」を、
お借りして付けていました。ハネムーンと初蜜のような月。発想はいいですよね(笑)

ただ、お話をかなり替えたので無駄にハードボイルドなシーンが入ったりして、
本当に何か起こりそうな気配がぷんぷんする小説となりました。
どうなったかは、あ、あなたの目で確かめてみてください!<(_ _*)>💦
ちなみに「g.o.a.t ブログ」、文字規制があるようで一気に載せることができず。
図らずも前後編に分かれてしまいました。
決して長くないし、引っ張りたくなかったので少し残念です。
もしよろしかったら作者がここまでボロクソに言う小説、興味本位で読んでみませんか?w

タイトルは大澤誉志幸さんの1998年のアルバム「Love Life」より、
「Private Heaven」と名付けました。優しい愛に溢れた傑作のアルバムでして、
その優しさと溢れ出すポップさをぜひ、小説にしてみたいと思っておりました。ぜひ。

ヒロインのイメージは我が家にいた猫、ななちゃん。冒頭画像の女の子は、Inka Williamsちゃん。気が強く、それでも包み込むようなまなざしを持っていることからイメージ画像にしました。

◆前編


◆後編


大澤さんのアルバムはコチラ↓

LOVELIFE
大沢誉志幸
ダブリューイーエー・ジャパン
1998-04-25

Karl Houtteman
現在の私は、義父と二人暮らしの、独りである。
年を取り、体の自由が段々利かなくなってきた義父の身の回りの世話、なんて大げさなことはしていないけれど、それに近い状況になっている。しかし母の介護の日々を思い、あの時とは違うと考えている。

母の時はもちろんだけど、私個人の前例がなく、全くの初めての経験だらけだった。
地域包括センターという場所があることも、デイサービスにショートステイ、そんな言葉も初めて知った。だから、という訳ではないけれど現在、私はまだ息切れしていない。もちろん「まだ」なんて言うと今後を予期しているようで嫌だけれど。ただ義父は今年7月に発症した病気が、たった一か月でかなり進行している。正直、別人のようだ。

母と義父の違うところは、できないことが増えても認めたがらないとか、義父自身に直して欲しいところをなぜか私に直すよう仕向けるところか。そのふたつだけでもかなり苛立っているのだけど、とりあえず感情的にならず日記のように時折書き綴っていけたらと思う。母の時は「日常ダイナマイト」なんてカテゴリにしたけれど、同じではない。私はどこか冷めた目で見ている。だからどんなふうにでも書ける「独り言」というカテゴリを作った。

母の時は、自分の人生まで浸食して来て、入浴も食事もすべて自分を後回しにし、すべてが母優先になった。もちろんそんな生活は継続できず、文字通り、私は壊れてしまった。しかし今回は義父のために自分を壊したくないと思っている。できる限り手を抜きたいし、自分のやりたいことは諦めずにやっていきたい。犠牲になりたくない。まだ慣れないケアマネージャーさんとそれでも密に連絡を取り合い、利用できるものは利用していく。もちろんそれは制度だけではなく、薬の管理が難しいのであれば市販の「お薬カレンダー」の「手」を借りるなど。大したことじゃない。それでも大きく手間は省ける。

母の施設入所が決まった時、ほぼ手を貸してくれなかった義父が母のことを「最後まで面倒見てやろうや」と疲れ果てた私に言い放った時、叫びだしそうになって口を塞いだ。そんなの言われなくても判ってる。散々そうやって「私が」やっていたことじゃないか、と。だから私は母のいずれ訪れる最期と大事な猫たちを見送ったら、すぐにでも今の家を出られるようにしておこうと思った。実際には母の介護から離れてすぐに「荷おろし症候群」に陥ってしまい、休むべき時に休めず、色々なことが手つかずのまま時間が経った。
その間に、5匹いた愛する猫たちはみんないなくなってしまった。最後の子は今年4月の出来事だった。22歳という高齢で持病も抱えていたことからいつ悪化してもおかしくない状態ではあった。それでもいつもそばで丸くなって眠る姿は、言葉がない分、純粋に愛情を惜しみなく与えさせてくれる存在だった。しかし、ついこの間、Twitterにてフォロワーさんではないけれど、とある意見を聞いた。動物を飼う際の心構えのようなことだ。
「ペットは要介護の家族、と言えば容易に飼おうとは思わなくなる」と。

非常に納得する言葉だった。身に沁みる。
事実、振り返ってみれば猫たちもいつまでも若く、おもちゃにじゃれている訳じゃない。年齢を感じるようになるのは寂しかった。その寂しさは、もうすぐこの子はいなくなってしまう、という寂しさだ。あの子たちは不意に手を離れてしまう。何の予兆も感じさせず、時折飼い主がぐっすり眠ったその隙を選ぶかのように。そんな彼らはもういない。もしも次に飼う、と考える日が来るならそれは相当自信ができ、金銭的にも人脈的にも余裕のある暮らしができる時になるだろう。

話が逸れてしまった。
現在、義父は介護認定で要支援2の段階だ。利用できるサービスは2つ。生活上必要な杖のようなものはレンタルできたり、手すりなどはつけてもらえる。(義父はすべて断ってしまったが現段階なので今後は判らない)サービスは運動系のものを利用し、週に1回だったものを支援度が上がったので2回にしてもらった。義父の病気はパーキンソン病で、どうしたって運動が必須になる。しかし独特の前のめりになる歩行は既に悪化している状態なので毎日の病院は付き添っている。正直、義父の生活すべてが重荷ではある。けれど今は事故の危険性もあり目が離せないので、このたった今の間にもどこか受け入れてくれる先を探しつつ、自分の住む部屋も探している。ヘルパーさんだったりそういったサービスがこれから使えるようになったら何も私が一緒に住む必要はないし、仮に離れてもできることはある。そんなふうに考えてしまうところが、母と違う一番のところだ。軽薄かもしれないが、それも仕方ないと考えている。
まずは先にも書いたように記しておくことから始めてみようと思う。こう言ってはなんだが、母や義父がいなくなったとして、私は猫以上に悲しむことができるだろうか、と感じる。彼らは、私の人生の中でとびきり特別な存在だった。それだけは間違いない。

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Photo / Karl Houtteman

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