First Kiss

幸坂かゆり Weblog

2022_0610_bungi19summer
お久しぶりです。
最近間を空けることが多くなっていましたが、私は色々ありつつも元気です。
元気に日常を暮らして、本を読んで、ちょっと映画やドラマなんかも観て(これは冒険なのだ)音楽を聴いて過ごしています。

さて、そんな中、今月6月10日発売の『文藝マガジン文戯 19』夏号(特集は「花火」)に幸坂かゆりの小説が掲載されました。文戯マガジンは「てきすとぽい」さんにプラットフォームを借りて文戯杯と言う企画があり、テーマに沿ったテキストを募集します。毎号発行される文戯マガジンのゲスト作家を決めるため、そちらに応募した作品から投票で決められた上位3位が文戯マガジンに掲載となります。

私は以前の作品ではありますが、自分の中では未完で終わっているような気がしてずっと気になっていた『涅槃の子』と言う作品を推敲し、ラストまで書き込んだ上で応募しました。作品を書いた当時はお題があったのでそちらの文章も消しました。
主人公に名前はついていませんが、誰にも言っていないモデルがいます。とある写真を見て一気に物語が広がっていきました。その作品をもう一度皆さんに読んでもらいたい、と思い応募して、ありがたく投票をたくさんいただきました。とても短いお話です。たくさんの方に読んでいただけるとありがたく存じます。ぜひお手元にどうぞ。

  

現在は私自身も個人で発表している「BCCKS」さんのみの取り扱いになっておりますが、もうじき電子書籍はAmazon他、各社にて購入できるとのことです。ちなみに紙版もございます。
詳しくはこちらまで ↓
『文藝MAGAZINE文戯19 2022 Summer』https://bccks.jp/bcck/173800/info



2021_真犯人フラグ_ラストの原稿
ひとつのドラマを追うのは久しぶりだった。
半年という期間、毎週このドラマを見てきた。理由は勝手に主演である西島秀俊さんのファンで「西島祭」と称して、色々作品を観てみようと思い立ったことと、このドラマの端々に文学が散りばめられていた所に魅かれたからだ。しかし「作中の現実」は想像を遥かに超える心の痛みを伴い、ラストは、心が千切れそうな喪失感があり、それでも、同時に浄化されるようだった。


  

『真犯人フラグ』(2021年10月10日 - 2022年3月13日、日本テレビ)は「考察ドラマ」と位置付けられたドラマのチームが制作と言うことで、その時と同じく、散りばめられた伏線を回収するため、考察をする人々でSNSが賑わった。私自身はこのドラマの打ち出すものとは裏腹に、考察要素を省いて観ていた。

オープニング映像は、デヴィッド・フィンチャーの『Seven』(1995)を思わせた。
細かく切り替わる映像と暗めなアート感がとてもかっこいい。筋書きは妻(こちらは子供たちもだが)が失踪し、残された夫が世間からバッシングを受けるという部分で、同監督作品『Gone Girl』(2014)を思い出した。事件収束自体は『Seven』並みのショッキングなものだったが、ラストは違った。

色々ばら撒かれているけれど、この物語の核となるのは大学時代からの友人として三人の男友達だと思う。主人公、相良凌介(西島秀俊さん)、河村俊夫(田中哲司さん)、日野渉(迫田孝也さん)。共に大学時代、文芸サークルに所属しており、彼らがサークル誌に寄稿した若い頃の小説のタイトルは結構禍々しい。(「蠢く臍の緒」「懺悔の小道」など。ちなみに古井由吉の著作「ゆらぐ玉の緒」なら知ってるぞ。)多分、彼らが若い頃は現在、文豪と呼ばれる作家のような、一筋縄では行かない愛憎を含む物語を書いていたのだろう。

事件について待ち合わせる場所の店名は『至上の時』(中上健司の小説タイトルの一部)。
店主は脱サラして店をオープンさせた日野。この店が自分の人生の完結作だと話す。凌介は大学時代のみんなの憧れだった女性、真帆(宮沢りえさん)と結婚し、子供に恵まれ、家を新築中だ。そして、河村は日本で一番売れているゴシップ雑誌の編集長をしている。そこに凌介と同じ職場で働く二宮瑞穂(芳根京子さん)や、凌介の娘の恋人である橘一星(佐野勇人さん)が協力者として加わる。もちろん、この後色々と問題は起こるが。

もう随分時間が経ってしまったので結末に触れていきます。
失踪事件は三つに分かれていた。子供二人は後に救い出されるが、真帆は世間が公にした頃には既に死んでいた。殺害した真犯人は河村だった。結果的に河村だけが若かりし日の愛憎の文学物語から抜け出せずにいた。もちろん思うだけなら問題はない。本来なら心にしまっておくか、自分で傑作を書くしか凌げない。河村は、文学に於ける才能が豊かで何もかもを手にした挙句、文学を捨てた(と思い込んでいる)凌介を妬みながら羨んでいた。だから大切な真帆を奪って殺した。仕上げに、大袈裟な演出で真帆の遺体と凌介を対面させ、憎しみや殺意を自分に仕向けるよう、挑発する。しかしそもそも挑発するという思考そのものが、凌介の中にはほとんどない部分だったと思う。

クライマックスでも、凌介はただ棺の中で眠る真帆だけを見て、真帆の亡骸に話しかける。
ここは凌介の性格を考えた時、とても自然な行動だ。彼はそれまで様々な憶測が流れようと、自分がどんなに酷い目に遭おうと、ただ真帆に会いたかった。そして形は違えどもやっと会えた。話したいことが山ほどあっただろう。真帆にひたすら話しかける場面は傍から見ると一方的に見えるが、凌介の中では会話が成立し、カウンセリングのような役目を果たしていたと思う。そこで初めてこれからを生きるためのテーマに辿り着き、本を書こうと思ったのだろう。

喩えだが物を創る人に対し、以前の作風の方が好みだった、と現在の作風の変化が好みに合わなくなりファンという席を立つ人もいる。しかしその空席には、また新たな誰かが座ることもある。生きていれば変化は当然だから。しかし以前の作風を忘れられず、距離を置くのではなく認めず動かそうとするファンがいるのも事実だ。そうなると創作以前に一人の人間に執着してしまうことになる。
河村がそうだった。河村は、表面的には生き方を変えたように思える凌介という人間に固執していた。固執と言うのは人を惑わせる。ひたすら円の中をぐるぐる回り続けるからだ。けれど私は思う。創作と生き方は自由なものだ。そうでなければ、と。

作中、凌介は頼りなくお人好し、という描かれ方をしているが、全篇見返してみると、案外言うべきことは言葉にしている(簡潔かどうかはともかく)。しかし本来持っている優しい性格が、彼をお人好しと言う人物にさせてしまっている。ドラマの最終回後、Huluで配信されたアフターストーリーにて、凌介もまた文学に関して挫折をしていたことが判る。それは河村にとって激しい悔恨の念に襲われる真実だった。けれどその挫折を知らなければ、多分凌介は真帆と一緒になっていなかったし、もしかしたら河村と同じ思考でいたかも知れない。

挫折を経験し、生き方を変化させたからこそ暖かい家庭を築くことができた。
それこそたまたま幸せになった訳ではなくて、真帆と一緒に努力をして作り上げた家族だと言うのが、そこかしこのシーンで描かれていた。そう言った意味でも、凌介は小説とは別の部分で創作を捨てていた訳ではないのだろう。一人の時間は大事だが孤独とは違う。人はずっと一人では生きられないのも凌介は既に理解していた。

何かを考える時、行動する時、誰かと関わらなければ決断もままならない。
ただ依存とは違う。依存は人を縛り付ける。人との関わりは信頼がすべてだ。信頼によって心は安定し、解放させることができる。それはパートナーでも友人でも誰でも。感情を言葉で伝え合いながら日々を過ごすことだ。このドラマはそのように生きて来た凌介の温かな眼差しで幕を閉じる。

僭越ながら、個人的にドラマで小説の話が出るごとに私自身と重ね合わせていた。
私も自分の書く物のテーマに日々変化を感じて来ていて、もう以前のように書けないのでは、と不安に駆られ、以前の自分と現在の自分が常に頭の中でせめぎ合っていた。しかし心の経験が増え、深みを増した時、テーマや作風の変化は自然なことだろう。

凌介を見ていて、身近な大切な人にどれほど小さくても生き方に変化が起こった時、意見を聞く耳を持ち、コミュニケーションを交わせるだろうか、と自分に問いかけた。コミュニケーションと言うのは大袈裟なものではないが難しい。心の変化に気づいたことを、先にも書いたが言葉にして伝え合うこと、そうした連絡を繰り返して行くことが、暮らしを、延いては人生を創り上げて行く。けれど時折忘れてしまう。そんな綻びで呆気なく失ってしまうこともある。ただ、もしもそれで離れてしまっても、人は別れても別れても誰かと出会う。いつだって変化する渦中にいるのだ。私は創ることと愛を同列に考えている。

そして改めて思うのは、たくさんの登場人物がいること。
このドラマの凄い所のひとつに、すべての登場人物に主要なシーンがある所だ。どれほど悪事であろうと、彼らが登場する場面に来るとみんなそれぞれが主人公になる。端役というものがない。演者のことを考えないとできないことだろうと思います。
真犯人を追うドラマではあるけれど、そこに集まる人間たちが織り成す関係や、過去から連なる物語を描くことは外せない部分だと思っております。みんな始めはちいさな嘘で、隠し事だった。それらを明かさず秘めてしまったことから悲劇が重なった。けれど人の数だけ人生があり、感情が動く。相手を思いやるからこその悲劇だってある。このドラマを観賞できて良かった。素晴らしかったです。偏った感想ではありますが絶対に書き残しておきたいと思いました。


   

そんな訳で(長いw)
心臓に悪い半年間ではありましたが(失礼か)最終回を迎えてからは時折、好きなシーンを選んでは繰り返して観ています。個人的に、随所に登場する食べ物がとても美味しそうなので夕飯の献立の参考にしました。すみれさん(須藤理沙さん)、光莉ちゃん(原菜乃華さん)、篤人くん(小林優人くん)の合作と言ってもいい、鶏むね肉塩麴カレーマヨソースとかサクサクのコロッケ、真帆から菱田さん(桜井ユキさん)に受け継がれたがめ煮、一星(佐野勇人さん)と光莉ちゃんが出会うきっかけになったパン、あんバターフランスとか。あ、書いててよだれが出て来そうになりました(笑)

ちなみにドラマのタイトルはもちろん視聴者を意識し、マーケティングした上でなくてはならないのでこのようなタイトルになったと思いますが、十分、文学的なタイトルでも似合うと個人的には思っています。ああ、1話から思いついたことを語り尽くしたいところですが、このままだと終わらないのでそろそろ筆を置きます。ここまで読んで下さり、大変ありがとうございました。

主題歌はNovelbrightが歌う『Seeker』という曲です。
歌詞を読むと、身につまされるような想いに駆られます。とても情熱的で良いです。



※メーカー特典付きDVDには凌介の職場、亀やん急便のボールペンがついて来ます。

「真犯人フラグ」DVD-BOX
宮沢りえ
バップ
2022-08-03


※もう売り切れておりますがこういうムックが出るほど話題になったのですね。



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冒頭の画像は、最後のシーン。
真帆に捧げる物語の1ページが既に始まっている。きっと優しい小説だろう。読みたい。

劇場版きのう何食べたポスター
11月の話ですが、劇場版『きのう何食べた?』を観賞してきました。
コミックが原作で、その後深夜枠でのドラマ化。実はどれも観たことがなかった。

一体どこで知ったんだっけ、と考えて主演の西島秀俊さんが好きで、
何か作品を観てみたいと思ったのが最初だ、と思い出した。
しかし、印象だけだとアクションだったりハードなイメージが強かったので、
痛いやつはヤダ、という偏見からどれも観そびれていた。
そんな時にYouTubeで『きのう何食べた?』のレシピ動画が公式で公開されているのを知り、
西島さん演じるシロさんの手際の良さと料理が割と庶民的で作りやすそうなのが気に入り、
何度も観ているうちにハマり、映画化を知り(本来、そこからレシピ動画ができたのでした)
調べると北見市でも公開されるというので、観賞に至りました。

最後に映画館に足を運んだのは母と義父と3人で観に行った『おくりびと』だった気がする。
そして今回のこの映画。驚きの連続だった。まず、映画館と言う大画面、臨場感で見る料理。
画面いっぱいに広がるぐつぐつ煮込まれる肉団子のなんと美味しそうなこと!
丁寧な調理が鮮やかに描かれ、8時間茹でる黒豆すら作りたくなるほど魅力的だった。

お話も、40代男性ふたりの恋人同士を中心に彼らを取り巻く人々や高齢になる家族との関わり方など考えることが他人事ではなくて、私個人にとっては非常に重要なテーマだった。更にコミカルだったり、ときめいたり、たくさんのお喋りがあって、多分大切な作品になって行くだろうな、と思う。

美容師であるケンジの自然な心配り、優しい性格といじらしさがとても好きだ。そして調理のほとんどを担うシロさんの、秘密主義的な潔癖性がどんどん和らいで行く所も。ふたりとも常識をわきまえた社会人だが、性格や考え方の違いが明白で本来の私はどちらかと言うとシロさんに近い。ただもちろんあそこまで徹底してきちんとはしてない。表に出る部分はケンジに近いだろうな、と思ったけれどとんでもない。ケンジの社交性や心の広さは私と似ても似つかないぞ。正直、映画のストーリーを追いつつもケンジの素直さに驚きっぱなしだった。

ふと考え事をした時、すぐそばで話しかけてくれる人に対して「いや、別に」と逃げずにその気持ちを話せる。あれ実はかなり高度な技術だ。私はそういった場合先に書いたように逃げてしまい、結果的に相手の意見も聞けず、自分の中に隠れて悶々として成長も何もあったもんじゃなくなる。
今まではそれでも何とかやって来たけれど、この映画は私の成長できていない痛い部分を逐一突いてくる。このままでいることの不安と、私は独身だが淋しいからって友達と一緒にいる訳じゃない、と頑なになってしまう葛藤。しかし「友達」ってむりやりそう名付けて突然なる訳じゃない。普段話をして段々「友達」になっていく。淋しいと言う気持ちだって独身だから、ではなくて、淋しい気持ちは誰にだってある。自分で判っているようで認めたくなくて素直さを失くしていた。
本来大事な、どこまで相手に踏み込んでいいのか、どこまで自分を曝け出していいのかという距離、そこを近づけて歩み寄って行く間のやりとりの部分は私に欠け落ちている部分だ。鈍感に成長してしまったそんな私の弱い部分をこの映画で問題として突きつけられている気がしている。

ところで、私は時折、映画やドラマは感情を揺さぶられるからあまり観ないと人に話す。
友達の家に遊びに行った時、見てもいないテレビがかかっていたらことわってから消してもらったり、かなり音量を下げてもらったりする。そのくらい感情的に「させられる」のが嫌いなのだ。なのでそれほど映画の本数は観ていないが好きな映画やドラマはとことん観る。それで最近気づいた。会話が主体になった物語が好きなのだ。更に余談だが、サスペンスなどで犯人が犯行を犯した場面などを振り返る時、台詞でも言ってるのに犯行時の現場検証みたいなミニドラマを挟まれるの、あれ地味に苦手だ。仕方ないけど。

大幅に逸れました。
そんな訳で長くなりましたが、劇場版『きのう何食べた?』は現在進行形で勉強になることがたくさんある作品でした。そして映画で興味を持ち、それが膨らんで我慢できなくなったのでAmazon primeに登録して未見だったドラマ版を全部観賞しました。そしてシロさんのレシピ本も購入して日々色々参考にして作っている。この作品に出会ってから日常生活がとても楽しい。日々かったるいはずのごはん支度や家事も、自分が気持ちよく過ごすための魔法のような行動に変化する。

で、そうして作る大切な毎日は、やはりシロさんとケンジのようにゆっくりと家族になって行けるような相手と共にして行きたいと思う。この作品をきっかけに暮らしを変えていくことを前向きに考えるようになった。来年の目標は一人暮らしをすることだ。現実にするぞ。

  

久しぶりの投稿になりました。お久しぶりです。
なかなか心が動くことがなくて(嘘です。あったけど面倒だったw)
普段Twitterにて日常的なことを書いているのでわざわざきちんと書くこともないかな、と思っておりました。けれど、今回この映画を観て揺さぶられた想いは記憶が薄れない内に記しておかなければと思いました。また忘れた頃にぽろっと更新します(笑)

※劇場版『きのう何食べた?』公式サイト ↓

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令和3年4月14日、
長患いしていた母が逝った。

その日の夜、私は体が妙にだるくていつもなら終えているはずのお風呂に入っていた。
そんな時に母が入院していた病院から突然の電話。
「ご家族の方、いらしてください」
慌てて髪も濡れたまま束ね、タクシーで急いだ。
母は既に息を引き取っていた。いつもの眠っているような表情だったので先に着いていた姉に「さっき午後11時に」と臨終の時間を告げられるまで気づかなかった。ただ母に大丈夫かい? などと間抜けな言葉をかけていた。

本当に? 本当にいないの? 確かめずにはいられなかった。ごめん、間に合わなくてごめん。そんな言葉を言いながらまったく信じられず涙も出なかった。

そこからは感傷的になる間もなく、すぐに現実に返り葬儀について話し合いをし、友引や火葬場の空きがないと言う事情で2日ほど斎場に安置してもらうことになった。お通夜、告別式、出棺を終える次の日が初七日と言う段取りになった。私は喪服も持っておらず、ほんの少し打ち合わせの開いた時間に買いに行った。失礼にならなければそれでいい。そんなに何度も着るものじゃない。
死因については元々、持病があったため、色んな要因は絡んでくるが誤嚥性肺炎が大きかった。ついこの間同じ理由で入院し、退院したばかりだったが日を置かずにまた体調が悪くなり何度も入退院を繰り返した。母の体力を考えると限界だったのかも知れない。

思えば寝たきりになってしまうまで、本当に長い介護生活だった。
途中から施設に入居できるきっかけも、私が心身共に限界になり、かかりつけの医師が母を療養という形で入院させてくれて、当時申し込んでいた施設にも早々に働きかけてくれたおかげだった。その頃の愚痴も交えた詳細はカテゴリ「日常ダイナマイト」で少々触れている。

まず、ここまで書き始めたけれど形式ばったことは多分、私には書けない。残念ながら説明と言うものが下手な物書きだからだ。書けるのは想いだけだから心が粟立ったことだけ記しておこう。そしてこのあとゆっくり触れて行こうと思う。お通夜には地元の情報誌の訃報欄を読んだ友人が仕事を抜けて来てくれた。小学校からの友人でもある彼女も昨年お母さまを亡くしていた。彼女の姿を確認して少しだけ気が緩んだ。そして彼女もとても驚いていた。庭の手入れや猫たちと戯れる若い母の姿しか知らなかったから。
いつも白髪交じりの髪を黒く染め、ひとつに結び、頭の上の方でお団子にしていた母の姿。私もその姿が一番印象に残っている。だから急ぎで選んだ地元情報誌には施設で写した写真を載せたけれど、遺影は病気に罹る前の母の姿にしたいね、と姉と話し、少ない写真の中から元気だった頃の母の写真を探した。きちんと自分の服を着て化粧もしている微笑んだ母の姿だ。

あれほど忙しなかった式のはずなのに、初七日を終え、役所へ赴いて書類等の手続きを終えると、すぐに静寂に戻った。もちろん大変だったと思う。その証拠に私は役所に行った次の日から久しぶりに風邪を引き、それは今も続いているから。けれど母と共に生き、格闘のようだったり親子関係が逆になったような介護の時間を思うと本当にあっさりと終わってしまったように思う。

先にも書いたが、火葬場に空きがなかったため、お通夜が始まるまでに数日空いた。
その間、毎日見舞うかのように母に会いに斎場へと向かった。打ち合わせの中で『お通夜の前に湯灌*(ゆかん)を行いますか?』と斎場の方から問われ、もちろん快諾した。施設でも病院でも、もちろんお風呂に入れてくれていたけれど、急いだ洗浄という印象に近い。もちろん悪い意味ではなく。けれど、永遠の眠りにつくのならきちんと髪も体もゆっくり洗い、肌も爪も整えて良い香りに包まれ、気持ち良くなって欲しいと願っていた。
湯灌は斎場のスタッフの方2名が施してくれた。丁寧に体を洗ってもらい、髪もシャンプーとトリートメントをしてドライヤーで乾かし、いつものようにひとつに結んでもらい、白装束に着替えた後は私と姉が最後の化粧を手伝った。用意してくれた口紅の色はローズピンクで、偶然にも母がいつも付けていた色と似ていた。伸びていた眉毛も切ってくれて自然なアイブロウができた。すっかり瘦せてしまった顔の輪郭もふっくらさせるため、口の内側に綿も入れてもらった。すべて終えると本当に眠っているようで、昼間、椅子で猫と一緒にうたた寝する母の顔そのものだった。

葬儀場では母が好きだったサザンオールスターズの音楽が流れていた。
母とふたりきりで話をしている時、斎場の方がいらして「好きな音楽があったらかけますよ」と仰ったのだ。突然だったので編集する時間もなく、母が気に入っていたいくつかの曲はかけられなかったけれど、その中でも大好きだった曲は聴かせることができた。
途中、司会の方と打ち合わせをして母のこれまでの半生を語るため、色々とエピソードを話し、彼女が脚本として筋立てをして改めて物語をなぞると、小説の朗読のようだった。内心、私もこうやって小説書いてるなあ、なんて呑気に思っていたが、2日目の告別式での内容は少し変えられていて、まるで私たち姉妹の心情を表しているような言葉になり、もうこれで本当に、母の亡骸ともお別れなのだと思うと、急に涙が噴き出した。姉も私も。

棺の蓋が閉められる前、お花を母の体の周りに置きながらどうしようもなく流れる涙をそのままに、いちばん大きな花束を母の胸に乗せて、最後に手向けた言葉は「ありがとう」だった。それしか言えなかった。たったひとこと。母に届いただろうか。
大好きな母、私たち姉妹を産んでくれてありがとう。


*湯灌=湯灌(ゆかん)とは、葬儀に際し遺体を入浴させ、洗浄すること。(中略)女性の場合は死に化粧が施される。病院で死亡した場合には「エンゼルケア」などと称し、看護師による簡易な清拭が行われる。


長くなりました。
上画像はいただいたお供えのお花。少し枯れかけているけれどまだまだ蕾もある。ここから数本もらい、玄関にも飾っています。母は穏やかな花のようなひとでした。

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ふと、思い立ってコンビニに行ったりする夜が好きだ。

夕方が終わり、夜が始まるとき、星空はくっきりと色付く。
コンビニまでの距離は何歩歩いたか数えきれるほど短い。けれど私は夜に抱かれているようにうとうとと歩く。夢の中にいるような不思議な感覚になる。夜の中にいると前後不覚になって、ついでに上下左右も曖昧になって、時折転倒してしまう。そして無理やり現実に引き戻される。そんなことを早起きするようになった毎日を過ごすようになってから繰り返している気がする。空を見て地面を見て、そんなに視界を急激に動かしていたらそりゃあコケることもあるよなあ、と思う。

コンビニでは突然足りなくなった調味料や、何となくおやつが欲しくなったりしたときに行くので一日の中で数回行く日もある。野菜などを買った日は「えらいねえ、ちゃんと自炊して」と仲良しの店員さんに言われて頭をかく。えらいのかな。私の歩き方を知ればしっかりしろ、と思われるだろう。

コンビニ袋を提げて歩く帰り道は買った物を守らなくてはと思うせいか、下を向いていることが多いが、それでも空によそ見する。風が強い日は星が揺れて少しだけ心許なくなる。この世が私と星空だけのように思えて、突如、私は暗闇の中に放り出される。それでも玄関まで一生懸命歩き、足を止めてからあらためて夜の空をじっくりと眺める。星は視界に入りきらないほどに広がっていて、ああ、私は夜と散歩をしていたんだなと思う。手を繋いで。

今は三つ並んだ星を見つけるのが好きだ。あれがかの有名なオリオン座と言うのだと最近知った。オリオン座というものを形成する星の中の一部なのだと。もしも星から私が見えていたら私も星の一部を形成するひとつに見えたりするのだろうか。


  

お久しぶりです
最近はこんなふうに夜に歩くことが珍しくなり、ゴミ出しのときに夜空を見上げて夜と仲良くしている。朝型になると夜が少し淋しく思うようになっちゃったかな。画像は、つつじを背中に乗せたまま毛づくろいをする、らむ子さん。夜の中でも猫はいつも変わらず猫でいてくれる。

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2021年初の更新になります。遅い(笑)
こちらを訪れてくださる皆さんはお元気ですか?
急な寒さなどで体調を崩したりしていませんか。
暖かい飲み物でも、一緒に飲みましょう。

そして、私自身ですが、
昨年失ったものが私に思いの外、大きな打撃を与えていたようで、
急速に生み出したくなった。多分、物語を。
Twitterでは、日々日常の献立などをつぶやいていて、
料理もどこか創作だとは思うし、もちろん必要で嫌いではないけど、
充実感があるのはやはり物語に没頭できたあとだった。
ある日、父に次の日の些細なことをメモに残したとき、
余白が残ったため、適当なイラストを書き込んだ。
何だかわからない生き物だったのでそのまま、
「謎のいきもの」としてTwitterに載せた。

その謎の子が、度々メモをつける中で色んな表情を発して増えて行き、
結果、名前をつけようとアンケートを取った。
謎のいきものは、にゃぞ子、と命名した。
他にも候補があり、提案もいただき、そのお名前も可愛いので、
今後登場させたいと思っている。
にゃぞ子を描くのは楽しい。下書きも何もしないで描くので、
本当に謙遜でもなんでもなくシンプルに下手なのですが、
私の指そのままに、にゃぞ子も必死に応えてくれるので幸せになる。
何より、にゃぞ子はずっと生きている。私がいくらでもエピソードを生み出せる。
猫たちと暮らした日々が残り、ぽっかりした空間に突如、にゃぞ子がやって来た。
偶然でも、いや、偶然だったからこそそれは不意に私の胸に住み着いたのだろう。

そして、つい昨日のことだが、再びTwitterにてハッシュタグでお題が流れて来た。
「あなた、桜、涙」という言葉を使って文章を作る、というものだ。
むくむくと書きたくなって、文字数が決まっているひとつのツイートでは足りなくて、
そこからみっつほど続きにしてとても短い場面を書いた。
もちろん、推敲を少しだけしたけれど送信してから重複していた言葉が気になり、
ひとつだけ削除してツイートし直したけれど完成させた。

こちらから読めます↓

思えば、物語として文章を書いているとき、すべての日常が消え去り、
「あなた、桜、涙」の場面しか頭の中になかった。
物語を作ることは、私自身のカウンセリングになっているのだろうか。
にゃぞ子も、急に参加したお題の文章も、書き終えて、
ずっと必要としていたものだと判った。

音楽や、スポーツ観戦(主にテレビ)など大切なものはたくさんあるけれど、
それらを愛して行ける器を作り、ろくろを回し、
更にたくさんのものを愛せるように器を広げて行く必要があった。
器の栄養素は物語を創作することだった。
悲しい現実も、届けられなかった花束も、創作の中では喜びに変えて行ける。
支えになって、心の器にまた少し余裕ができて栄養を注ぎ込める。
ただ時折、忘れてしまうだけだ。だからこれからも何度も忘れて、
それでもしぶとく思い出していけたらと思う。
にゃぞ子も、哀しみの小舟に乗った桜を見る「僕」も私の一部分なのだろう。

冒頭のイラストが突如誕生した、にゃぞ子です。
これからも色んな彼女を描くので、見てね(笑)
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こんな感じで色々な姿を見せてくれます。
私ですらどんな彼女が出て来るのか予想できない。

今年1月、それは突然のこと。
文学フリマ、というものへの参加が決まった。
決まった、というより私からフリマのための作品を書かせてもらうことを頼んだ。少しだけ細かなルールがある中、昨年いたサークルを抜けてから初めての執筆だったので、自ずと力が入った。しかし完成した作品はどこか脱力するような、猫と青年の物語になりました。私が締め切りぎりぎりの参加者公募に滑り込んで書ける権利を手にしたそれは「猫アンソロジー」という猫への愛に溢れた企画でした。

こちらの「猫アンソロジー」は「コハク燈」さまにて、現在も販売されております。
可愛らしい表紙の他、中にも惹かれてしまう猫たちの絵が散りばめられ、更にはたくさんの作家さんの猫愛に満ちた力作が収録されております。絶対微笑みがもらえます。ぜひ一家に一冊お手元に!

😽猫アンソロジー「手のひらに猫」2020/01/19 発売
手のひらに猫表紙
😸お求めはコチラから↓ 本の他にも雑貨などがあり、楽しいショップです。


この1月以降は、しばらく自分の作った猫の物語について憑依しており(笑)
なかなか新作が完成しませんでしたが、アイディアはたくさんあり、中には書き始めているものもありますのでこれは2021年に向けますね。一年に一作でもいいから納得したものを書いて行きたいと思います。ちなみに私が書いたアンソロジー作品「永遠の恋」の黒猫マリのモデルはうちの愛猫、ななちゃんです。

この子
SN3S0094
少し吊り上がった大きな瞳でとても利発な子でした。可愛いでしょ♩
さて、そんな訳で執筆は一朝一夕でできるものではないので、そこを痛いほど理解しているため時には焦燥も抱えてしまいますが、まだまだ廃れるには早い。書きたいことがある。書かないと化けて出るくらい後悔する。だから2021年になっても、書いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

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令和2年、2020年。
すっきりときれいで、心に響く音だった。
素敵な年になると思っていた。それがまさか、何百年に起こるか起こらないかの感染症が流行るなんて思わなかった。誰もがみな、この感染症に振り回されたと思う。それは、もちろん私も。手洗い、うがいはいつもの倍以上の数になり、常時マスクを着ける。外食も人数が多いと飛沫が飛び、感染の恐れがあるためなかなか気軽に出られなくなった。

そして、大きな別れがあった年でもある。
愛猫たち、22歳まで生きてくれた、最後の猫、みみちゃんが4月27日に逝ってしまい、家には猫がいなくなってしまった。今でも少しだけ猫たちのいない空間になれず、足元がよろめいたりする。私の嘆きようを見て友達は黒猫のぬいぐるみを贈って下さった。(ぬいぐるみの名前はミーコニャーニャ)
猫たちについての想いは尽きなくて、どんなに文字にしても22年分の感情は書ききれない。だからこれからも折に触れ、彼女彼らの存在については書いて行くと思います。今となってはひたすらにいとしかった彼らが果たして、家にいて幸せだったのか、それだけが気にかかる唯一のことです。

そして5月。
小学生の頃から大ファンでずっと聴き続けて来たアーティスト、ゴダイゴのギタリスト、浅野孝巳さんがご病気で逝ってしまった。信じられなくて、ニュースを探し、こんなニュース、デマに決まってると思って疑わなかったが、仲間であるミッキー吉野さんやタケカワユキヒデさんがコメントを出し、本当なのだ、と肩を落とした。もっとたくさんギターを聴きたかった。飄々とした言葉が、優しい笑顔が、そしてコロナが明けた時にはゴダイゴでステージに立つ姿が見たかった。

7月。
私自身は、ほぼ家での仕事なので、あまりコロナの影響は受けていなかったと言えるが7月に入り、義父が病気を発症した。突如状況が変わり、病院付き添いのため、毎日病院へと出向く生活になった。最初こそ、どうして義父の人生に自分が合わせなくてはならないの、と恨めしい思いでいっぱいで、妙に機嫌の悪い顔で通院していたが、義父を待つ40分ほどの時間を、患者さんがあまり来ない隅の席を選び、缶コーヒーを飲みながら本を読むのが日課になり、私の積読本がみるみる消化されていったので現在は良しとしている。

8月になっても9月になっても、酷暑と戦いつつ、猫たちのことが頭から離れない日々を過ごしていた。しかし10月。突如降って湧いたかのようなニュースが。コロナ禍の中でずっと継続していたツアーを中止せざるを得ない状況だった大澤誉志幸さんが、北海道に来てくれるとのこと。思えばコロナが流行る前、北見市へのライブが決定していたのだが、こんなことになり、半ば諦めていたところだった。大澤さんは「絶対北海道に行くから」と言っていたのを思い出し、まさか本当に約束を守ってくださるなんて、と感慨深く思い、私も参加を決めた。小学生以来の小樽だった。その記述についてはしつこいくらい語っております。↓ こちらをどうぞ。

小樽慕情 1

  

このような状況になり、初めて風邪以外で着けていなくてはならないマスクは息苦しいと思った。それでも夏を越え、涼しい秋を経て、やっと冬の空気でなじんできた。きっとまだまだマスク生活は避けられないだろうけれど、早く、少しくらいマスクを外しても平気な未来が見えると幸いだと思う。それまではどんなに息苦しくてもずっと着け続けます。好きな人の三日月のような唇の笑顔が、マスクなしで早く見られますように。そしてその笑顔を微笑んで見つめられるようになれますように。心からそう願う。(「2」で終わりです、はい。)

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先月から、気になるひとがいた。
いつも面と向かい合った時しか挨拶もしなくて、パソコンを触る横顔くらいしか見たことがなかった。昨年末から今年に入りコロナが流行し、マスクをつけるようになると、ますます表情がわからず怖いくらいだった。そしてなにより、彼はもう20年くらい前から顔を知っているひとなのだ。

きっかけは、ある日私がそのひとのいる職場に読んでいた本を忘れてしまった時だ。
色々な場所を探した末に、そこへ電話をかけて確認しようとすると彼が出た。私は前述の印象で少しだけ苦手意識を持っており緊張したけれど、思いの外やさしい口調で「あ、ちょっと待ってくださいね」と受話器を置き、私がいつもいる場まで行ってくれたのだろう。見つけて「置いてありました」と言った。その声が微笑みを含んでいたので戸惑った。一体私はどれだけ恐ろしい印象を彼に持っていたのだろうか。とにかくその日、忘れた本を取りに再びその場へ行った。彼はすぐに私の姿を見つけ、すっと本を差し出してくれた。向かい合い、にっこりとマスク越しに笑っていた。その笑顔を見て更に動揺して「お手数をおかけしました」のひとことすらめちゃくちゃになったが、そのくらい驚いてしまったのだ。

その日以来、どうにも視線が彼に向いてしまう。
おおよそ、その場にそぐわないようなことまで話したりして、私は何を言ってるんだろう、絶対変なやつだと思われている、と家でひとりバカみたいに思い返しては赤面した。大体、名前も知らない。だから知りたいと思い、ある日、その場にそのひとしかいない時を見計らって駆け出し、アクリル板越しに名前を聞いた。そのひとは驚いて「僕ですか?」と逆に問いかけて来たので「はい」とだけ言った。そして彼は上の名だけ名乗ったので更に「下は」と聞いた。下の名前を教えてくれた彼に向かって反芻してみた。彼は頷いた。名前を知ることができた。その時よぎったもうひとつの質問があったのだが、誰か来たら困るのでそのままそこで面と向かうことをやめてしまった。

そこから数日経ち、年内彼に会えるのが今日で最後だったため、思い切って声をかけようと思った。もちろん、好きです、とかではない。そこまで知らない。ただ仲良くなりたい。学生のようだが友達になりたいと思った。けれど名前を聞いた日のようになかなかふたりになることができない。年末だし多忙な時期なのだろうしできる限り邪魔したくない。だから小さなメモに託し、今日何とか彼がひとりでいる時を強引に見つけて手渡した。時間がある時に、と言って。
しばらくすると彼が本を読む私の許にやって来て、そばに屈んで「読みました」と言った。
彼は既に結婚していて、小さなお子さんもいると言う。既婚者であることは年齢的に想定内であったが彼自身の口から聴いてしまうとそこから進められるものは何もなかったので、私はただただ恐縮して頭を下げるだけだった。でも、ここでなら全然話をしても平気です、と仰ってくださった(敬いすぎか)私が書いたメモの中には、どんな返答であったとしても私はこれまでとまったく変わらず接するのでお気になさらないでください。と既に記していた。だから来年もごく普通に変わりなく、おはようございます、と挨拶をするだろう。別に恋愛ではなくて、友達になりたかったのだから。

そんな訳で、それでも今日は本を読めず放心していた。
メモを読んでくれて、そばに来て向かい合ってくれたことが嬉しかった。せつないだとか泣くとか、そこまで重い気持ちではなかったけれど少し堪えた。鼓動が早く打ち、何も手につかない気持ちで返事を待つ、と言う感覚が久しぶりで疲れてしまったのだろう。ただ、彼を意識した月日(と言っても一か月ほど)の中で如何に自分が自分に優しくなかったかを知ったように思う。髪はずっと灰色で、時にはすっぴんで服さえ着ていればいいだろう、というくらいの酷い出で立ちで、今考えると本当に恥ずかしくてサンドバックがあったら全力で殴りたくなるが、そこから彼の目に触れる場所をできる限り、少しだけでもきれいに見せたくて、毎日化粧を研究し、アイラインなんかも工夫し、髪の色を明るくしたのは言わずもがな、直接、いちばん目に入るであろう指先を整えたくて毎日、毎朝、手入れをした。そんなふうにしていた私を俯瞰で見て、悩みが分散されずひとつに絞られていて答えが見える状態でいいなと思った。だから、自分をきれいにする、ということはやめたくないな、と思う。自分がいちばん心地良いからだ。

何も始まってはいないまま終わったけれど、この時間が私自身を少し繊細にしたことは確かで、これをこの先、創作活動に活かせたらいいな、と小説書きは思うのだ。私は幸せだ。


 ー そこにそっとそのひとがいるだけで、目に入るすべてのものが輝きに満ちて映る。

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父(義父)の通院に付き添っている。
今年の7月、病気を発症して以来一週間のうち一日置き。父は杖を突いて歩く。
7月当初は杖を勧められても「いらん」と撥ねつけていたが、その後、二度にわたる転倒があり、たくさんの人を巻き込んでしまったこと、病院の専門医に怒られたことなど様々な要因を経て、渋々使うようになった。その間に要支援から要介護度2となった。

薬物療法と運動系リハビリサービス、週一回の通所デイサービス、
元々あった持病の物理療法などを交え、少しずつ歩く時の足の上げ下げもうまく行くようになってきた。杖は一時期、4点脚のものを使用していたが外を歩く時は逆に引っかかって危険なため、家の中で使用している。普通の1点脚の杖は外を歩く時用に。
子供の頃していたように傘を地面に突く、という当たり前にできていた行為が病気になってからできなくなってしまい、杖はしばらく引きずっていたが、最近は復活している、と見ていて感じる。

通院の行きと帰りの道のりで少しお喋りもできる余裕が出てきたので、私は普段、家の中から見えていたり、道の途中に植わっている樹木などの名前を教えてもらっている。
いや、質問攻めにしている。白樺や檜葉(ヒバ)、楓など、今までただ眺めて来たものの名前を知ると、突如として身近なものに変化して行くのが私は楽しい。父はどうだかわからないけれど。そして、私がずっと知らなかったそうした木や花の名前を、とっくの昔に父が知っていたことに失礼ながら驚いている。そのくらい今まで話と言う話をしてこなかったのだろう。けれど、そのくらいの距離で十分だ。互いのパーソナルスペースを破らない今の距離を維持したい。父はたまに破るので「ソーシャルディスタンス!」と言ってこちらから離れる。ある意味便利な言葉だ。

病院に行かない日の前日は私の夜更かしタイムとなる。
一時期、慣れない毎日のせいで荒れてビールをだらだら痛飲していたが、さすがに少し体調を崩したためここ最近は量が減った。そして朝餉の支度や父の薬管理などで早起きが必須になってしまったので、量を飲んだら徹夜を覚悟する。
そこまでして飲みたいのか、と思われそうだが、そこまでして飲みたいのだ(笑)飲んでる時間が楽しくて仕方ないのだ。酔いの中で本を開いたり、音楽を聴いたり、小説の続きを書く。そして気怠い朝を迎え、割かし最悪、と毎回思うのだけど、それでもその自由な夜があるから、また早くに起床し、父の朝餉の支度をし、病院に付き添う一日へと移行することができる。

本来、夜型なので夜はいつまででも起きていられる。
しかし意外なことに朝起きて外を歩くのも気持ちいい、と思うようになった。
もちろん自らの意志ではなく、病院の付き添いなので半ば強制的な散歩になっているが、それでも。天気の移り変わり、道行く小学生の自由な歩き方、病院にて下手すると受付の人よりも早く着いてしまうが、すっかり顔見知りとなった看護師さんたちと挨拶を交わし、ちらほらと話をする。そんなちいさなちいさなやり取りが今現在の私にはとてもいとおしい。これほどまでに平和な気持ちが自分の中にあったことに気づけたのも。ぜひとも根付いてくれたらいい、と思いながら今宵はまた自由な夜を過ごす。

  

画像は秋口に咲いていたお花。名前はわからない。

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